KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

Love is not to say sorry

2007-09-19 13:19:51 | 
内田樹『子どもはわかってくれない』を読んでいる。

内田樹氏は、なんというか最近文章を読んだ人の中では、一番、世界をキレイに切り取ってくれる人だと思う。
彼のよく用いる言葉に「クリアカットに説明する」というのがあるが、
この言葉はまさに彼にぴったりだという気がする。


そんな内田氏の本の中で紹介されていた言葉。

Love is not to say sorry.


これは、映画『ある愛の詩』のキャッチコピーである。
日本版で紹介されるとき、
この言葉は、
「愛とは後悔しないこと」と訳された。

でも、どう考えてもそれは誤訳だ。
内田氏のいうように、映画の内容を見てもそれはハッキリとわかる。

「愛とは「ごめんなさい」と言わないこと」

…それが正しい。

すなわち、
人を愛するとは、後から謝らなければならないようなことをしない
…そんな関係を維持することなのだ。
パートナーに対し、頻繁に「ごめんなさい」と言う傾向のあるわたしは、これを見て大いに反省した。

とはいえ、
そんなに完璧な人間同士がお付き合いするわけではないのだから、
それがそこまでうまくいく原理だとは思わない。
それでも基本的には、謝らない関係でいたい。
それは確か。

そうだとすれば、
Love is not to say sorry…とは、
相手に謝らせるようなことをしない、ということをも視野に置いたことばなのかな、と思う。
寛大であることも含めて、お互いに気遣いあえることで謝らない関係を維持することはできたら、それは確かに「愛」と呼ぶにふさわしい関係なのかもしれない。

Love is not to say sorry


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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
大人はわかってくれない (naka)
2007-09-20 18:27:02
こんにちは!たびたび失礼します♪
子どもはわかってくれない、というタイトルを見て、フランソワトリュフォーの大人は判ってくれない
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BA%BA%E3%81%AF%E5%88%A4%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84
を連想しました。もじりかな?何か関係があるのかな?
それはさておき、内田樹は名前を拝見するだけで、残念ながら真剣に読んだ事はないのです。でも、この記事を読んだらなんだか読んでみたくなりましたよ~

Love is not to say sorry
おぼろげな英文法を捨て去り感覚で読むと
「愛は(あなたに)ごめんって言わせない」かなあ?と思いました。kimistevaさんの「相手に謝らせるようなことをしない」に近いような気もします。
そのこころは、
惚れまくって相手のすることに対して限りなく寛容になった結果、何をされても腹が立たないので相手がごめんと言う余地もない…みたいな…?

こういう深読みできる言葉って解釈がいろいろで、その微妙なずれがおもしろいです。
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どうもどうも (kimisteva)
2007-09-20 23:01:42
コメントありがとうございます。

内田樹はフランス現代思想をご専門にしつつ、映画論もご専門になさっているので、当然、フランソワトリュフォーを視野に置いたうえでの「もじり」でしょうね。

内田樹氏は、ものすごくシビアな解釈でした。
後悔するようなこと、謝るようなことをしない緊張関係。それこそが愛するという関係なのだと。

でもわたしだったら、そういう愛され方をしたらちょっと淋しいかな、と思いました。
だって、その人がいったいどこにいるのかわからなくなってしまうものね。
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Unknown ()
2007-09-26 21:09:55
Love is not to sey sorry 良い言葉だね。

私などは、相手に謝ることで、パートナーとの微妙なズレを確認してかえってよろこんでしまうようなところがありますが…。

相手が自分を思ってくれてる、自分の思いも相手に伝わってる、そんな確認の手段としてわりと安易にsorryを使ってしまうのかもしれません。

だけどそれってつまり、微妙な裏切りを繰り返している、ということかもしれません。
だからこそ、sorryと言わない信頼関係が愛、ということになるのかなぁと思いました。

sorryと"言わない"方に関しては、そんなことを思いました。


sorryと"言わせない"方は、また少し違う気がします。

私の場合なんかだと、何をやっても何を言ってもやたらと腹を立ててしまう(気を損ねる)ので、困ることがしばしばあります。
不規則に不機嫌になってsorryを言わせるのは、支配の戦略のような気がしてしまいます。
sorryを聞いて、相手が自分のものであることを確認するような気がします。

そういうsorryは、お互いに言わせたくないですね。

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ご無沙汰です (kimisteva)
2007-09-27 17:12:15
どうもご無沙汰です。
ついに札幌での生活開始ですか?今からだと寒くなるばかりですかね。体調に気をつけてね。

Love is not to say sorry については、
本当に目から鱗!…という感じでした。
とはいえ、ちょっと前のわたしだったら
「なぁに言ってやがんでぃっ!」と言って終わりだったと思うので、
あらためて、本というのは出会うべきときに出会うべき人の前に現れてくるものだなぁと思っています。

>sorryと“言わせない”方
最近、「kimistevaさん、よく(怒らないで)平気ですね」と言われることがやたらと多くなりました。
そんなわたしから見ると、自分が傷ついたりしたときにちゃんと腹を立てたり気を損ねたりする人というのはとてもうらやましいものです。
ホント。嫌味でもなんでもなく。
自分の気持ちを抑えて貯めこんでいるうちはまだ良かった(?)のですが、最近はそもそも感度そのものが落ちている気がして、「それってどうなのだろう?」と思うのです。

喜びにせよ、怒りにせよ、悲しみにせよ、
いろいろなことを新鮮に感じていたいと思うし、そうでないと他人のそういう気持ちが理解できなくなってしまうのではないかという不安を感じています。

そんなわけで最近は自分の心に生じる微細な変化に気持ちを向けるよう訓練中です。
昨日は試しに、神戸のいじめ事件にかんする情報をリサーチしまくって、怒りと悲しみに身をまかせてみました。
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Unknown ()
2007-09-27 17:33:58
その訓練は、私にも是非必要だ。

私もやってみようっと。
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えっ! (kimisteva)
2007-09-27 18:23:31
えっ!

だとしたら神戸のいじめ事件はあんまりオススメしません。
…いや、感情はものすごーく動くので、心の中がツルンとし過ぎてしまった人にはいいのかもしれないのだけど、あまりにもあまりな出来事ばかりなので心が暗くなります。
人間不信で鬱になりやすい人はやめておいたほうが賢明です。

それはともかく、
世界に対する感情を開いておくことってとても大切だなぁと最近になって、しみじみ思います。
わたしにとって美術館はそういう場所です。
自分の感覚や感情をすごく細やかに感じることを許してくれる場…というかね。
だから、美術館が好きなのかなぁ。
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Unknown ()
2007-09-28 10:15:13
私も同じ理由で美術館好きなんです。

非日常を許してくれる限定された守られた空間、です。



昨日、国立新美術館に行ってきました。

安齋重男の現代アート写真展"私・写・禄"良かったですよ!



そうそう、私最近Mixiはじめたのですが、そっちに濃い感想を書いてあるので、もしよかったら見にきてやってください。

私の本名をひらがなで検索すれば出ます。



10月以降は、森美術館の現代アート展とか、ムンクやシャガールも始まるので、お時間が許せばぜひご一緒にいかがでしょうか!?

ちょうど一緒に行く友人を探していたところでした。



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Unknown ()
2007-09-28 10:35:44
すいません。2つ前のコメントで主語が抜けていました。

"何にでも腹を立てる"のはパートナーで、私はそうされて"困る"ということです。



私はなんだかあまりにも傷つきすぎて今や不感症です。

まさに心が凍り付いた感じです。

もうほとんどあらゆることが"大したことない"と思えてしまう。

だから、自分が本当は何を感じているか知る訓練は、私にとって是非とも必要に思えます。

特に、"嫌だ"と思えることは大切だと思うのです。





せっせと美術館行くのも、麻痺した分の感性を少し取り戻したいからかもしれません。



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Unknown ()
2007-09-28 10:36:14
すいません。2つ前のコメントで主語が抜けていました。

"何にでも腹を立てる"のはパートナーで、私はそうされて"困る"ということです。



私はなんだかあまりにも傷つきすぎて今や不感症です。

まさに心が凍り付いた感じです。

もうほとんどあらゆることが"大したことない"と思えてしまう。

だから、自分が本当は何を感じているか知る訓練は、私にとって是非とも必要に思えます。(特に、"嫌だ"と思えることは大切だと思うのです。)





せっせと美術館行くのも、麻痺した分の感性を少し取り戻したいからかもしれません。



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Unknown (kimisteva)
2007-09-28 16:55:19
>美術館
この次の記事でも書いたのですが、水戸芸術館の高校生ウィークこととかも始まりだしたので、それなりに忙しいですがぜひぜひ♪一緒に行きましょう。

そうそう。今年の高校生ウィークも良かったら来てくださいねー。今年は3月6日から4月6日までです。

>傷つきすぎ
傷つきすぎると麻痺してしまう…というはよくわかります。
お互いに気をつけなければいけないですね。
麻痺してしまうことで良い方向に向かうのであれば良いけれど、大抵、悪化することばかりですから。


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