葉山の海と森

葉山町の自然と日々の暮らしのスケッチ

東北復興を考える。

2015-03-08 15:17:31 | Weblog

あれから4年という年月が経って、早いと言うのか、遅いと言うのかそれぞれの言い分があると思うが、全体では遅く感じるのではなかろうか?現場の一生懸命さが中央に伝わらず、相変わらずのお役所仕事が続いているらしい。祈ることしか出来ない自分だが、今朝のサンデーモーニングという番組で女川町の事を取り上げていたが感心してしまった。これは地方自立、自治そして何よりも住民の民度の高さが証明された素晴らしい復興計画であった。

震災後数日で役所に頼らない住民の横断的『復興連絡協議会』なるものを立ち上げた。全ての業界、地域、年代の人達が集まり自分たちの町の復興を自分たちで青写真を描いた事だった。特にその協議会の会長が偉かった。3年、5年、10年という短いスパンではなく20年、30年、50年という女川の町をどういう町にしたいかという事を考えたときに若い人達の意見を入れなければ駄目だという事を言って、60歳以上の人は口出しをするなという決め事をしたそうだ。

これから自分たちより長生きする若い人達に下駄を預け、自分たちは裏方に回るというおよそ地方の親分子分の世界でありがちなお上の言いなりやボスの言いなりのトップダウン方式ではない、いわば女川方式が出来上がったのだ。このやり方で国も認め復興モデルの1号に認定され、災害から住民を守る方法として町のかさ上げを一気に行い、新女川町を作るそうだ。この町は高校生も頑張っていて以前ラジオで聞いたのだが、おながわFMには高校生のDJが居て震災後も色々な事を発信続けているとの事、そういうことでこの町の自立する事の大切さやどう物事を考えるかと言うことを知っている非常に民度の高い人達が居る町だと思えてならない。

女川って町を知ったのは子供の頃だった。場所は良く知らなかったがNHKの天気予報で『女川風力3晴れ』とか言っているラジオで聞いたことがある町でなぜか懐かしさがよみがえった。幸いにも女川原発は無事で対応もよく事故も免れたが、この町を訪れて見たく思っている。3月11日は鎮魂の日であるとともに今後の備えをする為の心と物の準備をする日としたいものです。

私はこう考えます。今やらなければならない事は震災からの復興であり、原発事故の終息です。有事法制や憲法改正、集団的自衛権などの議論は後回しで良いのです。まず、震災前の状況に戻すことが大事なのです。これを立派にやり通すならアベチャンは歴史に残る名宰相になるでしょう。逆にほったらかして他の軍事関係を優先したならば、暗愚の宰相として歴史に名を残すでしょう。一強多弱の政治の世界も女川方式で60歳以上は口出しするなという事にすれば、献金問題など金の問題など一気になくなるでしょう。おまけに定数削減も出来ないで憲法違反の状態の議員たちですから。女川方式を日本中に広めましょう。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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