相手チームの選手とはいえ、サッカー系ブログとしては取り上げたいネタなので、昨季までジュビロ磐田に所属していた遠藤保仁選手の現役引退を取り上げます。遠藤保仁といえば、横浜フリューゲルスに在籍経験がある最後の現役選手で、横浜Fマリノスとの合併後は京都サンガでプレーしていました。当時は守備的な選手というイメージで、トルシエ監督が率いたU-20日本代表ではあまり出番がなかった印象です。
そんな遠藤保仁のイメージが変わったのは、ガンバ大阪で西野監督に出会ってからです。当時から、キックの精度とポジショニングの良さは抜群だったので、攻撃的な位置で使った方が持ち味が出るという、攻撃的MFへのコンバートがありました。これでガンバ大阪の攻撃的MFに定着した遠藤保仁は、ジーコ監督が率いていた当時の日本代表に呼ばれるようになります。
しかし、ジーコ監督時代の遠藤保仁は不遇だった印象です。理由は、ジーコ監督時代は海外組というだけで無条件に使う起用がなされていたので、国内組だけで戦う親善試合で攻撃的MFに入る遠藤保仁と小笠原は、海外組の中田英寿や中村俊輔が戻ってくると自動的にベンチに追いやられてしまいました。いったい、遠藤保仁と小笠原は、どういう思いで代表に合流しているのだろうと、その立場は気になる存在でした。
その代表歴は無駄にはなりませんでした。岡田監督が遠藤保仁をアンカーで起用する賭けに出たからです。確かに、京都時代に馴染みがあった位置とはいえ、国際試合のボランチとしてはどうかという思いも持っていました。昨日書いた通り、最初の試合になったオマーンとの3次予選で勝利し、その後は代表のダブルボランチといえば遠藤保仁と長谷部誠が定番になります。
ガンバ大阪でもボランチに入るようになった遠藤保仁は、2010年南アフリカW杯で、1次リーグ第3戦のデンマーク戦でFKを直接ねじ込むゴールで日本代表を決勝トーナメントに導きます。その後はザック監督にも信頼され、2014年ブラジルW杯にも出場し、史上最多の代表出場試合数を誇る、歴代ボランチでもトップクラスの選手になります。
上手さとポジショニングで勝負する選手だったこともあって、選手寿命が長かった遠藤保仁ですが、ついに去るときが来ました。今後は古巣ガンバ大阪でコーチに就任することが決まっています。指導者として、そのテクニックを若い選手に伝えていって欲しいと思います。敵ながら、印象的な選手だと、その印象は強烈です。
そんな遠藤保仁のイメージが変わったのは、ガンバ大阪で西野監督に出会ってからです。当時から、キックの精度とポジショニングの良さは抜群だったので、攻撃的な位置で使った方が持ち味が出るという、攻撃的MFへのコンバートがありました。これでガンバ大阪の攻撃的MFに定着した遠藤保仁は、ジーコ監督が率いていた当時の日本代表に呼ばれるようになります。
しかし、ジーコ監督時代の遠藤保仁は不遇だった印象です。理由は、ジーコ監督時代は海外組というだけで無条件に使う起用がなされていたので、国内組だけで戦う親善試合で攻撃的MFに入る遠藤保仁と小笠原は、海外組の中田英寿や中村俊輔が戻ってくると自動的にベンチに追いやられてしまいました。いったい、遠藤保仁と小笠原は、どういう思いで代表に合流しているのだろうと、その立場は気になる存在でした。
その代表歴は無駄にはなりませんでした。岡田監督が遠藤保仁をアンカーで起用する賭けに出たからです。確かに、京都時代に馴染みがあった位置とはいえ、国際試合のボランチとしてはどうかという思いも持っていました。昨日書いた通り、最初の試合になったオマーンとの3次予選で勝利し、その後は代表のダブルボランチといえば遠藤保仁と長谷部誠が定番になります。
ガンバ大阪でもボランチに入るようになった遠藤保仁は、2010年南アフリカW杯で、1次リーグ第3戦のデンマーク戦でFKを直接ねじ込むゴールで日本代表を決勝トーナメントに導きます。その後はザック監督にも信頼され、2014年ブラジルW杯にも出場し、史上最多の代表出場試合数を誇る、歴代ボランチでもトップクラスの選手になります。
上手さとポジショニングで勝負する選手だったこともあって、選手寿命が長かった遠藤保仁ですが、ついに去るときが来ました。今後は古巣ガンバ大阪でコーチに就任することが決まっています。指導者として、そのテクニックを若い選手に伝えていって欲しいと思います。敵ながら、印象的な選手だと、その印象は強烈です。
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