KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

川上弘美『天上大風』

2007-10-19 22:02:33 | Weblog
ごくたまに、ブックオフで100円で買ってしまったことを後悔することがある。
「損をした」「買わなきゃよかった」という意味ではない。(元来、わたしは金銭を使うことに対して過剰に厳格なので、購入したことに対して後悔することはほとんどない。)
そうではなく、その本の持つ価値に対して100円という値段があまりにも低くて、あまりにもアンバランスで、そのことに後悔するのだ。
「こんなことなら、本屋で定価で買っておけばよかった」と。


安い買い物をした、と喜んでおれないあたりが、経済学を志したものの性である。経済学的な視点でいえば、価格はそのものの価値に対する投票のようなものだから。
わたし自身がこの本に100円という価値をつけたみたいで悔しくなるのだ。


前置きが長くなったが、川上弘美『ありがとう』はまさにそんな本だった。
以前買った川上弘美の長編『光ってみえるもの、あれは』は、主人公の男の子がやたらと彼女に欲情するのになんとなく違和感があって最後まで読みきれなかった。


だけど『ありがとう』は良い。
やっぱり川上弘美は、先の見えない淡々とした世界を描いているのがいい。


『ありがとう』は短編集で、わたしの中にストンと入ってくる作品が多かったけれど、なかでも『天上大風』は傑作だった。
『天上大風』は「定見」が持ちにくく、「論理的思考」だけがある「私」の話。
「私」は、「別れてくれ」と言って不倫相手のもとに去っていった元夫のことを「ミヤコさん」に相談したあと、次のように思う。


「定見がないと、かくのごとく行動と気分の間に大きなそごをきたすのである。嘆息どころでは済まぬ。済まぬが、仕方ない。原因があり、結果があり、両者の因果関係がわかれば、気分はおさまらぬが頭は納得する。頭が納得し、気分がおさまらぬ場合、なすべきことは一つ。気分がおさまるまで気分を持ちつづければよいのである
。私は、つつしんで、怒りつづけることを、決定した。」


この文章を見て、笑える人は、きっとわたしと同じようになんとなくいつもフワフワとその場の状況から気持ちが浮いてしまう人なのだと思う。


その場の状況ではなんとなく違和感を感じつつも、よくわからないままに時間が過ぎてしまい、あとからよくよく考えてみて、「アタシ、よく考えるとひどいことされてるね。怒った」と言い出すことが、よくある。

なんとなくその場では気持ちがフワフワ浮いてしまって、その場で怒れるほどのリアリティを持つことができない。そのまま、なんとなくフワフワ時間だけが過ぎてしまう。


だとすれば、わたしも「私は、つつしんで、怒りつづけることを、決定」する必要があるのかもしれない。
いや、むしろすでに日々意識的に実行しているのかも。


そんなことを考えつつ、なんとなくフワフワと、淡々と毎日を生きる。
それもまた、よいのかもしれない。

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