南町の独り言

様々な旅人たちが、日ごと行きかふ南町。
月日は百代の過客、今日もまた旅人が…。

私を感化した言霊たち(1)

2013-07-23 17:19:11 | ユニオン
気持ちのいい仲間たちと闘った17日間、きっと一生忘れないでしょう。


無事に参院選も終了し、いよいよ私にとって最終コーナーに突入しました。
実に長かったようで実に短かった労働運動の最前線から離れ、10月18日をもって次のリーダーにバトンタッチします。
ということは、このブログ「南町の独り言」もあと3ヶ月足らずの命ですね。

さかのぼってみると7年前(2006年)の5月13日が初ブログです。
なぜこのブログを書き始めたのかをまずはお話しします。

当時「JAM静岡」委員長を務めていた私は「連合静岡」の会長代行であり役選委員長でもありました。
ところが突然会長交代の事態に遭遇し、人事問題が暗礁に乗り上げてしまいました。
大会を目前に控えて、結局役選委員長としての決断を迫られます。
それは私自身も想定しない人事か、それとも…。
2005年のことです。

「JAM静岡」委員長としても3年目、ようやく掛川に「ひとづくり会館」を建設し、さてこれからだという矢先でした。
いろいろ悩んだり、大先輩に相談したりした結果、とりあえず非専従の事務局長として就任いたしました。
非専従の事務局長も異例ですから、当時はH会長はじめ多くのみなさんに大変なご迷惑をかけたと思います。

当時「JAM静岡」にも県内各地に多くの仲間が点在しておりましたので、情報拡散のツールとして2002年からメールを利用した「JAM静岡通信」を始めていました。
この話を連合東海ブロックでしたところ、連合長野の竹澤事務局長がそれよりもブログを活用したほうがいいよと勧めてくれたのです。
そもそも私自身の考えていることを仲間たちに伝えていくことが目的ですから、「JAM静岡」と「連合静岡」を区分けする必要もありませんので、早速飛びついてみました。

もうひとつ、ブログを毎日発行してみようと決めた大きな動機があります。
それは出身単組「小糸労組」で毎日発行している労組機関紙「きずな」の存在です。
30歳で専従執行委員となり50歳で外部(JAM静岡)派遣されるまで、毎日毎日発行し、毎日毎日就業前に職場配布した「きずな」の存在です。
後を継いだ後輩たちの苦労を思うと、外部に出たからといって私だけ楽をすることは許されないと考えたのです。
それが「JAM静岡通信」になり「南町の独り言」になったのです。

さて最終コーナーに入りました。
みなさんに伝えたいことはいっぱいありますが、これだけは伝えておきたいと思うお話を少しづつしていきたいと思います。
それはこんな私を支えてくれた「言霊(ことだま)」たちの話です。
最終日から逆算するとおそらく10~15個ぐらいの「言霊」たちを紹介できると思います。
この「言霊」たちを話すということはおそらく自分史を語ることになると思います。
恥ずかしい話ばかりかもしれませんが、これが私にできる最後のご奉公のつもりで頑張ってみます。
拙い文章ですが、どうぞご笑味ください。

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