旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

タージ・マハル

2017年03月12日 13時12分18秒 | エッセイ
タージ・マハル

 タージ・マハルは知っているね。あの真っ白くて美しい建物は霊廟なんだが、何故印度に墓があるの?ヒンドュー教徒は火葬したら、遺灰はそのままガンガ(ガンジス河)に流しているじゃあないか。タージ・マハルを造った皇帝は、イスラム教シーア派のムガル帝国のお人だったんだ。
 タージ・マハルの四隅に建つ4本の細長い塔はミナレットだ。ミナレットは、お祈りの時間が来たことを知らせるアザームを塔の天辺から流す。でもここはモスクではなくて墓だ。タージ・マハルは誰の墓?いつ何の為に作ったの?知っている人は、まあおさらいだ。ちなみにタージ・マハルの周囲に立つ4本のミナレットは、目に見えないほどの角度で内側に傾いていて、見る人に建物の安定感を与えている。計算された美しさなんだな。葬られるなら、ピラミッドではなくタージ・マハルだな。
 1632年着工、1653年竣工。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーン(世界の王)は、妻をこよなく愛していた。彼の美しい妻の名はムムターズ・マハル。そうタージ・マハルは王妃の名前だ。ムムターズのムムが消え、ターズがインド風に訛ってタージになった。ムムターズ・マハルはペルシャ語で、「宮殿の光」「宮廷の選ばれし者」を意味する。美しくて賢い彼女は、正に帝国の華だった。
 マハルを常に戦場に伴って、シャー・ジャハーンは戦いに勝ち続けた。帝国は最盛期を迎え、南インドをも手中にしようとしていた。しかしマハルは遠征中に、皇帝の14番目の子(姫だった)を出産したのち、産熟熱がもとで38歳にしてこの世を去った。死の床で望みを聞かれた王妃は、「この世で一番美しい墓を作って、そこに葬って下さいな」と言ったとか、言わなかったとか。
 王妃に去られた後のシャー・ジャハーンには、良い事は何一つなかった。あったとしたら、タージ・マハルが完成したことだ。あまりにも死者に膠着するのは考えものだ。2年間喪に服した皇帝は、猛然と霊廟建設に邁進する。タージ・マハルの美しさは、完璧なシンメトリー(対称性)とプロポーション、大理石による純白。白大理石の産地としては、イタリアのカララが有名だが、カララ産の大理石は水と酸に弱くて外部には用いられない。ところが西インドのクンバリアーやマクラーナの白大理石は水にも酸にも強く、最も汚れやすいドーム屋根にまで使うことが出来る。この白大理石があったから、タージ・マハルは出来た。
 タージ・マハルは天上の楽園を模した南北560m、東西303mの長方形の庭園の端に立ち、背後の絶壁の下にはヤムナー川が流れる。庭園には4つの水路と遊歩道があって、水路には天地対称となったタージ・マハルが映る。その美しさは外部だけではない。墓室の透かし彫りには、植物の文様が削り込まれていて、嵌めこまれた一つ一つの石が水晶、めのう、サンゴ、琥珀、碧玉、ダイヤモンド等の精緻な象嵌細工で飾られている。内も外も華美に陥らないシャープで清楚で、気品のある美しさだ。
 シャー・ジャハーンは、タージ・マハルの建設に20年の歳月と2万人の労働力を投入した。世界各地からあらゆる素材と、あらゆる工匠や職人を集めた。インド人、ペルシャ人、トルコ人、アラヴ人、中にはフランスの金細工師やイタリアの宝石工も加わっている。莫大な金を注ぎ込み、国庫は空になった。建設に熱中したシャー・ジャハーンは、政務を全く見なくなり、ついには忠臣たちからも見放された。各地で民族蜂起が起こり、イギリスが侵略を強めた。4人の皇太子は皇位継承を巡って激しく争い、戦いに勝った三男アウラングゼーブによってシャー・ジャハーンはアグラ城の八角の塔に幽閉された。7年の幽閉の後、彼は息を引き取り、愛するムムターズの隣り、タージ・マハルの地下に葬られた。幽閉された塔の窓からは、随分と小さいがヤムナー川のほとりにタージ・マハルが見えた。
 通常、霊廟は庭園の中央に築かれるのだが、タージ・マハルは端、ヤムナー川の断崖に上に建てられた。シャー・ジャハーンは、対岸に対になる自身の廟を、黒大理石で建設し橋でつなぐ計画を持っていた。しかし帝国の傾きがひどく、とてもその計画を赦さなかった。自業自得だから仕方がない。白いタージ・マハルと黒いシャー・ジャハーン廟、完成していたら現在のインド政府にとっては、大変な財産となったことだろう。
 18世紀末~19世紀初頭において、ヒンドュー教徒によって堂内の宝石類が剥ぎ取られ、イギリス東インド会社は丸屋根の上にある頂華を含む金箔を剥がした。そしてイギリス人のインド総督は、タージ・マハルを解体してイギリスで売り払う提案をしている。野蛮人め、これが実行されていたらイギリスは天下に恥をさらすところだった。
 タージ・マハルのあるアグラは、デリーからは約200km、ハイウェイで5時間。特急列車で行くのが良いが、インドで切符を買うのは結構一苦労だ。現在年間400万人(内外国人20万人)の観光客が訪れている。しかし行こうと思う人は、情報を集めてからにしよう。修理中だったり、パキスタンとの関係が悪化すると、空爆の対象となる事を避けるとして偽装がかけられたりするのだ。

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