けろろの「浜あるき・野良あるき」

漁あるところ、農あるところへ、風土のにおいに誘われて、いそいそ出かけています

巨樹、御神木

2012-05-31 18:55:28 | 日記


熊野の「くま」には、奥深いという意味もあるそうです。
たしかに。多雨多湿、照葉樹のうっそうとした森が深い。
自然信仰の中で、巨樹はそのまま御神体として崇められましたが、
明治になって神社合祀の名の下に、多くの巨樹、御神木が伐られていったそうです。
とくにクスノキ。樟脳やセルロイドの原料として高く売れたがための受難。

その動きを押しとどめようと頑張ったのが、南方熊楠です。
写真右は、紀伊半島一の大きなクスノキ。熊楠が守った樹の代表的なものだそうです。
大きな樹木には、本当に神が宿るような気がします。

    

これは、ナギ(梛)の木。熊野神社のシンボルの木です。
初めて知った!不思議な木です。マキの仲間ですが、葉っぱが広い。
縦にはするりと裂けますが、横には千切れにくく強いので縁結びの縁起ものです。

本宮遷宮120年記念行事

2012-05-30 19:01:33 | 日記
熊野大社本宮は、明治時代の大水害で熊野川の中州にあった社殿が流失。
高台に現在の社殿を建てて、遷宮しました。
旅の最終日に、たまたま遷宮120年祭が行われていて見学。何というラッキー!!

日本の信仰は、もともと神仏混淆。とっても懐が広く深かった。
…のですが、明治以降に国策として廃仏毀釈や、神仏分離、神社合祀などで、
信仰の形がどんどん規制され型枠にはめられ、力を削がれていったそうです。
(→ 詳しくは「み熊野ネット」へ http://www.mikumano.net/keyword/jinjagosi.html)

熊野は、衰退しながらもなお、神道・仏教(時宗)・修験道の「和」を保っているそうです。
遷宮120年祭も、宮司さん(熊野大社)、お坊さん(神奈川藤沢の遊行寺)、山伏(京都の聖護院)が、
それぞれの神事仏事を執り行いました。

 

神道のお供え物。海の幸と山の幸を並べるそうです。
右は一遍上人が興した時宗の「踊念仏」。
盆踊りの原型といわれるそうで、可愛いステップと謡曲のような念仏の節回しが心地よい。
大僧正は、声が大きく元気な93歳!!
正面は「南無阿弥陀仏」と彫られた石碑。神社に仏教の石碑が存在出来ること自体がすごいことです。

  

      

修験道の護摩焚きは、お芝居のようでとても面白かったです。
幕あきは歌舞伎の勧進帳そのもの。四方を払う矢を本当に放ったり、斧や宝刀の小道具も。
ヒノキの生葉を焼くもうもうたる煙、ホラ貝の響き。いちいち芝居がかっています。

最後に、時宗の大僧正がお手ずから授けて下さったお札を、
神官や山伏も列に並んでありがたそうに押し頂いていたのが、とっても和やかで印象的でした。

山のお社に海の石が

2012-05-30 18:56:27 | 日記
熊野では、大社でも古びた小さな祠でも、丸い白石が置いてあるのをよく見ました。
これ、川石ではなく海石なんだそうです。
海の恵み(自然)と山の恵み(自然)はつながっている…、
自然信仰の古のひとたちは、そのことをちゃーんと知っていたのかもしれません。