Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

南海の黒豹(若島津)

2016-09-22 22:14:00 | 他スポーツ
穴埋めネタは昔の力士から、元大関若島津の二所ノ関親方を取り上げます。秋場所の正面審判長席に座っていましたが、物言いの際に戻ってくるタイミングで写真が撮れました。若島津は鹿児島県の離島、種子島の出身です。緑の締め込みと浅黒く日焼けした肌は今でも思い出せます。

その風貌から、「南海の黒豹」という異名を取っていました。相撲振りも速攻相撲で、得意の左四つの下手まわしを引いてからのスピードで大関に上がってきました。体重は120kg前後と軽量で、大食漢の多い力士の中では、食が細く苦労したエピソードもあります。太れない体質を「割り箸」と評されたこともあります。

若島津は、一つちょっと不名誉な記録を残しています。それは、年6場所制になってからの大関の全勝優勝は過去8人いますが、一人を除いて全員横綱に昇進しているとNHKで紹介されていました。その「一人を除いて」というのが若島津です。全勝優勝までして、横綱になれなかったのかと、当時優勝2回で何度も横綱を射程に入れた全盛期を覚えているので懐かしく振り返ります。

強い大関だった若島津ですが、彼が横綱になれなかった理由はいくつかあります。一つは、当時の大横綱、千代の富士に対する圧倒的な対戦成績の悪さです。軽量でスピードが武器という意味では同タイプの千代の富士は、若島津が横綱を狙うなら越えなければいけない壁でしたが、結果として跳ね返されてしまいました。

また、無理に太ろうとした結果、患ってしまった糖尿病も、全盛期が短かった原因でした。皆勤して3勝12敗という、大関としてはやってはいけない不成績も経験し、何度もカド番をぎりぎりのところでしのいでいたイメージもあります。今振り返ると、最高位が大関の力士は、どうしても晩年のカド番の連続がイメージに残ってしまいがちなので、優勝を何度かして、横綱も狙っていた若島津は、名大関だったのではと思っています。

今や、現役時代のライバルの隆の里、北天佑、千代の富士がこの世を去りました。私が相撲に熱狂した少年時代を振り返られる数少ない存在になった若島津には、親方としての活躍を期待したいと思います。
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広島戦プレビュー

2016-09-22 13:51:49 | 浦和レッズ
浦和は、今度の日曜日にホーム埼玉スタジアムで、サンフレッチェ広島と対戦します。15:00キックオフ、しかも日曜日と、いつもの時間と違うので生観戦を予定されていらっしゃる方は間違えないように注意ください。ここのところ、強豪相手の胸突き八丁が続く浦和ですが、鳥栖、FC東京を連勝でしのぎ、強豪広島をホームに迎えます。

リーグ戦では、川崎、神戸と連敗した時期が最も苦しかったですが、その後のルヴァン杯準々決勝の神戸戦の連勝が効いています。代表組がいない中、好調を維持していた高木俊幸、青木拓矢らが存在感を発揮してくれました。今までのミシャ体制では、試合に出ている選手と出ていない選手に大きな差があるのが課題でしたが、その課題が解決すれば今後も楽しみです。

広島は、今や日本人では有数の名将になった、元日本代表ボランチ森保一監督が率います。控え組の2部練習も、必ず監督が自分の目で見るという姿勢は、昨年のクラブW杯でターンオーバーを見事に機能させた事実にも現れています。元ナイジェリア代表FWウタカにも、守備のタスクを課して今季の開花につなげています。

広島のシステムは、ミシャサッカーのコピーなので、基本3-6-1で攻撃時には4-1-5になるというところもそっくりです。この相手だと、浦和が5バックで守る時間もありそうです。広島も浦和も、天皇杯はベスト16からのシード出場なので、十分この一戦に備えて準備ができていると思います。

鍵は槙野対塩谷と思います。後ろから上がってくる選手が刺客というのは、このサッカーの特徴なので、浦和の槙野が機能するか、広島の塩谷が機能するかが試合を分けると思います。タイプは違い、ドリブルとクロスの槙野に対し、塩谷はミドルシュートです。どちらが目立つか、楽しみに日曜日を待ちたいと思います。
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酒断ちでの昇進(武蔵丸)

2016-09-22 13:21:16 | 他スポーツ
国技館に行くと、親方衆に遭遇するなど、昔の力士を思い出すことがよくあります。今回は、両国駅のコンコースで見かけた、写真の元横綱武蔵丸の優勝額をネタに、武蔵丸の思い出を書きます。武蔵丸はハワイの出身で、圧倒的なパワーで押し切る相撲を得意にしていました。

もっとも、ハワイの先輩、曙とは微妙に特徴が異なります。曙は引退直前まで、突き押し一辺倒の相撲でしたが、武蔵丸は四つ相撲になっても取れる柔軟性を持っていました。曙は下半身が細く、上体の力で相撲を取るしか選択肢がなかったですが、武蔵丸は両足が太く安定した足腰を持っていたからです。

その身体能力で、大関までは順調に出世できた武蔵丸でしたが、大関で長く足止めを食うことになりました。それは、NHK-BSの「スポーツ酒場語り亭」で本人が話していたのによれば、酒豪で連日お酒を飲んでいたからです。力士はもともと酒豪の多い集団ですし、体の大きさゆえ、飲む量も半端ではないでしょう。

そんな武蔵丸が、32場所という長い停滞を打破して、横綱に昇進できた理由は「お酒をやめたから」です。節制して健康に気を遣った結果、安定した相撲を取れるようになって横綱に昇進します。横綱としては、優勝12回と十分横綱としては合格点の成績を残しました。一番評価しているのは、貴乃花が膝を痛めて長期間休場していた時期に、1年ちょっとの間「武蔵丸時代」を作って穴埋めをしたことです。

この時期は、朝青龍が台頭するまでの空白期になりそうな時期でしたが、当時の武蔵丸は安定して強かった記憶です。親方になった今でもトレーニングをしており、解説などでテレビに登場すると現役のような体をしています。そんな武蔵丸が引退に追い込まれたのは、手首の故障でした。

突き押し相撲には最も重要な部分なので、ここが痛いと思い切って押すことができず、長期間休場して再起を目指しましたが果たせませんでした。それでも、今は年寄「武蔵川」を襲名し、弟子育成に自らの経験を伝えていることと思います。現役の「臥牙丸」の「丸」は武蔵丸から取ったと聞きます。
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