葉山の海と森

葉山町の自然と日々の暮らしのスケッチ

鎌倉懐古 1

2011-11-26 14:26:02 | Weblog
このところ葉山の町長選挙や町議の補欠選挙の話題がかまびすしいが、国政も地方も小粒の政治屋が跋扈しているのでこのブログも少し飽きてきているので政治的なことや社会的なことを少し離れようと思い、生まれ故郷の事を忘れないうちに記しておこうと思い立ちこれから何話になるか分からないが、鎌倉懐古として子供の頃の思い出や出来事を少しずつ語って行きたいと思います。多少記憶違いやお名前で間違いがあるかもしれませんがご容赦下さい。

鎌倉懐古 1
生まれたのは小町の1丁目、警察のすぐ側の針谷産婦人科でその頃は市内には丸さんという助産婦(お産婆さん)ともう一軒くらいしかなかったので、学校時代の友達はほぼ針谷さん出身でした。
物心付いたのは3~4才くらいでしょうか。朝起きると母か婆やにおんぶされ家を出て若宮大路の江ノ電の鎌倉駅の見物に毎日出かけるのが日課でした。当時の江ノ電は横須賀線のガードのところから若宮大路に入ってきて鎌倉警察の前、二の鳥居前が江ノ電の駅でした。今では無くなった丸い滑車のようなパンタグラフを車掌がその溝に電線を接触させる場面を見るのが楽しみでした。当時は戦争後3年くらい経っていましたがアメリカ軍(進駐軍)の兵隊が鎌倉見物に来ていたり、将校クラスは鎌倉の家を接収したり借りたりして結構華やいだ雰囲気もありました。特に戦災にあわなかった分、大きなお屋敷なども残っており良い雰囲気が保たれておりました。

4歳で鎌倉幼稚園通称ハリス記念幼稚園に通いました。これは父がプロテスタントのクリスチャンだったのでその関係でと思いますが兄や姉も同じく通って居りました。ちなみに私たち兄弟(兄2人姉1人)全員キリスト教系の学校を卒業しています。
ハリスの良い所はクリスマスのプレゼントやイースターのゆで卵など楽しい行事が一杯ある事でした。また戦後の大変な時期にもかかわらずアメリカの支援が沢山あった様で食べるものやプレゼントは子供にしては宝物のようでありました。この幼稚園には今では有名になった学者やジャーナリスト企業経営者など多くの日本のオピニオンリーダーとなった人達も居ます。又面白い事に鎌倉は寺町と言っていいほどお寺があるのですが殆どが山の際や谷戸の奥にあるのですが、キリスト教の教会は殆ど平地それも駅に近いところにあると言うこの対比は非常に面白いと思います。これは戦略的伝道活動とも言うべき事で誰でもいらっしゃいという門戸の開放で、鎌倉駅から300m~500mの範囲に教会が立てられていました。これはどこの町に行っても同じ傾向が見られ特にカトリックの考え方ははっきりしていました。町の中心は教会という考え方。つまり八幡様と一緒です。

4歳の子供が小町から下馬の幼稚園まではすぐですが、当時はまだ松並木が鬱蒼と茂っていて昼なお暗い狭い道で怖かったのを覚えています。親が心配したのはガードまでの区間は江ノ電が走っていて轢かれないかという心配でした。現にヰマスモータースと言う自動車屋さんの誰かが轢かれた大事故があった様で特に気をつけて歩いた記憶があります。鎌倉中の子供が集まってきているので御成小学校と第一小学校そして付属小が卒園後の行き先でした。私も付属を受けたのですがくじ引きで落ちました。以来籤運の悪さは今日に至っておりますが御成小学校に入れて生涯の友達も出来ましたし今では籤運の悪さを感謝しております。
御成小学校とは珍しい名前ですが、これは元御用邸の後を鎌倉女学校に下賜されその後小学校に転用されたために皇族の御成りになると言う事で名づけられたと聞いておりますが、当時はまだ宮内庁の官舎が校庭の南側にありました。そこでの6年間が今に続く人生のベース作りになったのかもしれません。(次号に続く)






















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品を無くせば貧となる。

2011-11-06 14:55:48 | Weblog
東日本大震災以来この国は変ったのだろうか?確かに変ったのだけれども良くなったかどうかは歴史の審判を仰いで見ないと分からないが、政治的にも経済的にもそして文化的にもおおいに変わった事だけは確かなようだ。
特に二極化したゼロか一かのコンピュータの支配が進んだのだけは間違いがない。今騒いでいるTPPの問題やヨーロッパに起きている金融危機などは原発と同じように人間がコントロールできないところまで来ているようだ。

人間が生きるということの本質が見えなくなってきている今の状態が今後続くとなれば、恐らくこの国も革命に近い事が起こってくるような気がする。むろん武力の革命ではなく精神革命ではあるが、ここで表題にした品を保つという事は何をすれば良いのか提案してみたい。
われわれの時代は戦後の復興が始まり街頭テレビや電気製品の普及、野球や映画といった娯楽が台頭してきて、子供心にも日本は発展していくんだなという実感があったが、今の人々は何でもありの便利生活から始まっているから何も考えずとも最低の生活が出来る。夢という『品』をなくしてしまっている。つまり目標が無くなって何をやれば良いのか『品』を求めなくなってきているのだ。

卑近な例ではテレビメーカーが国内生産からほぼ撤退するという。当たり前でしょう。最新技術の液晶薄型テレビを作っても番組がつまらないバカ番組ばかりだし、おまけにデジタル化したお陰でチャンネルは増えるがコンテンツを買うために高い受信料を払わされるはで、テレビは見ないニュースはパソコンでという人が増えているそうだ。
タイの洪水騒ぎも日本企業を襲っているが、ネコも杓子も経済理論だけで進出した結果がこれだ。大田区の中小企業はまだ頑張っている、品を保っている。それは自分の仕事に誇りを持っていて最低の矜持だけは捨てたくないという心意気なのだ。

外国産の食料も部品も車もあらゆるものが入ってくるだろうが、良い意味での国粋主義を貫く企業や食品を多少高くても買いたいし、応援したいものだ。これからまだ不景気が続くだろうが金ばかりの世の中で品を保って行けばまだまだこの国は大丈夫だと思う。但し前にも書いたかもしれないが結果を報じるだけのマスコミ、出来上がった数字を分析する税理士、起きた事に対処する警察など楽な商売をする人が高級をとり、法律に保護されている現実を国民は監視しなければなりません。この人達ほど品を持って仕事をしなければならないのに最近の記者たちの言葉遣いにもあきれてしまうのは、ご承知の通りでしょう。

品が無い食べ方、品の無い言動、品の無い服装、品の無い運転、品の無い経営これらは全て貧するところに直行する要因だと私は考えます。東電や九電、大王製紙、UFOなど企業倫理を逸脱した企業が上場企業であることなどを見てもいずれ右下がりになる企業群だと思えるのです。(当然新聞社、放送局なども)
私の会社では社員採用の折には昼食を共にするようにしておりました。これは食事の食べ方で、おおよそ家庭環境やマナーなどが分かるからです。最後に席を立つときにお皿の状態を確認して評価をしていましたが、これはほぼ正確にその後の仕事振りに反映するものでした。
『武士は食ねど爪楊枝』と言いますが痩せ我慢しても品格を重んじ日本人の格の違いを世界の人に見せようではありませんか。そうすれば貧乏神はこの国から去って行くでしょう。














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