葉山の海と森

葉山町の自然と日々の暮らしのスケッチ

鎌倉懐古 14

2015-10-22 17:11:17 | Weblog

夏から仕事が忙しく久しぶりの投稿です。この2カ月の間日本の進路が大きく変わってきた感があるが、いずれも次の選挙まで安倍チャンは好きなように泳がせておくしかないと思い、鎌倉懐古の話題に致しました。

久しぶりに光明寺のお十夜に行ってきました。いつも行きたいと思いながら仕事で行かれず、この古式豊かな修行の様子は見る人にとって日本の宗教文化の遺産と言えるのではないかと感激してその所作や声明は素晴らしいものでした。

子供のころは一年中どこかの町内でお祭りや祭事、仏事をやっていてそれを見るのが好きで母に頼んでよく連れて行ってもらった思い出があります。巳の日には必ず銭洗弁財天、11月には坂の下の荒神様、8月10日の黒地蔵など古い町だからこそあった様々な行事を思い出します。

思い出す儘、記憶をたどり歳時記代わりに書き連ねてみたいと思います。蛭子神社の夏祭りが終わり、9月の鶴岡八幡宮、御霊神社のはらみっと、光明寺のお十夜など年末に向けて沢山の祭りがありました。母が信心深い人だったので、戸塚の日限地蔵にも連れて行かれ子供の足で泣き泣き歩いた思い出があります。

銭洗には巳の日には必ず行って砂をもらってきて庭に撒いていました。また庭にコンクリートで作った白蛇のとぐろを巻いた置物があってお酒をおいて拝んでいました。出入りの植木屋さんが作って持ってきたようで私は嫌でいつもよけて歩いていました。このころの鎌倉は草深く隣のおんめ様の池からはガマガエルが出て来るは、それを追って青大将が出て来るはで、庭は自然の宝庫でした。これで鎌倉駅から2分のところですから、時代が変わったものです。

さて、お祭りですが私の住んでいた小町は八幡様、蛭子神社、八雲神社、葛原が岡神社、八坂神社、五所神社位までがテリトリーでこれらの町内には友達がいたので祭りというと出かけて、遊びに行っていました。これらの他にお寺の行事、稚児行列やお会式、寒修行の満行など歳時記にすると本当に多くの行事が目白押しでした。

これとは別に8月10日には鎌倉カーニバルが久米正雄氏らによるパレードが大々的に行われていたのが特筆されますが、残念ながらここ数十年このようなおしゃれな行事は行われていません。今ならアイドルの登竜門のようなこの行事を何とか蘇らせる事は出来ないのか、スポンサーとして数ある名店が音頭をとって出来ないものか、いささか残念である。

思い出すまま頑張っている店、残念ながら閉店をした店を書き出してみたいと思い、下記に並べてみました。(閉店と書いてあるところ以外は営業中)

辻説法通り 谷口屋米店、漆原米店、若宮大路 渋谷米店 (米屋さんは頑張っている)

若宮大路  ケイト屋(閉店) 浅羽屋(閉店) 清水屋酒店、湯浅物産館、 紅谷、島森書店、

        豊島屋、

思い出すまま次号から、順次お店や行事を書いていこうと思います。人の流入が多くてうわべだけの鎌倉散策では本当の良さが理解されないので、少しずつ The KAMAKURAという所を書いていきたいと思います。紅葉の季節散策のお役にたてればと思います。

 

 

 

 

 

コメント
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