きときと日記

「きときと」とは富山の方言で「ぴちぴち(新鮮な)」という意味。きときとな日々の記録を更新中。

人魚の眠る家

2016-01-30 | 


今日は晴れたり曇ったり。父の病院へ行き、家で仕事をし、午後は家庭教師でした。図書館で借りて、東野圭吾の「人魚の眠る家」を読みました。ずいぶん前に予約して、ようやく借りることができました。人気高いですね。脳死判定の話で、重いテーマですが、さすがの東野圭吾、読みやすくて、どんどん引き込まれて読みました。

離婚の話し合いが進む夫婦。娘の小学校受験を前に娘がプールで溺れたという知らせが届きます。娘は心臓は動き出したが、脳は損傷を受けて、意識が戻らないと告げられます。延命措置は受けられますが、脳死判定を行い臓器移植を行うことへの意思を確認されます。意識はないが心臓は動いている、そんな娘を前に、親の判断で脳死判定を決断する。心臓死か脳死か家族が選択するという今の法律に、翻弄される母親の物語です。臓器提供に承諾しようと思った瞬間、娘の手が動いたような気がした母親は、脳死判定を拒否し、心臓死まで娘を看病することに決めます。

娘の体は成長を続け、3年間、生き続けます。夫の会社で開発中の技術を使い、電気を流して、体を動かすこともできるようになりました。しかし、弟はそんな姉のことでいじめられ、つらい思いをしています。周りから、すでに死んでいると言われる娘。では娘にナイフをさせば、殺人になるのか。いったい、いつ、娘は死んだことになるのか。いつかは目覚めると信じ、娘の世話をし続ける母親。愛が生むのは、悲劇か奇跡か。そしてプロローグとエピローグに登場する少年の正体とは。

母親の愛と狂気、周りの人間の戸惑いや苦悩。死とは何か。難しい問題提起に心が痛くなりましたが、東野圭吾流のエンターテイメントで描かれる母親像に一気に読み進めることができました。これもいつか映画化されそうだなと思います。

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