葉山の海と森

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平和を祈る8月

2008-08-10 15:16:45 | Weblog
8月15日がやって来る。
終戦後というより敗戦から63年という月日がそれこそ矢のように飛んで此処まで来たかという感すらある今日ではあるが、今の日本の現状を戦死された方たちや遺族の方たちがどんな気持ちでおられるか慮る必要があるのではないかとつくづく考えさせられる。

国会で祝日法が制定されるときの論議で祝う方の記念日という性格の意味づけが為され祝日を決めているようだが、日本にとっては大きな意味を持つ日々が沢山ある8月が祈念日としての弔日を何故制定しないのか不思議でならない。

今命ある我々は戦争犠牲者のその死による代償として生かされているという自覚を何故学校教育の場でも教えないのか、正しい歴史観を子供たちに教えるのが本当の教育ではないのか?私は決して右翼でもなければ左翼でもないが愛国者という立場では人に負けないと思っている。母の兄はフィリッピンダバオで狙撃兵に撃たれて戦死したが、会った事も無い叔父には感謝している。サラリーマンだった叔父が国(家族)を守るために戦ってくれたのだというその事は忘れる事が出来ない。

親友の父親は南方でやはり戦死したが、写真でしか知らない父親が靖国神社に祭られているらしいのだが、一度聞いた事がある『8月15日はお参りに行くの?』と友人は絶対に行かないと言っていた。戦後母親と二人の生活は精神的にも経済的にも苦痛の連続であったが何も国はやってくれなかった、というのが本音だろうと思う。また戦争への明確な拒否声明をこの国は出さず、今又なし崩しに海外に派兵(派遣)すると言うこの事は真剣に考えなくてはならない。

広島、長崎の繰り返しは絶対あってはならないし、アメリカでも原爆が戦争終結を早めたというのは国防総省の世論操作という事も分かってきたようだ。
昔鎌倉の市民座で映画の題名は忘れたが、テニアン島から出撃するB-25の映画を見て
その爆撃機の名前が機長の奥さんの名前の『エノーラゲイ』だった事を思い出す。
長じてこれが広島に原爆を落とした飛行機の映画と分かった時は本当に複雑な心境だった。母が『戦争に負けて良かったんだよ』と言っていたことが思い出される。
万万が一若し勝ってでも居たら、日本は軍国主義と財閥のとんでもない国になって
ある意味江戸時代のように身分社会が出来上がってくるとよく言っていたのを思い出します。

8月6日、あるいは9日この日を平和を祈る日として国の弔日にすべきと思いませんか?8月に政府や役所はいつも念仏のように『世界平和に日本は貢献』というが世界各地では戦争や紛争が起き、国内では無差別殺人が横行し、若者は先行き不安で働かず、企業論理が優先する日本、こんな国に本当に幸せが来るのだろうか?

我々年寄り達が楽をしすぎ、教える事もせず、責任も取らず、心理を追求せずに来た結果がこんな日本を作り出してしまった。大いに反省し先の大戦に亡くなられた方たちに誤らなければならないと思うこの8月、皆さんは如何に考えるか是非とも伺いたい。いずれ私も広島、長崎、知覧、沖縄これらだけはいずれ鎮魂旅行行くつもりで居ます。

8月の暑い日と海の青さを見るとき、サイパン島北端のバンザイ岬の青さが忘れられない。合掌






















コメント
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