みなさん御存じのように、沖縄の三線は、第1ポジションだけで、演奏されます。
ポジション移動と言う物がありません。
従って、高音域を鳴らすと言う、考え方では作られていません、
もちろん鳴らせばちゃんと鳴りはします。
三線は、三味線と言う5オクターブまで出る、楽器にまで進化し、
日本の、近世の音楽を作り上げる、楽器となりました。
1700年代の初めに作られた、ピアノは、48鍵盤くらいきりなかったようです。
今は88腱盤。中には97と言うようなのもあるらしいですが、
バッハの当時ピアノは、あったはずなのですが、まったくピアノ曲書いていません。
その息子たちの時代になると、ピアノ曲も出てきます。
モーツワルトは、フルートと言う楽器があまり好きではなかったということが、書き遺されています。
当時のフルートは、キーがなく、半音出すのに、複雑な、指使いをしなければいけなかったみたいです、
つまり、木のパイプに、穴があいているというような楽器でしたでしょう。
今や、木のフルート使っている人、いるのかしら、?
以前、30年ほど前に、ロンドンフィルのフルートは、黒檀で作ってあると言うことでしたが、
私の友人が、黒檀で、そのフルート、木工旋盤で作っているのを見たことがあります。
木の片側だけ、機械に固定して、片側から手で支えて中の胴を、刃物で刳り抜くのです。
クラリネットなんかも、アフリカンブラックウッドで、多分同じように、未だにやっているのでしょう。
それにしても、そのフルートは、キーがついていましたから、他の金属製のフルートと変わりなく扱えましたが。
演奏家にしろ、作曲家にしろ、より高性能な、楽器と言うのは、望む物です。
一民族楽器であった二胡が、劉天華師によって、相当改良されたのだと思います。
劉先生は、バイオリンを弾かれたということですから、
かなり楽器と言う物に、完成度、という要求を持たれていたのだと思います。
おかげで、いまやクラシックのかなり難しい曲を弾きこなす方々も、いらっしゃいます。
では、今の二胡で十分なのか、と言うと多分、中国の中では、そうは思われていないのではないでしょうか。
だからこそ、楽器のコンクールなど有り、制作者たちが、努力をしているのだと思います。
一昨年、金賞を取った二胡弾いたことがあります。
確かに素晴らしい出来ではあります。
あの皮の張り方は随分参考になりました。
しかし、やはり、二胡は、高音が出にくいという部分が、多少見受けられます。
これはしかたのない事と、後から参加した、私は、思ってはいけないことなのだと思います。
私が、中国に居て、中国の中で仕事をしていたとしたら、多分、今まで通り皮を如何に張るかということに、
全力を傾けたと思います。
ただ、不幸なことに、私自身他の楽器達を作ったり、作る人たちを知っていたりします。
ですから、大変失礼にはなるかと思いますが、今の木工の胴や棹の形態では、折角の二胡が、一文化の中で終わってしまうのではないかと危惧しています。
中国は、文明を起こした国です。
古代の4大文明の一つを作り上げ、未だに、その文明の中に、東南アジア一帯が、包まれている部分があると言っても過言ではないでしょう。
多くの民族の文化を含み、その文化を、他の文化を持つ民族にまで浸透させる、
基本的な考え方、或いは、技術、文字と言う物で、文化を超えた、共通項として作り上げるのが、文明だとしたら、
それを作り上げた、国の一つではないでしょうか。
1民族楽器であった、バイオリンや、ギターが、ヨーロッパの文明と共に世界中に広まるには、
楽器そのものも、普遍的な技術という物にささえられ、
誰でも、弾くことができ、演奏しやすく、
ものすごいテクニックのある人だけが、演奏できない、という、特殊性から、離れて行かない限り、
それは一つの文明を代表する楽器にはなりにくいのではないでしょうか。
二胡が、そのような楽器になるか、解りません。
が、しかし、その親しみやすい、演奏スタイルは、バイオリンよりさらに、誰でも入りやすい、スタイルですし、
もう少し、音域を広げることができれば、普及しやすいという、部分はあると思います。
中国文明の中で形造られてきた、日本のなかで、この親しみやすい二胡を、民族を超えて、
家庭の中で楽しめる楽器、
或いは、現在の、音楽に、無くなりつつある、揺れる音、の演出ということでも、
広めていけるようになるには、もう少し、誰もが弾きやすい楽器と言う風にできないでしょうか。
二胡の音そのものによる、神秘性を、無くすわけではありません。
いずれにせよ音は揺れますから、
もっと、中国だけの、民族楽器と言う事を超えるような、可能性は、二胡にはないのでしょうか?。
二胡を愛するあまり、の、私の、盲想に過ぎないのでしょうか?
西野和宏
ポジション移動と言う物がありません。
従って、高音域を鳴らすと言う、考え方では作られていません、
もちろん鳴らせばちゃんと鳴りはします。
三線は、三味線と言う5オクターブまで出る、楽器にまで進化し、
日本の、近世の音楽を作り上げる、楽器となりました。
1700年代の初めに作られた、ピアノは、48鍵盤くらいきりなかったようです。
今は88腱盤。中には97と言うようなのもあるらしいですが、
バッハの当時ピアノは、あったはずなのですが、まったくピアノ曲書いていません。
その息子たちの時代になると、ピアノ曲も出てきます。
モーツワルトは、フルートと言う楽器があまり好きではなかったということが、書き遺されています。
当時のフルートは、キーがなく、半音出すのに、複雑な、指使いをしなければいけなかったみたいです、
つまり、木のパイプに、穴があいているというような楽器でしたでしょう。
今や、木のフルート使っている人、いるのかしら、?
以前、30年ほど前に、ロンドンフィルのフルートは、黒檀で作ってあると言うことでしたが、
私の友人が、黒檀で、そのフルート、木工旋盤で作っているのを見たことがあります。
木の片側だけ、機械に固定して、片側から手で支えて中の胴を、刃物で刳り抜くのです。
クラリネットなんかも、アフリカンブラックウッドで、多分同じように、未だにやっているのでしょう。
それにしても、そのフルートは、キーがついていましたから、他の金属製のフルートと変わりなく扱えましたが。
演奏家にしろ、作曲家にしろ、より高性能な、楽器と言うのは、望む物です。
一民族楽器であった二胡が、劉天華師によって、相当改良されたのだと思います。
劉先生は、バイオリンを弾かれたということですから、
かなり楽器と言う物に、完成度、という要求を持たれていたのだと思います。
おかげで、いまやクラシックのかなり難しい曲を弾きこなす方々も、いらっしゃいます。
では、今の二胡で十分なのか、と言うと多分、中国の中では、そうは思われていないのではないでしょうか。
だからこそ、楽器のコンクールなど有り、制作者たちが、努力をしているのだと思います。
一昨年、金賞を取った二胡弾いたことがあります。
確かに素晴らしい出来ではあります。
あの皮の張り方は随分参考になりました。
しかし、やはり、二胡は、高音が出にくいという部分が、多少見受けられます。
これはしかたのない事と、後から参加した、私は、思ってはいけないことなのだと思います。
私が、中国に居て、中国の中で仕事をしていたとしたら、多分、今まで通り皮を如何に張るかということに、
全力を傾けたと思います。
ただ、不幸なことに、私自身他の楽器達を作ったり、作る人たちを知っていたりします。
ですから、大変失礼にはなるかと思いますが、今の木工の胴や棹の形態では、折角の二胡が、一文化の中で終わってしまうのではないかと危惧しています。
中国は、文明を起こした国です。
古代の4大文明の一つを作り上げ、未だに、その文明の中に、東南アジア一帯が、包まれている部分があると言っても過言ではないでしょう。
多くの民族の文化を含み、その文化を、他の文化を持つ民族にまで浸透させる、
基本的な考え方、或いは、技術、文字と言う物で、文化を超えた、共通項として作り上げるのが、文明だとしたら、
それを作り上げた、国の一つではないでしょうか。
1民族楽器であった、バイオリンや、ギターが、ヨーロッパの文明と共に世界中に広まるには、
楽器そのものも、普遍的な技術という物にささえられ、
誰でも、弾くことができ、演奏しやすく、
ものすごいテクニックのある人だけが、演奏できない、という、特殊性から、離れて行かない限り、
それは一つの文明を代表する楽器にはなりにくいのではないでしょうか。
二胡が、そのような楽器になるか、解りません。
が、しかし、その親しみやすい、演奏スタイルは、バイオリンよりさらに、誰でも入りやすい、スタイルですし、
もう少し、音域を広げることができれば、普及しやすいという、部分はあると思います。
中国文明の中で形造られてきた、日本のなかで、この親しみやすい二胡を、民族を超えて、
家庭の中で楽しめる楽器、
或いは、現在の、音楽に、無くなりつつある、揺れる音、の演出ということでも、
広めていけるようになるには、もう少し、誰もが弾きやすい楽器と言う風にできないでしょうか。
二胡の音そのものによる、神秘性を、無くすわけではありません。
いずれにせよ音は揺れますから、
もっと、中国だけの、民族楽器と言う事を超えるような、可能性は、二胡にはないのでしょうか?。
二胡を愛するあまり、の、私の、盲想に過ぎないのでしょうか?
西野和宏
ただ、今後どれだけの演奏家が海外に出て活躍するかによるように思いますね。
第2、第3のジョージ・ガオが出てこないことには広まらないかも。
違ってたらごめんなさい。ワタクシが思うに、、
日本だってそれまでは知る人ぞ知るような楽器だったのが、女子十二楽坊がブームみたいになって一気に広まったのではないかと思います。
そういうことがないとなかなか難しいかもですが、若い良い演奏家が増えてきました。これからですね。
多分それがキーワードかもしれませんね。
若い人たちの中に広まることによって、
懐かしい二胡の音、
中国文化好き、
いやしの二胡、
と言うのではなく、
アコースティック楽器の二胡と言う形になっていく可能性もありますね。