KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

コミュニティづくり考:水戸芸術館現代美術センター教育プログラム「先生のためのツアー」

2008-03-20 22:45:24 | フィールド日誌
先日、水戸芸術館現代美術ギャラリーで行われた「先生のためのツアー」プレ企画に参加。
企画者側として参加していたのは、
芸術館の学芸員の方が3人と、
企画にかかわっているアーティストの方1人。
で、参加者である先生は3人で、
トーカーとして参加していた現職教員のT先生1人を含めると4人くらいなので、まあ企画者と参加者が半々というかんじだった。

こういう状況って、一般的に
「あまりに参加者が少なすぎて、企画として成り立ってない」と思われると思うのだけど、(実際、話し合っている中で、「7・8人」=「参加者が少ない」と語られる場面もあったので)わたしはむしろ、「コミュニティ」を作ろうとするなら、こういう状況こそ大切だよなぁ、と思ってしまう。

わたしたちは「学校」の状況に慣れすぎていると思う。
「一斉教授」というスタイルになれすぎていると思う。

だから、企画者側(=教える側)1に対し、参加者(=学習者)が少なくとも10以上はいないと、なんとなく「参加者が少なすぎるように思えてくる。
でも、「一斉教授」のスタイルでは、コミュニティが形成されない。
1対10だとあまりにも、バラバラな文化を持った個人の比率が多すぎて、コミュニティとして組織されにくい。
(もちろん、「コミュニティを作ろう!」という意識の高い人だったら何人集まろうとコミュニティは形成されるのだけど、通常、そこに集まる学習者はそんな意識ないからね)


「先生のためのツアー」という企画は、おそらく、まったくゼロのところから、企画者側の立案によってコミュニティを創出しようとする試みである。
少なくとも、わたしはそう思った。


そんなこと、理屈で考える人だったらまずやらない
これまでどれだけの学者が「若者の居場所づくり」を唱え、それに失敗してきたことか。
コミュニティを人工的に作り出すことは、「錬金術」に近い。
何もないところから、人間関係を作り出すことなんて果たして本当にできるのか?
その答えは、いまのところ、アカデミックな世界では見出せない。


でも、今ここで、その試みを手探りの感覚だけでやろうとする人たちがいる、というのはなんともスゴイと思った。
たまにアート作品を見ていると、
「わたしがここまで頑張って考えてきた理論を、軽くヒョイと乗り越えてしまうんだから、やっぱりアーティストってすごいよなぁ」と思うけど、まさにそんな感じ。

理屈では乗り越えられない壁を、実践家やアーティストがなんの気なしにヒョイと乗り越えてしまうことがある。

「先生のためのツアー」もきっと、そんなふうになる気がする。
とても楽しみだ。
わたしはいつも、長く長く腰を据えてフィールドで起こることの顛末を見守っているけれど、今回も、そうやって長く長くかかわりながら、「コミュニティ作り」の試みがどうなっていくのかを見守っていきたいなぁと思う。


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