クメールの呪い
大層なタイトルだが、なんてことはない。若いころに入ったカンボジア難民村の少年たちを思い出すのさ。モーパンやモーワット、スィーパンのことをね。栄養失調で髪の毛が赤茶け、水腹でお腹がプックリ膨らんでいても、彼らは生意気で、あけっぴろげで元気がよく明るかった。
足首に熱帯性潰瘍で木のむろのような穴が開いた幼児は、素っ裸で小さなチンチンをふりふりして、いっぱしに大人と向き合う。夜になると、忍び寄るポルポト兵にロケット砲を撃ち込まれたりするが、ジャングルを切り開いた村には、溜池ありキャッサバ畑あり学校ありで、タイ国内の密集した難民キャンプと比べれば、自由で自然があった。
前にも書いたが、生まれてからこの村にいる子供達は、自分のことを可哀そうとはちっとも思わない。物質的に豊かな生活を知らなければ、今日の自分は当たり前の暮らし、ただの子供だ。週に一度の援助物資の配給に並び、学校のない時は、村はずれで日本人の井戸掘りを見に行く。
日本人の兄ちゃんをからかって遊ぶのは楽しい。自分は、その後帰国して勤め人になり、密林の村や彼らのことを忘れた。でもひょんな時に思い出す。スーパーやコンビニで高級なクッキーやロールケーキなんかを買って食べた時。「ひゃー、旨い。あっこれを今、モーパンに食わせてあげたい。目を丸くして喜ぶだろうな。」一個100円のどら焼きやシュークリームでは、彼らは現れない。滅多に買わない一個250円とかの洋菓子がとても甘くて美味しい時だけだ。
自分一人で食べるのが後ろめたいのかな。197x年のあの村、バンサンゲーに戻って一緒に食べたい。美味しいねって。妻や子に対して、この後ろめたさは出てこない。彼らは、お金があるしコンビニにはいつでも行ける。この思いは、年に何度か、最近では数年に一度、突発的に出る。
これがクメールの呪い、或いはおまじない。でも逆の思いもある。今働いている半夜勤、夜勤の仕事が、一回出ると5千円、1万円に相当するんだ。5千円っていったら、数年前のカンボジアのガイドさんの月給だった。一回出れば一月分、二か月分だ。もちろんこれは意味がない。物価が10倍違うんだから。でもまあ皮膚感覚のようなものだ。大して得した意識はないが、これは
クメールの恩恵なのかな。