KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

事件の反対側:金子雅臣『壊れる男たち-セクハラはなぜ繰り返されるのか-』

2008-02-05 12:19:42 | 
最近、巷で「セクハラ」が流行語化している。
セクシュアル・ハラスメントではなく、「セクハラ」。
そもそも「セクハラ」が何の略称なのか、わからない人がいるのではないかと懸念するくらい、流行している。

特にわたしはジェンダーをめぐる問題に敏感なところがあるので、
きっと周囲の男性たちが、わたしに対して「セクハラ」と言うときには、一種の揶揄をこめているのだろうと思う。
しかし、わたし自身の特殊な事情を除いても、
今、「セクハラ」とは本当にどういうことなのか、が見えずらくなっている事態はあると思うので、この本を紹介する。

金子雅臣『壊れる男たち-セクハラはなぜ繰り返されるのか-』(新潮文庫)


わたしは、DVやセクハラに興味があるので、それなりにいろいろな本に目を通しているが、これはわたしが読んできた中で、もっともわかりやすく、かつ、感情的にならずに冷静に事態を見つめた本だ。

当然といえば、当然のことながら、政治家にしろ学者にしろ、DVやセクハラのことを論じたがる主体は、フェミニストの女性であることが多い。
しかし、フェミニストの女性が論ずるDVやセクハラは、どうしても感情的になる。マス集団としての「男性」に対して批判的になる。
その結果、「男性はみんな壊れている」といった乱暴な議論に陥ることになってしまう。(もちろん、そういう急進的な議論が一定の意義を持つことは認める)

その点、この本は著者が男性であることもあり、
「壊れる男」と「壊れない男」の分岐点が論じられている。
現実的に見ると、こういう議論のほうが有効であることは間違いない。
「男性なんてみんな壊れているのよ」と言われたところで、どうしたらいいのかわからないが、「壊れる男」がなぜ壊れてしまうのか、という問題を立てることで、「壊れる男」の出現を回避したり、「壊れる男」から距離を置いたりすることはできる。


もう一点。
この本の良いところは、「セクハラ」をする男性たちの言い分が事細かに記述されているところ。
これは、本当にすばらしい。
実を言うと、この本を初めて読んだとき、男たちのあまりに身勝手な言い分があまりにそのまま記述されているので、(図書館で借りた本なのに)途中で破り捨てたくなった。
(具体的に言うと、「魚心あれば水心」という言い分にキレた。)
それほど、現場のリアリティを失うことなく事例が記述されている。

おそらく、「セクハラ」を経験していない多くの人たちや、加害者予備軍の男性たちにとって、もっともわかりにくいのは、「トレード型」(正式名称を忘れた)の「セクハラ」だと思う。
ようするに「こっちが○○してやってるのだから、許されるだろう」の類。
あるいは、「こちらの要求に応じれば、ポストを昇進させてやる」と、トレードに持ち込む類のもの。

でも、「トレード型」セクハラは、一般的な説明だけだと、どうしてそこまで罪が重いとされるのか、わかりづらい。
だって、代わりに利益も得ているわけでしょう?・・・と、思えてしまう。
でも、それは逆なのだ。
「トレード型」だから罪が重い。
要するに、周囲の理解が得られない。
「あんただって利益を得ているんでしょう?」と周囲の人は思ってしまう。

特に、契約社員から正社員のポスト引き上げに伴うケース(この本の中に紹介されている)なんて、まさにそういうことが生じやすい。
例えば、他の契約社員もいるのに、その人だけが「トレード型セクハラ」によって正社員に昇格したとする。
そうすると、他の契約社員はおもしろくないだろう。
その人だけが「特別扱い」されているように見える。「優遇」されているように見える。
いくら本人が「セクハラ」に苦しんでいたとしても、そう見える。


そういう「セクハラ」のつらさは、具体的な事例の記述からしか見えてこない。
なぜ、「トレード型セクハラ」が罪深いのか、それは一般的な原則によって、一般的な論理によって説明できるものではない。
そのことを、実感させられる本である。


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2 コメント

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Unknown ()
2008-02-05 19:52:44
>「壊れる男」がなぜ壊れてしまうのか

非常に有意義な問いだと思う。
予防医学的観点から見ても(笑)

機会があれば是非、研究したいくらいだ。
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今日 (kimisteva)
2008-02-06 17:24:29
「壊れる男」は関係障害だから、単線的な因果関係でファクターを明らかにして、予防を考えようとする予防医学的観点では無理なんでないかな?
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