言い古されては居ますがこの言葉は今の日本にとって最も示唆に富んでいる言葉ではないかと思います。
皆の知っている四字熟語に必ず出てくるこの言葉の意味を考えてみたいと思いました。
先週国立博物館の平成館で開催中のボストン美術館の里帰り展示会を見てきたので一層強く感じるようになりました。
展示品の素晴らしさはもとより何でこんなお宝が海外流失してしまったのかの疑問のほうが大きく、日本人の美に対する感覚が明治と言う時代に一瞬消えてしまったのか、廃仏毀釈の騒動がその感覚を失わせたものだと残念で仕方の無い思いのほうが先立ってしまったのは私だけではないような気が致します。
国内の有れば重要文化財はもとより国宝級のものが多々あり、特に曽我蕭白の墨の濃淡で書かれた竜虎の襖絵では感歎の声さえ上がる程の素晴らしい筆致が見られた。まだ若かりし頃の伊藤若冲の絵なども大味ながら展示されている事などを考えると収集したビゲローやフェノロサの審美眼は確かなものであったようである。
只、日本人にしてみればこれらはいつも身近にあって見慣れているし、鎖国からの開放で世界を知らなかったからそう大事なものとは感じていなかったのかもしれない。ボストン美術館は浮世絵に関しても日本以上に収蔵しているとの事なので彼らは恐らく相当安価な値で買い取ったに違いない。
この頃から既に日本人は欧米人に弱いと言う、ある種劣等感を持たされていたのかも知れない。今の日米関係を見るとこの頃から醸成されていたのかもしれないというのは考えすぎでしょうか?
少しは古きを尋ね新しきを知る事を考えてみたいのです。つまり原理原則をわきまえて本来の国のあり方を考える時期に来ているように思います。何でも効率とか合理的とかイノベーションとか競争原理とかそれが進歩、文明だと思い込んでいなかったかと反省をする時期が来ているのだと思います。
いつの間にか原発の傘の元で生活が成り立ち、ふんだんに電気や水を使い石油の生活になれた自分達が居る事を見直さなければ次世代の若い人達にバトンは渡せないのです。
昔、関西電力の黒4ダムの建造の映画『黒部の太陽』というのが有りましたが、あれを見て関西電力は凄い、日本の土木建築技術は凄いと思ったもんです。フォッサマグナの大出水を封じ込め黒部の峡谷にあれほどのダムを作ったのだから関西の電力は安泰だと言う、そう皆は思っていたのだけれど福井の敦賀近辺は原発銀座になり道路やインフラは素晴らしくなって、これが近代化だと誤認識を持って生活を始めてしまったの無いのでしょうか。
だから今は水力発電、火力発電、自然エネルギー、そして足りないところは原発の補いで供給し、最終的には原発を無くす方向に持っていかれれば、多少の不便さは国民が我慢すれば良いのではないでしょうか。
昔、ニューヨークの大停電の後10ケ月後には出産ラッシュがあったという話がありましたが、原発止めて電力不足になって早く家に帰り、早く消灯すれば少子化も解消できるのではないでしょうか。電力不足大いに結構と将来安泰と、もしかして一石二鳥のチャンスかも知れません。
ついでながら古きを尋ねると言う事に関して言えば、東京や新しい街につけられる名称です。多くは中央何丁目とか南、北、とか安易な町名がつけられますが、これは自分の町の歴史を否定している事に他ならないと思うのです。東京で下町などは古い言い方のほうがしっくり来ますし第一すぐ『あそこだ』って分かるでしょ。
今は上野何丁目とかになっている湯島の坂下には桂文楽師匠が住んでいて、我々でも黒門町の師匠と言えば文楽の事だと知っていましたし、母などは高樹町、霞町を戦災で逃げ回ったなどとも言っていたし、富士見町などは何処に行ってもある町名だったりするので何とかこれらを残す方法が無いものかと東京に出るたびに思っている。
町名しかり農業もしかり社会生活もしかり、一寸原点の生活を考えてみませんか。
家中の電気の使用量を計算して恐らく100V30Aの契約が標準なので自分の生活を見直すために計算をしてみたら良いのではないでしょうか。何しろ東電の利益の90%は家庭からとっているというのですから。
昔は15A位しかないのが今は50A位まで使っていると言うお宅もあると聞きます。
せめて家中の電気は20A つまり2000W位で済ませるようにして早寝早起きをすれば、節電と少子化が一気に解決し将来の日本の安定が保証されると思うのですが如何でしょうか。
古い事を知っている老人を大事にしましょう。
皆の知っている四字熟語に必ず出てくるこの言葉の意味を考えてみたいと思いました。
先週国立博物館の平成館で開催中のボストン美術館の里帰り展示会を見てきたので一層強く感じるようになりました。
展示品の素晴らしさはもとより何でこんなお宝が海外流失してしまったのかの疑問のほうが大きく、日本人の美に対する感覚が明治と言う時代に一瞬消えてしまったのか、廃仏毀釈の騒動がその感覚を失わせたものだと残念で仕方の無い思いのほうが先立ってしまったのは私だけではないような気が致します。
国内の有れば重要文化財はもとより国宝級のものが多々あり、特に曽我蕭白の墨の濃淡で書かれた竜虎の襖絵では感歎の声さえ上がる程の素晴らしい筆致が見られた。まだ若かりし頃の伊藤若冲の絵なども大味ながら展示されている事などを考えると収集したビゲローやフェノロサの審美眼は確かなものであったようである。
只、日本人にしてみればこれらはいつも身近にあって見慣れているし、鎖国からの開放で世界を知らなかったからそう大事なものとは感じていなかったのかもしれない。ボストン美術館は浮世絵に関しても日本以上に収蔵しているとの事なので彼らは恐らく相当安価な値で買い取ったに違いない。
この頃から既に日本人は欧米人に弱いと言う、ある種劣等感を持たされていたのかも知れない。今の日米関係を見るとこの頃から醸成されていたのかもしれないというのは考えすぎでしょうか?
少しは古きを尋ね新しきを知る事を考えてみたいのです。つまり原理原則をわきまえて本来の国のあり方を考える時期に来ているように思います。何でも効率とか合理的とかイノベーションとか競争原理とかそれが進歩、文明だと思い込んでいなかったかと反省をする時期が来ているのだと思います。
いつの間にか原発の傘の元で生活が成り立ち、ふんだんに電気や水を使い石油の生活になれた自分達が居る事を見直さなければ次世代の若い人達にバトンは渡せないのです。
昔、関西電力の黒4ダムの建造の映画『黒部の太陽』というのが有りましたが、あれを見て関西電力は凄い、日本の土木建築技術は凄いと思ったもんです。フォッサマグナの大出水を封じ込め黒部の峡谷にあれほどのダムを作ったのだから関西の電力は安泰だと言う、そう皆は思っていたのだけれど福井の敦賀近辺は原発銀座になり道路やインフラは素晴らしくなって、これが近代化だと誤認識を持って生活を始めてしまったの無いのでしょうか。
だから今は水力発電、火力発電、自然エネルギー、そして足りないところは原発の補いで供給し、最終的には原発を無くす方向に持っていかれれば、多少の不便さは国民が我慢すれば良いのではないでしょうか。
昔、ニューヨークの大停電の後10ケ月後には出産ラッシュがあったという話がありましたが、原発止めて電力不足になって早く家に帰り、早く消灯すれば少子化も解消できるのではないでしょうか。電力不足大いに結構と将来安泰と、もしかして一石二鳥のチャンスかも知れません。
ついでながら古きを尋ねると言う事に関して言えば、東京や新しい街につけられる名称です。多くは中央何丁目とか南、北、とか安易な町名がつけられますが、これは自分の町の歴史を否定している事に他ならないと思うのです。東京で下町などは古い言い方のほうがしっくり来ますし第一すぐ『あそこだ』って分かるでしょ。
今は上野何丁目とかになっている湯島の坂下には桂文楽師匠が住んでいて、我々でも黒門町の師匠と言えば文楽の事だと知っていましたし、母などは高樹町、霞町を戦災で逃げ回ったなどとも言っていたし、富士見町などは何処に行ってもある町名だったりするので何とかこれらを残す方法が無いものかと東京に出るたびに思っている。
町名しかり農業もしかり社会生活もしかり、一寸原点の生活を考えてみませんか。
家中の電気の使用量を計算して恐らく100V30Aの契約が標準なので自分の生活を見直すために計算をしてみたら良いのではないでしょうか。何しろ東電の利益の90%は家庭からとっているというのですから。
昔は15A位しかないのが今は50A位まで使っていると言うお宅もあると聞きます。
せめて家中の電気は20A つまり2000W位で済ませるようにして早寝早起きをすれば、節電と少子化が一気に解決し将来の日本の安定が保証されると思うのですが如何でしょうか。
古い事を知っている老人を大事にしましょう。