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葉山の海と森

葉山町の自然と日々の暮らしのスケッチ

TPPを考える

2015-11-09 10:39:39 | Weblog

3年という時間をかけてTPPが妥結したという。この問題は交渉の過程が全く見えないので、どういう交渉をしたのか、何がどう国益に資するのか外から見ては何も分からない。甘利氏が代表という事で、当時黒かった髪の毛が最近白く変わったが、白髪染めだけのせいではないような苦労があったようだが、国民には全く理解ができない。

我々民間人は物事を決める時は、まずお互いの要求を出してこちら側とそちら側の妥協点を探るのだが、12カ国もあるとそれは大変であったろうと思われる。しかしながらこのTPPという協議はとどのつまり、対中国封じ込め作戦の側面もあろう。最初、日本が入っていなかったからアメリカの圧力で入るざるえなかったのだろうが、こんなに時間と金を費やした会議も他ではないだろう。

下種の勘繰りのようで嫌だが、甘利大臣以下の交渉団の出張費用が一体いくらかかったのか、公表をしてほしいものだ。民間の会社であれば利益が出る事が判れば、多少の経費は捻出するかもしれないが、本当に利益が出るのか?この場合国民に大きな利益をもたらすのか、また被害を受ける業界の救援策はちゃんと担保できるのか。全く判らない。

驚くべき事に各国で議会の承認と批准という関門があるというのだ。しかもそれは言いだしっぺなアメリカ議会が賛成しかねるという、つまり保護貿易をしようというのだ。大臣同士が交渉し、決まったらそのまま実行に移されると思っていたら、ひっくり返る可能性があるというこんな貿易協定というものがあるのだろうかと不思議でならない。一般論では身内の確約でこう行こうと決めて交渉に臨むのが外交交渉だと思うのだが、、、、

目立つ農業関係者はおそらく梯子を外された事で怒っているだろうが、自動車関係者は喜んでいるのだろう。この乖離をどう埋めるのか甘利大臣や交渉担当者はどうするのだろうか。政府が決めた事と常套手段で強引を貫くのか。数年後の見直しで無関税の商品や作物が押し寄せた場合、この国の安全保障は大丈夫なのだろうか?

万が一、食糧難になった時いきなりの生産が出来ない食物は、間違いなく輸入に頼らざるを得ないのだが、それさえも戦争の武器として日本が飢えるという現実が起きて来るのである。輸出国の裁量で日本が兵糧攻めにあうのは自明の事だと思うが、その対策はTPP関係者には理解しているのだろうか。

紋切り型の政府のやり方は沖縄問題にしても、原発再稼働にしても、福島原発の問題にしても行き詰まる事は目に見えているのに、自民党が強いというためになんら手を打てない政治をますます国民から遠いものにしていないか。安保法案に関しての逃げ切り策で国会を開かないという暴挙も、もはや国民に政治は諦めてくださいと言っているようなもので、安く牛肉が食べられますよと言っても老人大国の日本でそうは大量に肉は食べないし、品質管理の不明な食料が沢山出回る可能性も出てくるのは覚悟せねばならないだろう。

アメリカの狙いは日本人の個人資産の吐き出しだという事に気がつかねばならないだろう。そして公的年金の巨額の積立金、医療、薬品、保険等々あまり話題に乗らない分野も気をつけなければならないだろう。こうした情報やその過程が見えない条約は勉強しておかなければ対処できなくなるので、警鐘を鳴らしたい。

何よりも国内産を多少高くても安心な食材を購入するか、自身で作るかして対応を考えておくしか防御が出来ないので、多少不自由になっても将来の孫子の時代に、より良いこの国の在り方を残しておきたいと思う。身近な事で言うと宴会での食べ放題や飲み放題はやめる事。ある同窓会に出たが、八千円で飲み放題という会であったが、もうそんな飲み食いができる年でもないし、必ず大量の残り物が出る。今後はそういうような会には出ないように自分ではしている。

このTPPは自分たちの生活に直に効いてくる条約だから、今後とも注視していこうと思う。官房長官の菅氏、TPPの甘利氏ともに神奈川選出の政治家なので彼らの言動や見識をこれからも注視していきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


鎌倉懐古 14

2015-10-22 17:11:17 | Weblog

夏から仕事が忙しく久しぶりの投稿です。この2カ月の間日本の進路が大きく変わってきた感があるが、いずれも次の選挙まで安倍チャンは好きなように泳がせておくしかないと思い、鎌倉懐古の話題に致しました。

久しぶりに光明寺のお十夜に行ってきました。いつも行きたいと思いながら仕事で行かれず、この古式豊かな修行の様子は見る人にとって日本の宗教文化の遺産と言えるのではないかと感激してその所作や声明は素晴らしいものでした。

子供のころは一年中どこかの町内でお祭りや祭事、仏事をやっていてそれを見るのが好きで母に頼んでよく連れて行ってもらった思い出があります。巳の日には必ず銭洗弁財天、11月には坂の下の荒神様、8月10日の黒地蔵など古い町だからこそあった様々な行事を思い出します。

思い出す儘、記憶をたどり歳時記代わりに書き連ねてみたいと思います。蛭子神社の夏祭りが終わり、9月の鶴岡八幡宮、御霊神社のはらみっと、光明寺のお十夜など年末に向けて沢山の祭りがありました。母が信心深い人だったので、戸塚の日限地蔵にも連れて行かれ子供の足で泣き泣き歩いた思い出があります。

銭洗には巳の日には必ず行って砂をもらってきて庭に撒いていました。また庭にコンクリートで作った白蛇のとぐろを巻いた置物があってお酒をおいて拝んでいました。出入りの植木屋さんが作って持ってきたようで私は嫌でいつもよけて歩いていました。このころの鎌倉は草深く隣のおんめ様の池からはガマガエルが出て来るは、それを追って青大将が出て来るはで、庭は自然の宝庫でした。これで鎌倉駅から2分のところですから、時代が変わったものです。

さて、お祭りですが私の住んでいた小町は八幡様、蛭子神社、八雲神社、葛原が岡神社、八坂神社、五所神社位までがテリトリーでこれらの町内には友達がいたので祭りというと出かけて、遊びに行っていました。これらの他にお寺の行事、稚児行列やお会式、寒修行の満行など歳時記にすると本当に多くの行事が目白押しでした。

これとは別に8月10日には鎌倉カーニバルが久米正雄氏らによるパレードが大々的に行われていたのが特筆されますが、残念ながらここ数十年このようなおしゃれな行事は行われていません。今ならアイドルの登竜門のようなこの行事を何とか蘇らせる事は出来ないのか、スポンサーとして数ある名店が音頭をとって出来ないものか、いささか残念である。

思い出すまま頑張っている店、残念ながら閉店をした店を書き出してみたいと思い、下記に並べてみました。(閉店と書いてあるところ以外は営業中)

辻説法通り 谷口屋米店、漆原米店、若宮大路 渋谷米店 (米屋さんは頑張っている)

若宮大路  ケイト屋(閉店) 浅羽屋(閉店) 清水屋酒店、湯浅物産館、 紅谷、島森書店、

        豊島屋、

思い出すまま次号から、順次お店や行事を書いていこうと思います。人の流入が多くてうわべだけの鎌倉散策では本当の良さが理解されないので、少しずつ The KAMAKURAという所を書いていきたいと思います。紅葉の季節散策のお役にたてればと思います。

 

 

 

 

 


新国立競技場を考える。

2015-07-27 11:34:39 | Weblog

安倍チャンの鶴の一声で白紙に戻った新競技場建設問題。笑っちゃうねというのが私の感想だ。何故かって言えば、建設問題というよりは政治家や役人の無責任体質が国民の前に明らかになったという事だけでも、大いに意味があったのだ。当然不人気な安保法案の為に少しでも点数を稼ぎたい安倍チャンの見え見えのパフォーマンスの結果だが、基本これで良かったのではないだろうか。

ついでに言えば、どうせ恥をかくならば、オリンピックの返上をIOCに『日本にはオリンピックを開催できる自信はありません』と言ったら安倍チャンの人気はウナギ登りだと思うのだが、如何なもんだろう。2兆円くらいあるオリンピック予算を東北復興、少子化対策、経済対策(特に零細、中小企業対策)、地方再生などオリンピック以上に日本の国益に資する事ばかりではないだろうか?

日本はもう十分に先進国を堪能したのでそろそろスピードダウンして中進国程度にスローな国になっても良いのではなかろうか。これを政府が標榜したらグンと人気が上がると思うのだが、そうはいかないのが日本の体質で、何事も成長路線を歩まなければという亡霊が政治家、役人、大企業経営者に蔓延している亡国病なのだ。

私なりの新国立競技場問題を考えるに、まず国際デザインコンペは開かれている国としては仕方がないのだろうが、少なくても予算を決められている中での決定がなされて当然だ。金を出せばどんな建築でもできるというのが技術屋の誇りだろうが、そこには予算という壁もあり、製法や機械設備などという図面では見えてこない縛りがあるのだ。うちも小さなもの造り屋だが紙の上ではどんなものでも書けるし作れるが、実際作ってみたら出来ないものが沢山あるのだ。

文部科学省がこんな道理が判る筈がないと言って、もし開き直るならそれこそ能力不足だ。判らばければ国土交通省に訊けばいいのだ。先端建設の技術を持っている日本のインフラの本山で大概の事は教えてくれるはずだ。また、もし判らなくてもゼネコンや大学の先生などに訊いてもどの位の基礎的知識を持って3000億円もの予算が出てきたのか?

誤解を恐れずに言えば、ゼネコンの営業はここぞとばかり吹っかけているのではないだろうか?阿吽の談合が在りはしないか?これだけのプロジェクトだから暗黙の了解が出来上がっていたのではないだろうか?設計業界の中の指導権争いは無かったのだろうかなど考えられる事すべて想定して巨大プロジェクトを考えなければならなかったのではないだろうか?

つまり10トントラックに倍以上の荷を積んで全力で走れと言っているようなもんで、初めから無理な要求だったのではなかったのだろう。老人ににコンピューターを与えてこうするんだと言って使い方を教えるような能力的に無理がこの結果を生んだような事であろう。通常もの造りは客の要求を聞き、ニーズを確認しデザインや機能、特長、維持管理を考えて設計に入り途中何度もコンセンサスを各部門とすり合わせを行うのが本来なのだが、入り口で潰れるというのは何をか況やである。

多分、文部大臣の首を切ってこの件は落着しそうだが、これを反面教師にして他の開催国の競技場を見習いコンパクトでコストをかけないオリンピックにしてほしいのだ。私は今でもオリンピックは返上しても良いと思っているので、何年かかっても復興なった『東北』でと言われるような事のほうが国益に資するような気がしているのだ。

安倍チャン決断しましょう!!!

 

 

 


梅雨があけてもしっくりこない。

2015-07-20 10:19:15 | Weblog

昨日、梅雨明けしたがどうもしっくりこない夏が来た。これから2か月の暑い日々が続くのだが、国民すべてがしっくりいっていないのではないだろうか?ご存じ安保法制に始まる諸々の問題が夏休みの宿題として山積なのだ。小学生の時は溜めておいて8月末に辻褄合わせをしたが、今年はそうはいかない。何しろ国の行方を決める大きな問題の、しかも答えが簡単に出そうもない事を宿題として国民に背負わされたのだから、、、、

今度の国会審議で確実に判った事がある。それは各大臣の能力の無さと理解力不足、公人としての認識不足がはっきりわかったという事で、その意味では今国会は良かったのである。安倍チャンの必ず使う、、、『わけでありまして』というフレーズは能力のなさの一端で、多弁に過ぎるは自分の正当性を主張する嘘隠しで、本音が見えてこれは見透かす事が出来る証拠であった。先日、髭の隊長と呼ばれるイラクに派遣された元自衛隊の幹部(今は国会議員)がテレビの番組でそれこそ誰にもしゃべらさないぞという態度でイラク派兵が安全であったと詭弁を弄していた。現場にいた人間が国会議員になって、論理破たんで見苦しい醜態を見せていた。

本法案を国会に提出している防衛大臣が全く理解していなくて、総理大臣が代わって答弁するなどもってのほかで、この大臣も制服から国会議員になった人で、ディベートには不慣れでおまけに人の良さそうな防衛大臣で、コイツ戦争の指揮がとれるのかと心配になってくる。新国立競技場の問題の文部大臣も右往左往してみっともないったらありゃしない。このデザインでやりますと言って数日後、安倍チャンに白紙と撤回され、カッコ悪いったらありゃしない。

国民の不快指数は上がる一方でこの他に重要問題が多々あるのだ。私の知っている事だけでも原発再稼働、北朝鮮拉致問題、円安経済問題、若年層の就職問題、年金問題、少子化、保育問題、終戦70年談話など数えきれないほどの問題があるのだ。論理的に考える議員が自民党に居るのか、数合わせのためにコマのように動かされ自身の政治的良心は行ったのか、答えてもらいたい。この選挙区もY氏が京都から鞍替えしてきたが、何とも若さがない爺さんっぽい人だが、陣笠の域を出ない。

立憲主義という国是があり、日本の知力は世界最高の水準であるはずが、今や政治によってその前提が崩れようとしている。今、NHKで『花萌ゆ』というドラマをやっているが、長州人の性格の一端を垣間見ているようで、視聴率は悪いそうだが面白く見ている。殿様が『そうせい』としか言わないのだが、安倍チャンはこれにヒントを得ているのではないかと思うのだ。現代の殿様、僕ちゃんの言う事聞け、弁チャラ取り巻きが耳に良い事言うと『そうせい』と言っているのではないかとその為にNHKの会長の首を挿げ替えて、長州の宣伝をさせているのだろうと思うのはうがち過ぎだろうか?

兎に角、能力のない連中にかじ取りを任せたらロクな事にはならないというのは70年前の反省で判ったはずなので、この轍を踏まないように、この夏は我々国民も知力を上げる事に致しましょう。

因みに当社の社是は『体力、知力、行力』でした。健康な体に神宿るは言いえて妙な格言でした。暑くなってきました、ご自愛ください・


庶民感覚を持たない政治家

2015-07-06 09:56:00 | Weblog

大きな節目を迎えた安保法制議論だが、大方の国民の反対をよそに15日くらいには衆議院を通過しそうである。本当にこれで良いのかと思うのだが、自民党の一強でどうしようもないのである。つくづく民主党の罪は深くなってきている。今の状態を招いたのは口だけ政治家が多かった民主党、寄り合い所帯の民主党、成り上がり政治家が多かった民主党である。もっとも今の自民党にも成り上がりは一杯いるのだが、、、。

さて国民はこれからどうする、ここはじっくりと国民としては考えなければと、毎日悩ましい日が続いているのである。話は変わるが今鎌倉にはアジサイ見物の人波が押し寄せているが、この人たちは時間とお金に余裕のある人たちなんだと思うと、今はアジサイ見物の時ではないだろうと思うのは私一人ではないだろうと思うと複雑なのだ。でも花を見て楽しむというのは素晴らしい習慣でもあるし、精神安定剤でもあるので構わないのだが、作られた情報で鎌倉へ鎌倉へと草木もなびくのである。

連日、鎌倉や湘南といわれる、この周辺をテレビの番組で宣伝し、目先を変えただけでどれもこれも同じような企画、場所、店舗、金太郎飴なのである。国民がテレビや雑誌に踊らされるように政治家も安倍チャンとその仲間たちに踊らされているのである。自分の家を守るのは自明の事であるが、わざわざ遠くの町内会の道路の掃除に出かけて行くというのはやりすぎだと思うのだが、武器や装備をそろえると使ってみたくなるのが、人間の性で政治家は心しなければいけないのではないか。

私は子供のころからボーイスカウト運動をやっていたので、国旗に敬礼とか国家斉唱にはあまり違和感はないので、他国の国旗掲揚式では歩いていても立ち止まって敬意を表するのが普通の感覚だと思っている。だから武器を持つ事には反対はするつもりは無い。ただそれは自分を守るため、自国を守るためのものとして使用可能にすべきものなのだと考えるのだ。

今、戦後レジュームからの脱却とかいう言葉が流行っているが、それはすでに無くなっていると考えたほうが良いのではないか。70年という月日がある意味消し去っている戦前をわざわざ思い起こす必要もないのではないか。戦争を知らない今の政治家たち、学者たちよりも沖縄戦で悲惨な体験をしたオジイやオバアの話を聞いた方が余程為になるのではなかろうか。

ベストセラーを書いた作家の新聞社を潰せという不遜な言動を喜ぶ、陣笠たちを次の選挙には必ず覚えておく事も大事な事だと思いまし、何しろこの状態を脱することは向こう2年間はだめなのだから、跳ね上がりが心配になってきたと思うのは私だけではないのだと思っている。何を言いたいかというとテロという短絡である。かつて連合赤軍という武装組織があったが、今は化学兵器のような音を出さないサリンのような危険物質もある。この世界でも進化しているのである。

治安の良いといわれる日本においてもこの先必ずこの跳ね上がりが出て来る事が予想される。おりしも新幹線の車内で焼身自殺の事件もあり、これも不満からくるテロだと思うし、子供同士のいじめからの殺人も一種のテロだと思うのだ。

傍から見ていて安倍チャンの能力以上の難問が彼の目の前に山積しているのに、裸の王様は自分が見えなくなってきているから、自分を過信して突っ走って無理を通そうとしている。今やっている事が将来の人たちにツケをまわす事はそろそろやめねばならないだろう。安保法案(憲法問題)、年金漏洩、拉致問題、国立競技場問題、財政再建、経済再生等々失礼ながら、安倍チャンこれだけの大問題は安倍チャンの手には負えません。何か一つに絞って成功させれば歴史はを評価するでしょう。今からでも遅くないので庶民感覚を取り戻して、名宰相になれるよう頑張ってくださいと願うばかりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『政治の堕落』を考える。

2015-05-13 10:30:13 | Weblog

先日の官房長官と沖縄県知事の会談で知事が最後に『日本の政治の堕落』とまで言い切ったことに関して政府はどのように感じたのであろうかと思うのだが、まさにカエルの顔に小便というような反応のようだ。

就任して4カ月以上も会わず、アメリカに行くためにポーズだけ会ったというようなパフォーマンスを国民は見抜いている事を理解できないとでも思っているのか。不思議な人種である。官房長官は横浜が選挙区だがもっと横浜らしくスマートにスポークスマンを務めることができないのか。あらゆる面で横浜ファンの小生はがっかりである。

国の組織の中で各省庁の名前が法務省、外務省、財務省、総務省と務めるという字の付いている省庁が本当に務めているのかと疑う事が山積みである。法務省といえば憲法問題、外務省は安全保障問題、財務省は財政再建問題、総務省は放送法にかかわる許認可の問題等々どれ一つとっても大問題ばかりである。もし頑張って務めていますと言うなら結果を見せて欲しいのだ。

おそらく他の省庁は務という字が付いていないのだから、あまり務めてはいないのだろうなと創造に難くない。私の知り合いに国家公務員がいるがなんと上から目線で喋ることが多いのだ。自分が国を動かしているという自負がそうさせているらしいが、民間企業で汲々と食いぶちを稼いでいる我々とは全く違う人種なのである。

260年続いた徳川幕府の鎖国と身分階級制度のお陰でお上は正しく、間違いないものだとの刷り込みがDNAとしてこの身体に染みついているのだ。これは何とかしなくてはと思うのだが警察や役所に行くとなんとなく敬語を使う自分に嫌になることがある。戦後の民主主義が根付いてきたと思ったら、またぞろ軍靴の音が響いてきそうなこの頃である。

安保法制が議論されているが、自衛隊がそのうち志願制から徴兵制に移るのは目に見ているが、その際の徴兵は国会議員や官僚の子息、公明党の支持母体の創価学会の青年部から優先徴兵を同法案に盛り込んだら如何なもんだろうか?私は戦中派だが戦後の物のない時期を経験しているし、父や兄をまた家族を戦火で亡くした人たちが友達の中に沢山居たので、決してこの惨禍を国民に味あわせてはならないと思うのだ。

高校生だった1960年にアメリカに行った時にこんな国と戦争をしたなんて、なんて馬鹿な指導者たちだったと16歳の私でも分かる強烈な印象を持っている。それ以来アメリカが好きだし、友人も沢山いる、葉山に住んでいた米軍家族とも仲良く、いちばん長い人で50年以上付き合っている人もいるが、今のアメリカは9.11以来変質したアメリカに追随していいものか、政治家は今一度戦後史を読み返してみて欲しい。

大学紛争の時代まだ力のあった学生と権力との闘争を経て、今やアメリカ的個人主義が跋扈する風潮を心底心配する年寄りの危惧である。大学不要論から専門学校のほうが社会に出てすぐに役立つという現代の要請もあるようだが、設計図が良ければ製品が良いものが出来るというのは自明の事ではあるが、折角の4年間の社会人の基礎づくりという視点で勉学に励んでほしいものだ。

政治の堕落から日本社会の堕落にならないように、今の国会、政治、経済、社会、それぞれの病理を解決する力をつけて欲しいと思っている。葉山町の町議会にも新しい風が吹いて来ているようである。その風を絶やさないように、堕落したと云われないように頑張って欲しいものである。安保法制は是非とも国民的議論のうえで行うべきもので、アベチャンの遊び道具ではないはずで心して注視しましょう。 

 


桜が見られる幸せ

2015-04-13 11:51:03 | Weblog

今年も桜が見られた幸せをかみしめている。病気をしているわけでもないが、やはり正月や桜の咲く時期を迎えると今年も見られたなとなんとなくうれしくなる。この国の自然との共生の融合というか混ざり合いは世界でも特別な感性であると思うのだ。

最近は外国人も花見を楽しみ上野公園なども今年は海外からの客も大層多かったらしい。私は大勢で見るのも楽しいとは思うのだが、ここ葉山近辺で素晴らしい場所が沢山あるので、できれば一人か二人で散策しながら観桜したいと思っている。この近くで有名どころは鎌倉逗子ハイランドの並木か、逗葉高校へ通じる並木道が素晴らしいが一本だけ孤高に立っている近所の家の桜が好きだ。

葉山は深刻な老齢化やそれに伴う空家問題が現実化して、防犯の面からしても早急に何とかしなければならないところに直面している。私の知り合いの高台に住んでいる老婦人は買い物にも困っているし、安全面でも心配が絶えない。桜や富士山を望める素晴らしいところだけに引っ越す事もできず、日々修行のような毎日だと言っていた。

花のある生活、素晴らしい自然環境のこの町で真綿で首を絞められるように、気がつかないうちに濠を埋められてしまうような事態が進行中ではないのかと思われてならない。身近なことからもっと注意をしないと気が付いたら桜も見られない状態になってないのか、荒れた自然環境になっていないのか真剣に考えたいものだ。

おりしも県知事選挙と県議会選挙が終わった。速報によると投票率が30~40%程度だという。これから町議選挙が始まるが、おそらくもっと低くなるのではないか、せめて50~60%程度は投票率を上げなくてはいけないだろう。

桜は必ず春に咲いてくれる。たとえ景気が悪くなろうとも、人間の都合ではなく自然の摂理として気候と相談しながらこの時期に咲いてくれる。しかも外国でも必ず咲いてくれる最強の親善大使だ。平和の象徴になって世界中に桜の花が咲くようになれば、政治や宗教、文化の違いがあっても『花は奇麗だ』という共通点で仲良くなれないものかと祈らざるを得ない。

来年もこの桜を見られるように健康に留意して仕事と自然を愛しながらこの一年を過ごしていきたいと思う今日この頃である。桜の歌人である西行法師の歌のように。

  『仏には 桜の花を たてまつれ わが後の世を 人とぶらはば』 西行

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


東北復興を考える。

2015-03-08 15:17:31 | Weblog

あれから4年という年月が経って、早いと言うのか、遅いと言うのかそれぞれの言い分があると思うが、全体では遅く感じるのではなかろうか?現場の一生懸命さが中央に伝わらず、相変わらずのお役所仕事が続いているらしい。祈ることしか出来ない自分だが、今朝のサンデーモーニングという番組で女川町の事を取り上げていたが感心してしまった。これは地方自立、自治そして何よりも住民の民度の高さが証明された素晴らしい復興計画であった。

震災後数日で役所に頼らない住民の横断的『復興連絡協議会』なるものを立ち上げた。全ての業界、地域、年代の人達が集まり自分たちの町の復興を自分たちで青写真を描いた事だった。特にその協議会の会長が偉かった。3年、5年、10年という短いスパンではなく20年、30年、50年という女川の町をどういう町にしたいかという事を考えたときに若い人達の意見を入れなければ駄目だという事を言って、60歳以上の人は口出しをするなという決め事をしたそうだ。

これから自分たちより長生きする若い人達に下駄を預け、自分たちは裏方に回るというおよそ地方の親分子分の世界でありがちなお上の言いなりやボスの言いなりのトップダウン方式ではない、いわば女川方式が出来上がったのだ。このやり方で国も認め復興モデルの1号に認定され、災害から住民を守る方法として町のかさ上げを一気に行い、新女川町を作るそうだ。この町は高校生も頑張っていて以前ラジオで聞いたのだが、おながわFMには高校生のDJが居て震災後も色々な事を発信続けているとの事、そういうことでこの町の自立する事の大切さやどう物事を考えるかと言うことを知っている非常に民度の高い人達が居る町だと思えてならない。

女川って町を知ったのは子供の頃だった。場所は良く知らなかったがNHKの天気予報で『女川風力3晴れ』とか言っているラジオで聞いたことがある町でなぜか懐かしさがよみがえった。幸いにも女川原発は無事で対応もよく事故も免れたが、この町を訪れて見たく思っている。3月11日は鎮魂の日であるとともに今後の備えをする為の心と物の準備をする日としたいものです。

私はこう考えます。今やらなければならない事は震災からの復興であり、原発事故の終息です。有事法制や憲法改正、集団的自衛権などの議論は後回しで良いのです。まず、震災前の状況に戻すことが大事なのです。これを立派にやり通すならアベチャンは歴史に残る名宰相になるでしょう。逆にほったらかして他の軍事関係を優先したならば、暗愚の宰相として歴史に名を残すでしょう。一強多弱の政治の世界も女川方式で60歳以上は口出しするなという事にすれば、献金問題など金の問題など一気になくなるでしょう。おまけに定数削減も出来ないで憲法違反の状態の議員たちですから。女川方式を日本中に広めましょう。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


イスラムを考える。

2015-01-31 11:57:31 | Weblog

今年も始まったばかりの一月に日本を揺るがす大きな事件が起きていた。昨年来イスラム国に捕われていた日本人二人が一人は殺害され、一人は交渉中のため真偽の分からない状況が続いている。この時期に戦争地帯に行くこと自体が間違っているとはいえ起きてしまったことは仕方ないのだが、ここで問いたいのは日本の政府の外交実力がどれだけあるのかと言うことが試されているのだろうと考えるのです。今まではイスラムと言う遠い外国の宗教を中心とした国々が勝手に戦争をしていると言う、対岸の火事が火の粉ではなく直火が降って来たのである。

思い起こせば北朝鮮の拉致問題も一向に解決せず、先方の言いなりに回答をお待ちしますと言う姿勢、昨日の報道で朝鮮総連のビルも賃貸が出来るようになるとか、ここには政治家が介在したようであるが、これで北朝鮮の心証が良くなって拉致問題が進展すればこれはこれである種外交の勝利なのかもしれないが、何も情報がないところで全てが動く世の中になってきたような気がする。恐らく秘密保護法の故に今後も何も出てこないかもしれない。

ところでイスラムだが、この問題は対症療法では駄目で根本を解決しなければ、未来永劫戦争状態が続くことになるという認識を持たなければ解決はしないだろう。そして何よりも彼等の歴史を知ることに尽きる。報道などでは今の国境線を敷いた第一次世界大戦後の英仏の責任を問うているが、私はそれだけではなくもっと遡って理解をしなければならないと思っている。それは一気に紀元前まで遡るのである。キリスト教もそうだが、イスラム教も一神教であり唯一絶対の神への信仰は彼等の生きる糧なのだ。

これらを理解するには旧約聖書を読めば大体の事は理解できる。すなわちイスラムはユダヤ教とほぼ同じ戒律を持っているからだ。キリスト以前の旧約聖書は神話的なこともあるが、天地創造の部分を除いてはほぼ歴史上の人物や習俗、習慣など現代に通ずる常識、非常識が読み込めるのだ。イスラム国が言っている『目には目を、手には手を』の法則もハムラビ法典にあるのと同じことが聖書に書かれているのだ。奴隷制度も然り、戦争で勝った方が負けた国民を奴隷にするという、彼等にとってはいわば昔の法典に沿った行動をしているのだと言う理論なのだ。

中東地域で国民の父と言われたのがアブラハムで、今のイラクのウルで生まれ神の啓示によりイスラエルに移住してきた。そこで神との契約(旧約)がなされ、カナンの肥沃な土地を彼に約束をしたのだ。しかし生まれた長子イシュマエルは母が奴隷の為、長子の権利を後から生まれたイサクに取られ東の方(アラビア方面)に追いやられてしまう。又イサクの長子エサウもヤコブにその権利を取られてしまう。つまりユダヤ民族はアブラハム、イサク、ヤコブの血統であるのだが、他の追いやられたイシュマエル、エサウの末裔が所謂イスラムになっていったので、基本ユダヤ民族(ヤコブから分かれた12部族)とはある種恨みが連綿と続いていると言う認識を持たねばならないということだ。

翻って日本の対応はどうすれば良いのか、政治家たちにもっと歴史を学んで(当然近代史も)、戦争を起こさせない日常の人間としての付き合いをし、お互いの理解を深めておくことが大事なのではないか。駐在大使館ではあまり現地人と付き合わず日本人商社マンの情報で本国に報告をしていると聞いたことがあるが、現地の人達の中に入って、その生活の中からお互いを理解し会えることが出来るようにすべきである。

こんな人質事件が起きればアベチャンはチャンスとばかりに軍事力や秘密保護法などで国民を締め付けてくるだろう。自衛隊には国内の災害派遣のような人助けに海外に出て行き、感謝される軍隊になってもらいたいものだ。

時間のある方は旧約聖書のダビデの物語かソロモンの物語くらいまで読まれると面白いと思いますのでお勧めいたします。

 

 

 

 

 

 


葉山人は常識人

2015-01-25 16:21:15 | Weblog

先日、横須賀線が鎌倉駅であった人身事故のために大幅に遅れ、10時過ぎまで混雑している時に逗子まで帰ってきたが、当然長井方面行きや海岸回りも長蛇の列で、待っていても遅れるだけだと思い混雑バスに久しぶりに乗り込んだ。逗子駅でほぼ満員、私も一番奥の天井のつかえそうなところまで押されて立っていたが、新逗子では大丈夫かとの思いを抱きながらバスは走り出した。

やはり新逗子では多くの人達が待っており、数人無理やり乗り込んだところで超満員、運転手もドアーを閉めるというやむをえない案内をした。同時に乗ってきた50歳前後のサラリーマンが『こんな寒いところに長い間待たせて増発しないのか』といきなり運転手を怒鳴りつけた。満員であるにも拘らずしょうがないだろうと回りの人たちは知らん顔をするしかないのだが、身動きできないところでは車内ではどうする事もできずにいたが、40代後半の人が『混んでいるんだか、しょうがないだろう、皆我慢をしているんだから』と、その親父をたしなめた。少々の口論があったが、どう見ても恫喝親父のほうが分が悪い。葉山やその先の秋谷、長井方面までの人は横須賀線が遅れると、その影響はバスダイヤに影響があることぐらいは織り込み済みでこの地域に住んでいるはずだろうと思うのだが、、、

世の中には自分の尺度で物事を考える人が大半だと思うが、この地区に住んでいる事の認識が浅いと本当の喧嘩になってしまうんだなと、つくづく考えさせられた。恫喝親父にも言い分はあるだろう。寒いところ長く待たせられて、満員でドアーぎりぎりの所で乗せられて、仕事疲れで怒鳴ったのかもしれないが、一寸考えれば分かる事に思いが至らない、ここが問題だと思うのだ。つまり乗れなかった人達はまだ寒風吹く寒空に待つと言うこと、葉山で混むのはせいぜい葉山小学校までで、その先は殆ど空いてしまうのだという事、高々10分~15分程度我慢をすればお互い様ですんだのにと思うのだ。

たしなめた人は風早橋で降りて行った。恫喝親父は葉山公園に着く頃には席に座っていた。つまり葉山の人間ではなかった。横須賀の人達を悪く言うつもりはないが、折角、気候風土の良いこの地域に住んで京浜急行のバスに世話になって、葉山を通ってJRや京急に乗っているのだからもう少しおおらかな交わりをしましょうと言いたい。横須賀は人口も減ってきている現実もあり、人を呼ぶのは西海岸通しかないのだから住んでいる人の魅力で頑張って欲しいと思いますね。タイトルの『葉山人は常識人』、自分も含め反省の意味も込めてそうしたのだが、常識が通じない人達が多くなってきた現在、他人の子供でも、大人でも理不尽を叱る常識人になりたいと思った次第です。

満員バスの中で恫喝親父をたしなめた貴方は葉山の常識人です。