最初の記憶
人はいくつの時から記憶を持つのだろう。特殊な人は除くよ。お母さんのお腹の中とか前世とか、そういうの素直に信じるよ。信じるけれども一般的ではないよな。幼稚園の運動会、小学校の入学式、そういった行事の記憶は後から母や祖母の話しを聞いて実体験と入れ替わった可能性があるので、今ひとつ確信が持てない。三歳の時に遊んだペットの子犬の記憶は残っている。その犬は引越しに伴って親戚の家に引き取られていったから、この記憶は確かだ。おじいちゃんが死んで葬式の時、人の死は分からないが棺おけのフタを釘で打つのを見て、「なんでそんな事をするの。」と驚き大泣きしたことは良く覚えているが、あれは四歳か五歳にはなっていたんじゃないか。自分はこのおじいちゃんが大好きで、近所の映画館に連れて行ってもらったことをかすかに覚えている。
さて最初の記憶と考えると必ず思い浮かぶシーンがあるのだが、それは断片的なものだ。真夏の海、赤ちゃんの自分は浮き輪に体を入れ、サンサンと輝く太陽の下、暖かい海水につかってキャッキャとはしゃいでいる。すぐ横には幸せそうな父と母がいる。広い海ではなく、自分の周囲3m四方程の明るくて幸せな空間だ。もしこれが実際の海水浴なら、一緒にいたはずのお姉ちゃんは、このシーンには出てこない。この海水浴(?)もしかしてプール?は現実だったのか。今は亡き父母に聞くすべとて無いが、最初の記憶としてこんな楽しいシーンを与えてくれた両親には感謝している。いつも思い出す度に心が温まる。
人はいくつの時から記憶を持つのだろう。特殊な人は除くよ。お母さんのお腹の中とか前世とか、そういうの素直に信じるよ。信じるけれども一般的ではないよな。幼稚園の運動会、小学校の入学式、そういった行事の記憶は後から母や祖母の話しを聞いて実体験と入れ替わった可能性があるので、今ひとつ確信が持てない。三歳の時に遊んだペットの子犬の記憶は残っている。その犬は引越しに伴って親戚の家に引き取られていったから、この記憶は確かだ。おじいちゃんが死んで葬式の時、人の死は分からないが棺おけのフタを釘で打つのを見て、「なんでそんな事をするの。」と驚き大泣きしたことは良く覚えているが、あれは四歳か五歳にはなっていたんじゃないか。自分はこのおじいちゃんが大好きで、近所の映画館に連れて行ってもらったことをかすかに覚えている。
さて最初の記憶と考えると必ず思い浮かぶシーンがあるのだが、それは断片的なものだ。真夏の海、赤ちゃんの自分は浮き輪に体を入れ、サンサンと輝く太陽の下、暖かい海水につかってキャッキャとはしゃいでいる。すぐ横には幸せそうな父と母がいる。広い海ではなく、自分の周囲3m四方程の明るくて幸せな空間だ。もしこれが実際の海水浴なら、一緒にいたはずのお姉ちゃんは、このシーンには出てこない。この海水浴(?)もしかしてプール?は現実だったのか。今は亡き父母に聞くすべとて無いが、最初の記憶としてこんな楽しいシーンを与えてくれた両親には感謝している。いつも思い出す度に心が温まる。