葉山の海と森

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これでいいのか日本

2016-07-18 15:32:13 | Weblog

一寸大仰な言い方ですが、本当にこれで良いのと皆さんに問いたい。参議院選挙も終わり、今は都知事選挙にマスコミは大方の時間を割いている。おととしの暮れの衆院選挙の時に私は危機感を持って、子や孫が戦争に駆り出される危惧をもって野党に投票したが、またしても参議院選挙において2/3の憲法の発議に必要な当選者が与党に多くなり、これで何でもできる政治体制が出来上がってしまった。

若い人たちに言いたい、『おい、本当に選挙権をもらえたのにこれで良いの?』と、確かに経済問題、保育園問題、老齢化問題など大切な問題は沢山あるが、これらを前面に押し出して本当の根っこにある部分を隠して、つまり国民をだまして選挙に臨んだのだ。私は40年以上もの造りの現場に居たから経済の大切な事は十分に分かっているつもりだ。我々が社会に出た昭和40年代は高度成長期のイケイケどんどんの時代であったから、仕事に集中してさえしていれば何とか食ってはいけた時代ではあったが、それはアメリカとの安全保障条約により、安心して仕事に集中できたからであった。そして今の日本の骨格ができ、肉が付き世界に冠たる国力が実力としてついたのです。

ところが2001年9月のNYのテロ以来全く、世界の構造が変わってしまい、悪い方に悪い方にと歯車が回り始めたのです。国内でいえば小泉改革以来経済重視、アメリカ重視、後進国軽視の風潮がはっきりとして日本としての外交、経済、文化、など金をかけずにできる全方位の対外政策が全くと言っていいほどできていないのです。

追い打ちをかけるように東日本大震災で民主党の体たらくにより、屋台骨がまたまたぐらついてしまったのだ。政治の劣化が国民に伝播し、この国の民度の低さが露呈される結果になったのではないのでしょうか?金の問題の二人の知事、その前は声だけでかい作家知事、政治資金規正法に違反していなければ不適切という言葉でオブラートでくるみ実態が究明されないザル法をそのままにしている議員たち。これでは国民は選択肢もなければ入れたい人が出てこなくなり、個人個人が我が道を行くというアメリカ式個人主義が跋扈する世の中になって当たり前です。

これから必ず二枚舌の阿部ちゃんは憲法改正を言い出すでしょう。大きな公約でなかったものが最大の焦点になりこれからの若い人たちを縛り始めていくことは自明の事だと覚悟をしてほしいのです。あの時投票しておけばという後悔をするだろうと予言をしておきたいと思います。三遊亭圓楽が浮気をしてなぞかけで『航海(後悔)の真っ最中』と返した、それとはまったく違うことを思い知って欲しい。

人生は後悔の連続だが、自分の人生を時の政府が変えようとしているのに権利放棄で将来泣きを見るようなことにはなって欲しくないので、若い人たちには本当に『これで良いのか日本』と問いたい。就職することが人生の目的ではない事、愛する人と生活するにはお金がいることは十分に分かるが、価値観を少し変えるだけで人生の見え方が変わってくるのではないだろうか?私はあと数年で仕事を辞めようかとも思っているが、毎日新製品の設計を考えているし、自分でものづくりをやってみたいと思う人には会社を譲ってもいいと思うほど、生きるという事の意味を考え始めている。

どうか想像してほしい。愛する子や孫が徴兵によって人殺しの訓練を受けるなどという事を。海外でテロで亡くなった人たちにも家族はいるのですから、またテロリストにも母親はいるわけです。一度しかない人生を政治家に翻弄されることを想像してください。いずれ戦争法案は通るでしょう。私も専守防衛ならば自衛隊だろうが、防衛軍だろうが構わないが海外派兵までする、この政権のやり方には承服できないと思ってます。

若い皆さん!年寄りは我慢できます。食べるものは少なくても、物はなくても文句は言いません。皆さんの為なら我慢をします。だから勉強してください、よく遊んでください、本を読んでください、本物を見分ける目を養ってください。スマホで繋がらず会って議論してください。人と会って会話して人間関係を作ってください。この国を背負って立つのは皆さんなのですから。最低限の権利行使をお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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鎌倉懐古15

2016-07-18 14:28:37 | Weblog

ここのところ忙しく鎌倉懐古も休みがちでしたが、6月に長兄が急逝し一段落したので今回は小町から材木座にかけての観音巡りを交えて少し思い起こしてみたいと思います。

私と六歳違いの兄は長男であるが故に爺さん婆さんに猫っ可愛がりされて育てられたそうで、昔の家父長制度では長男は本当に優遇されていました。年が離れていたので比較的喧嘩などはしなかったが、わがまま放題の兄であったのはなくなるまでは治らなかったが、比較的我が家の4人兄弟は仲良く、両親が亡くなっていても小町の家に集まっていたものでした。今は二階堂に引っ越しているが実家を呼ぶのに『小町に行ってくる』という言い方は今もって常套句であり、小町という響きは我が家にとっては誇りで今でも子供たちも使っている。

父の会社を継がず、自分で電気工事屋を立ち上げて、鎌倉中を駆けずり回り、三菱や関特鋼などの工場施設、消防施設など外での仕事に頑張ったようである。義姉によれば10kg以上の腰道具をぶら下げていたので腰の骨が変形していたようである。人生の終焉で女房と子供に感謝の気持ちを伝える間もなく、救急車で湘南鎌倉照合病院に運ばれてその日に逝ってしまったというまことに潔い、家族思いの逝き方であった。人生棺を蓋いて定まるといわれるが、まことに見事であったと思っています。

そんなこんなで、朱印巡りが中々進まないのだが、やっと半分までたどり着いたのであと半分は今月から、来月にお参りし9月には円覚寺の最終寺院まで頑張ろうと思っている。皆さんは鎌倉は禅寺か日蓮宗が多いと思っていると思いますが、私も認識不足を感じているところです。と言いますのは意外と時宗が多いのです。藤沢の遊行寺は有名ですが時宗の総本山である同寺は鎌倉に末寺を沢山持っていたのです。

こじんまりとしたお寺が多くて和尚が会話しながら、朱印帖に書いてくれるお寺もあれば、ハンコで済ますお寺もあり、信仰に対する姿勢などもわかるので、是非涼しくなったら三十三観音巡りをお勧めする。ここまでで私の好きなお寺は時宗の西御門の来迎寺、『魚籃観音』の別願寺、お大師さんの補陀落寺、光明寺塔頭の蓮乗院などで和尚の達筆さが光っているのです。(運が良ければ光明寺の本殿でピアノのライブも聴けます)

あと十三カ寺残っているので萩の季節までに結縁したいと思っているので、これをお読みの皆さんに手ごろなレジャーと思いお出かけ下さい。歩きながら鎌倉の老舗巡りも面白いので、にぎやかな通りだけでなく、材木座方面の一寸さびれた感じの食堂やお店に立ち寄るのも一興と思いますので、これもお勧めです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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