「透明な月と蒸発高校生」
幼い頃、僕の回りは全部、透明だった。僕の世界は全部、本物で本当の事ばかりだった。世界は全て美しく透き通っていた。そして、僕は不死身だった。僕の事を何か神聖な、神様だか何かが絶対に守っていてくれている、そんな気がして、それを確信していた。
夏の夕暮れそして夜、秋の夕暮れそして夜、冬の夕暮れそして夜、春の夕暮れそして夜、僕の家には風呂が無かったから、僕はお母さんと手を繋いで近所の銭湯に通った。行きは夕暮れ、帰りは夜、僕の中では思い出はそうなっている。思い出の中で、いつも月が出ていた。
行きは真っ赤で物凄く透明で綺麗なお月様。帰りは真っ青で物凄く透明なお月様。お母さんと僕を行きも帰りも物凄く透明なお月様が追ってきた。ゆっくり歩いても早く歩いても月はどこまでも追っかけてきた。
「ほら、追っかけて来るから追いつかれないように逃げるのよ!」
ってお母さんが言った。
透明な月は、逃げても逃げても追っかけてくるので、僕は怖くなって泣いた。それを見てお母さんがゲラゲラ笑った。僕は泣いたけど、とっても楽しかったんだ。
それから時が流れて、僕は高校生になった。僕の回りは全部、不透明になった。僕の世界は全部、偽者で本当の事は何一つ無くなった。世界は全て醜く濁っている。
僕はすぐに壊れた。僕の事を何か邪悪な、悪意だか何かが絶対に傷つけ、もっともっと壊そうとしている、そんな気がして、それを最近、確信している。
家に風呂があるせいで、夕暮れの月も夜の月も最近は滅多に見ない。たまに見ても月はぼんやり赤かったりぼんやり青かったりで、淀んで見える。濁った月が追いかけて来る。僕はちっとも楽しく無いし、嫌な気しかしない。
毎日毎日、僕は授業が終わり、校舎裏の茂みから伸びている細い道の途中にある祠に行く。そして、その時、とてつもない妄念が僕の頭を横切る。
人間社会で人間として暮らすために、本当は人間の生活において全く不必要であるに違いない、偽善への認識と嘘と蹴落とし合いの受容と全てに対する疑惑だ。妄念はどんどん膨張してゆき、巨大な淀みきった暗雲となって僕の回りをグルグル回って取り囲む。
そして一服する。タバコを吸う。すると、その忌まわしい妄念の暗い渦は僕の回りからしばらく消え去り、しばらく忘れる事ができる。そして、又、僕は偽善と嘘と猥褻まみれの醜い腐敗しきった世界へ戻る。
○
それは現在の日本にとって、苛めや猥褻や虐待、虚偽と悪意と蹴落とし合いの陰湿な汚濁の連鎖が相変らず続く、とてつもなく平凡な日であった。しかし僕にとっては、とてつもなく重大な日なのだ。
僕は前日、その前の日と続けてきた通りに、カバンに教科書をつめ込んでいた。開いた引出しの中には、この間の30点のテスト用紙とNETで引き出したアンチョコのコピーが見えた。僕は口を曲げてバタンと閉めた。そして、いつものように家を出た。
家を出て、100mばかし歩くと、僕は石ころに、つまずいて転んだ。僕は、いつものように駅に着いた。僕は学校とは反対側の電車に乗った。
それきり、僕は蒸発した。
僕は になった。
気持ち良い強い風が吹いてくる。僕は口笛を吹いて、ずぅーっと続いてる草野原と花々の中を、タッタカタッタカ、歩く!僕は口笛を吹いたまま、突然、倒れる。ずっと口笛を吹いている。
草花の上に大の字になって、寝転んで空を見ると、とてつもなく青く澄んでいる。透き通っている!
しばらくして僕は、ゆっくりと腕を立てて、ゴロンと座り込む。花をくわえて、目を閉じる。僕の回りから淀んで濁りきった黒いタールのような雲がすっかり消え失せているのを確信する。
こうしていると思い出す。そう、幼い頃、お母さんと銭湯へ行ってた頃の事。行きの月は物凄く透き通った赤いお月様で、帰りの月は、物凄く透き通った青いお月様だった。僕は無敵で、とても楽しかった。
こうして、しばらく目を閉じていよう。口笛を吹いていよう。風に吹かれていよう。夕暮れになればカラスの声が聞こえるだろう。そうしたら目を開いて月を探そう。きっと幼い頃、銭湯の行きと帰りにお母さんと一緒に見た、あの物凄く透明な美しい月が見つかるに違いない。
綺麗な真っ赤な透明な月を見つけたら、僕は、どこまでも走ろう。そうしたら、きっと、どこまでも月は僕を追いかけて来るだろう。そして夜になったら、きっとお月様は真っ青で物凄く透き通った月に変わるだろう。
そして僕の回りは再び全て透明になり本当になり美しくなり、僕は不死身になる!
きっと天にいる誰かさんは、
あんたを気に入ってくれてるぜぇ!
終
This novel was written by kipple
(これは小説なり。フィクションなり。妄想なり。)