けろろの「浜あるき・野良あるき」

漁あるところ、農あるところへ、風土のにおいに誘われて、いそいそ出かけています

カネより心意気、農家の梅園

2011-02-27 09:36:11 | 野良あるき
坂田城跡梅林は、九十九里浜に近い横芝光町にある、千葉県最大の梅園。
梅を栽培する農家の組合が、梅の花見に訪れるひとのためにと、
儲けは二の次、サービス精神あふれる接待をしています。

  

売店で売っている上質の梅干は、農家の手作り。
しかも市価の半額ではないかというくらいの安さです。
おまけに、お茶はもちろん郷土料理“しんこ餅の菜雑煮”も、無料でふるまってくれるなんて!!!

広い梅林は、観賞用ではなく、梅の実を収穫するための“農地”。
野菜の畑や、他の果樹園も混じっていて生活のにおいがあり、
偕楽園などの公園とは違う、とっても鄙びたいい味わいになっています。
これは、隠れた名所! 梅まつり開催は、3月13日までです。

春一番

2011-02-26 09:38:18 | 浜あるき
春一番が吹きましたね。
葉山の海はこのとおり、大荒れのサーファー天国(左)。
それが、一夜明けるとべったり(右)。ひと晩でこんなに表情がかわるなんて、ね。

   

借りている元納屋のマイ“小屋”の玄関脇には、春~♪ 

   

裏山にも、ほら。ウグイスのさえずりは聞けなかったけれど、
山道の散策が楽しい季節になりました。

富士山の日

2011-02-23 09:39:12 | 街あるき
2月23日は、語呂合わせで「ふ・じ・さん」の日だそうで。
静岡駅近くの文房具屋さんの店先で売っていた、オリジナル富士山ティッシュカバーのチラシに、
そう書かれていて知りました。富士山の世界遺産登録を県が一丸となって目指そうと、決めたとか。
ちなみにこのカバーは、高級布地使用にて、1800円。

レンタカーのナビに、1日の最初にエンジンをかけると「今日は○月○日。○○の日です」と、
教えてくれるのがあるけれど、いつも「へーぇ」と思う。
いろんな業界のいろんな関係者が、一生懸命「○○の日」を決めて普及に精励努力をしているらしいのが、
とってもけなげな感じがして、わたしはひそかに好きなんです。

去る2月9日、市場を通ったら、お肉屋さんが「にくの日」、お魚屋さんは「ふく(フグ)の日」の
のぼりを出していました。時にはそういう“かぶり”もある。
その日は友人と居酒屋に行ったので、フグの唐揚げ(もちろんトラフグではない)と肉豆腐を注文しました。

しぞーか

2011-02-20 09:45:47 | 街あるき
“しぞーか”こと、静岡に行ってきました。
仕事が早めに終わり、飲みに出るにはまだ早いしなあ…と、ぶらぶらしていたら、
静岡駅前の葵タワー(観光協会の案内所のおばちゃんが「静岡で一番高いビル」と誇らしげ。いいな~)内、
静岡市立美術館で棟方志功展をやっていたので、立ち寄りました。

美術館なんて“文化活動”は、超~久しぶりです。
初期の作品だけれど、釈迦十弟子は、やっぱり好き。
晩年に駿河銀行(だったか?)の依頼で制作した富士山シリーズの展示も。
棟方の富士、初めて見ました。急勾配で分厚い存在感、ピンと張り詰めた空気感。
墨一色のも色鮮やかなのも、どれもみんないいな~と思いました。

ぶらりのつもりが結構じっくり見てしまい、疲れたところで近くの適当な居酒屋へGO!



砂浜が続く駿河湾らしく、ナガラミ(ダンベイキサゴ)。でかい。
これで900円はちょっと高いけど、減っているのかな?
「本日のおすすめ」の中に、イルカの味噌煮。さすが!伊豆半島ではイルカがとれますからね。
でも、聞いて見ると岩手産だというので注文しませんでした。

地酒の「磯自慢」でほろ酔い加減になって、駅前の書店で郷土のコーナーを物色。
ともに静岡新聞社刊の「しずおかいまどきオーダーメイド」と「伊豆水軍」(静岡新書no21)を購入する。
静岡は職人技が生きる、地場産業の町なんです。
江戸時代初期、徳川家が全国から職人を集めて神社を造営した、その名残があるそうです。

ホテルへの帰り道ふと見ると。静岡は足元にも富士山が。しかもカラーで豪華です。

レンタカーの保険、宮崎そして南アフリカのこと

2011-02-19 09:48:17 | 日記
宮崎では、トヨタレンタカーで車を借りました。
ちょうどその早朝に、新燃岳の爆発的噴火があったので、保険の確認をしたところ、
火山弾でガラスが割れた、火山灰で車体が傷ついたなど、火山の被害には一切保険がきかないとのこと。
不可抗力なのに…と、ちょっと残念。

そこで思い出したのが、南アフリカでのこと。
人種差別の紛争時代、ヨハネスブルグでレンタカーを借りました。
その時「黒人居住区での事故や損傷については、保険は一切ききません」と、念押しされたのです。
それくらい“何があっても当たり前”な社会だというわけです。
事実、白人や日本人のような黄色人種が黒人居住区に入り込むことは、
トラブルの火種になる可能性はありました。

また、これはレンタカー会社からの注意ではなかったけれど、
「夜は、街中でも赤信号の交差点で停車するな、物取りに遭うぞ」と、よくいわれました。
信号が黄色になったらスピードを出して突っ切るか、青になるまでノロノロ運転して交差点に入れと。

さてそんなある日。レンタカーを借リ出してすぐ、街の大通りに出たところで赤信号。
日中のことなので、物騒なことはありません。
ところが、青で発進しようとしたら、エンジンがかからない。
じつは、その車はエンジンの点火が2段階で、最初に説明を受けていた気もするけれど、
ちゃんと理解できていなかったのです。

にっちもさっちもいかず、大通りの真ん中で立ち往生していたら、何と……。
通りがかりのアフリカ人(黒人)たちが5、6人、うわーっと集まってきて車にとりつくと、
さっさと路肩の安全な場所に、車を押して移動させてくれました。
それから、エンジンのかけ方を説明してくれて、にこやかに散っていったのでした。

車の保険はきく白人のオフィス街で、保険よりもずっと素晴らしい“親切”という保障をもらったのでした。
“アフリカの心”にふれた思いがした、忘れられない出来事です。