きときと日記

「きときと」とは富山の方言で「ぴちぴち(新鮮な)」という意味。きときとな日々の記録を更新中。

新しい道徳

2015-12-01 | 


今日もちょっと寒いけれど、晴れた一日でした。今日から12月ですね。昼間は学校勤務で、夜は家庭教師でした。今日から父は二泊三日でショートステイに行きました。平和な夜です。図書館で借りて、北野武の「新しい道徳」を読みました。新書サイズの本です。「いいことをすると気持ちがいいのはなぜか」という副題が付いています。小中学校の道徳の教科書や授業につっこみを入れています。あくまで自分の考えで、その考えを誰かに押し付けるつもりはない、と前置きして、辛口トークが続きます。そうそうと笑えるところと、そんなものかなと思うところといろいろですが、北野武が道徳について語っているというのが面白かったです。

いろいろな話が書かれていますが、最初の2つはこんな感じです。『小学校の1・2年生の教材に「自分を見つめて」とあるけれど、罪を犯した人間に自分を見つめろというなら話は分かるが、白い画用紙みたいな、人生がこれから始まるっていう子どもに自分を見つめろだなんて、どういう人間がそういうことを思いつくんだろう。自分を見つめなきゃいけないのは、お前の方だといってやりたい。「いちばんうれしかったことを書きなさい」というのもあって笑ってしまった。小学1年生にいちばんうれしかったこともないだろう。そういうのは歳を取った人がすればいいことで、未知の何かに出会って好奇心を燃やしている子どもに、過去を振り返らせていったいどうしようっていうんだろう。』ふふふ。面白いですよね。

そのあともいろいろな視点で話が展開して、なかなか面白く読みました。後半にはこんなことも書いています。『結局のところ、道徳は自分で身につけるものだ。不思議なもので、成功する人は例外なくあいさつをきちんとするし、それなりの礼儀もわきまえているものだ。向上心があれば、そういうものは自然に身につく。成功する人間は、だいたいそういうもんだろう。』ふむふむ。

道徳の教材って確かにかなり誘導的できれいごとな感じもしますが、教材には、モラル・ジレンマといった、どちらの言い分も一理あるような事例で、考えたり話し合ったりする場面もあって、奥深いなあと思うこともあります。とりあえず、北野流道徳をさらっと楽しく読みました。

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