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葉山の海と森

葉山町の自然と日々の暮らしのスケッチ

明けましておめでとうございます。

2015-01-12 11:43:12 | Weblog

七草も過ぎ、どんと焼きもすみましたが改めておめでとうございます。

今年がどんな年になるかはアベチャン次第のようですが、またまた民度を下げるような事になるような気がしてなりませんが、選んだ以上諦めるしかないのか、フランスのようなテロリストが現れるのか、予断を許さない世の中になってきたようです。せめて終戦後70年と言う節目の年にふさわしい穏やかな年になってくれればと願うばかりです。

ところでLEDの普及がこの葉山町にも訪れて来ました。昨年暮れに町内の街灯が今までの白熱電球から高輝度のLEDに変りましたj。町の試算だと年間700万円位のコスト削減だそうです。つまり議員一人当たりの報酬をひねり出したわけです。こういう地道なコスト削減をやっていけば財政再建が出来ると言う良いお手本になるのではないでしょうか。次は何をやるか楽しみにして待っていましょう。

私の住んでいる下山口と言う地区は葉山の端っこ、御用邸から長者が崎の間の地区だが、建設ラッシュが続いていて周辺でも旧日経新聞社寮も分筆され数件が建築に入り、旧京急ビラも新しい工事が始まっている。葉山公園前にはパナホームがマンションを建てるといって反対運動がはじまっている。この地区は葉山の端っこではあるが、バス便の良さ、海岸回りと山手回りが約10分おきくらいにダイヤが組まれているし、車なら15分で逗子駅まで行かれる便利さだ。しかも殆ど座って行かれるからだ。多くの新住民が増えることも喜ばしいが中々難しい面も出てきているようだ。

最近テレビでよく湘南の番組でよく取り上げられる葉山は確かに東京の人達や地方の人達にとっては憧れのようであるが、住んでいる我々にとってはその有難さが分かっていないのではなかろうか。そんなテレビで取り上げられる番組で昨年葉山の新名所と言われるところができたのをご存知だろうか。NHKBSのチャリダーという番組があり、これはひたすら自転車で急坂を乗りこなすと言うものであるが、以前同じNHKで小樽の励ましの坂という番組を見たがほぼそれと同じで、葉山のそれは坂としては短いのだが、何せ急坂には違いない。

その坂は木下通りにある葉山教会に通じる『激坂(通称決心の坂)』といわれる約30度の坂である。ここを一気に上ると言うのをNHKBSで放送したので、マニアックな愛好家が訪れているのだ。この間の日曜日にも数人のライダーが坂下に居たのを目撃した。車でもローで上がるのが精一杯、途中で止まったら一度下らないと女性ドライバーでは難しいところだ。これを自転車で2分程度で上がるらしい。自転車人口が増えてくるのはECOに対しては良いことだが、危険なこともあることはよく理解しなければいけないだろう。

気候が良くなって、温かくなったら私も一度挑戦してみたいと思っている今年の一つの目標でもあります。また、もう一つの目標は鎌倉の社寺めぐりを昔の記憶を辿って歩いて見て、帰りに小町の路地で一杯やって帰るのを月一位でやってみようと思っています。健康第一の念頭の思いです。

 

 

 

 

 

 

 

 


御用邸から皇居へ

2014-12-06 16:41:19 | Weblog

家内のお供で東京に出かける。皇居乾通りの紅葉が見られるというおのぼりさんツアーである。いつも御用邸前の警備の警察官には挨拶されるし、こちらも『ご苦労さん』の一声で機動隊の若い人にねぎらいの言葉をかけるのが楽しみになっている。ここには神奈川県警の機動隊が来ているが、恐らく全体では10名程度が一時間おきに歩哨に立っている程度だろう。この寒さの中本当にご苦労なことである。

さて、東京駅だが横須賀線の地下4階ホームから上がった中央コンコースにはJR職員が皇居に行く人のために南口に行くように叫んでいた。すでに満員の人並みの想定である。昼食は丸の内側では高くて手が出ないので、八重洲地下のグランルーフの天ぷら屋で早めの食事をして丸の内側に歩き出した。外堀通りに出る前から、すでに見終わった人たちや大手町方面からの人並みが、蟻の行列のように並んで歩いている。東京駅正面の和田倉門には機動隊がすでに交通整理をして祝田通りまで誘導し、今度は祝田橋の交差点近くまで下らせ、そして皇居の砂利道まで進ませる。まるで牧場に牛を追い込むような囲い方であった。

なるほどJR職員が南口へ行けと言うのが分かった。有楽町のほうが早かったのだ。日比谷の信号をまっすぐ警視庁のほうに来れば祝田橋ですぐに並べたのだ。しかしここまでで30分、これから3レーンある牛囲いの中に入れられて、先頭を警察官がゆっくり歩いて先導、結局二重橋を過ぎ和田倉門間で戻って誘導され、待つこと30分、今度は荷物検査と身体検査、そして再び3レーンの牛囲いの中に。待つこと30分坂下門から宮内庁前に品良く静々と参内。

ここまでの警察官の人数は見た感じ100人は居ただろうと思われる。例の渋谷で有名になった『親切案内』の典型のような意識したようなアナウンスで、さすが皇居の警備だと違うなと言う印象であった。あそこでもしか『順番に並んで走らないで下さい』を『お前等ちゃんと並べ、走るなって言ってるだろう』とか警官が言っていたら面白いだろうなって、想像してたら待ち時間もさほど苦にならなかった。(殆ど走るのはオバちゃんだったけど)しかし天皇家の人気と言うか、これは日本の精神的根幹を成す何かがあるのかもしれない。

宮内庁から乾門までの間の紅葉は確かにきれいで、良く手入れもなされているので、国民に対してこの程度の自由出入りは折りあれば度々やっても良いのかとも思うが、警備費用を考えると一寸無理かなとも思えた。坂下門から中は皇宮警察の管轄でなんとなく警察官も品良く見えるのはご愛嬌かもしれない。人間には品格と言うなにやら見えないステータスがあって皇室にはそれがあって、我々庶民にはそれがないから憧れのような対象でみてしまうのだろうか?これは日本人のアイデンティティーがそうさせるのかもしれない。

乾門を出て天守閣の方に行くことも出来たが、数万人の混雑で諦めて北の丸公園方面に出て武道館の真黄色の銀杏を見て九段下から帰ってきました。ここの公園の紅葉もまだ見ごろで素晴らしいのでお勧めです。多分靖国神社もまだ大丈夫と思われます。

今回の皇居散策は日本人の精神性を考える出来事と捉え、我々の時代の後にどういう形にこの国がなっていくのかという事を考えさせられた。同時に高齢化を具体的に数万人規模で見たショックもあり、丸の内の高層ビル群とのアンバランスなイメージとの整合性が取れず一寸悩みが深くなった気もするディートリップであった。因みに皇族が葉山に来られるのは本当に休息に来られるのだなと思いを強くし、そっとしてあげたいと強く感じた一日であった

 

 

 

 

 

 


鎌倉懐古 13

2014-11-24 10:07:49 | Weblog

師走の風が吹き始めたこの頃に降って湧いた総選挙にどうでもいいやという事で話題を変える事にしました。

先日御成り通りの新生銀行の脇の路地の奥の喫茶店に入ってお茶をしていたら、往年の女優たちのスライドを壁一面を使って映写していました。鎌倉はスターの多く住んだ町なんだと改めて感慨にふけってどれだけ住んでいたんだろうと知っている範囲で数えて見ました。

やはり松竹系の俳優が多かったようで住んでいたところも含めて書き出して見たいと思って記憶をたどり順不同で書いて見たいと思っています。多少字が間違っているかもしれませんがご容赦ください。(順不同、敬称略)

何と言ってもご存命中の原節子さん、大塔宮近くに住んでいた佐田啓二、新珠美千代、妙本寺前の月丘夢路、笹目の伊藤雄之助、宇佐美淳(也)、扇が谷の三井弘次、磯野暁雄、小町の小林重四郎、井川邦子、材木座の安井昌二、四方晴美一家、殿山泰司、北鎌倉の三崎千恵子、大船の笠智衆、雪ノ下の先代松本幸四郎一家や、お元気なよろめきドラマの長内美那子、宗方勝己夫妻、多くの方は鬼籍に入られたが志村喬のように瑞泉寺に終の棲家を定めた方も居られる。時々バスで見かける武智鉄二の娘の川口小枝も元気そうだ。

それぞれ日本を代表する俳優であり、女優であった。私の周囲にこれだけの人達が住んでいたことが誇らしいし、鎌倉と言う自然に恵まれた、又人に恵まれた土地もそうはないだろうと思っている。

このほか一時住んだ方たちは数知れず夏目雅子、伊集院静夫妻、寺田農等恐らく芸の肥やしになって、よすがになってくれればこの環境を作っていくことが鎌倉作りの基本かもしれない。これからも鎌倉を愛し、守る活動を仲間と頑張っていきたいと思う晩秋の想いである。


開発ラッシュの葉山

2014-10-20 11:46:33 | Weblog

ここの所葉山の開発ラッシュが進んでいるようで、特に下山口地区は大型のものが近所で始まっている。我が家の周りでは旧日経新聞の跡地の真ん中に3階建ての個人の家か店舗かという感じの工事か行われているし、その向かい側では旧渡辺邸の分譲地が基礎工事をして、134号沿いの旧京急ビラのマンション建設や葉山公園前の4階建てのマンション計画が行われるそうだ。

散歩で葉山公園から秋谷のほうまで歩くのだが、134号線は長者ガ崎までの山側は全て人家が立ち並んだ。以前は長者園までは殆ど人家が無かったようだが、この変りようはここ15年くらいに際立って下山口が立て込んできた。

今問題になっている一色の崖地の開発もバス停から比較的近く南斜面だからか、開発されればきっと購入者はすぐに現れるだろう。この下山口も御用邸のイメージもあり、海岸回りのバスは終点だし、長井方面行きのバスは頻繁にあるから今は下山口は葉山で最も評価が高いのではないかと思われる。

今週25日土曜日に公園前マンションの反対集会があるようですが、結局は近所の方たちの反対だけで行政は書類が整っていればGOサインを出すのです。車一台で目一杯の道路を29所帯の人達が増えたら交通問題が起きるに決まっています。数年前、我々が旧石井邸の開発に反対して3年近く業者や行政と話し合ったけれど、結局1000坪の森は全て伐採、20%の緑地確保などという約束は全て反故にされ、ましてや新住民の方たちとは殆ど交渉がなく人が増えるだけで町そのものは潤うけれども、なんらメリットは無かったように思われます。

これもアベノミクスの結果かもしれませんが、持てる人、持てない人の二極化が進み子供への影響が徐々に進んでいくことは目に見えてきています。新しい人達が住み始めて住民税が増えることは喜ばしいことではありますが、同時に世代間格差の問題も大きな問題としておきているのです。データがあるのか分かりませんが、新築やマンション開発ばかりではなく空き家の把握で賃貸にして新しい人達を迎え入れたほうが、余程活性化になるのではないだろうか。

私どもも年齢を重ねこの家を将来どうするかと言う問題を今から真剣に考えなければと家内と話してます。息子は居ても後をきちんとやってくれるか、税金を払ってやってくれるのか、売ってマンションにでも行ってしまうのか、死んだ後のことは関係ないとは言えない昨今の心配事です。相続で売って金で分けようとする風潮が見られる事もなんとも葉山に住んでいる因果かも知れないのです。

地方再生と言う前に『お前らしっかり政治をやれ』と言いたい。折りしも小渕経済産業大臣の金にまつわる不正で辞任会見を聞いて、又金かと税金を払いたくないことばかりが起こる世の中、自民党ではもう駄目で、志ある人間が党派関係なく政治を行う体制にしたほうが良いのではなかろうか?さて次の辞任はどなたかな?

 

 

 

 

 


沈む朝日

2014-09-15 10:30:02 | Weblog

朝日新聞の誤報は事故ではなくて事件である。この信頼を取り戻すことは、恐らく何十年もの歳月がかかると思われる。一般社会において誤ると言うのは反省し二度とおなじ撤を踏まないと言う誓いであると思うのだが、先ごろの社長や担当役員の会見ではその感じは見られなかった。

これまで新聞記者はそんなに偉かったのかという場面を何回も見てきたが、これほど言論の砦と言われる新聞社で悲しいくらいの過ちを謝ると言うことではなく、まだ自分たちは一寸したミスだったと言う位の感覚で記者会見に臨んだ社長以下は非常識人ではないかと思うのである。今は違うかもしれないが昔は黒塗りのハイヤーで社旗をたなびかせる車で取材をしてた記者を見たことがあるが、新聞って結構儲かるもんだと思っていた。

自分の知っている鎌倉支局に居たYと言う記者は一人でこの地区を自転車に乗ったりして動き回っていた事を思い出すと地方の記者たちはどんなに悔しい思いをしているかと思うと可哀想でならない。どの企業でも現場は冷遇されて華やかな本社の打ち上げ花火を遠くから見るしかないのか、いずれ自分も本社で活躍したいと思っているのか、地回りでコツコツ地味な仕事をやり遂げるのか、今度の件は朝日の全ての人達に問いかけているのだと思う。

直接記事などに拘わらない部署の人ほど、又同様に苦しんでいるに違いない。まして家族の人達にとって大きなとばっちりが来なければ、特に子供たちにと心配するものである。テレビなどに出てくるコメンテーターと言われる編集委員クラスはいわば朝日の代弁者だが、品があり、スマートな人達が多いが、そこはサラリーマンの辛いところで通り一遍の事しかいえないので、今回の件でも率先してここが悪かったと言える人が出てくれば良いと思っている。

民主主義において言論の自由は最も大切な事で今回のことを事を喜んでいる人達も居ることも事実だが、対応を誤ればその人達にも累が及ぶと言うことを全てのメディア業界の人達は自覚すべきである。言論界の保守と革新、尊王攘夷みたいな二分裂な思考ではなく、国益に沿った報道、国民への責務、言論の保護、永世中立を錦の御旗にして国民の信頼を取り戻す事が肝要と思うが如何だろうか?

この件で朝日は恐らく購読件数が減るであろう。私も数年前から朝日の購読を止めている。それは記事が面白くなかったからで、今回の件とは違うが今の新聞の内容は朝日に限らずネット配信のほうで十分情報は取れるし、その反応も見られるから町場の人間としては紙はいらなくなってきているのである。その事をわきまえてこれからの新聞作りを進めれば良いのではないだろうか?

何しろ新聞を含めメディアの権威主義が今回の事件の底流にあるのだから、もって銘ずべきである。他の新聞社も批判ばかりでなく、ブーメラン効果で自分に戻って来ることを覚悟しておかねばならないと自覚すべきである。権力や世の不正と戦うと言う本来の使命を働かせることを期待する。

 

 

 

 

 


心の闇とどう戦うか?

2014-08-16 14:08:43 | Weblog

痛ましいニュースが夏休み前にあったが、どう理解していいか分からないくらいの衝撃であった。以前にも佐世保において同級生に刺された小学生が学校で亡くなった事件があり、佐世保市民は辛い日々を送っているに違いないが、心の問題をどう捉えるかということはいくつになっても解決できるものではないことはこの年になっても自分で感じている。

人間の心の中にある善と悪の狭間にあるどちらにも偏る染色体があり、その傾き加減で今度のような事が起こるのかと思うと自分自身が空恐ろしくなってくる。今の日本の空気は戦争前夜と言う人も居るが、私はそうは思っていない。昭和の初め頃と今とではこの70年の間に心の変化や知識の積み重ねが沢山あり簡単には戦争にはならないと思うからで、只バランスが崩れた時が大きな変化が現れると思っている。

佐世保の件では当初父親の再婚問題が、つまり家庭的な問題でと思っていたが蓋を開けてみると継母とは上手くいっている様だし、小学校時分から問題を起こしていたと言うから幼いときから心の闇を抱えていたのだという事で、一般で考えられるような現象ではなかったので明らかに誰にも分からない(無論本人も)事態だったのだと思われる。これでは家庭の教育の問題とか学校の先生の力不足とかの表面上の責任追及は出来なくなってきているのだと思われます。

子供は大人の鏡とは言うがここに来て地方議員のお粗末さが多々露見し、居てもいなくてもいい人達が各地に沢山居るという現実を毎日見ているとこの国の危うさが『すぐそこにある危機』として実感してくる。つまり子供たちはネットや多種のメディアから大人たちの行動を見てこれで良いのかと錯覚してしまう。特にゲームの世界ではありえるだろう。痛さを感じない子供たち、スイッチひとつでONとOFFが切り替わる現実、辛ければ家の中に逃げ込んで篭城する。これでは肌のぬくもりや温かさ、冷たさが分かるわけないのだ。

世界を見ても理解に苦しむ事ばかりだ。イスラエルのガザ爆撃、元々住んでいたパレスチナ人(カナン人)を追い出し、シオニズム運動で1945年以降イスラエルに戻った人達がアメリカの後押しで建国し、元の住民と軋轢を起こしたわけで、昔はあの地区はアブラハムの子孫が諸部族となって散らばっていたのだからいわば身内のはずだ。アブラハムは今のイラクのユフラテ川のウルという町の出身で啓示によってカナンに移ってきたのだから、揉めることは無い様に思うのだが、これが人間なんだろうと思うのだ。

集団的自衛権のアベチャンにしても心に闇を抱えているかも知れないし、上目遣いの石ちゃんも心の中は闇だらけかもしれない。俺もいずれはトップに立ってという想いは一般社会にもあっていつかは会社のトップになろうと虎視眈々と狙っている人達の闇は広く深くドス黒いものだと思っていたほうが間違いないだろう。

外国の首脳間でも同じような闇の取引を数限りなくやっていて、凡人には分からない世界があるんだろうなと思いつつ、心の闇をなくす努力をしなければとこの夏の暑さの中で考えるお盆の休みです。因みに私の心の闇と言えば女房に内緒で東京や横浜、鎌倉で飲み歩くことで、多少金を使っても『今日は2000円会費だったよ』と金額を誤魔化す位だから可愛いもんです。

秋に始まる臨時国会において政治家たちの心の闇をしっかり見極めて、次の選挙に備えましょう。孫の世代が幸せに暮らせる環境を今我々が作る努力をしましょう。

因みに、アベチャン、葉山にはアベノミクスは届いていません。海の家は閑散、駐車場は空いていて一向に売り上げは伸びないそうです。ガソリン代が160円超えて横横道路の日本一高い通行料では人は来ませんね。夏祭りの太鼓の音を聞きながら心の闇を退治したいと願う夏です。

 

 

 

 


心の闇とどう戦うか?

2014-08-16 14:08:43 | Weblog

痛ましいニュースが夏休み前にあったが、どう理解していいか分からないくらいの衝撃であった。以前にも佐世保において同級生に刺された小学生が学校で亡くなった事件があり、佐世保市民は辛い日々を送っているに違いないが、心の問題をどう捉えるかということはいくつになっても解決できるものではないことはこの年になっても自分で感じている。

人間の心の中にある善と悪の狭間にあるどちらにも偏る染色体があり、その傾き加減で今度のような事が起こるのかと思うと自分自身が空恐ろしくなってくる。今の日本の空気は戦争前夜と言う人も居るが、私はそうは思っていない。昭和の初め頃と今とではこの70年の間に心の変化や知識の積み重ねが沢山あり簡単には戦争にはならないと思うからで、只バランスが崩れた時が大きな変化が現れると思っている。

佐世保の件では当初父親の再婚問題が、つまり家庭的な問題でと思っていたが蓋を開けてみると継母とは上手くいっている様だし、小学校時分から問題を起こしていたと言うから幼いときから心の闇を抱えていたのだという事で、一般で考えられるような現象ではなかったので明らかに誰にも分からない(無論本人も)事態だったのだと思われる。これでは家庭の教育の問題とか学校の先生の力不足とかの表面上の責任追及は出来なくなってきているのだと思われます。

子供は大人の鏡とは言うがここに来て地方議員のお粗末さが多々露見し、居てもいなくてもいい人達が各地に沢山居るという現実を毎日見ているとこの国の危うさが『すぐそこにある危機』として実感してくる。つまり子供たちはネットや多種のメディアから大人たちの行動を見てこれで良いのかと錯覚してしまう。特にゲームの世界ではありえるだろう。痛さを感じない子供たち、スイッチひとつでONとOFFが切り替わる現実、辛ければ家の中に逃げ込んで篭城する。これでは肌のぬくもりや温かさ、冷たさが分かるわけないのだ。

世界を見ても理解に苦しむ事ばかりだ。イスラエルのガザ爆撃、元々住んでいたパレスチナ人(カナン人)を追い出し、シオニズム運動で1945年以降イスラエルに戻った人達がアメリカの後押しで建国し、元の住民と軋轢を起こしたわけで、昔はあの地区はアブラハムの子孫が諸部族となって散らばっていたのだからいわば身内のはずだ。アブラハムは今のイラクのユフラテ川のウルという町の出身で啓示によってカナンに移ってきたのだから、揉めることは無い様に思うのだが、これが人間なんだろうと思うのだ。

集団的自衛権のアベチャンにしても心に闇を抱えているかも知れないし、上目遣いの石ちゃんも心の中は闇だらけかもしれない。俺もいずれはトップに立ってという想いは一般社会にもあっていつかは会社のトップになろうと虎視眈々と狙っている人達の闇は広く深くドス黒いものだと思っていたほうが間違いないだろう。

外国の首脳間でも同じような闇の取引を数限りなくやっていて、凡人には分からない世界があるんだろうなと思いつつ、心の闇をなくす努力をしなければとこの夏の暑さの中で考えるお盆の休みです。因みに私の心の闇と言えば女房に内緒で東京や横浜、鎌倉で飲み歩くことで、多少金を使っても『今日は2000円会費だったよ』と金額を誤魔化す位だから可愛いもんです。

秋に始まる臨時国会において政治家たちの心の闇をしっかり見極めて、次の選挙に備えましょう。孫の世代が幸せに暮らせる環境を今我々が作る努力をしましょう。

因みに、アベチャン、葉山にはアベノミクスは届いていません。海の家は閑散、駐車場は空いていて一向に売り上げは伸びないそうです。ガソリン代が160円超えて横横道路の日本一高い通行料では人は来ませんね。夏祭りの太鼓の音を聞きながら心の闇を退治したいと願う夏です。

 

 

 

 


転換できるのか?この日本。

2014-07-07 12:25:38 | Weblog

いつも思うことだが、権力を持つと会社の社長でも政治家でも人間が変ってしまうのはどうしてなのだろうとつくづく考えさせられる。アベチャンによる集団的自衛権問題である。小泉さんの時代官房副長官時代の初々しさがなくなり叔父さんの佐藤栄作氏のような歌舞伎役者の悪人面に見えてきたのはDNAによるものなのか。よく言われることだが、記録よりも記憶に残る人間になりたいなどと人は云うのだが、彼はその両方を追っかけているのではないだろうか?

爺さんは日米安保で歴史に残り、大叔父は長期政権の果て最後の記者会見で立ち回りをやり、そんな偉大な爺さんたちのDNAが騒いでいるのだろうか。今は権力者のトップに居てもいずれ下野することが分からないのか、回りにいさめる人間も居ないのか、可哀相な人になっていること自体気づかないのか自民党の終焉が近いことが分からないのか、数え上げれば切がないくらい色々な問題を抱えている人だと思わざるを得ない、暗い梅雨空の毎日です

世論を甘く見ると大変な事になると分からせてあげないといけないので、この3年は国民は我慢を強いられると思いますが、アベチャン以外のところで、例えば国会やら都議会で女性蔑視の品のない野次を飛ばす議員諸氏が沢山居るので、次の選挙は当然落ちる人達であろうから、蟻の一穴岩をも通すで自民党と公明党は惨敗すると考えられるのだが、永田村には対抗できる野党が居ないのもこれまた事実で、国民は不幸のダブルパンチでいつまで経っても同じ繰り返しに耐えなければならないのです。

前にも書いたのですが、国民の民度が彼らと同じと言うことで責任の一端は我々にもあるのです。自分の家に置き換えてと言う自衛権についてのたとえがありましたが、我々は鍵もかけるし、泥棒に入られないようにそれなりに自分で自分の家や家族を守っているので、町内会の人が皆で守りましょうというのは簡単ですが、それぞれの家のルールがあって費用の負担や人的負担など画一的に出来る問題ではないのです。自分の家だけでなく他人の家も警護しましょうなどは出来るはずもないのです。

来年は70年と言う節目の年ですが、この月日が無駄にならないために次世代の子供たちのために絶対にこの法案を通すことはやめさせなければなりません。自分が先頭に立って銃を持ち、議員や役人の師弟から戦場に送ると言うのなら、多少は説得力がありますがまずそんなことにはならないでしょう。公明党のバックに居る創価学会の皆さんはどう判断するのでしょうか?池田大作氏は宗教家として、よくあちこちで平和賞や名誉学士号を貰っているようですが、この問題についてどう思っているのでしょうか?意見を聞いて見たいものです。

いずれにしても国内におけるテロが実際に起こる状態にするのが、今度の集団的自衛権の問題です。ある人は原発や新幹線、飛行機など今まで起きる事の無かった初めての事態がおきると予想していました。新宿の高層ビル群にニューヨークのようなテロがあったら、新幹線爆破のようなテロが起きたら、一体アベチャンは責任取れるのですか?狩猟民族のアメリカ人と農耕民族の日本人とは全く思想背景が違うのに同じ価値観で語るのは的外れもいい所です。

もう黙っては居ないで選挙には必ず行きましょう。まず一党独裁は止めさせましょう。今から準備して本当に国民のためになる政治家を選びましょう、と言っても中々居なくて苦労しますが権利の放棄だけはしてはいけません。今の事だけでなく国家百年の計を見据えた国づくりを出来る人を選びたいと心底思う梅雨の日々です。

不順な季節ですが、海開きも過ぎ本格的な夏到来まで後2週間位です。ご自愛ください。

 

 

 

 

 

 


親しい友の死

2014-05-26 10:30:40 | Weblog

20代後半からの親しい友達だったというより客先の友人だったK氏が突然逝った。あまりにも急でこんな別れ方が世の中には有るのかというほど突然だった。4月中ごろまで元気で酒を飲めていたのだが、5月2日に入院して14日には逝ってしまった。原因は胃がんだった。以前から体調が悪かったらしいのだが、家族にも検査結果を話さなかったらしい。スポーツマンでゴルフや野球、テニスなど何でもやったし、見るのも好きで横浜球場などへはよく観戦に行っていたし、宴会が好きで若い頃からいつもその中心に居た。

M電機の工場で製造管理や外注管理などその経歴は生き字引といわれるくらい、社内人脈が広く元気印が歩いているような人だった。私より三つ年上で納期が遅れるといつもこっぴどく起こられたが、裏では製造現場の工程にはなんだかんだといっては味方になってくれた兄貴のような存在であった。ゴルフの師匠でもあったし一時期テニスも教えてもらったが、いつも当社のことを心配してくれて、担当が替わってもいつも大船や横浜で勉強会と称しては夜中まで飲み歩いた仲間だった。

今ほど管理がきつくない時代だったのかもしれないが、客先と業者という関係ではなく、人間として友人として付き合える唯一の友達だった。5万人居る会社と30人の零細企業とでは勝負にならないが、規模ではなく人間として協力をしてくれる人間を大切にするという彼のポリシーが多くの外注先の人達からも慕われ、社内的にも人望があり、今でも彼が中心だった月に一度の飲み会がM電機のクラブで行われている。

人生最大の関心事は人は死んだらどこに行くのだろうかという事ではないだろうか。無になるということはどういうことなのだろうかとつくづく考えさせられる。信じないかもしれないが、彼が14日に亡くなりまだ知らせが来ない時に私の所には別れの挨拶があったのです。15日朝9時40分に玄関のベルが押され出てみると誰も居ないことがありました。瞬間、もしかしてK氏に何かあったと思ったのですが、仕事に出てしまいました。ベルはきちんと押さないと鳴らない方式ですし、下から上に押さなければ絶対に鳴らないのです。家内も確認しているのでそう信じているのです。

今、この年になってお迎えの準備をしなくてはならなくなってきましたが、悔いなく人生を終わる為には今日のことは今日やるという想いで、これから歩いていきたいと願っています。誰かが云ったように記録ではなく記憶に残る人間になって死んで生きたいと思うのです。誰でも死ぬのは嫌ですが、多分その時がくれば感謝して『お先にバイバイ』と言えるような逝き方がベストかなと思います。K氏の場合も家族に看取られ、愛する孫の看護師の勤務する病院で眠るように旅立ったとの事なので幸せだったのかもしれません。

只、親しい友人を失うのは本当に切ない、悔しい、それ以上に家族を失うのはもっと辛いであろうから、これからの人生家族友人を大切にして有意義な残りの人生を歩んで生きたいと願っています。

年に一度の検診は必ず受けましょう。そしてその結果は家族で共有しましょう。 

 


関心事(自衛権について)

2014-05-17 10:08:50 | Weblog

あまり政治的なことをこのブログには書きたくは無いのだが、やむなく取り上げることとした事を残念で仕方が無い。5月15日の安倍首相の記者会見での国民への集団的自衛権の議論を開始したいという説明について、まず反対の意見を言わせて貰う。

安倍氏の早口のしゃべり方と同じ前のめりな説明は良く分からない。まずその根拠は一昨年の当時の野田首相との党首討論で解散する代わりに国会議員の定数削減をやるという、司法からの違憲判決があるにもかかわらず、何もやっていないこの事をどう言い訳をするのだろうか?違憲状態の国会議員が自民党総裁を首相に選び、公約に無い集団的自衛権の解釈変更で行えるようにするという、歴代首相のやらなかったことを押し切ろうとしている。

恐らく国民はしまったと思っているに違いは無い。あまりにも民主党がお粗末な故に自民党という悪弊を導き出してしまったのであるが、その責任は愚民であった国民に大いに帰する。従って今からでも遅くは無いので立ち上がりましょう。このままでは孫子の時代には徴兵制から戦争賛美国に必ずなるので、今のうちにその芽を摘まねばなりません。

安倍氏の説明ではアメリカの船に日本人が乗っていて、その船を攻撃されても自衛隊は攻撃できないと言っていますが私はそうは思いません。何故なら自国民の乗っている船であれば正当防衛として個別的自衛権として戦うことが出来ると思うのです。物であれ人であれ日本国民に属するものが襲われた場合(国内、国外問わず)、その事を守り救出するのは個別的自衛に属するのではないでしょうか?

例えば北朝鮮に拉致された日本人救出に自衛隊が出動しても邦人保護、救出という名目でその事だけが目的ならば個別的自衛手段=正当防衛で許されるのではないだろうか?例え北朝鮮と戦闘になったとしても安倍氏の言う国民を守るということはそれは理解されるのではないだろうか?これは救出作戦であって戦争ではないのです。もしその後相手が仕掛けてくれば今度は同盟国のアメリカが日本を守るという義務が生じてくるのです。

私は日本の自衛隊の強さを詳しくは知らないが、見聞きした事を総合的に判断した所、恐らくアメリカの次くらいの戦闘能力を持っていると思っている。只、国民に知らされていないだけで自衛隊幹部も政治家も知っているのではないかと思っている。特に安倍さんは例えば中国に『来るなら来て見ろ』と思っているのではないだろうか?日本のイージス艦のすごさは中国の改造空母などと比べたら赤子の手をひねる様なものだと思っている。だから怖いのです。日本はほぼアメリカと同じ装備でしかもアメリカ人より緻密で勤勉でより正確な仕事が出来るからなのです。

この内閣で憲法解釈を変えるというのは全く正しくない。仮に改憲をするにしてもきちんと議論を数年するくらいの熟度があってしかるべきと考えますが、来年終戦から70年になる節目の年なので良い機会だから国民を二分する位の大議論をしたら良いと思います。特に国民投票法案で18歳からの投票が可能になった若い人達の意見を聞いて、年寄りの知恵と経験を踏まえた戦争回避の道を探るべきと考えます。

朝日新聞の声欄に戦争経験が時々投書されるが、殆どが悲惨なことばかりで二度と戦争を起こさないようにしたいとの願いだ。しかもその語り部は殆どが80歳以上だ。家内の父が中国を転戦したという話は生前聞いていたが、その内容は絶対話さなかった。辛くて思い出すのも苦痛のようであった。まだその苦痛を話せる人はいいのかもしれない。本当は話せないほど自分を苦しめていたのかもしれない。反面良き家庭人であった。前にサイパン島へ行った折、最北端のバンザイ岬を訪れたが、峻厳な岬から飛び降りた人達を思うと万感胸迫るものがあった事を思い出す。

いずれにしてもきちんと手続きをして、改憲なり現行維持なり正統的な国会議員の論議でこの問題を国民のコンセンサスを得ることが一番だと思えるのだが、匙は国民一人ひとりに投げかけられた事を肝に銘じたい。