けろろの「浜あるき・野良あるき」

漁あるところ、農あるところへ、風土のにおいに誘われて、いそいそ出かけています

地震、そのとき

2011-03-14 02:25:59 | 日記
とんでもない災害になりました。
三陸の知り合いの漁師さんや、海関係の方々、農家のひとたち、安否がわからず本当に心配です。
多方面から情報はあるのですが、まだ断片的です。

そのとき、わたしは。東京杉並区の自宅2階の机でパソコンに向かっていました。
小さな揺れがどんどん振幅をまして、机の上の書類が崩れ始め…。
しかし、とっさに何もできないものですね、情けない。
机の上の観葉植物の小さな鉢と、コーヒーが半分入ったカップを持ったまま固まっていました。

そのうちに、机横の天井までの作りつけ本棚から本がいっせいに雪崩落ち始め…。
揺れがおさまって気がつくと、クローゼットから飛び出した衣類と、本の山に半身埋まっていました。
そしてなぜか、手の中で守っていたのに植木鉢が割れていた。

机の下に転がり落ちていたカメラバッグと、携帯と財布が入ったバッグを運よく掘り出し、
部屋を出ようとしたら戸が開かない。隣の部屋の引き戸がはずれて突っかかっているらしい。
別のふすまを開けると、スチール本棚がすべて倒れて床をすべて占領していました。
1階のキッチンでは、割れ散った食器が…。

余震が怖いので、ともかく屋外に避難。玄関の戸がすんなり開いたことに、ほっ。
家の前は公園なので、近所のひとたちも逃げてきていました。
中には、妊娠8ヶ月だという女の人も。パニックでポロポロ涙を流していて、みんなで介抱。

そのうち、ラジオをもったひとが逃げてきて、震源が東北太平洋側で大地震だと、初めて知りました。
こういう場合、情報がどんなに大事か、痛いほど感じました。
30分ほどすると少し落ち着いてきて、余震に警戒しながらも、
恐る恐る家に戻りテレビの電源を入れると、いきなりヘリからの津波の中継映像が…。
文字通り口を開けたまま、信じられない気持ちで見入るばかりでした。

今回、自分が防災の備えも心構えも、何もできていないことがよーくわかりました。
非常持ち出し用セットは、3年間いじっていません。しかも、倒れた本棚の下敷きになっていた。
水は2リットルペットボトルに4本用意していましたが、これも1年前の水道水。

生死を分けるものは、運か備えか、訓練か。
すべてがそのようでもあり、そうではないようでもあり。
結局は「生存本能」そのものなのではないか、という気もします。