旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

給食の想い出 – 脱脂粉乳 

2016年08月14日 14時49分44秒 | エッセイ
給食の想い出 – 脱脂粉乳  

 これも50年前の小学校の給食の話。何しろ脱脂粉乳が不味かった、臭かった。飲み終わると、コップの中に変な黒い粉が残った。これのせいで牛乳嫌いになったのは間違いない。残すと怒られるし、液体なのでランドセルに隠せないから、鼻を摘まんで最初に一気に飲む。毎日バリウム検査をしているようなものだ。
 鯨の竜田揚げなんて出たかな。子供にとっては鯨でも豚でも肉は肉、素材が何かなんて気にもしない。それよりクラスに〝エホバの証人〟だかの信者の子がいて、肉を食べないという。へー、何で、肉美味しいじゃん。
 給食は当番制で、月に2-3回白い服を着て給食を作っている所から運んで、給仕をすることになっていた。当番は男女ペア(4人?)だから、好きな子と運よく一緒になれるのかが大問題。ペアともなれば、ヤッター前日、前々日からドキドキものだが、実際に当日ペアになったところでどうということはない。重いナベを一緒に運ぶだけだ。
 給食、美味しかった?そう聞かれても、大して印象は無いな。元々好き嫌いの少ない少年だったしね。そう、シチューが出て珍しい料理だな、と思った。家では食べなかった。あれは美味かった。あとアゲパンは一番の御馳走だった。でも今もう一度、その懐かしい学校給食を食べる?とか聞かれても、全然食指は動かない。
 給食といえば脱脂粉乳になってしまう。あの臭さと不味さは忘れない。アメリカも子供に苦痛を与えてはいかんよ。脱脂粉乳を贈って下さった(贈ってきやがった)のは、ララ物資は1946年11月~1952年6月、ユニセフは1949年~1964年だそうだ。では自分の恨みはユニセフさんか。日本の学校給食では1970年代前半まで供され、その後牛乳に替わったそうだ。北海道では早くから牛乳になったという。いいな。
 脱脂粉乳の商品名はスキムミルク、ってうそだろ。Skim milkは無脂肪乳で、乾燥した粉末の脱脂粉乳とは似ても似つかないものだ。騙されるなよ。昭和30~40年代に学校給食で供されたものは、バターを作った残りの、美味しい所は全部絞り取った残りの廃棄物で飼料用だった。無蓋貨物船でパナマ運河を経由し、いくら粉末でも高温と多湿で傷んだという話しもある。やっぱり腐っていたんだ。そうとしか思えん。恨みは深いぜ。
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昔はスイカが安かった。 

2016年08月11日 12時23分55秒 | エッセイ
昔はスイカが安かった。   

 果物にもハヤリスタリがあるようだ。バイオの技術が発展、流通の革新があって新しい果実が登場した。50年前生のパイナップルは、果実屋の店頭にはなかった。甘いシロップ漬けの缶詰パインはナシ缶と2大勢力で、カゼをひくと開けてもらえた。だから今でもパイン缶、ナシ缶は風邪の記憶と対をなす。ナシの新種、二十世紀が登場して話題を呼んだ。名前もよかったのね。
 マンゴーだのパパイヤだの、後にアジアでたらふく食うが、当時は言葉だけだから味も大きさも分からない。南の島のパンの実、ヤシの実というのと変わらない。ヤシの実はそんなにうまいものじゃあないが、パンの実には未だにお目にかからない。オレンジだのグレープフルーツだのも新しい。グレープフルーツは出始めのころ、実に対して直角で切って小さなスプーンを差し込んで食ったものだ。
 アボガド、キウイ、ネクタリン、名前も知らなかった。あとプリンスメロンも出始めは新鮮だったな。今はメロンの種類も少しずつ変わってゆくようだね。そうだ、ソルダム(好きじゃあない)とかアメリカンチェリーも出てきたね。あとレストランの取り放題のサラダコーナーとかで、始めて食べた冷凍レイシ、楊貴妃の好物というキャッチフレーズは今でも有効なのかな。
 いろいろな果物が流通してくる反面、スイカは食べなくなったな。実の黄色いコダマ、ラグビーボールのような形、外見が黒くて縞模様の目立たないもの、バリエーションは増えたが1個丸ごと買うスタイルは減った。家族の人数が減り、高齢化が進むとスイカの出番は減るばかりか。1個3千円とかありえねー。かといってカットスイカは、量の割に高くて食指を刺激しない。
 昔は果物の種類も今より少なくて、たくさん作っていたんだろう。夏の盛りになると、スイカは値崩れして八百屋に山積みされ、捨て値30円とかで買った覚えがある。当り外れも多くて、母親はよく翌日に八百屋に苦情を言っていた。外から叩いてポンポン、音を聞いてもよくは分からない。結局切ってみて(緊張の一瞬)、ウハ、駄目じゃん、まあまあか、いいねーとなる。でも実が詰まっていても甘いかどうかは別の話だ。
 スイカの皮の白い所を切りだして、ヌカ床に入れて漬けものにした。でも誰かの食べ残しの再利用じゃあなー。スイカは冷蔵庫でキンキンに冷やしてザックザックと切り、縁側に座って種を庭に飛ばす。これが正しい日本の夏だ。おっツクツクホウシが鳴き出した。今夜は庭で花火をやろう。
 今は縁側も山もりのスイカも無くて、アスファルトの照り返しのきついただの暑い夏。窓をしめてクーラーをつければセミの声など聞こえない。蚊取り線香の匂いもない。だからアジアでホっとする。子供の頃の日本の疑似体験が懐かしい。始めて食べる果物もあるし安いし、人々の喜怒哀楽が路上に溢れているからね。
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縁日で迷子

2016年08月11日 12時22分37秒 | エッセイ
縁日で迷子

 上の息子は繊細な子だった。おっとりとしているというか、線が細いというのか。彼は夜盛んに泣いたし、食も細くて好き嫌いが多かった。最初の子で手間がかかる分、大事に育てたよ。彼がようやく歩きだしたころ、動物がらのリュックを背負い、ショッピングモールの角で女学生とぶつかりそうになった。「キャー、キャー、何これ、カワイー!」あの時の女学生も今じゃあオバさんだな。
 ところが下の子は全く違うタイプだった。赤ちゃんの時からデカくてたくましかった。夜はグッスリ、飯はガツガツ。そんなだから、こっちも相当手抜きをして育てた。何しろこの娘は面白い。バカなのか大物なのか、チビのくせにフテブテしくて物に動じない。注意しても平気で聞き流すような所があり、勝手な行動も多かった。幼児のくせに世の中をナメとんのか、君は。
 休日には毎週のように出かけた。縁日とかお祭りとかにもよく行った。上の子は心配ない、いつも親にくっついている。むしろこの子は本当に楽しいんだろうか、とたまに不安になる。何しろ大ていはボーっとしているんだ。下の子が100%楽しんでいるのは疑いない。好奇心が旺盛で、一時もじっとしていない。いつも自信満々で、勝手に動き廻る。
 その日も離れちゃあ駄目、と注意していたのに、ちょっとしたスキに姿が消えた。縁日は暗いし人が多い。ちょうど神社の入り口の所だった。入口に面した道路は、一直線の商店街で両側に屋台が並んでいる。上の子を連れて、妻と手分けして探すが、アレっなかなか見つからない。これは困った、大変な事になりつつある。時間にして5分ほどだったか。見つけやすいように、上の子を肩車して商店街の端から歩きだした。
 ちょうど真ん中くらいまで来て、あっ、同時だった。知らない初老の夫婦の奥さんの方に抱っこされた娘が、固い表情で手を伸ばす。良かったねー、お父さんお母さん見つかって。いやー、冷や汗をかいた。夫婦に重々お礼を言って、おてんば娘を引き取った。重かっただろうなー。その日娘は全然口を利かなかった。数分間だが、余程怖い思いをしたようだ。
その後も彼女の大胆な行動は変わらなかったが、外を歩く時は妻のスカートか俺のズボンを掴んで放さなくなった。
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キャッチボール 

2016年08月11日 12時19分19秒 | エッセイ
キャッチボール   

 子どもとキャッチボールがしたかった。野球をするのはむしろ嫌いな方なのに。ところが上の息子とはチャンスに恵まれず、下の娘とついにやった。娘が小学校五年生くらいの時だった。まずグローブを2つ買ったが、1ヶ千円とは安い。そんな値段で買えるんだ。近くの広いだけが取り柄の公園に行き、キャッチボールをやった。楽しかったー。彼女は力は弱いが、自分よりコントロールが良い。高くフライを上げても見事にキャッチする。ボールを怖がらないのね。その後数回やった。
 この子は中学で柔道、高校でサッカー(キーパー)共にキャプテン、大学ではラクロス(但し選手ではなくトレーナー)とスポーツの道に進むが、チビの時のキャッチボールに素質の良さは現れていた。と、娘自慢をしてもしょーがない。
 しかしあれだね、子供を持って家族の楽しさを知ったな、感謝。親は子供がハシャいで喜べばうれしい。子供に美味しい物を食べさせて、喜べばうれしい。自分がうまい物を食うよりも余計にうれしい。一緒に食べればなお楽しい。外出も旅行もチビ共が一緒だと、大変だが楽しさ倍増だ。子供は予測もつかない行動、言動をするから面白い。パターンに沿わないのね。
 チャッチボールの他にもう一つ、子供と一緒にしたかったことは、一緒にカンフー映画を見る事だった。この希望も何故か娘と果たした。『少林サッカー』『酔拳Ⅱ』楽しさ3倍増だった。今でも娘とTVでスポーツを見るのは楽しい。最近では滅多にないけどね。釣りやら化石探しやら、銭湯やら我が子達と遊ぶのは楽しいが、年頃になれば付き合ってくれなくなる。
 だから年寄りは孫を可愛がるんだろうな。楽しい夢よ、もう一度か。
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取り返しのつかないこと   

2016年08月07日 17時50分07秒 | エッセイ
取り返しのつかないこと   

 やっちまった。取り返しのつかないことを、やっちまった。今そこで顔を赤らめた貴方、そう貴方だよ。いいの、いいの、誰にだってあるんだから。思い当たらんなー、知らないわ、と言う人はとんでもない大嘘つきか、恥を恥とも思わない厚顔野郎or女郎(ジョローじゃなくメローと読んで下さい。)だ。やはりそういうのは思春期、学生時代に多いんじゃあないかな。大人になると感受性がにぶくなるし、顔のつらも厚くなる。
 高校一年くらいの時、休み時間に教室で教壇に立ち、後ろ足で壁をバンバン蹴飛ばした。友達と二人で思い切り何度もやった。何んで?理由なんかない。強いて言えば、そうしたかったの、その時は。さんざん蹴飛ばしたら、それを見ていた割と大人しい生徒が、同じうように蹴飛ばした、バン、バン。そこへ向かいの図書室から、初老の小柄な男性教師が頭から湯気を出す勢いで飛び込んできた。
 「キサマか!」何をやってもタイミングが悪いというか、要領の悪い奴はいるもんだ。最後に蹴飛ばした大人しい生徒が、教師に捕まり耳を掴んで教室から引きずり出された。えっ、俺たちはとっさに目を伏せた。「あいつは現行犯だ、助からない。今更名乗り出ても怒られるのが増えるだけ。」だけどこれは汚い。卑怯極まる振る舞いだし、すこぶる後味が悪い。怒られた(殴られた)生徒は、余計な言いわけをしなかったから、事件はそれで収まったが、彼はその後何日も俺たちと口をきかなかった。
 やはり同じ頃、夏休みの補習授業で数学の教師が言った。この中で幾何と代数、両方赤点(進学校だったので60点以下)を取った者はおるか、手を挙げなさい。俺は両方赤点だったが、とっさに見栄を張って手を挙げなかった。そういう姑息な少年だった。よし今手を挙げた者、後で俺の所に来い。特別に次のテストのヒントを与える。しまった、やっちまった。
 おいおい、大したことないじゃん、取り返しがつかないって。そりゃーそーでしょ、本当にヤバいことが活字に出来る訳ない。

 もっと深刻な後悔は、子供(小学4年位)の時に起きた。庭にしゃがんで、炎天下何時間でも蟻の巣に水を入れ続け、慌てて飛び出てくる蟻たちを殺していた。傍から見たら、何する小僧?だったろう。ところが先日、二階の台所のゴミ箱に進入してきた蟻のスカウト(斥候)を、手にしたライターでサっと炙り殺していた、次々と。換気扇の前でタバコを吸っていたんだが、半世紀近く経っても全く進歩が見られない。
 子供の時、特に昆虫が好きだったとは思えないが、カマキリの卵、クワガタ、ザリガニ、ウシガエルの子と親等を持ち帰っては飼っていた。アゲハの幼虫(毛虫)を持ち帰り、大き目のジャムの空きビン(ガラスのビン)に葉っぱと一緒に入れた。ふたには空気抜きの穴を開けておいたはずだ。ところがそのままビンの事を忘れてしまった。部屋は常に散らかっていたので、ビンはどこかに紛れこんでいった。半年位たって、そのビンを見つけた。何だ、これ。中には中途半端に翅を広げたアゲハがいて、干からびてしまっている。
 うわー、ビンの中で孵化したのか。それでそのままビンにつっかえて死んでしまったのか。子供ながらにショックだった。これこそ、取り返しがつかない事、その時はこれで〝地獄に落ちる〟とまで思った。この事件は今思い出しても、心がチクリと痛みます。
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