きときと日記

「きときと」とは富山の方言で「ぴちぴち(新鮮な)」という意味。きときとな日々の記録を更新中。

愛しの合掌集落/さよなら、桂

2015-03-09 | 
  

曇り時々晴れのち雨。夜は雨になりました。今日は学校勤務で、夜は家庭教師でした。変わったこともなく、本をあれこれ読んでいるので、今日も本の話題。校長先生にお借りして、柴田英司の「愛しの合掌集落」と、寺崎満雄の「さよなら、桂」を読みました。五箇山のことが書かれた郷土本です。

「愛しの合掌集落」は、写真家の柴田英司さんが撮った写真を中心にまとめられた本です。1966年から2005年までの間、飛騨と五箇山を撮り続けた写真が、とにかくたくさん載っています。どれも白黒ですが、山奥の閉ざされた村で、貧しくも生き生きと暮らす人々の日常が映し出されています。埼玉の写真家のようですが、よくこんなに撮りためたなあと感心します。世界遺産に登録されたことで、観光地化し、開発と保存の狭間で揺れ動く合掌集落。そんな今だからこそ、合掌村の変遷の歴史を残しておきたいと本にまとめたそうです。古き良き村への愛を感じますが、どこか暗いというか重苦しい感じもします。

「さよなら、桂」は上平村の桂分校に勤務した教師、寺崎満雄さんが書いた閉校までの様子です。生徒は4名。6戸の合掌集落からなる桂村。冬には恐ろしい量の雪が積もり、米もあまりとれず、貧しい暮らしですが、住民は知恵を出し、よく働き、助け合いって生きている。そんな中で明るく学ぶ子どもたち。若い先生は、村人から大いに歓迎され、もてなされます。熊の肉や岩魚、木の実や山菜など、山の幸をいただき、獅子舞を踊る。素晴らしいところですが、医者もいないので、病気にかかると大変ですし、雪の猛威は恐ろしく、冬には完全に閉ざされ陸の孤島となります。高齢や病気と戦う中で、最後には全戸が村を離れる決心をし、1970年、学校が閉校となり、村が閉村となります。作者は、あの共同体の豊かさを思い出すことで、今ある世界がどこからもたらされたのか、こうでない道もあったのではないかと想像してみたかったといいます。上述の写真家、柴田英司さんの写真も多数掲載されています。

貴重な資料であり、こうした過去の延長線上に私たちがいるのですが、こうした話が、私の生まれる前の話ではない、というところが、なんとも感慨深いものがあります。
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