けろろの「浜あるき・野良あるき」

漁あるところ、農あるところへ、風土のにおいに誘われて、いそいそ出かけています

それでも春はくる

2011-03-20 02:20:30 | 街あるき
明日は春分の日。
頭の上に重たい雲がかかったような、そんな気持ちの日々。
「これじゃいかんな~」と、近所の公園にお散歩に出てみる。

  

人間世界のあれこれには、まったく関係なく、季節はきちんと春。
もちろん地震も津波も、自然の営みのひとつにすぎず…。

支援会議

2011-03-17 02:23:13 | 日記
NPO法人日本エコツーリズムセンター(エコセン)と、それにつながるひとたちが集まって、
東京都内で、第1回の震災支援会議を開きました。

自然学校、自然体験団体の協議会、ボランティア団体、文科省や日本財団、メディア、広告関係、などなど、
多方面のひとたちが、人的つながりだけでざっと60名集まりました。地方のネットワークを含めるとすごい力です。

コイルのように、ひとが集まって熱と光を発しているのを実感。
ひとまずの立ち上げの体制と、今後の展開について話し合いました。
多くの物資が事務局に集まっていて、それをトラックなど車4台に積み、
明日朝、第一陣が東北に向けて出発するそうです。拠点は仙台のモンベルショップ。
そこで現地事務所を整えつつ、物資を運ぶ手伝いに加わるようです。

●義援金の口座も開設されました。
救援活動は完全にボランティアで運営していますが、物資を集めるなど資金が必要です。
いくられもけっこうです。ぜひ、ご協力をお願いいたします。

 口座名義:エコセン災害救援基金
 みずほ銀行 動坂支店 普通 1093812

支援の動きと、支援される自分のお話

2011-03-16 02:24:20 | 日記
わたしの周辺でも、義捐金集め、物資集め、援助隊派遣、現地のボランティア基地づくりなど、
次々に行動が起こされ始め、さまざまなネットワークでいろいろに情報が飛び交っています。

中でも、NPO法人日本エコツーリズムセンターの活動には、瞠目します。
野外活動、自然学校、地域活性ボランティアなどのエキスパートが、アウトドアメーカー「モンベル」仙台店を拠点に、
続々とチームを組んで活動を始めています。
また、被災した子どもたちを山村留学のような形で、長期間受け入れるという話も進んでいます。
復興への道のりを考えると長期戦です。持続できることを、少しずつ、ですね。

東京にいるわたしにも、どういうわけか「支援の手」が差しのべられました。
電気・ガス・水道が通り、食糧も家も(こんなときに仕事まで)あるわたしに、です。

ひとつは、新潟のNPO「かみえちご山里ファン倶楽部」さんから昨日、お電話をいただきました。
「東京ではお米が売り切れているそうですが、足りていますか?無償でお送りしましょうか?」とのこと。
昨年、ご縁があり会員になっているのです。
このNPOの活動のひとつに、「くらしの安全保障」があります。
過疎、高齢化が進む山間地の集落から、ふだん農産物を買うことで、反対に都会で食糧難や避難が必要な
事態になったとき、その地域に受け入れてもらえる、という契約です。
わたしは、会員になっているだけで、定期的に農産物を買ってはいなかったのですが、今回のお申し出。

とてもありがたいと思いましたが、家には今お米は8kgほどあるので、欲張ってもなんなので、
「ついでがあるようでしたら、わたしの分は被災地にお送りしてください」と、お断りしました。

もうひとつの「支援の手」はワカメ。神奈川県の沿岸の知り合いが、送ってくれました。
放射能には海藻…という含みもあり?「都会生活は不安でしょ、潮の香を楽しんで」というプレゼント。つくづく感謝です。



被災地では、1日にお握り1個とか、バナナ半分とかいう話が聞かれるのに、
こんなにぬくぬくしていて、本当に申し訳ないような気持ちになります。

東京食べ物事情

2011-03-15 02:25:12 | 日記
きのうまで、とくに買出しもせず、買占めもせず、「何とかなるさ」と過ごしてきました。
しかし今朝から、福島原発の影響で東京でも放射性物質が通常より多く検出されていると、
NHKテレビでいっているのを見て、さすがに「籠城の兵糧が必要か?」と、様子を見がてら街に出てみました。

噂には聞いていたのですが、ナルホド~。西友の食品売り場は、こんなサッパリした風景。
何もない被災地に送ったというのなら、まだわかるけれど。この集団心理(?)は、ちょっと怖いです。

  

カップ麺、パスタや乾麺、おせんべいやクッキーなどお菓子、缶詰の棚はカラッポ。
不思議だったのは、缶詰コーナーに唯一ポツンと残されていた、アサリの水煮缶。
アサリは放射能に弱いとか、何かあるのでしょうか? なぜ嫌われたんだろう…。

コメと卵のコーナー、そして豆腐や納豆、漬物、乳製品、飲料のコーナーもきれいに在庫一掃。

  

対照的なのは、肉類がカラッポなに対して、鮮魚がにぎやかなこと。

  

西友の隣に、市場のような専門店街があるのですが、生鮮食品が多いそちらのフロアの様子は通常どおり。
保存できない生鮮は、通常より多くは売れないということでしょうか。
「スーパー空っぽ」現象。食べ物の生産場所と流通の仕組みがどうなっているのか、この機会に気に留めてみると、
日常の食について、とても意外で大事なことがわかるかも、と思いました。

もともと、さして買いだめする気もなかったので、夜のおかずに魚を少しとダイコン1本買って帰りました。

地震、そのとき

2011-03-14 02:25:59 | 日記
とんでもない災害になりました。
三陸の知り合いの漁師さんや、海関係の方々、農家のひとたち、安否がわからず本当に心配です。
多方面から情報はあるのですが、まだ断片的です。

そのとき、わたしは。東京杉並区の自宅2階の机でパソコンに向かっていました。
小さな揺れがどんどん振幅をまして、机の上の書類が崩れ始め…。
しかし、とっさに何もできないものですね、情けない。
机の上の観葉植物の小さな鉢と、コーヒーが半分入ったカップを持ったまま固まっていました。

そのうちに、机横の天井までの作りつけ本棚から本がいっせいに雪崩落ち始め…。
揺れがおさまって気がつくと、クローゼットから飛び出した衣類と、本の山に半身埋まっていました。
そしてなぜか、手の中で守っていたのに植木鉢が割れていた。

机の下に転がり落ちていたカメラバッグと、携帯と財布が入ったバッグを運よく掘り出し、
部屋を出ようとしたら戸が開かない。隣の部屋の引き戸がはずれて突っかかっているらしい。
別のふすまを開けると、スチール本棚がすべて倒れて床をすべて占領していました。
1階のキッチンでは、割れ散った食器が…。

余震が怖いので、ともかく屋外に避難。玄関の戸がすんなり開いたことに、ほっ。
家の前は公園なので、近所のひとたちも逃げてきていました。
中には、妊娠8ヶ月だという女の人も。パニックでポロポロ涙を流していて、みんなで介抱。

そのうち、ラジオをもったひとが逃げてきて、震源が東北太平洋側で大地震だと、初めて知りました。
こういう場合、情報がどんなに大事か、痛いほど感じました。
30分ほどすると少し落ち着いてきて、余震に警戒しながらも、
恐る恐る家に戻りテレビの電源を入れると、いきなりヘリからの津波の中継映像が…。
文字通り口を開けたまま、信じられない気持ちで見入るばかりでした。

今回、自分が防災の備えも心構えも、何もできていないことがよーくわかりました。
非常持ち出し用セットは、3年間いじっていません。しかも、倒れた本棚の下敷きになっていた。
水は2リットルペットボトルに4本用意していましたが、これも1年前の水道水。

生死を分けるものは、運か備えか、訓練か。
すべてがそのようでもあり、そうではないようでもあり。
結局は「生存本能」そのものなのではないか、という気もします。