葉山の海と森

葉山町の自然と日々の暮らしのスケッチ

産物考

2008-01-26 10:47:26 | Weblog
50年来のボーイスカウト仲間の小田原のS氏と久しぶりに会った。今、彼は神奈川県のボーイスカウトのトップにいる人間だが、ご多分に漏れず少子化の影響を受けてスカウト人口が減っているという。またそれを指導するリーダー不足にも悩んでいるという。野外生活をきっちり出来ると今の生活には何の不満も起こらず、考える力や緊急時など不測の事態にも対応力が付くという。こんな青少年の問題を話すうち、土
地の産物の話になった。

小田原には蒲鉾や外郎(ういろう)、曽我の梅干、そして海産物など売り物はやたらあるという。箱根という一大観光地を控えその商売は多少の減少はあっても伝統的に継承されているという。
なぜ波風にあっても続いたかというと城下町という特殊事情もあろうが、町の人達の意識が非常に高く、自分の町の伝統や習慣を頑なに守っているという。
先祖供養の地蔵会や山伏の火渡りなど普通の情景としてあるという。
習慣、習俗の伝承は土地に生まれる食品を生み、新しい調理方法も考えられ代々伝えられるという。

小田原と葉山という東と西に対峙するこの町の産物は何だろうと考える時、海は共通項としても、開けて100年の町と数百年の歴史を持つ城下町とは比較にはならないが、葉山ならではの産物を皆で考えましょう。とりわけ葉山牛というブランドは確立されたが庶民の口には中々入らず、庶民的にすぐに買えるものを考えましょう。

個人的には蕎麦が好きなのでここのところ何軒か手打ちのそばやさんができた事を喜んでいるが、出来れば越後のへぎ蕎麦のような天草を繋ぎに使った歯ごたえのある手打ち蕎麦を作ってくれないかなと思っている。天草は葉山の海で取れるし、海の香りのする蕎麦があったら、葉山コロッケと同じように我々庶民の口にも行き渡るような気がします。

新しい町づくりが始まった今、新しい産物を皆で考え商店街の活性化に繋げるような商品を皆で考えようと思います。観光協会の刷新もあるようですしクリエーターの多く住む町でもあるので住民参加の産物協会でも作りましょう。
また形は無くとも、景観条例や地区協定のような目には見えなくても、葉山の特産物としても全国に広める事は出来るはずです。知恵の結集を図りましょう。













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012人への感謝

2008-01-22 08:20:07 | Weblog
2週間前の決意、そして町議選への立候補という無謀な計画にご賛同いただきました2012人の方たちに心から感謝いたします。
この葉山の町でおそらく初めての政党対住民側との代表という選挙が行われ、住民側の候補者が勝つという前代未聞のことが行われました。
私も地域の緑地保全の運動から町を変えたいと町議補選に立候補致しましたが、冒頭のような結果に終わり、残念な結果になりましたが逆に色々なものが良く見えてきました。

こんな小さな町でも国の構図と同じような、政党間の選挙になり自民対民主の構図が出来あがって、本当にこの町を考える人達なのかと思うような町長選ではありました。権謀術数というほどでもありませんが、色々な誘いが来たのも確かですしここでは書きませんが謀略的なこともありました。

選挙をやると町が良く見えてきますし、人もよく見えました。
当陣営は、近所の主婦の方たちが応援して下さって、和気藹々に選挙を楽しみ、 Sさんは散歩中の犬の名前を全て知っていて、その度に飼い主に声をかけてくれたり、地元葉山小学校をはるか昔卒業したT さんは強引に売り込んでくれるは、Kさんはハンドマイクで名前と公約を叫んでくれるはご近所の底力を本当に実感した五日間でした。

さてこれからが我々の運動と行政との戦いになりますが、この町を良くする為に自分に何が出来るかを真剣に考えたいと思います。民度と政治度は同じと言われますが、民度を上げるよう我々町民がしっかり監視して行かなければいけないし、町長も270人の職員の指揮を執るのに周りがバックアップしないと選挙した意味がなくなってしまうので、これからが正念場です。全国に先駆けるような地区条例や健全な財政を実現するために葉山町民の底力を発揮しましょう。

2012は私の忘れえぬ数字になりました。有難うございました。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一寸お休み

2008-01-14 22:57:36 | Weblog
一月十五日昔なら成人式ですが、しきたりを大事にしない役人や無識者のハッピーマンデーとやらの効率重視の諮問会議で元服式が無くなって久しい明日から一週間お休みいたします。
海外旅行?いやいやそんなんじゃなくて、公職選挙法という選挙を平等にやろうという法律によって、ブログの書き換えや意見が言えなくなるので正月みたいに一寸お休みさせて頂きます。

20日には何らかの報告が出来るかと思いますが、期待しないで待っててください。
以後はこの近辺の美味しい情報や綺麗な場所のご案内を春に向けてご紹介いたします。
たとえば、フレンチ、和食、ラーメン、カレー、イタリアンなどのグルメ情報や伊豆半島に落ちるサンセットの美しく見える場所や磯遊び場所、名所旧跡の良い所等ご案内いたします。

大寒に向けて厳しくなりますので、皆様ご自愛ください。
それでは行ってまいります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

顔見世興行の始まり

2008-01-14 00:38:57 | Weblog
昨日大浜海岸でドンド焼(大磯では左義長)の祭りがありました。正月用品を海岸で焼く例年の行事です。寒い中、下山口商店街の方たちご苦労様でした。紅白のお餅を頂いて帰ってきましたが、日本には良い風習が残っていますね。風習といえばいつもは4年たつとお祭りなんですけど、今年はうるう年のせいか、はたまた中日ドラゴンズが昨年日本一になったせいか一寸変則のお祭りが始まります。もっとも葉山町だけですがね。


さて今週15日火曜日いよいよ町長選挙が始まります。
ここに来て自民と対民主の代理戦争の様相ですが、こんな3万人の小さな町でジミンもミンシュも無いようですが、地元選出の国会議員の先生方は系列作りに必死のようですね。これは各党のための選挙で葉山町の町民のための選挙では無くなって来てますね。ご多分にもれず出来るかどうかも分からないマニフェストやらを掲げ総花的に出来ない公約のオンパレードですね。その公約を全てやるにはどれだけの財政負担が掛かるか、その根拠を知らせるのが筋ではないですか。
町民の皆さん公約の多い方は止めましょう。予算がかかり町民税が上がります。
中央で公認したり推薦したり何やってのかナーって思いません。主権町民、この町で
与党も野党も色づけは不要じゃないですか?全て町民党になって町政を動かすべきです。これはポピュリズムを言っているのではありません。(訳の分からない事を言う町民だっていると思いますから)


今町長の代理の総務部長も入院との事でトップ3人が不在で福祉部長が職務代理者との事これはギネス級ですよ。試しに申請したら良いと思います。
今こそ役場の若手諸君、しかもパソコンや業務になれた諸君が台頭してこの町を変えるという、下克上をして欲しいと思う。今がチャンスですよ。          
古墳時代から残るこの環境をこの今という時代に守る必要があります
そして町民も哲学を持ちましょう。その哲学を話し合い葉山町としてのコンセンサスを持って、議論の出来る同じステージにレベルを合わせましょう。


まず歳入を増やさないとどうにも動けないという現実がありますから、その辺から考えましょう。やはり法人税が入らないというのが痛いですね。          でも法人を誘致するんですよ。工場を?ショッピングセンター?ゲームセンター? いえいえ葉山らしい品がいいか分かりませんが、設備の掛からないソフト開発メーカーを誘致するんですよ。彼らはパソコンがあればどこでも仕事が出来るし、遊休のマンションや一般住宅の空き家を町の仲介で貸してもらい、そこでソフト開発をやってもらって中小の法人を少しずつ増やしていけばいいんですよ。彼らは通常の働く人達より倍くらいの収益を上げていますから、法人税も上がるはずです。まして公害も出ませんし、静かだしそして横須賀のYRP(横須賀リサーチパーク)が目と鼻の先にあり、そこと取引しているソフト会社を紹介してもらい誘致する位の営業をやりましょう。仕事の疲れを癒す相模湾の風景でリフレッシュしてもらうというのは働く人にとってもメリットあるはずです。(経営者にとっても)
食物の地産地消というのと同じで、葉山の安いフロアーコストでリフレッシュ効果やYRP に近いなど必ず需要があるはずです。今の福祉を削らず最低限の歳出予算で、歳入を上げればこの難局は切り抜けられます。

新しくなる町長にこのアイデアを差し上げますので、是非NTT 通信研究所に足を運び営業努力をして欲しいものです。
この選挙の機会を生かし、葉山町役場内の人材発掘をし、町民からも広く集めて今より一歩進みましょう。

各候補者のご健闘を祈ります。




































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初めて物語

2008-01-12 16:59:06 | Weblog
何をやるにもはじめは素人、段々良く鳴る法華の太鼓ではないですが、熟達するにはそれなりの努力と忍耐が要るものです。
葉山の初めて物語はやはりベルツ博士やイタリアのマルチーノ公使らの外国人の人たちが保養場所として推奨したのが、別荘の町として知られるようになったのが世に出た最初の事であったようです。そしてヨット発祥の地としても知られ、御用邸の町としても有名になっていった経緯があり、そこには東京からの別荘族や横須賀鎮守府の高級軍人達の居住地になった事も初めてであったようだ。

葉山が半農半漁の村(当時)であったが一躍、東京文化や外国文化に侵食され、いわば異国文化が流入するようになって、住民の人たちがその恩恵に預かり、悪く言えばおんぶに抱っこ体質が始まったのではないかと思われる。
夏の貸し別荘には母屋を貸し、離れに家族が住み一年分の稼ぎを得たり、働きに行ったりと余り考えることなく貰う事が平気になってきたその頃から体質が変わり始めたのではないかと思われます。

もうそろそろ旧弊から脱皮しようじゃないかと思うのですが、鎌倉が古都保存法を作ったように、景観条例や町並み条例、海岸保全条例、福祉関連条例その他考えられる将来に残せる安心遺産を目的とした初めての条例を作るべきです。
日本初めての葉山条例、いい響きと思いませんか。
町当局や議会は日本で初めてというような、範となる法律を作るべきです。
今度の町長選挙ではどちらが勝っても負けてもしこりが残ると思われますが、皆が協力すればあっち側もこっち側もなく、まして政党の代理戦争のようになってはいけないと思うのは私だけではないと思います。

初めてやることに苦労は付き物、その覚悟を次期町長は覚悟し、また町民も覚悟して選ぶべきです。もし与えられた権利を行使しなければ、天に唾するように自分に戻って来ることを自覚すべきです。
『艱難は忍耐を生み、忍耐は練達を生み、練達は希望を生む、そして希望は失望に終わることは無い』こんな言葉もありますよ。












コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

別荘の町 葉山

2008-01-10 09:12:07 | Weblog
この葉山は軽井沢と並んで別荘の町という響きの良い定冠詞がついた町であった(過去形)。ここに住んでいると空気のすがすがしさや景色の美しさに馴れる余り、その有難さを当たり前のこととしか考えられなくなるのは、人間としての性で初心を忘れるのと同じような気がします。いつも小学校に入ったときのように初心に戻る気持ちを持たないとマンネリの世界にどっぷりつかり、これで良いと自分を甘やかせてしまう事になります。

人間誰しも初めて物語があるようですが、不安と緊張が交錯する気持ちは今の時期、受験勉強をしている学生諸君の気持ちが痛いほど分かります。人生の岐路に立つとき捨てるものと捨てられないものとがあってその峻別が難しいと悩みます。
だけれどもやはり扉を開けないとその先には進めないし、現状維持は一歩後退だから誰しも空けたくない扉をあけてそれに順応した人生を送るのです。
今、先の見えない未知の領域に入ろうとしている人たちに、ある種尊敬の念を持ってエールを送りおます。


日本中どこにもある町でなく、葉山という個性とステータスを保ち行政当局は初心を忘れず、住民は関心を持ってよく見ていることが町を良くする事と理解をしてほしいと思います。今度の町長選挙は関心が高いと思われます、必ず投票に行きましょう。
知らないうちに町民税やその他租税関係が上がってからでは文句の付けようがありませんから。昔の人は『知らないという事は罪である』と言ってます。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公職者に必要なトレーサビリティ

2008-01-09 10:04:10 | Weblog
生産現場やものづくりに携わって40年、そこで必要なものはまず設計図、ものづくりに必要な機械、それを動かす人、そして出来たものを検証する品質検査、そして世に出し社会の人に認められるか、そこで判断されるわけです。
ものづくりで必要なのは『トレーサビリティ』という考え方です。これは単純に云うと校正とか基準とかと考えればいいのですが、これが一寸づつ右に行ったり、左に行ったりすると公差の重なりでとんでもないものになります。

昔は1/10の公差で良かった物が、今は1/1000位になっておます。つまりミリの世界からミクロンの世界になっているのです。ですから少しの狂いも許されなくなって来ています。パリにあるメートル原器が日によって違ったりすれば、世の中の尺度が全く違ったものになるように、人間にも『トレーサビリティ』が求められると思います。
今、この町に求められるのは公職にある人たちが自分の『トレーサビリティ』をもって、機械的基準と哲学的基準をきちんと発信する事です。
                                                                            数年前の自民党代議士の選挙違反事件ではきちんとした説明もなく、起訴猶予で終わってしまった経緯がありましたが、あれは検察の温情ではなく選挙区全てやると議会が麻痺し地方自治の崩壊と判断したからなのです。まして貰ったほうは食事と数万円の報酬では名誉とステータスを落とし割に合わなかったのではと思います。罪と罰はセットではありますが、罪は人間誰しも背負って生きているものですが、罰を受けなければ自分は正しい等と言うのは公職者としては失格です。よく言う選挙で禊を受けたといいますが、その罪を選んだ住民に移し変えたようなものです。(選挙民も悪い)

これからは自分の誇りある『トレーサビリティ』を確立して、この町をどう再生するか一人一人が考えなくてはいけません。行政当局も議会も住民が育てなくてはいけません。彼らも自分達が住民の上に立っているなどと、不遜な考えを起こしてもいけません。気候風土が良いと良い人が育ち、良い行政が生まれると日本中で羨ましがられる街づくりを始めましょう。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

通過都市にならないように

2008-01-07 22:39:28 | Weblog
鎌倉で生まれた子供の頃を思い出すと変貌してゆく鎌倉が色んなことを教えてくれるので、葉山がそうならないように一寸感傷を交えて、思い出話をします。

昔の若宮大路には鬱蒼とした松並木があって(勿論道路も狭く荷馬車も走っていた頃ですが)両側から松の並木が覆いかぶさるようになっていて昼なお暗い、何ともいえない風情でした。特に一の鳥居のあたりに畠山六郎の墓伝えられる石塔の脇に六郎茶屋という茶店があり、老婆が一人石塔を守りお茶などを出していました。夜はとても子供一人では歩けない程の静寂さと闇が連なっていました。松の木の上ではフクロウが不気味に鳴き鎌倉時代もかくやと思える程でした。

当時は江ノ電の鎌倉駅が今の二の鳥居の前、警察署の真前が駅でした。朝起きるとそこに電車を見に行くのが日課で、会社に出かける父を見送ったり、八幡様に向かって祈る人たちが居る毎日でした。


川端先生や大仏先生、里見先生達が普通にその辺を散歩しているのが、普通の光景でした。昭和20年代後半から久米正雄が鎌倉カーニバルを始めてから鎌倉は別の意味で有名になり、人が避暑や海水浴に沢山来るようになりました。       

その後人が増え住宅が増え車社会になり、ブランドが確立されていきます。人口増になれば開発という怪物が牙をむいてきます。一番の怪物は西武不動産の買占めです。
当時の市長は代議士からの転向組で国の予算や大企業と組んで良い様に開発を始めました、その良い例が鎌倉霊園です。その後は野村不動産、東急不動産など鎌倉ブランドにこれでもか、これでもかと買い占めていきました。

結果どうなったかといえば人口は増えた、その為のサービスに市役所は大きくなるは
予算は大きくなるけど市民サービスは低下する、環境は悪化する、町を流れる滑川(なめりがわ)は汚くなるはで海水浴場の大腸菌量が増え、海水浴客が来なくなり、おまけに車社会になってきて、鎌倉は段々通過都市に変わってきました。
  

それが約20年続いて近年少しは客足も延びてきたようですが、依然通過都市である事には違いありません。正月などの小町通の人ごみの多さは有名ですが、町にお金は全くと言って良いほど落ちません。八幡様に行って、一寸お寺をのぞいてマクドナルドで食べて帰ってしまうのだそうです。小町通の友人が嘆いていますよ。
何とか吉兆庵とか言うお店は最近出来たのですが、ネーミングで入るんですね。
大阪の吉兆と同じで一寸変ですね。(元はお茶屋さんだったんです)


鎌倉はともかく葉山は通過都市にしたくありません。他所の町の人が来て楽しんで、町に経済効果や文化交流など実質面と精神面の両方が根付く町作りをしないと必ず
鎌倉のように人は来るけど実体が無い訪問者だけになります。葉山の自然、葉山の野菜、葉山の魚、葉山の人々売り物はいくらでもあります。鬱蒼たる山や里山の景色を皆で残す事、今やらなければ子供たちに迷惑をかける事になります。
葉山を通過都市にしない運動をやりましょう。



























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杉や檜からの伝言

2008-01-05 09:57:17 | Weblog
知っていますか?杉や檜は自分を守り、子孫を残すために花粉を飛ばすことを。
この季節になると花粉情報が出始めますが、専ら杉や檜などの木のせいにされますが、彼らは自分の生きる証を自然の営みとして行っているのです。

昔、里の人たちは植林した木の周りを太陽の光が入るように枝の広がり分だけ間伐したのだと云います。すると杉たちは安心して自分達の子供を適量の花粉として撒くのだそうです。

ところが、最近の山は荒れて手入れもしなくなり、自分の周りは雑草が生い茂り、太陽の光が届かず、同じ仲間もすぐ近くに生えたために生存競争が激しくなり、目一杯の力を振り絞り花粉を飛ばし、子孫を残そうというのだそうです。
花粉症という症状は、私の子供の頃は無かったように思います。仮にあったとしても山手の方の人か、アレルギー症の人かというくらい少数だったと思いますが、結局人間の不作為でこんな現象が出てきたのだと考えなければ無ければなりません。


今葉山の海の底ではワカメが育とうと頑張っていると思いますが、このワカメが良い品質で美味しく頂けるのは、葉山の海の豊饒さにあるといえます。これは葉山の里山がもたらしてくれた山の栄養が森戸川、下山川の源流の山の栄養がもたらしてくれた自然の恵みであると感謝しなくてはなりません。

一概に杉や檜が悪いのではありません。『環境整備を怠った人間が悪い』ということを伝えてほしいとの伝言でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正月早々一寸辛い話

2008-01-03 23:36:36 | Weblog
正月早々ですが、一寸辛いお話をします。昨年度の葉山町の財務諸表をご覧になられましたか?怖いことが一杯出ていますよ。面倒くさがらずに見て下さい。
ついでに中期財政見通しもご覧になるともっと怖いかもしれませんよ。
何よりも一般会計分地方債(町の借入金)54億円、下水道事業関係分100億円合計150億円を超える借金があります。怖いですね~
それに付け加えて今年度は6億円の赤字が見込まれ、以後平成23年度までには赤字が50億円積みあがるとの事ですよ。つまり200億円を超える借財があるということは簡単には返せませんから、貸主の財務省から差し押さえが来るのではないですか?
今までの町当局や議会は何をやっていたのかと吃驚を通り越して、笑っちゃいますよ。でも子や孫にまで借金の返済を押し付けるのは可哀想だし、申し訳なくはありませんか?
解決策を考えましょうよ皆で、町民が一人一人自覚を持っていなかった事を反省をして、自分の住むところをもっと関心をもって見直しましょうよ。
葉山は御用邸の町、別荘の町、風光明媚な素晴らしい町と胡坐をかいてきましたが、全て外部の力を借りて、出来上がってきたように思えます。
これから自分達で企画立案して、町に実行させるような共同責任体制をとれば、我々も責任があり、町には新しい風が吹くと思います。
現実は辛いものがありますが、この下水道プロジェクトの損切りを思い切ってやるか、財務省と交渉して利息減免か一部カットなど再生策を根本的に考える必要があると思います。
町役場の若手諸君に有能な人材が必ず居ると思いますので、今までの様な受動的な仕事の仕方ではなくITを駆使した能動的な仕事をしてもらい、若い人材の有効活用をしてもらいたいと思います。このままだと自分の職場がなくなりますから、、、
年頭の一寸辛いお話です。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする