安倍の【戦争体制づくり】を
阻止する使命が、国民の一人一人にある!
戦争未亡人の苦闘の数々…
東芝の正体/核・原発にのめり込み/日本を代表する武器弾薬メーカー!【1%財閥】の恐ろしい真実
「ジャーナリスト同盟」通信
本澤二郎の「日本の風景」(1615)様より
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52068877.html
2014/04/30 02:47
<戦争遺児の悲劇>
友の急死に茫然自失の体である。それは戦争遺児という形容が重なるため、それこそ名状しがたい思いにかられる。
まだ老いているわけではない。新たな飛躍に胸を膨らませていた。
なのに、必死で育て1人前にして社会に送り出した娘との電話中に倒れ、この世と永遠に決別してしまった。
思い残したいことが山ほどあったろう。それも出来なかった。
戦争未亡人が命がけで育てた遺児の最期は、いかにも哀れすぎる。
<天皇の軍刀で死んだ父親>
戦争未亡人のことを、多くの日本人は知っている。
しかし、未亡人が育てた遺児のことについては、関心が薄い。
時には、遺児の子供でさえも気付いていない。
人知れず死闘、屈折しながら成長、家庭生活でまたもまれ続けてきた。
錦を手にしようともがき苦しみながら、という
生い立ちと厳しい生きざまを思いめぐらせると、それでも生き抜いてきた姿に両手を合わせたくなる。
そんな友を奪った悪魔の存在に怒りを覚える。
遺児の父親は、米軍の攻撃を受けてあえなく沈没した。逃げ遅れて沈没船の沈む側に飛び込んで命を落とした。
原因は天皇から“下賜”された軍刀を取りに戻って、逃げ遅れてしまった。
身ごもっていた妻を残しての無念の生涯だった。
偶然、同じ船に筆者の父の弟も乗っていて、死因が判明したものだ。
「天皇の軍刀」さえなければ、軍刀など放置して逃げていれば、助かっていたであろう。
戦争で死ぬと「靖国の英霊」?ふざけるな、と思うのが自然だろう。
伊藤博文の別邸に建てたマンション13階から房総半島を望むと、4月29日の午後は、灰色の雲の下に隠れていて、友の姿を見ることは出来ない。
思うに、安倍が信仰する吉田松陰門下生らは、京都に蟄居していた天皇を神に祭り上げた。
同時に、神道なる神がかりの原始宗教を国教として、
家々に神棚を強要、ごとに無数の神社を建設させ、祭礼と天皇教育を、幼児期から強要した。
そうして軍国主義の日本へと衣替え、侵略戦争を強行した。
この他愛のないカラクリを認識できない日本人が今もいる。隣人の恐怖なのだ。
この幼稚で低級極まりない神道・神社教に、個人ならいざ知らず、
公人である安倍が率先して「神風」を信じ参拝する、
それに殉じる日本人が未だに存在することに、正直なところ、現代人は驚愕するばかりである。
こんな低級宗教でも、いざ国教という権力を傘にかぶると、異様な光を放つのであろう。
日本人の上下全ての精神を支配して、彼らを命じるままに戦場に狩り出した。
第2次世界大戦で300万人の日本人が犠牲になって敗戦を迎えた。
それでも反省も謝罪もすることなく、安倍に言わせると、
それでも「平和祈念」の対象だとうそぶいて「靖国の英霊」?にかしずく。
こんな神がかり日本に明るい未来が到来するだろうか。「いい加減にせよ」と叫びたい心境である。
友は、安倍の所業を忌々しげに眺めていた。
戦争遺児の心情は察するに余りあろう。
その都度、「天皇の軍刀」で逃げ遅れて死んだ、父親の無念を連想したに違いない。
<遺児の足かせに身も心もズタズタ>
遺児の無念を第3者はわからない。わかろうともしない。
それは子供たちも、である。戦争の恐ろしさを、知らない時代の到来に怯える戦争遺児である。
友の父親は、中国大陸で撮影した写真から推察すると、なかなかの好青年である。生まれも育ちも恵まれていた。
当時としては運転の免許も保持していた。美術学校に入り、芸術家の道へと歩み始めていた。
そして助産婦(影山よし)との幸福な結婚生活が始まった。
そんな幸運を靖国戦争が奪ってしまった。日本を代表する彫刻家になっていたかもしれなかった。
そのことを想像すると、友でなくてもいたたまれなくなる。悲劇だ。
そうした日本人が300万人、隣国の人たち数千万人を加えると、
靖国・国家神道の罪の重さを、天文学的数字として測定できるだろう。
安倍は、それでも靖国がいいのだという。
構わないのだが、日本国代表となると、憲法が禁じている。
まともな日本人であれば耐えられそうもない。
日常生活で苦悶を強いられながらの戦争遺児の、圧迫された知られざる人生は、傍からは見えない、わからない。
実際は身も心もズタズタにされている。小さな幸せをつかませたかった。
それが予想外の抵抗を受けて衝撃、張り詰めていた血管が切れて倒れたのだろう。
事実、そうして逝ってしまった。
<戦争未亡人の苦闘の数々>
戦争未亡人は、馬来田村の山村の一番奥深い七曲で生を受けた。
筆者の母親も同じである。小さな雑貨商を営んで生計を立てていた。
当時、このから小学校に通える児童はほとんどいなかった。
「友達はみな家計を助けるため、奉公に出されていた」とよくお袋が語っていた。
その点で、旧姓松本よし(友子の母親)と同じく松本みつ(筆者の母親)は恵まれていた。
後者は高等小学校を卒業すると、裁縫教室に通いながら、花嫁修業をしているが、向学心に燃える前者は親類を頼って上京した。
医師になりたかったというのだから、その気力と能力はすばらしい。
駿河台に今もある浜田病院で助産婦の資格をとった。
「皇室の産婆も手掛けていた」というから、当時としては格式の高い産婆学校だったらしい。
このくだりを説明する時の友の表情は、いかにも誇らしげで、弾んでいたように記憶している。
浜田病院のお墨付きをもらった松本よしは、故郷で一躍話題の産婆さんになって、芸術家志望の若者と一緒になった。
それが侵略戦争で一転、家族を悲劇のどん底へと追い込むのである。
浜田時代の思い出というと、それは大雪が積もった皇居周辺に銃剣をもった兵士の姿を目撃したことだった。
2・26事件の現場を見ていたのである。
友は高校を卒業すると、一時、阿佐ヶ谷の松浦病院に下宿する。
同病院の院長と戦争未亡人に何があったか知らないが、浜田時代に知り合いになっていたかもしれない。
いくつもの再婚話を蹴った未亡人の事情は、今では知る由もない。
いえることは、戦争未亡人の経済力は娘を高校に通わせるまでが限界だった。
今でこそ産婆業は高い評価を得ているが、当時の貧しい農山村では金を払えない家庭が多かった。
ボランティアに毛の生えたような収入だったらしい。
<叫べ!靖国・戦争国家NO>
無数の戦争未亡人を放り出し、そのまた無数の戦争遺児を苦しめた靖国を、誰が信じられようか。
「いかさま宗教の代表ではないだろうか」と信じている国民は多いはずだ。
筆者の1年先輩の友達は、中学校を卒業すると、職人になったものの、
酒に酔いしれる日々に、感じのいい奥さんは、子供を連れて京都の実家に帰ってしまった。
彼の弟は、父親の子供ではなく、祖父の子供だったということを、後年になって知った。姉は離婚後、水商売に入って生活が乱れたという。
やや似たような悲劇を、首相になった竹下登の家庭にも襲いかかったらしい。
戦争未亡人や戦争遺児で、末永く健全な幸福人生を送った者は、ほとんどいないのではないだろうか。
友も、必死で子供3人を見事に育て上げたものの、本当の幸せを目の前にして、
子供に理解されることなく、宝をつかむことなく、2度とない人生を終えて旅立ってしまった。
さぞや無念であったろう。
妹の報告から見える友の人生模様である。
「靖国・戦争・神社・安倍に騙されるな」と友子は叫んでいる。
そう心から思える。
戦争はNOである。
安倍の戦争体制づくりを阻止する使命が、国民の一人一人にある。
友子の死を無駄にしてはならない。
2014年4月30日2時45分記
「ジャーナリスト同盟」通信本澤二郎の「日本の風景」(1615)様より
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52068877.html
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