日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

瞑想で感じたこと   そして水にありがとう

2018-01-19 20:59:38 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
今日は晴れると予報ではいっていたようですが朝から一日どんよりとしたお天気が続きました。
寒くはないのが良かったですけれど、どことなくすっきりしない日でした。
朝はやはりそんな感じの始まりでした。




                                





                                




先だってより話しておりました節分の準備、なんとか始めております;。
もうなかなか腰が重くていけませんね;。
それでも、よしやろうと決めてし始めると案外楽しく出来るのですけれど。
どうやらするまでの気持ちが乗るか乗らないか、という事のようです。
皆さんはこんなことありませんか?
わかっちゃいるけど、止められない、では無く;わかっているけど始められないということ。
ここはやはり自分で自分に気合だ、気合だ、気合だーっ!と追い込むしかないようです。
エンジン掛けるまでが大変って、どうよ;?なところではありますが。
一応順調に準備は進んでおりますので、自分でも一安心、ほっとしておるところです。


そんな準備もひと段落して夕方、いつもの道を散歩して帰りご近所の家庭菜園(結構広いところです)に顔見知りの方の顔が見えたので立ち寄って
みました。
その方とは別に大概いつもある一人の男の方が朝から晩まで来ておられ、何するわけではないのですけれど(いや、畑のことはしておられまし
たが)日がな一日過ごしておられました。
自分自身が此の地へ越してきた折に最初に話しかけて来て下さった方でもあり、何かと畑で採れた野菜などを分けて下さったりしておりました。
畑でもこの方を知らない人はおられず、この方に作り方を聞けば大抵なんでも教えてくれるよ、というほど気さくで楽しい方でした。
男女問わずというか畑へお越しになる方の殆どが結構な年代の方ばかりですし、遠慮せず物も言えるという方でした。
仕事は電気の配線関係とかで自営でもあり、お年を召されても結構あちこちからお声を掛けて頂き、いわば重宝がられていたようです。
その方が此の年末くらいからあまり姿を見かけることが少なくなり、どうされたのだろうと思っておりました。
これまでも仕事の都合で長い間お越しにならないこともありましたけれど、忙しくても夕方くらいには一度は顔を覗かせておられましたので、何か
あったのかなと思わずでもなかったのですけれど。
先ほどの顔見知りの方にその方のことを伺うと、年末に急に遠方へ引越しをされたのだとのこと。
あなた聞いてないの?と言われるので、今初めてその話を聞きましたと答えたほどでした。
これまで色々とお世話になって来ておりましたし、そのように急にどなたにも殆ど何も告げずに行ってしまわれたらしく、その方も驚いておられ
ました。
自分自身もそうですけれど、生きていればというのか、何かしらがあり動かねばならないこともあるものだよなぁ、とつい感じてしまいました。
出会いがあれば別れもあるといいますけれど、何とも切ないものだなぁ、と思えた事でした。
というよりもはっきり言って今ショックで落ち込んでいるところです;。
こういうこともあるんですねぇ。



                                   




そのことは夕方でしたので、朝はいつに変わらず祝詞奏上させて頂き感じたことがありましたので書かせて頂きますね。

 祝詞奏上後、瞑想


 〝   目の前におるぞ  〟


 大神? ずっと何も考えずにいると
 

 “   そなた自身(あなた)に戻りなさい    ” 

 大神とは違う感じ もっと柔らかい けれど神とは違う? でも高いどこかからの声

 頭のチャクラ? いつも以上に激しい程 感じている
 目を閉じた目の前 周り 辺りはものすごいエネルギーがある 溢れているよう
 頭から引っ張られているように感じる
 身体が抜け出てしまいそうになるほど
 目の前に 色は何だろう 赤? 青? 紫?
 塊のように見えるエネルギーの集まり? でも心地よい
 外の音も聞こえるけど
 目を閉じた此処(この空間は)果てしなく続く空間
 エネルギーに満ち溢れた ぎゅっと凝縮したような処 場所
 いつまでも居たいけれど このまま居ると身がもたないようなそんな感じも受ける
 
 頭上の龍

  ‘   我と共に参れ   ’(のような声?)

 威厳のある龍

 波動? 波長の違う領域へ身体が放り込まれた感じ
 戻ってくるのに(実際には静かに座っているだけだけど)かなりエネルギーを使う
 そんな感じ
 これまでに感じたことのない感覚
 突き上がる感じ 身体を抜けていく
 エネルギーは同じようだけど より深い ディープ
  
 深呼吸をしてこちらへ戻ってきても しばらくはぼーっとしてる感じ


 水にありがとうを言ってお供えし
 ありがとうと言って沸かし
 ありがとうと言って飲む
 身体を作ってくれている大部分は水分
 ありがとうを伝える  

 


                                 
                                     



今日は何かの存在から詳しく話しを聞く、レクチャーを受けるというよりも自分自身が感じていた感覚が主でした。
目を閉じて静かにしていると〝我は此処におる〟とばかりに目の前から声を掛けられたように思えました。
我は此処におる、大体大神が何かを仰る際、色々な意味を内包しておることが多く、今日のこの言葉が果たして何を意味しているのかよく考えて
みなければと感じております。
此処に神自身が坐すのだから心配致すな、ということなのでしょうか。
その後も静かに座っておりますと「そなた自身に戻りなさい」という声が聞こえてきました。
女性ともとれるような物腰の柔らかい感じのする声です。
聞くだけで安心できるような、そんな感じでした。
いつもの威厳のある大神の言葉とは全く違う、それでいて高みのある場所から掛けて頂いたとても澄み切った声のように思えました。

その後、いつもこの頃感じる頭のチャクラの上がこれまで以上にザワザワするほどに感じておりました、それこそ頭の上で何かが動いているの
ではないかと思うくらいです。
そのような感覚を覚えながら、目を閉じているその目の前には途轍もないエネルギーが渦巻いているようでした。
なんとも形容がし難いような激しい、けれど躍動感に溢れたような感じです。
そこへ身を置くことすら難しいほどの激しさを感じます。
ともすれば、自分の身体がなんだか頭から抜け出してしまいそうにも感じておりました。
まずい絵を出しておりますが、あのような感じで目の前に赤なのか青なのか、はたまた紫なのか、そんな色の凝縮されたような塊感のあるエネ
ルギーがそこだけぐるぐると渦を巻いているように思えました。
ともかくこれまでに経験したことのないようなエネルギーでした。
とはいえ、申すように実際にはただ静かに神前で座っておるだけです。
身体は此方側にあるのに心、あるいは魂の部分だけがそちら側の世界に入り込んでいるような感覚でした。

いつもいる頭上の龍は「我と共に参れ」というような声を掛けてきたように思えました。
このところフレンドリーに気さくな感じで話しかけてくることが多かったのですけれど今日は以前のような威厳に満ちた感じの、如何にも龍である
と言わんばかりの様相でした。

此処まで述べてきておりますように、何ともいえぬほどの凄まじいような流動的とも感じられるエネルギーの最中(さなか)に放り込まれた
ような感覚がありました。
けれど苦しいなどの感じでは全くなく、むしろ心地よくこれまで経験したことのないような領域に身体が浮いているようでもありました。

そのような処から自分に身体へ戻ってくるのはかなりの深呼吸を繰り返し、なんとか此方側へ帰ってきたという感じでした。
申すようにずっと目を閉じているだけであり、実際には全く動くことなくただ黙って座っているだけです。
それでもそのわずかな時間、そのような体験?をした後は、さながらエネルギー酔いとでもいうのか、ぼーっとした感じが抜けず出来ればしばらく
は横になっておきたいほどでした。
実のところそのままごろんと横になっても良かったのですけれど、今体験したことを書いておかねばすぐに忘れてしまいそうで、ぼんやりとした
ままの頭で、今しがたのことを追体験するかのように思い出しながらノートに書き記しておりました。

このような体験、感覚を受け取ったからといって何か変わったわけでは全くありません。
ただただ自分がこのように感じられたというだけの話です。
けれど静かに座るだけのはずの瞑想で、このような感じを受けたというのは面白い体験でもありました。



その下に書いております ありがとう の言葉については、これは今回自分が直に聞いたことではありません。
以前にも話しましたが、バシャールという宇宙存在の話すことを今多くの方がユーチューブでアップされております。
毎晩その映像を見ておるのですけれど、その中のひとつに昨夜はこの水の話がありました。
同様のことはこれまでにも多く語られており、日本でも水の結晶を写真に写したという有名な写真家の方の話も今回出てきておりました。
その方の話も織り交ぜつつ、自分達の身体の大半は水分で構成されている、その水にありがとうと言う言葉を掛けることはつまりは自分に対しても
ありがとうということに繋がるんだということが話されておりました。
ありがとう という言葉の持つ波動が水の美しい結晶を作り出すということ、その美しい結晶を持った水をそれこそ感謝の気持ちでもって体内に
取り込む時、つまりは頂戴する時、自分の身体の細胞に行き渡る水そのものが素晴らしい役割を果たすのだというような話でした。
水をたくさん飲みなさい、とよく言われますけれど、ただ闇雲に摂取するのではなく水そのものに感謝し ありがとう の言葉を掛けて飲むことに
よりこれまで以上に若々しく健康でいられるということのようです。

考えてみれば地球という惑星、我々の住む星ですけれどその大半が海に覆われております。
生命はこの海から生まれてきたと言われております。
かけがえのない海のはずですけれど、近年目に見えないほどのゴミで汚されつつあるとも聞きます。
せめて自分達が取り込む水については ありがとう の気持ちを持って頂戴し、海へ返る水にも同様にありがとうをいえるほどの綺麗な環境を
いつまでも維持させて行きたい、そう思います。




             
                                   



はっきりしないお天気の今日でしたけれど明日には晴れてくれるでしょうか、それこそ青空を見たいものです。




本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
コメント
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