KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

敗因分析レポート

2007-03-07 09:43:15 | フィールド日誌
この3日間でたまっていた仕事をすべて片づけた。
パニックになって泣き出す…という事件の引き金となった院生室の引越し作業も3月中旬までにやるべきところまで終わらせた。
修正再審査判定がきていた某学会誌の論文の修正論文も完成させた。
わたしが編集幹事をしてる某学会誌の仕事も昨日で完了!
専門学校の後期試験の採点も終わって、郵送したし、
補講を受ける人のための講義資料12回分も作成して郵送した。
あとは、今、手元にある別の専門学校に送るべき書類を郵便局にいって出すだけだ。万歳!

ようやく精神的に落ち着いたので、フィールドワーク後半に向けて、これまでの敗因を分析しておきたい。

佐藤郁也氏の言葉を借りて「敗因分析」とは言っているが、
私の場合、得られたデータ量としては昨年とそれほど変わっていない。

① 昨年は、私が知らない過去の高校生ウィークを知るために、いくつかインフォーマル・インタビューを行っていたので、その分、今年はデータ量が落ちるであろうということ。
②「日にち」「人物」「(出来事の)流れ」「エピソード」四項目のうち、「人物」と「流れ」については、昨年ほとんどおさえることができているので、今年はその部分の記述を省略していること

…の二点を考えると、昨年より、むしろ、データ量は増えていることになる。データ量だけ見れば、すでに、昨年の高校生ウィーク終了時と同じくらいのデータが集められているようだ。そのことがこの三日間、フィールドノートなどを見直してわかった。

そのためここでいう敗因とは、主に、精神的なバランスののことを言っている。
なぜ、自分でも抱えきれないほどのストレスを抱え、精神的なバランスを崩してしまったのか。
(少なくとも、昨年はここまでストレスを抱える、ということはなかった。フィールドワーカーとして誰しも経験するような罪悪感を感じることはあっても)


① カフェスタッフの仕事が昨年より忙しいこと
② TMライナー(つくば-水戸間高速バス)の本数激減(往復の交通手段としては使えなくなった)

…による身体的・物理的ストレスの増加は要因の一つとしてあるかもしれない。
しかし、①は私が感覚的にそう思っているだけなのだろうか?
それでもたまに他のカフェスタッフも「(昨年より)お客さんが多くて、スタッフが少ない」という声を聞いたりするから、私だけの思い込みではないのかしら。ここは、よくわからない。もしかしたら、わたしがただ忙しい日に入っているだけ、ということも考えられる。

…とはいえ、こんなことは本当に些細なことだ。自分自身、それほど負担に感じたこともない。
学芸員の方も他のカフェスタッフの方も、いろいろ気を遣って、わたしが仕事の合間にノートを書いていたりすると、さりげなくカフェの仕事のフォローに入ってくれたりする。
もう、本当に、申し訳なく思うくらい、ありがたい。
はっきり言って、こんなにサポートされてるフィールドワーカーなんているだろうか、と思ってしまう。本当にありがたい。
これについては書いてると別の話に移ってしまうので、また今度書くことにする。

一番大きな「敗因」はこれではないかと思われる。


③ カフェの調査に加えて、某高校の鑑賞教育プロジェクトの企画・実施に関わり、かつ、それを調査していること


これを思いついた途端、目から鱗が落ちた気がした。

そうだ。これだ。
このことを対象化しないまま、フィールドワークを続けていたのだから、混乱してストレスを抱えるに決まっている。
なぜ、こんな簡単なことに今まで気づかなかったのだろう。

そうなのだ。
確かに、同じ水戸芸術館の現代美術ギャラリーやワークショップ室を使って、カフェも鑑賞教育プログラムも行われるわけだし、その企画・実施に関わる人々も重なってはいるけれども、これらはまったく別のプログラムなのだ。
そのことに、いまさら、気づいた。

今までは、これを、(同じフィールドにおける)リサーチ・クエスチョン(調査課題)の違いとして捉えてきたから混乱が生じたのだと思う。
カフェと鑑賞教育はまったく別のプログラム、すなわち、まったく別のフィールドであって、これらは別物として分けて考えなければいけなかったのだ。

そう考えると、
わたしはこれまで二つの調査、しかも、タイプが異なる二つの調査―誤解を恐れずに大まかに言えば、学習実態調査と教育実践研究―を同じ時期に同時平行して、行っていたことになる。
当然、その分、データ量は多くなる。
なにしろ、二つのフィールドに参加しているのだから。
そして、その分、一日に記憶しなければいけないデータ量もフィールドノート清書にかかる労力も多いわけだ。
それでは、抱えきれなくてパニックも起こすだろう。

とはいえ、今後もカフェと鑑賞教育は同じ時期に重なるかたちで展開されていくので、対策を考える必要がある。
そのために、ここで、あらためて(特にカフェに関する調査の)調査課題を限定しておこう。


昨年の調査から浮かび上がってきた調査課題、
わたしが昨年のフィールドワーク中に追求していた調査課題は、

●「教えるもの」-「教えられるもの」の反転を支える相互行為、学習環境とはどのようなものか。
●「作り手」- 「受け手」の反転を支える相互行為、学習環境とはどのようなものか。

というものであった。
とりあえずは、カフェ的空間について先行研究で論じられている機能を、実際の具体的な場の中で確認したかった。その中で、学習環境としてのカフェという場やそこでの学習を支える相互行為のパターンが見つけることがわたしの課題だった。

…で、これを研究発表の要旨集や博士論文の中で文章としてまとめていった。前者については、(エピソードの性質上)国語教育という文脈の中で前景化して論じることが難しかったので、これは今年、社会教育・生涯学習関係の学会で発表する予定。

今年は、院生や先生方に「追加調査です~」と言ってなんとなくごまかしてきた。
が、実は今年やろうと思っていたことも、「追加調査」なんていう付属的なものではなかった。
新しい調査課題を探して、それを追求しようと思っていた。
昨年のフィールドノートを見直す中で、いくつか追求しきれていない課題が見えてきていたからだ。
とはいえ、その中で、フィールドの中にいながら、本当にフィールドでの関心のありかたに沿った調査課題は何かを、見きわめるまでがなかなか大変なのだ。

しかし今年は、2月25日に一日フィールドノートもつけずにぼんやりとカフェでボランティアとして過ごしていたら、なんとなくそれが見えてきた(…ような気がした。)

それは、わたしが当初から持っていた関心に一番近いものだ。
もっとも一般的な問いに直すかたちで簡単に言ってしまえば、

●なぜ、リピーターが生じるのか。 

ということである。
でも、これってすごく深い問いだ。
なぜなら、これが青少年の居場所づくりの本質的な部分だと、わたしは思うから。
(とはいえ、国語教育からはどんどん離れていくなぁ…まぁいっか(笑))

青少年リピーターが生じる場所を作る原理がもし明らかになれば、これから先、青少年の居場所づくりプログラムは困らないだろう。…そんなに簡単には行くはずないけど。
それはわかってるけど、
ひとつの事例として、リピーターが生じている具体的な姿を記述して、そこからリピーターの出現を支える環境のデザインを明らかにすることは重要なんじゃないかな。


「高校生ウィーク」の七不思議の一つ(七つもないかもしれないけど)は、リピーターが生じるところにある…とわたしは思う。
なにしろ、基本的には、美術館である。
「一回くれば十分」と思う人のほうが多いだろう。
カフェも、何度もくることを保障するようなものではない。
それなのに、リピーターが生じる。
それはどうしてなのだろう?

今回はこのことを追求していこう。


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