旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

最初の記憶

2015年06月28日 20時32分02秒 | エッセイ
最初の記憶

 人はいくつの時から記憶を持つのだろう。特殊な人は除くよ。お母さんのお腹の中とか前世とか、そういうの素直に信じるよ。信じるけれども一般的ではないよな。幼稚園の運動会、小学校の入学式、そういった行事の記憶は後から母や祖母の話しを聞いて実体験と入れ替わった可能性があるので、今ひとつ確信が持てない。三歳の時に遊んだペットの子犬の記憶は残っている。その犬は引越しに伴って親戚の家に引き取られていったから、この記憶は確かだ。おじいちゃんが死んで葬式の時、人の死は分からないが棺おけのフタを釘で打つのを見て、「なんでそんな事をするの。」と驚き大泣きしたことは良く覚えているが、あれは四歳か五歳にはなっていたんじゃないか。自分はこのおじいちゃんが大好きで、近所の映画館に連れて行ってもらったことをかすかに覚えている。
 さて最初の記憶と考えると必ず思い浮かぶシーンがあるのだが、それは断片的なものだ。真夏の海、赤ちゃんの自分は浮き輪に体を入れ、サンサンと輝く太陽の下、暖かい海水につかってキャッキャとはしゃいでいる。すぐ横には幸せそうな父と母がいる。広い海ではなく、自分の周囲3m四方程の明るくて幸せな空間だ。もしこれが実際の海水浴なら、一緒にいたはずのお姉ちゃんは、このシーンには出てこない。この海水浴(?)もしかしてプール?は現実だったのか。今は亡き父母に聞くすべとて無いが、最初の記憶としてこんな楽しいシーンを与えてくれた両親には感謝している。いつも思い出す度に心が温まる。

危なかったー、海外危機一髪の三連チャン

2015年06月28日 07時03分27秒 | エッセイ
危なかったー、海外危機一髪の三連チャン

 今回はタイトルほどは大したことは無いんですが、こんなリスクもあるんだという皆さんへの警告ね。

その一、高度一万フィート、落下するカバン

 飛行機によく乗る人は知っているよね。『飛行中は上のトダナは開けないで下さい。』ところがやっちゃたんだな。なんで開けたかは覚えていないが、その理由は大よそ検討がつく。当時、貿易会社の営業をやっていて出張で飛行機にはよく乗っていた。最長トランジットの4時間を含めて計25時間がかりで目的地であるチリのサンチャゴに行った事があるし、スケジュールの都合でアメリカから成田トランジット、シンガポールというフライトで、日本に到着しながら空港を一歩も出なかった事もあった。要するにその時は、退屈していたんだ。ちょっと仕事をしておこうと思ったのか、手持ちの文庫本を読み終えて新しい本を出そうとしたかどちらかだね。
 そのころ自分が使っていたアタッシュケースは中身が詰まっていて重かった。持ち運びの出来るPCはまだポピュラーでは無かったので、ファイルにした紙資料が5~6冊、簡易旅行セット、お客さんへの小さなギフト等がアタッシュケースには詰まっていた。以前中東の空港で、預けていたトランクを受け取れなかった事があった。航空会社の手違いでトランクだけがヨーロッパに旅行に出かけてしまい、数日間着替えも無くて困った。それからはアタッシュケースだけで2日程は仕事が出来るようにしていた。
 さて回り道をしたが、どこかの便(南米だったか)で禁断の《飛行中のトビラ開け》をやってしまった。カパっと扉を開放したとたん、アタッシュケースがビュンと飛び出してきた。アっと言う間もなく、前の座席にすっ飛んでいき、座っていた男性の頭を際どくかわして床に落ちた。いきなり後方から耳を掠めて大きな物が落ちてきた人はびっくりしただろうな。後で何度もあやまったが、「当たらなかったんだからいいよ。」と許してくれた。しかし本当に危なかった。本人は見ていないから、あと数センチだったことをよく分かっていないのだろう。上から見ていたらヒエー、あの高さから落下した重量物が後頭部を直撃していたら、ただでは済まなかった。くわばらくわばら。

そのニ、コロンビアの悪党

 コロンビアでは、十年ほど前に限られた車種のブレーキ部品を一回だけ数千万円ポンと買ってくれた客がいた。後にも先にも一度だけ。支払いに何の問題も無かった。しかしその後連絡を取っても返事が来ない。この連絡が途絶えた客を半年かけて探し出し、何とかアポを取り付けた。
 中南米はそれぞれの国ごとに住んでいる人種がまちまちで、混血具合が複雑に入り組んでいる。東南アジアの国々と比べると都会は一見、ずっと近代化していて豊かに見える。しかし貧富の格差は大きくて犯罪率はぐんと高い。殺人が当たり前に行われている。コロンビアの首都、サンタフェ・デ・ボゴタは標高2,640mの高地に位置しているため、赤道に近くても気候は快適だ。
 結論から言うとコロンビアでの商談は成立しなかった。現在に日本車のパーツの需要はなく、過去何で一度だけ大きな注文が成されたのかを覚えている人はいなかった。コロンビアの客はこの一社だけだったので、一泊しただけだったと思う。商談も簡単に終わってしまい、もうこの国での仕事はない。街を散策した。メインストリートはきれいな所で、道行く女性もきれいだ。
 公園のような広場に出たので、石段に座って行き交う人を観察した。そこで目が合ってしまった。情熱のセニョリータとではなく、悪党の一味とだ。マズイ!一味は3~4人いて、明らかに悪党のボスはこちらに来かかっている。今の俺はカモだ。カモネギだ。第六感が体中に訴える。逃げろ!
 しかし今いる場所は広場のはずれで、ホテルはここを突っ切らなくては行けない。ホテルに行くには悪党の前を通らなければならない。ポリスは?いない。その時軍服を粋に着こなした背の高い将校の一団が目に入った。ためらっている時間はない。悪党はこちらに近づいている。「セニョール、そこまでご一緒させて下さい。実はそこにいるギャング共に追われています。」5~6人の軍人が一斉に、自分が指差す方を見た。そこにはギクっとして立ち止まった口ひげのボスと一味がいる。ザマーミロ、動揺していやがる。「いいですよ。お困りなら警察を呼びましょうか?」「ムーチョグラシアス、そこまでご一緒下されば十分です。」助かった。さすがは軍人、スマートだこと。コロンビア国防軍バンザイ。
 さて奴らに捕まっていたら、一体何をされたんだろう。もしかしたら何か買ってくれ、くらいの事だったのかもしれないが、自分の中ではこの時が一番の危機であったと確信している。あんなにゾワゾワといやな気分が湧き上がってきたのは異常だ。その日は未だ陽が高かったが、その後ホテルの外には一歩も出なかった。

 その三、フロリダのカジノ、バアさんのかかと

 遊園地の商売をしている時のこと。フロリダにあるディズニーワールドの近くのホテルに泊まっていた。遊園地の国際ショーがあり、自分の勤めていた会社がショーに出展するため、準備を兼ねて一週間ほど宿泊していた。日本のエンターテインメントと言えば、パチンコ、パチスロは除きゲームメーカー一色だが、世界のテーマパークショーは違う。ジェットコースターやメリーゴーランドといった大型遊具メーカー、小型の遊具メーカー、物販、飲食、電飾、映像等エンターテインメントの裾野が広い。アーケードの電飾一つを取っても遥かに規模が大きくて垢抜けている。
 ある晩、たまたま一人で暇な時間が出来たので、ホテルにあるカジノに行った。主にスロットマシンで運試しをしたが、さっさと運を使い果たし50ドルほどすった。チッいらついていたのだろうな、カジノのドアを開ける手にいつもよりも力が入ったかもしれない。すると前をゆっくり歩くバアさんのかかとにちょっと触れた。「ア、ゴメン、アイムソーリー」当たったという程じゃあない。触れたかな、という位だ。ところがバアさん何やらわめき始めた。こっちはキョトンとしてしまったが、バアさんやけに手際よくカジノの入り口にいた警備員を介してポリスを呼び出し、ホテルの従業員に盛んにクレームをつけている。何、何?まさか今のでケガをしたって言うの?
 「ソーリー、マダム」と言っても、加害者であるはずの俺のことは無視、全く無視(一顧だにせず)して、ホテル側とポリスにまくし立てる。二人で聞いていた内の若い黒人のネエちゃんポリスが俺の方を向いて、肩をすくめて心底アキレタっている表情を浮かべたのには助かった。この娘とは友達になれる。そのネエちゃんポリスが俺の名前と部屋番号を聞いてきたので、とっさに別の番号を書いちゃいました。ゴメンね。でも仕事で来ているのにこんな面倒はイヤだ。その後連絡は来なかった。けれども、ほんの小さな事でも訴訟とかになりかねない社会、ゾっとしたよ。