日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

新年のお祓いに参りました

2018-01-21 21:18:39 | 仕事について
こんばんは。
今日は朝から新年のお祓いへ伺わせて頂いておりました。
先ほど(18時半頃)帰宅したところです。
朝の夢というのか、夢の中で何度も車を借りに行くまでのバスに乗り遅れる;;というのを繰り返し見ておりまして;。
夢の中で、あ~、あと5分速ければ間に合っていたのにぃ;という、かなり切羽詰った感じの思いをしておったようです;。
そのせいかどうか目覚ましかけている時間よりかなり早く目が覚め、このまま起きてしまおうと布団から出た朝でした。
昨日よりその布団から身体を出した時の体感がかなり寒く感じられましたね。
明日からまた冷え込むのでしょうか。
そんな日の朝は、まだかなり早いのもあり、このように写りました。
明けの明星、金星も写っていたようですよ。(小さすぎてわかりにくいですけれど;)


                                


                                   





                                  





                                    





実際には始発のバス、と言ってもそこの始発自体が8:05ですので全く早くはありませんが、そこまでの竹やぶを抜けていく道を登りながら
余裕で間に合いました。
正夢にならず、良かったです。(笑)
毎回違う運転手さんで、この路線をそれほど利用しないのもありますが今回は若い運転手さんで他にどなたもお客さんもおられなかったこともあり
出発まで、また週半ばくらいは雪でどうなりますかねぇというような話をしておりました。
かなりの寒気が入るという話ですし、先日も申しましたが坂の多い道はかなり気を遣いながら運転されるようになるのではと感じた次第です。
自分自身これまで乗っていた自家用車はずっと4WDだったのもあり、滑るという怖さをあまり感じたことがありません。
バスと乗用車を比べてもまるで比較になりませんけれど、大きなバスがスリップでもしたらひとたまりもないだろうなと想像するだけで怖い気が
致します。
雪が降れば、またあのジャラジャラジャラという独特の音を響かせながらバスが走るようになるんだろうなぁと思っておるところです。




                                 

 

午前中は若いご夫婦のお宅へ参らせて頂きました。
此処は以前も申しましたが、ある信者さんの娘さんがご結婚されその彼女のお母さんにあるものが当たり、それを神棚に祀る形で神棚を設けて
おられます。
あるものとはこの時期出雲大社で福徳会といういわば神様の福と徳をお授け致しますという形で小さな御守りを皆様にお買い求め頂いております。
その中にいくつか特等から4等までの当たりがあり、特等は小さなお社に金の大国主大神様の御像が坐しますものがあったりとかなりお得?
な当選品があります。
その中で此方へ当選されたのは二等のものであったかと記憶しております。
中のお大国様は銅で出来ておられるものとなります。
そのようなお大国様の入られた小さなお社を白木の箱へ収められており、そのお社の箱自体を申すように神棚として設置頂いておるというわけです。
もう少し丁寧にご説明した方がわかりやすいかと思いますが、すみません;どうにも今日は疲れが出てしまい頭がいつも以上に回りません;。
後日改めてご説明させて頂ければと思います。
ともあれそのように国主大神様を今時の若い方であるにも関わらず、丁寧にお祀り頂いており参らせて頂く此方も非常に嬉しく感じております。
この春には是非とも彼女のお母さん方ともご一緒に出雲大社へ参りましょうと申しておるところです。


午後からは、ここも長年参らせて頂くお宅です。
先だって会社の新年際に参らせて頂いた社長さんのご自宅の方ですね。
これまでは社長のお母様がお一人でウィークデイに対応して下さっておられましたが、お年を召され寒さも堪えるだろうからとこの冬を迎える少し
前から施設へ入られたということもあり、しばらくぶりでご自宅へ戻られた今日にということになられたようでした。
とはいえ前回お会いしたのは九月のお祓いの時でしたので、それほどお変わりはないように見受けられました。
むしろお元気そうになっておられ少し安心させて頂きました。
お住まいは昔ながらの日本家屋でもあり、暖房はしっかりされておられますがおトイレ等にいらっしゃる途中の廊下はやはりこの時期どうしても
冷えますし、お風呂等にしてもお一人で入浴されるよりは周りの人の介助、また目が行き届いておられる方が何かと安心だと仰っておられました。
自分自身、一人で暮らしだしてから時折ふとお風呂でこけてしまったらどうしょう;とか考えることがあります。
自分の場合はまだいらぬ心配のようですけれど、やはりお年を召されればその思いはより以上かと考えます。
そう思うとある程度のお年を召されれば安心出来る場所の方が良いのかもしれないな、と今日参らせて頂いて感じたことでもありました。
とはいえご本人であるその方は、そうは言ってもやっぱり家が一番よ、と話しておられたのも本音の部分かと思います。


行く先々、様々なお宅がおありで当然どちらのお宅も同じような環境では全くありません。
まだまだ腕白なボク達が元気いっぱい暴れるようにして歓待してくださるご家庭も御座いますし、こちらのお宅のように主人の頃からすると30年
以上のお付き合いのお宅もおありです。
けれど、その一軒一軒のご家庭が皆様それぞれに神棚を設けられ、日々祈りと感謝をしておられます。
そのご家庭、神棚を4ヶ月に一度定期的にお祓いに参らせて頂けますことは自分にとり、とても有難いことだなぁと此方の方が感謝致す思いです。
自分自身、それこそまだまだ元気で勤めさせて頂かねばと思いを新たにする気持ちです。





                                  



お伝えしたおことはまだあるのですけれど、申すようになんだかかなり疲れたようでまだ21時過ぎですが、既に今日は眠気を覚えております。
夢で遅刻しそうな気分を味わった分も頭を働かせていたせいでしょうか;。
短いですけれど、今夜はこの辺りでお開きとさせて下さいませ。
本当に頭が働きません;(苦笑)



このようなブログですけれど、今日も変わらずお付き合い頂きましたこと、いつも本当に有難うございます。
感謝申し上げます。
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アーロンやら 空の雲やら

2018-01-20 20:33:44 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
今朝はまた少し靄った感がありましたが、じきに晴れてきてしばらくぶりで青空も見ることが出来ました。
ですが夕方には高層雲も見られるようになり、またお天気が崩れるのかもしれません。
朝はこのような始まりでした。




                                       





                                        





何もない時の;?石ネタでもないですけれど;(苦笑)
これ、何かわかりますか?
大きさはせいぜい数センチ、直径というのか太さというのか、それは1センチほど。
あまり綺麗とは言い難い代物ですけれど、自分自身はとても好きな石です。
これはヒマラヤの水晶、名前はよく覚えておりませんがそれほど有名なものではなく購入した際にもその石屋さんの店先に一皿へ無造作にザラザラ
と入れてあったくらいの物です。
アイスなんちゃら;と確かそんなような名前があったようなそうでないような感じで、もうかなり以前ですので覚えておりません。
大体ヒマラヤ産というともっと高額なものが多く、それは一つの水晶を掘り出すのにもその殆どが手掘りという機械等を用いての作業が出来ない
からだと聞いております。
けれど自分が手に入れたこの水晶は先にも書いたようにその他大勢宜しく、取り扱いもぞんざいで一つ確か千円程度だったかと思います。
値段が非常にという位手頃ですし、これなら自分でも即買えますな気持ちでそのひと山の中から取り出したのがこの水晶でした。
ご覧のようにお世辞にも綺麗とは言えないものですが、自分はヒマラヤで取れた物というだけでなんだか嬉しく、遠いところからわざわざこんな処
まで来てくれんだね、有難うという気持ちで日々眺めております。
最初は水晶の周りが赤い土なのか、もっと薄汚れた感があったのですけれど、しょっちゅう手にしていたりするせいなのかこのところは何とはなし
に初めの頃より透明度が増しているように感じております。
以前はもっと全体的に水晶を通して向こうが透けて見えるように思えなかったものが、気づくと、あれ見えるぞという感じになってるようなんです
よね。
これも申すように握ったりしてるうちに汚れが取れてきたからか?とも思うのですけれど。
買ってから一度も洗うこともしないで、普段はどうかすると寝る頭元へ置いているくらい、ほったらかし;です。
それでも時たま、ためつすがめつ、綺麗だなぁ(と思うのは自分だけですけどね;)と思いつつ、ありがとうねぇと話しかけております;。
まぁ要するに自己満足の世界、ということですね。(笑)



     
                                  





 
                                   




今日も祝詞奏上の後に感じたことを書かせて頂きます。

 頭上 白龍と黒龍 二頭? 二柱?がお互いに嬉しそうに絡まり合いながら舞うように飛んでいる



  〝   動け   〟


 厳島の社へ弥生の十日あまり五日の日、この日くらいに参りたいと思います



  〝   参るがよい 迷うな 恐れるな 

      人が来ようと来まいと そなたの決めたこと 行け   〟 



 龍達もワクワクしているよう



  ‘   参ろうぞ     ’

 ガラスの向こう アーロンの(いつもの)大きな顔



  ‘   参ろう 時既に 満ちておる   ’

 
 別の声? それともアーロン?

 
  “   既に厳島の社では 多くの龍が出迎えたのであろう?

      待っておるぞ

      迷うことなく 進め      ”




   ≪  貴方を待っているのです   ≫


 昨日と同じような高い処からの声
 木花咲耶姫? でもちょっと違う より大きな存在


   ≪  私は誰でもありません 

      貴方が立ち止まっていれば 物事は進みません

      留まることなく 進んで下さい  ≫


 厳島神社でのビジョン? 見えてくる





                                    
                           


先だってお伝えしておりましたように三月に入ると厳島神社へ参らせて頂こうと考えております。
その事を頭の中で伝えると、これは大神なのか動けとの言葉が入って来ました。
確かにしますだの、したいですだのというばかりではそれこそ絵に描いた餅状態、実際に動かねば話になりません。
動けというのは当然ですよね。
その言葉を受けてからか龍達も、殊にいつものごとく神殿の掃き出し窓にその顔をくっつけんほどにして覗き込んでおる金龍のアーロンは以前
厳島神社で数多の龍が歓待してくれたことを話し、彼らもまた待っていると伝えてくれました。
これはもう是が非でも行かねばなりませんね。

そうしてまた昨日と同じように澄んだ声で聞こえてきたのが次の言葉でした。
私は誰でもない、そういうのは果たしてどなたであるのか、今は本当に全くわかりませんけれど、立ち止まっていては物事は進まない、これは
確かにそうです。
龍も、またこの存在も話してくれるようにまずは最初の一歩を踏み出すこと、これに尽きるのかもしれません。
毎回、同じように言葉を変え、また存在そのものも違うけれど同様の内容を伝えてくれておるようです。
ともかく進まねば、ですね。





                                   





                                   






                                   






                                   







                                   





                 
                                   






                                    








                                   








                                   





そんな事を頭の中へ入れながら、夕方また外へ出てみると空では雲が乱舞しているような様相を見せておりました。
なかにはさながら龍よろしく、身体をくねらせて空を行くようにも見える雲もあり、飽くことなく空を眺めておりました。
天女の羽衣とも見紛うような雲や、最後には夕日の向こうからさながら一条の光が射しているようなそんな光景も望めました。
何か天が、空がこのような景色を見せながら何事かを伝えてくれておるようにも感じられたひとときでした。




明日はまた新年のお祓いに出向かせて頂きます。
とはいえ市内は明日、全国男子駅伝が開催されます。
どこが優勝するんでしょうね、どこであっても頑張って欲しい、そう思います。
コースにかかるような道は通りませんし時間帯にも掛からぬとは思いますが、気をつけて行って参りたいと考えております。



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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瞑想で感じたこと   そして水にありがとう

2018-01-19 20:59:38 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
今日は晴れると予報ではいっていたようですが朝から一日どんよりとしたお天気が続きました。
寒くはないのが良かったですけれど、どことなくすっきりしない日でした。
朝はやはりそんな感じの始まりでした。




                                





                                




先だってより話しておりました節分の準備、なんとか始めております;。
もうなかなか腰が重くていけませんね;。
それでも、よしやろうと決めてし始めると案外楽しく出来るのですけれど。
どうやらするまでの気持ちが乗るか乗らないか、という事のようです。
皆さんはこんなことありませんか?
わかっちゃいるけど、止められない、では無く;わかっているけど始められないということ。
ここはやはり自分で自分に気合だ、気合だ、気合だーっ!と追い込むしかないようです。
エンジン掛けるまでが大変って、どうよ;?なところではありますが。
一応順調に準備は進んでおりますので、自分でも一安心、ほっとしておるところです。


そんな準備もひと段落して夕方、いつもの道を散歩して帰りご近所の家庭菜園(結構広いところです)に顔見知りの方の顔が見えたので立ち寄って
みました。
その方とは別に大概いつもある一人の男の方が朝から晩まで来ておられ、何するわけではないのですけれど(いや、畑のことはしておられまし
たが)日がな一日過ごしておられました。
自分自身が此の地へ越してきた折に最初に話しかけて来て下さった方でもあり、何かと畑で採れた野菜などを分けて下さったりしておりました。
畑でもこの方を知らない人はおられず、この方に作り方を聞けば大抵なんでも教えてくれるよ、というほど気さくで楽しい方でした。
男女問わずというか畑へお越しになる方の殆どが結構な年代の方ばかりですし、遠慮せず物も言えるという方でした。
仕事は電気の配線関係とかで自営でもあり、お年を召されても結構あちこちからお声を掛けて頂き、いわば重宝がられていたようです。
その方が此の年末くらいからあまり姿を見かけることが少なくなり、どうされたのだろうと思っておりました。
これまでも仕事の都合で長い間お越しにならないこともありましたけれど、忙しくても夕方くらいには一度は顔を覗かせておられましたので、何か
あったのかなと思わずでもなかったのですけれど。
先ほどの顔見知りの方にその方のことを伺うと、年末に急に遠方へ引越しをされたのだとのこと。
あなた聞いてないの?と言われるので、今初めてその話を聞きましたと答えたほどでした。
これまで色々とお世話になって来ておりましたし、そのように急にどなたにも殆ど何も告げずに行ってしまわれたらしく、その方も驚いておられ
ました。
自分自身もそうですけれど、生きていればというのか、何かしらがあり動かねばならないこともあるものだよなぁ、とつい感じてしまいました。
出会いがあれば別れもあるといいますけれど、何とも切ないものだなぁ、と思えた事でした。
というよりもはっきり言って今ショックで落ち込んでいるところです;。
こういうこともあるんですねぇ。



                                   




そのことは夕方でしたので、朝はいつに変わらず祝詞奏上させて頂き感じたことがありましたので書かせて頂きますね。

 祝詞奏上後、瞑想


 〝   目の前におるぞ  〟


 大神? ずっと何も考えずにいると
 

 “   そなた自身(あなた)に戻りなさい    ” 

 大神とは違う感じ もっと柔らかい けれど神とは違う? でも高いどこかからの声

 頭のチャクラ? いつも以上に激しい程 感じている
 目を閉じた目の前 周り 辺りはものすごいエネルギーがある 溢れているよう
 頭から引っ張られているように感じる
 身体が抜け出てしまいそうになるほど
 目の前に 色は何だろう 赤? 青? 紫?
 塊のように見えるエネルギーの集まり? でも心地よい
 外の音も聞こえるけど
 目を閉じた此処(この空間は)果てしなく続く空間
 エネルギーに満ち溢れた ぎゅっと凝縮したような処 場所
 いつまでも居たいけれど このまま居ると身がもたないようなそんな感じも受ける
 
 頭上の龍

  ‘   我と共に参れ   ’(のような声?)

 威厳のある龍

 波動? 波長の違う領域へ身体が放り込まれた感じ
 戻ってくるのに(実際には静かに座っているだけだけど)かなりエネルギーを使う
 そんな感じ
 これまでに感じたことのない感覚
 突き上がる感じ 身体を抜けていく
 エネルギーは同じようだけど より深い ディープ
  
 深呼吸をしてこちらへ戻ってきても しばらくはぼーっとしてる感じ


 水にありがとうを言ってお供えし
 ありがとうと言って沸かし
 ありがとうと言って飲む
 身体を作ってくれている大部分は水分
 ありがとうを伝える  

 


                                 
                                     



今日は何かの存在から詳しく話しを聞く、レクチャーを受けるというよりも自分自身が感じていた感覚が主でした。
目を閉じて静かにしていると〝我は此処におる〟とばかりに目の前から声を掛けられたように思えました。
我は此処におる、大体大神が何かを仰る際、色々な意味を内包しておることが多く、今日のこの言葉が果たして何を意味しているのかよく考えて
みなければと感じております。
此処に神自身が坐すのだから心配致すな、ということなのでしょうか。
その後も静かに座っておりますと「そなた自身に戻りなさい」という声が聞こえてきました。
女性ともとれるような物腰の柔らかい感じのする声です。
聞くだけで安心できるような、そんな感じでした。
いつもの威厳のある大神の言葉とは全く違う、それでいて高みのある場所から掛けて頂いたとても澄み切った声のように思えました。

その後、いつもこの頃感じる頭のチャクラの上がこれまで以上にザワザワするほどに感じておりました、それこそ頭の上で何かが動いているの
ではないかと思うくらいです。
そのような感覚を覚えながら、目を閉じているその目の前には途轍もないエネルギーが渦巻いているようでした。
なんとも形容がし難いような激しい、けれど躍動感に溢れたような感じです。
そこへ身を置くことすら難しいほどの激しさを感じます。
ともすれば、自分の身体がなんだか頭から抜け出してしまいそうにも感じておりました。
まずい絵を出しておりますが、あのような感じで目の前に赤なのか青なのか、はたまた紫なのか、そんな色の凝縮されたような塊感のあるエネ
ルギーがそこだけぐるぐると渦を巻いているように思えました。
ともかくこれまでに経験したことのないようなエネルギーでした。
とはいえ、申すように実際にはただ静かに神前で座っておるだけです。
身体は此方側にあるのに心、あるいは魂の部分だけがそちら側の世界に入り込んでいるような感覚でした。

いつもいる頭上の龍は「我と共に参れ」というような声を掛けてきたように思えました。
このところフレンドリーに気さくな感じで話しかけてくることが多かったのですけれど今日は以前のような威厳に満ちた感じの、如何にも龍である
と言わんばかりの様相でした。

此処まで述べてきておりますように、何ともいえぬほどの凄まじいような流動的とも感じられるエネルギーの最中(さなか)に放り込まれた
ような感覚がありました。
けれど苦しいなどの感じでは全くなく、むしろ心地よくこれまで経験したことのないような領域に身体が浮いているようでもありました。

そのような処から自分に身体へ戻ってくるのはかなりの深呼吸を繰り返し、なんとか此方側へ帰ってきたという感じでした。
申すようにずっと目を閉じているだけであり、実際には全く動くことなくただ黙って座っているだけです。
それでもそのわずかな時間、そのような体験?をした後は、さながらエネルギー酔いとでもいうのか、ぼーっとした感じが抜けず出来ればしばらく
は横になっておきたいほどでした。
実のところそのままごろんと横になっても良かったのですけれど、今体験したことを書いておかねばすぐに忘れてしまいそうで、ぼんやりとした
ままの頭で、今しがたのことを追体験するかのように思い出しながらノートに書き記しておりました。

このような体験、感覚を受け取ったからといって何か変わったわけでは全くありません。
ただただ自分がこのように感じられたというだけの話です。
けれど静かに座るだけのはずの瞑想で、このような感じを受けたというのは面白い体験でもありました。



その下に書いております ありがとう の言葉については、これは今回自分が直に聞いたことではありません。
以前にも話しましたが、バシャールという宇宙存在の話すことを今多くの方がユーチューブでアップされております。
毎晩その映像を見ておるのですけれど、その中のひとつに昨夜はこの水の話がありました。
同様のことはこれまでにも多く語られており、日本でも水の結晶を写真に写したという有名な写真家の方の話も今回出てきておりました。
その方の話も織り交ぜつつ、自分達の身体の大半は水分で構成されている、その水にありがとうと言う言葉を掛けることはつまりは自分に対しても
ありがとうということに繋がるんだということが話されておりました。
ありがとう という言葉の持つ波動が水の美しい結晶を作り出すということ、その美しい結晶を持った水をそれこそ感謝の気持ちでもって体内に
取り込む時、つまりは頂戴する時、自分の身体の細胞に行き渡る水そのものが素晴らしい役割を果たすのだというような話でした。
水をたくさん飲みなさい、とよく言われますけれど、ただ闇雲に摂取するのではなく水そのものに感謝し ありがとう の言葉を掛けて飲むことに
よりこれまで以上に若々しく健康でいられるということのようです。

考えてみれば地球という惑星、我々の住む星ですけれどその大半が海に覆われております。
生命はこの海から生まれてきたと言われております。
かけがえのない海のはずですけれど、近年目に見えないほどのゴミで汚されつつあるとも聞きます。
せめて自分達が取り込む水については ありがとう の気持ちを持って頂戴し、海へ返る水にも同様にありがとうをいえるほどの綺麗な環境を
いつまでも維持させて行きたい、そう思います。




             
                                   



はっきりしないお天気の今日でしたけれど明日には晴れてくれるでしょうか、それこそ青空を見たいものです。




本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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エーヴィンの話 世界は事足りている?

2018-01-18 21:23:13 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
雨上がりの後、今日はかなり暖かい一日だったようです。
夕方6時前の今でもそれほど寒さをかんじません、けれど来週半ばにはまたもや寒気が入って来るのだとか。
やはりまだまだ季節は冬ですね。
そんな日の朝は案外と晴れており遠くには棚引くような霧も出ておりました。
とはいえ日中は晴れ間も覗きましたが、それほど良いお天気とまでは行きませんでした。





                                    





                                    





                                    




      
                                     



寒中見舞いを書く中に一枚、海外へと出すものがありました。
友人が昨年であったかご主人の海外赴任へ着いて向こうへ行ったとかで、自分自身が取得したばかりのラインのアドレスから彼女に連絡すると
今シンガポールへ着いたばかりだ、と返信が来たことがありびっくりしたことがありました。
しばらく彼女とは音信不通になっておりましたので先だっての連絡先は確か福岡だったけどなと思っていたので余計に驚いたのもあります。
元々ご夫婦共に神戸が本社の会社へ勤めておられ(それぞれが別の会社です)、一時期はご主人のみが東京で一人暮らしとかの単身赴任をされ
お子さんのいない彼女自身も会社勤めを辞めた後は自分で小さいけれど事務所を持ち広告関係の仕事をしていたり、と活躍しておりました。
自分で会社を興した以上は辞めるに辞められないと話してもいたようですけれど、音信不通であったその頃にどこかで踏ん切りをつけたのかも
しれませんね。
おそらく年末に出してくれたであろうクリスマスカードはどうやら船便扱いだったようで年が明けてから我が家に到着し、そのカードから向こう
の住所を今回改めて知ったというわけでした。
今はインドネシア、ジャカルタに居を構えておられるようです。
自分などこれまで一度も海外になど行ったことがなく、せいぜいが紀行番組や今ならグーグルのストリートビューで現地を訪れた気分に浸って
いる程度です;。
彼女自身、向こうでどのように暮らしているのかそこまでは皆目検討も尽きませんけれど、元気で居てくれればなと思うばかりですね。
もっともスカイプ等であれば、今のご時勢、世界のどこにいてもネット環境が調ってさえいれば互いに顔を見ながら話せるのではありますが。
そんな彼女にこちらからも寒中見舞いにはなりませんけれど;、葉書の一葉でも送ろうと文面を書き、さて宛名をと考えると当然日本国内に送る
のとは違いますよね。
これまたネットで検索しながら下手糞なアルファベットを書き連ね;、おおっと最後のインドネシアの文字が入りませんがな;と一人冷や汗を
かきながら、う~んこれではアカン;と感じ、結局は絵葉書ごと封筒へ入れて送ることにしました。
一緒に書いていた節分祭の案内の封書も携えて郵便局までの下界への道(笑)をダウンを着て歩くと最後辺りは汗かくくらい暑かったですよ。
さてインドネシアまでの郵便、この封書ですらエアメール扱いでもなんと90円!
これが小包等の荷物になると途端に高くなるとのことでしたが、これほど安いのならバンバン手紙書いても大丈夫そうですね。
一番早いのは先ほどのスカイプ同様、Eメールすれば即座ですけれど少しだけ日本の空気を取り込んだ?こんな感じの手紙の方が情緒があるかも
しれません。
ま、宛名書きはかなり難儀しそうですけども;。




                                    




今日は祝詞奏上の後、またエーヴィンがやって来てくれました。

 
 〝   やぁ、こんにちは

     今日は自分のしたいことや仕事 それに物について話してみるよ

     今ちょうど外では宅配便のおにいさんが車で配達してるけど 彼はその仕事に就きたかったと思う?

     これはわからないよね

     たとえそうであったとしても 仕事としては今は結構きついよね

     でもこれもある部分 自分の本来のところと関係あることもあるんだよ

     君達がよく言う カルマってやつかな?

     昔 同じような職業に就いていたるすると 結構 今の生でも同じようなことをすることも多いようだね
  
     全てが全てじゃ 無いけれどね

     でも それにこだわらなくてももちろん いいんだよ

     自分が本当は何をしたいのか どうしたいのかで 変わってくるからね

     自分がしたいと思うことに気持ちをフォーカスすると そのように仕事もやってくるようになるんだよ

     嘘だと思ってる?

     気持ちをそこへ集中させなきゃ 難しいかもしれないけれど出来ないことではないんだよ
   
     
     君だってそうでしょう?

     特に物は 君がこんなのが欲しいと思ってたら 今の段階ではお金を払う形ではあるけれど

     殆ど 望むようなものを手にしてるでしょう?

     要は 思いようなんだよ

     
     ところでさっきの配達の話に戻ると どうしてこんなに大変になってるんだろうね

     今 君たちの住む三次元は物自体が溢れるほどになって 局所的に集まってしまってるからなんだ

     これまでと同じ能力 キャパシティーで捌こうとしても出来ないのは当然でしょ?

     だからそこのところの労働をAIが代わりにやっていくようになってくるんだよ

     わかるかな?

     全ては物事が上手く回るようにするには そのように仕組みも自ずと変わってくるといくことだよね

     物が集中するということについては 世界のお金持ちなんかはごく一部の人だけだけど そのようになっているよね

     不公平だと感じてる?

     これも本当は平均して全ての人に 行き渡らせようとすれば出来ないなんてことは無いんだよ

     みんなの気持ちが 最初からそれは無理と決め付けてるから出来ないだけの話なんだ

     本当はこの世界は とても豊かで何もかもが溢れている世界なんだよ

     不足を感じさせているのは どうしてなのか

     少しそこのところを見てみるといいかもしれないね   〟 


 〝   龍との接点?
 
     どうかな?

     同じようなところへいるようで 少し波動が違うようだしね

     でも仲が悪いわけじゃないよ

     またそれも話に来るよ
 
     じゃあ またね  バイバイ  〟
                                  

             


                                      



最近、彼エーヴィンはかなり長く話してくれるようですね。
それでも後に書き起こそうとすると不思議と次から次へと言葉が出てくるように感じます。
まさか自分の脳内、頭で考えていることではないと思うのですけれど;。
というよりも自分で考えたことならばこんな風に立て続けで話が続かないようにも思います。
自分の中に入って来る彼の言葉である、そう思っております。

仕事の話といっても具体的にどうのというようなことではありませんね。
お金の話の時もそうでしたけれど、具体的にはどうすればよいのかというよりも、これはこういうものなんだよという説明をしてくれている
ように思えます。
自分のしたいことへぐっと近づいてみる、フォーカスすることによりその仕事自体が自分の方へ引き寄せられてくるということを話しているの
かもしれないと感じます。
エーヴィンの話を頭で聞きながら、ちょうど家の外では配達に来ておられた宅配便の方の車の音や荷物の運搬の音がしておりました。
これも彼が言うように、宅配便の方がどうしてもしたくてされている仕事であるかと言われたら、さあどうだろうと半分首をかしげるかもしれ
ません。
それほど今の配送に関する仕事は人手以上に荷物が多すぎて、それこそ手に負えない状況になっていると聞きます。
そのような仕事へ、それでもしたくてしてるんだとはとてもいえない昨今の有り様かとも思います。
ここの部分は彼がいうようにいわば前世とでもいう部分でその方の魂が同じようなことをしていたからだよと言っておりましたけれど、これは
自分でもどんなのかな、とも少し感じました。
似たような分野でしていたことを今生でもたまたま選んでしているといわれれば、もしかするとあるかもしれませんけれどね。
ここのところ、次に機会を設けて今一度彼に尋ねてみたいと思います。
もしかすると聞く側の自分の受け取り方が悪いのかもしれませんけれど;。

その配送に事寄せて今の世界の物の有り様と偏りについても述べておりますね。
これもどこでもそうかもしれませんが、有るところには幾らでもあり、無いところには殆どというくらい無いように物も、またお金もなっている
ように思えます。
けれど、実際には偏ることなく全ての人にそれぞれ平等に行き渡るほどの物はこの地球上にはあるんだよ、ということのようです。
此処でもやはり心の持ちようのように言われておりますけれど、気持ちの持ち方次第でといわれると、果たしてそうであるのかしらとつい疑問に
感じてしまいます。
物が溢れているからこそ、あれも欲しいこれも欲しいと常に飢えに似たような感情を抱いていればどうしてもそのような感覚に陥るのかもしれ
ません。
今自分はこれで十二分に事足りている、此処で、この現状で満足している、そう思う心があれば既にたちまちにして満たされた心で穏やかに居られ
るように思います。
最近の若い方はあれもこれもと欲しがるよりも今のままで十分と考えるのは確かにお金そのものが無いからだとも言われておりますが、既に今
此処で幸せだという自分を肯定する力、それが備わっているからではとも感じます。
物を多く持つよりも今のこの在り方そのものを良しとする姿勢、それが本来の幸せの意味なのではとも思います。
そう考えると、世界は十分に行き渡るだけのものはある、そのように言えるのかもしれませんね。

とはいえ、やはり必要な物、入るものはどうしても無いと困りますね。
最近自分自身、こんなのが手に入ればなぁ、と考えていると本当に不思議なほど手にすることが多くなっております。
上でも書いておるように確かにある程度の出費は伴いますが割りと困らない程度の範囲で自分のものになる確率が増えているように感じます。
ただこれも申すようにそれほど高額のものがすんなり、というわけではありません;。
身近に着るような物であるとか肌につける化粧品等であるとか、本当に身の回りの物に関して考えるとそのようになってきているように思えます。
これが全く金銭の支払いが無く手元に来るようになれば、これはかなり引き寄せてますけれどね;。
そこまでには今のところ至っておりませんが、まぁまぁではないのかなとも感じておるところですね。
けれどこれも思い返すと、これくらいの価格であれば良いなぁと薄ぼんやりと考えていると実際にそのくらいの値段で手に入れておりました。
とするなら、やはり自分で設定した価格で引き寄せていたということかもしれません;。
そうならば次からは価格の設定をあえてせずに、自分の手元にくることのみを考えていてみたいと思います。
さて果たして手元に来るでしょうか、自分でも実験のつもりでしてみたいと思います、乞うご期待?!


龍との接点、これは今日郵便局からついでに買い物をして帰る途中にやはり頭の中で龍とも話しており、同様のことをいわれたように思います。
同じようなところへ居るけれど、互いに波動、波長が違うので一緒に何かというのはどうだろうかというような事を言っておりました。
此処の部分も、そのうちこの両者からまたそれぞれに説明があるのかもしれません。
今はそれぞれの存在の、同じ話でもその伝え方の違いを感じ取りながら受け取ってみたいと思います。

                                                       

                                         




今夜はかなり暖かいですね、今はファンヒーターを切っておりますが寒さはそれほど感じられません。 
とは申せ、来週半ばはまた寒気が下りて来るとか。
寒暖の差で体調を崩さぬよう、どなた様もお気をつけ下さいね。



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。  
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今日という日

2018-01-17 19:59:04 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
今日は朝から、というよりも昨夜からの雨が降り続いておりましたが夕方近くになり急速に晴れてきました。
とはいえすっきりと雲が取れたのではなくところどころに青い空が覗く程度でしたけれど、久しぶりの雨に空気も大地も洗われたようで気持ちよく
感じられました。
申すように朝は雨が降っておりましたのでどんよりとして遠くは見えにくかったようです。




                                     
                                   





                                   





昨日、鬼に笑われると言って節分の準備をしなくては、と自分で自分にはっぱを掛けておりましたけれど;如何せん全く未だに手をつけて
おりません;。
どうにも、せなばならないという気はあってもなかなかその気になれず;。
これだとまたお尻に火が着いた頃にようやっと重い腰を上げて、慌てふためいてし出すのかもしれません;。
困ったもんです;。
このやる気にさえなれば、と思うのですけれどどうしたもんだか;。
こういう時、皆さんはどのようにされておられるのでしょうね。
目の前のカレンダーを睨みつつ考えるだけの自分となっております、ああ;。

その代わり?にはなりませんけれど、やっこさで賀状代わりの寒中見舞いを書き上げ投函致しました。
賀状を頂戴致しました皆様、到着まで今しばしのお待ちを。





                                   







先にも書きましたようにまとまった雨は久しぶりで少し水不足であった所もこれでかなり解消できたのではと思います。
やはり水がないと何事にも困りますしね。
夕方歩くとそのように降った雨があちこちの山の尾根や谷からさながら細い煙のように長く棚引くように空へとまた昇って行く様が見て取れます。
さながら地上へ降り立った小さな龍達が、そのようにしてまた天へと帰って行くようでした。
雨上がりならではの光景とも言えますね。




          
                                   





                                   
                                  



今朝も祝詞奏上させて頂き、その時に感じたことを述べさせて頂きます。

 祝詞奏上の後、自分の本来の部分に繋がって皆さんに自分が出来ることをさせて頂かせて下さいと祈る
 特になにも考えず 背後 頭上の龍 白龍 青龍 寄り集っている



   〝   既にそちは その力あり   人々を誘う力なり

       参れ     〟



 という声 龍なのか 早く動きたくて うずうずしている感じ
 頭上 周りは暗い その中から強く眩い光が降り注ぐ
 周りが暗いからこそ 光がわかる
  
                                                                      〝  この光を人々 皆に分け与えよ 伝えて参れ

       そなたなら 出来る

       あちこちへ行き そこでの啓示を受け取れ
   
       力を賜れ     〟




 言葉というより 情報が下りる?
 自分で後で変換 翻訳している感じ

 頭から貫くエネルギー
 下から湧き上がる感じ   

 周りは静か
 雨が上がったのか 鳥が囀る声も聞こえてくる
 特に何も考えず 周りに身を委ねている感じ       



今日の言葉、というのか内容そのものもこれまで言われてきたこととさして変わりはないようにも思います。
いつも話すように、同じことを繰り返し話さなければ自分自身が受け取れないと考えられているのだと、これまた毎回思っております;。
年も改まったことですし、そろそろ何かを始めよう、始めたい、始めなければ、という思いはずっとあります。
上でも述べられているように頭上だか背後だかにおります数多の龍がそれこそ早く動きたくてウズウズしておるようですしね;。
となると、何を始めるかですけれど。

節分を過ぎた後で何処かの神社へのツアーをさせて頂こうかとも考えております。
いきなり遠方ではなくごく近場、とはいえ訪れたいと考えておられるかもしれない厳島神社ほどうだろうか、とぼんやりではありますけれど
頭へ浮かんでおりますよ。
これまで行ってみたいけど一人じゃなぁ、と考えていたそこの貴方!、如何ですか?是非一緒に行ってみられませんでしょうか。 
それほどの人数ではなく、せいぜいが数人程度から始めさせて頂ければとも思っております。
ただし自分自身が広島在住ですので集合場所は広島駅等になるかと考えます。
宮島自体がいつ行っても最近は人が多く、時候の良い頃ですと往復のフェリー等は修学旅行生などで溢れかえるくらいです。
せめてそのような時期を避けてまだ寒い頃かと思いますけれど、三月くらいではどうだろうかとも思います。
ちょっと行ってみたいな、と思われる方がおられましたらば検討してみられて下さいませ。
いつもの観光ルートとはまた違った場所も訪れるかも?しれませんよ。





                                  
                                   






今日という日は今年で二十三年目となる阪神大震災の当日でもありました。
心静かに手を合わせる思いで過ごされた方もおられたかもしれませんね。
あの日のことは神戸から離れている自分たちも忘れることが出来ません。
災害の思い出は年を経る毎に風化させるのではなく、思いを新たにして次代へと受け継いでいかなければそれこそ廃れてしまうものです。
自分自身が覚えておるあの日の記憶、忘れずに繋げていければと思っております。




                                   


本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。      
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