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新国立競技場を考える。

2015-07-27 11:34:39 | Weblog

安倍チャンの鶴の一声で白紙に戻った新競技場建設問題。笑っちゃうねというのが私の感想だ。何故かって言えば、建設問題というよりは政治家や役人の無責任体質が国民の前に明らかになったという事だけでも、大いに意味があったのだ。当然不人気な安保法案の為に少しでも点数を稼ぎたい安倍チャンの見え見えのパフォーマンスの結果だが、基本これで良かったのではないだろうか。

ついでに言えば、どうせ恥をかくならば、オリンピックの返上をIOCに『日本にはオリンピックを開催できる自信はありません』と言ったら安倍チャンの人気はウナギ登りだと思うのだが、如何なもんだろう。2兆円くらいあるオリンピック予算を東北復興、少子化対策、経済対策(特に零細、中小企業対策)、地方再生などオリンピック以上に日本の国益に資する事ばかりではないだろうか?

日本はもう十分に先進国を堪能したのでそろそろスピードダウンして中進国程度にスローな国になっても良いのではなかろうか。これを政府が標榜したらグンと人気が上がると思うのだが、そうはいかないのが日本の体質で、何事も成長路線を歩まなければという亡霊が政治家、役人、大企業経営者に蔓延している亡国病なのだ。

私なりの新国立競技場問題を考えるに、まず国際デザインコンペは開かれている国としては仕方がないのだろうが、少なくても予算を決められている中での決定がなされて当然だ。金を出せばどんな建築でもできるというのが技術屋の誇りだろうが、そこには予算という壁もあり、製法や機械設備などという図面では見えてこない縛りがあるのだ。うちも小さなもの造り屋だが紙の上ではどんなものでも書けるし作れるが、実際作ってみたら出来ないものが沢山あるのだ。

文部科学省がこんな道理が判る筈がないと言って、もし開き直るならそれこそ能力不足だ。判らばければ国土交通省に訊けばいいのだ。先端建設の技術を持っている日本のインフラの本山で大概の事は教えてくれるはずだ。また、もし判らなくてもゼネコンや大学の先生などに訊いてもどの位の基礎的知識を持って3000億円もの予算が出てきたのか?

誤解を恐れずに言えば、ゼネコンの営業はここぞとばかり吹っかけているのではないだろうか?阿吽の談合が在りはしないか?これだけのプロジェクトだから暗黙の了解が出来上がっていたのではないだろうか?設計業界の中の指導権争いは無かったのだろうかなど考えられる事すべて想定して巨大プロジェクトを考えなければならなかったのではないだろうか?

つまり10トントラックに倍以上の荷を積んで全力で走れと言っているようなもんで、初めから無理な要求だったのではなかったのだろう。老人ににコンピューターを与えてこうするんだと言って使い方を教えるような能力的に無理がこの結果を生んだような事であろう。通常もの造りは客の要求を聞き、ニーズを確認しデザインや機能、特長、維持管理を考えて設計に入り途中何度もコンセンサスを各部門とすり合わせを行うのが本来なのだが、入り口で潰れるというのは何をか況やである。

多分、文部大臣の首を切ってこの件は落着しそうだが、これを反面教師にして他の開催国の競技場を見習いコンパクトでコストをかけないオリンピックにしてほしいのだ。私は今でもオリンピックは返上しても良いと思っているので、何年かかっても復興なった『東北』でと言われるような事のほうが国益に資するような気がしているのだ。

安倍チャン決断しましょう!!!

 

 

 

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