最近の傾向として、私は信仰生活から離れてしまっていると感じています。
大川隆法総裁先生、善川三郎先生が潮文社から霊言集を出版されていた頃の20代のころから約35年以上になります。たまたま本屋で買って、こんな面白い本はない(当時は深見静山?の本も面白かったが)と貪るように読み、紹介されていた他の著者(渡部昇一、竹村健一、日下公人等)の書籍も読み、さらに、宇宙人や超古代文明など摩訶不思議なものも読み、関心領域がますます広がってきました。その後これらは大川隆法総裁先生がリーディング、霊言などで少しずつ明かされましたが、未知の世界や宇宙にも心を馳せてきました。私は幼少のころから霊的なことに少し関心があったので違和感なく受け入れていくことができました。(霊媒体質ではなく、今まで宗教にのめり込むこともなかったですが)
幸福の科学が立宗するまえから、先生の講演会、地元の集いなどにも参加し、立宗頃までは地域の世話役などもしておりしたが、立宗頃からフライデー事件でのデモ、宗教活動が盛んになると家族や周囲の反発も強く(各種高額なグッズも自費で家族の了解も得ずに購入したりもしたことが原因?)、なんでこの世界が分からないのだろうと思いつつ、宗教活動が不得手な私は心が定まらず、その後、HSとは、つかず離れずの生活をしているところです。
魂としては、宗教にはやや弱いと認識しているところですが、魂の壁を突き抜けてない、本物の信仰心に出会っていない、宗教の門の入口で留まっているとの理解です。
それでも大川隆法総裁先生の書籍はほとんど愛読状態で、その先の行動まで昇華されていないところは読書で留まっているからだと思います。政党や宗教で活躍している方は突き抜けておられ、純粋で凄いなと思います。(その反面、霊道が開いて悪魔にやられたり、道を外したりの弟子や総裁の息子もありで、難しい世界とも認識しております。)
心の学びとしては受け入れても、政党活動や幸福実現党で票が入らないというのも同じように感じている方が多いのかな。幸福の科学の映画も後半になるとパラパラしか観客がいないな、など、HSは、まだまだ伸びしろがあると思われますが、悪魔に染まった?現代社会ではこれが限界かとも思います。
天変地異や世界的な政変などが起きないことを願うばかりですが、ノアの箱舟のような世界にならないように人類にも覚醒してほしいです。
とつらつら書いてきましたが、いかに信仰生活を送るかが私のテーマです。正心法語は暗記しているはずですが、日々、ご本尊の前で読誦奉納を捧げる生活で心の平安を得る人生の後半(最終段階?)を過ごせるように生活スタイルを確立していきたいものです。(妻や子供、母など家族にも)
心の王国だけは築いていきたい。
とここまで反省もどきをしましたが、「与える愛」が足りないのだと気づきました。「自分のことしか考えていない」に集約されると思いました。
愛・知・反省・発展の最初でつまずいていたのか・・・。