葉山の海と森

葉山町の自然と日々の暮らしのスケッチ

年金特別便

2008-06-28 15:01:36 | Weblog
表題は年金特別便です。(年金得別便は間違えました)
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年金得別便

2008-06-28 14:58:53 | Weblog
私にも赤紙ならぬ厚生労働省から年金特別便の案内が届いた。(舛添要一の立派な筆書きのサイン入り)内容はほぼ合っているのだがこの際どんな内容かと思い、横須賀社会保険事務所へ朝一番に出向いた。
9時には社会保険事務所に着いたが、いつもとは違うフロアーというのでエレベーターに乗って6階まで行く。ちなみにこのビルは生命保険会社などが入っている民間の貸しビルで、この説明会をするために新たに6階のワンフロアー(150坪程度か)を借り切ったらしい。
貰った番号が324番、つまり朝一番に行ったが、既に24人も待っていたわけである。相談員は4人の男性職員、案内の女性3人これらが一日中相談やら、案内やらで此処に詰めている。(つまり相談に来る来ないに拘わらず此処に一日中缶詰になっている)

駐車場が無いので有料駐車場に入れては見たが、どの位掛かるか分からずにイライラし始めた頃に時計を見ると一時間半が過ぎていた。(2時間は覚悟していた方が良いと思うが、本の持参をお勧めする)
やっと順番が来て相談と確認、これは早いパソコン4台、プリンター4台がフル稼働。こちらの言い分を言って調べるように頼んで、一枚プリントアウトして終わり。
この社会保険システムは自己申告制だから、データに間違いは無いという言い分らしい。間違いは無かったから多分良いようなものだけど、30年近くの記憶を思い出せというこのおざなり対症療法は?だけが残った。

普通新しいソフトを考える時は、設計時にメインルーチンを何回も検証し、次にサブルーチンを肉付けしてシステムを構築するのだろうと思うのだが、彼らは何をやっていたのかと思うと本当に腹が立ってくる。
この年金特別便は保険料を払っている人全員に送るという。官業というのは本当に非効率な『商売』と言えるが、その非効率が仕事の確実性を持っているからこそ、多少の杓子定規は許されてきたはずで、国民は我慢をしてきたのだと思う。
この6階のフロアーの貸切り費用、人件費、パソコン、プリンターの減価償却費、光熱費などその他コピー代など莫大な費用が横須賀社会保険事務所だけでも発生している事を職員は分かっているのかと待っている間に考え込んでしまった。(これには行く我々の交通費は入っていない)日本全体ではどれだけ社会保険庁のミスで損したかを公表し、彼らの給料から返還させて欲しいと思う。

彼らが如何に加入者に阿漕な事を強いてきたかを私を含め多くの中小企業の社長が経験している事です。資金繰りが悪くて保険料を延滞すると呼び出され、手形か先付けの小切手を書かされ、否応無く徴収されたものです。当然期日に資金を用意できなければ不渡りになるし、倒産するわけですが彼らは法律に従って徴収しているのだから自分達は関係ないという立場です。また今でもあるかもしれませんが、潰れて貰ったほうが分母が少なくなる分回収率が上がるから、その方が良いという職員も居るほどです。今まさにその報いが社会保険庁に来ているのだと思います。

実は国税庁の調査権も怖いのですが、社会保険庁の調査権の方がもっと強烈なような気がします。国税は企業が倒産すれば税収が無くなり、困るから分割とか延納とか色々な条件で待ってくれますが、社会保険庁は小切手や手形を取り上げるのですから、逃げようが無いというのが企業側です。

此処でもっと国民は怒りましょう。緊張関係を国や行政と常に持っていくように民度を上げましょう。恐らく年金では生きていけない状況が目の前にあることを実感した一日でした。次世代の人達に迷惑をかけないように今から無駄を監視し、自分の生きる術を考えましょう。
















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備えよ常に

2008-06-18 07:47:12 | Weblog
子供の頃から入っていたボーイスカウトに『備えよ常に』(Be Prepared)というスローガンがある。四川大地震についで日本でも岩手宮城内陸地震である。天災は忘れた頃にやってくると言われるが、最近は忘れるどころか一月置き位に世界のどこかで災害が起きているようである。地球を人間が苛め抜いている見返りかもしれない。

この時にこの『備えよ常に』の言葉は自分が常に身構えて準備を怠り無く普段から緊急時を想定して置くようにとの重い言葉になった気がする。
特にこの葉山に住んでいて今まで知らなかったこの土地の持つ特性や性格が、昨年からの住民運動によって、勉強させられた事はある意味大きな収穫ではあった。

山と海の風光明媚な別荘の町という観光宣伝のための言葉はもうこの町には要らないかもしれない。山は痩せ海は荒れ地盤は緩み、無理な開発によって住宅は傾いて来るような危険と隣り合わせの町になって来た様な気がする。

万一の時を想定して自分と家族、ご近所が生き残る術を自分達で考えておきたいものだとつくづく考えさせられる。やはりなんといっても水が無ければ人間生きていかれないが、葉山には良い水が流れる沢筋が一杯ある。これらを防災地図にキチンと書き込んでおけば、井戸と山の水で少なくともライフラインが復旧するまでは生き残れると思う。

下山口の奥に昔御用邸まで引いていた簡易水道がある。今は恐らく水質のためか使わせないようになっているが、恐らく1分間に何十リットルという水量である。
これこそもったいないので使わせてくれれば良いのにと思うのは、(事情を知らないからかもしれないが)私だけではないと思う。
古老に聞くと昔は御用邸への供給と一般家庭へも配管され、『山の水』としてお風呂などには使っていたようである。

活断層が走り、この脆い地盤の葉山に住む以上自分の住んでいるところの特性を直視し、自身で対策を立て『備えよ常に』をモットーに葉山ライフを楽しみたい。
一度周りを見回して見ましょう。(ついでに地面の中も忘れずに)











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住民運動の結果

2008-06-07 23:39:48 | Weblog
一月近く休んでいたブログを再開します。この一月の間に我々が行っていた住宅開発に関する推移が大詰めに来たために色々な事が見えてきました。
昨年の8月から約10ヶ月の開発側との交渉が法律の許される範囲での種々の手続きをすることによって、此処まで長引き我々も精神的負担と法と現実の乖離を実感し、また開発側も資金的に追い詰められ大幅に譲歩を迫られた結果になり、双方ともに傷ついた事になった訳です。

基本は所有者の土地に対して他人の我々が文句を言う筋合いはないというのが、一般的な感覚であろうと思うが、今の地球の現実を見ると温暖化はこの葉山の直面する問題というイコールという視点で見ないといけないと思う。確かに私有財産は民主主義社会の根幹の問題であり、社会基準の構成上最高位に属する法律である事は認めるが、今はそれ以上に地球人としての責任を果たす事が必要であると考えます。

実際、葉山の街づくり条例は他所の町の写しであり、自前の葉山に合ったものではなく、建前ばかりが先行していてこの町のスタンダードになっていない事がよく分かった。この事を町民がどれだけ知っているのか、そして問題意識としてどう捉えるか、それこそがこれからこの町が生き残れるかという大命題であると思う。
あるブログのコメントに『住民エゴの最たるもので、そんな連中は出て行け』とばかりに書いてあったが、これが葉山の知的レベルという証左であれば納得するものである。民度と政治度はイコールである。


確かに町長が変わり前と比べたら比較にならないほど、今回の開発にはその威力が発揮されたと思うが、町長が合法的に選ばれた以上はその動静を監視するのが、議会の仕事であり、その議員を選んだのが町民であるという自覚を持たなければ、何も言う資格が無くなってしまうことを町民は心すべきであると思う。

自分の家や土地を子供や孫に残してやりたいというのは、人情だと思うし当たり前だが、しかし拡大解釈すれば、この葉山の町の景観や環境をより良く残し次代に引き渡すのは我々の務めであるはずで、もともと不動産なんてものは我々が一時的に借りているものであって未来永劫持てるものではないので、環境保全と開発のバランスの取れた法律の制定が為されなければ、この一年我々がやってきたものが、生かされないと思いますので、行政と議会は町民意識を上げるためにも早くその不備をなくして欲しいものと思う。

いずれにしても、この一年良い経験をさせてもらい、近隣の方とも仲良くなり同じ志の仲間が出来たり、行政の動かない役人やフットワークの良い役人やら本当に葉山って面白いところに住んでいるなーって思いました。
この1~2週間で決着が付くと思いますので、別途報告いたします。




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