前に一度ネタにしたかもしれませんが、日本代表を応援して良かったと思う試合は、皆さんそれぞれだと思います。私にとっては、1999年のワールドユースの決勝トーナメント1回戦、日本対ポルトガル戦です。
当時の日本ユース代表は、1次リーグの初戦のカメルーン戦で黒星を喫し、何とか2勝1敗で1次リーグは突破したものの、A代表とユース代表を兼任していたトルシエ監督の手腕には、まだ確信が持てませんでした。
しかし、このポルトガル戦で、トルシエ監督仕込みのフラット3は絶大な威力を発揮しました。現在、Aマドリードに在籍し、A代表にも入っている、シモン・サブローサがいたポルトガルの攻撃を、うまくオフサイドトラップを仕掛けて止めました。ただ、ポルトガルにはのちのA代表のCB、カネイラがいて守備も強く、前半は0-0で折り返しました。
ドラマはこれからでした。日本が後半の5分という早い時間に先制しました。これを見たポルトガルベンチは、負けると終わりの決勝トーナメントを意識して、後半の20分前後で、3人の交代枠を使い果たします。その直後、日本の右アウトサイドの酒井が上げたクロスに、高原と相手GKセルジオが接触しました。
これで、セルジオは鎖骨骨折の重傷を負い、ポルトガルはフィールドプレーヤーのエステベスをGKにして、一人少ない人数で戦わざるを得なくなりました。この交代時に、セルジオが涙を流しながらピッチを去っていった姿は、今でも印象に残っています。
11対10、しかもGKはフィールドプレーヤーとくれば、日本が圧倒的に優位なはずですが、ここからのポルトガルの粘りは驚異的でした。主審が、高原のプレーを加害者と判断したのか、ポルトガルのファウルを主審はほとんど取ってくれなくなりました。そんなチャンスに、後ろから上がってきたボランチのマルコ・クラウディオのゴールでポルトガルは同点に追い付きます。
急造GKエステベスではPK戦にしたら勝てないと思ったポルトガルは、少しでも体力が残っていれば、左右のアウトサイドやCBまで攻撃参加してきました。日本は動きが落ちてしまい、PK戦に持ち込むのがやっとでした。PK戦では日本が勝ちましたが、これだけのサッカーを見せたポルトガルのためにも日本は行けるところまで行かないといけないと思いました。
結果は準優勝だったので、たっぷり世界のサッカーを見せてくれたことに感謝するとともに、ポルトガルの執念にも魅了された大会でした。
当時の日本ユース代表は、1次リーグの初戦のカメルーン戦で黒星を喫し、何とか2勝1敗で1次リーグは突破したものの、A代表とユース代表を兼任していたトルシエ監督の手腕には、まだ確信が持てませんでした。
しかし、このポルトガル戦で、トルシエ監督仕込みのフラット3は絶大な威力を発揮しました。現在、Aマドリードに在籍し、A代表にも入っている、シモン・サブローサがいたポルトガルの攻撃を、うまくオフサイドトラップを仕掛けて止めました。ただ、ポルトガルにはのちのA代表のCB、カネイラがいて守備も強く、前半は0-0で折り返しました。
ドラマはこれからでした。日本が後半の5分という早い時間に先制しました。これを見たポルトガルベンチは、負けると終わりの決勝トーナメントを意識して、後半の20分前後で、3人の交代枠を使い果たします。その直後、日本の右アウトサイドの酒井が上げたクロスに、高原と相手GKセルジオが接触しました。
これで、セルジオは鎖骨骨折の重傷を負い、ポルトガルはフィールドプレーヤーのエステベスをGKにして、一人少ない人数で戦わざるを得なくなりました。この交代時に、セルジオが涙を流しながらピッチを去っていった姿は、今でも印象に残っています。
11対10、しかもGKはフィールドプレーヤーとくれば、日本が圧倒的に優位なはずですが、ここからのポルトガルの粘りは驚異的でした。主審が、高原のプレーを加害者と判断したのか、ポルトガルのファウルを主審はほとんど取ってくれなくなりました。そんなチャンスに、後ろから上がってきたボランチのマルコ・クラウディオのゴールでポルトガルは同点に追い付きます。
急造GKエステベスではPK戦にしたら勝てないと思ったポルトガルは、少しでも体力が残っていれば、左右のアウトサイドやCBまで攻撃参加してきました。日本は動きが落ちてしまい、PK戦に持ち込むのがやっとでした。PK戦では日本が勝ちましたが、これだけのサッカーを見せたポルトガルのためにも日本は行けるところまで行かないといけないと思いました。
結果は準優勝だったので、たっぷり世界のサッカーを見せてくれたことに感謝するとともに、ポルトガルの執念にも魅了された大会でした。
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