こんばんは。
お正月二日目の朝、気持ちよく明けました。
昨年はこの二日くらいにドカ雪ともいえるほどの雪がこのあたりでは降ったように記憶しております;。
それと比べると、なんとも穏やかな日和で最近では珍しいくらいのお天気に恵まれました。
明日の三日もこのようであってほしいものですけれど、どうなんでしょうね。
そんな二日の朝は、こんな感じでしたよ。
この時は雲が多めでしたけれど、次第に晴れて気持ちよくなって行きました。。
その前の晩、昨夜そうして今夜はまたもやスーパームーンと呼ばれている大きな満月が見えそうですね。
昨夜その満月を撮ってみましたけれど、綺麗な青い月として写せておりました。
ま、何枚も並べることはないんですけれど;、とても綺麗に撮れましたので。
これが望遠鏡等と組み合わせると、スマホでももっと大きくクレーターまで確認出来るくらい撮影出来るらしいのですが、そのような物を持って
おりません;。
以前、おもちゃに近いようなものはあったのですが、どうも度重なる引越しで無くしてしまったようです。
ですので大きなお月様は肉眼で見えるものと殆ど大きさは一緒で写っております。
それでもやはりいつもより大きいなと実感出来るようでした。
昨日の初日の出(あまり感じられませんでしたけれど)、それに夕方からのこの大きな月の出。
朝に天照大神を拝み(おろがみ)夕べに満月の月読尊(つくよみのみこと)を拝することができるというのは、考えてみるとそうあることでは
無いのかもしれない、と感じております。
そう思うと、今年は年初めから何か佳き事がありそうな気もしてきますね。
このところ、上からの言葉を書かせて頂いておりませんでしたが、今日久しぶりでそんな言葉が頭に入って来ましたので書かせて頂きます。
昨年というよりも、ついこの間まで大抵は祝詞奏上後に心落ち着けて言葉を下ろしていた感じでしたが、今日はごく普通にどこでも座って
目を閉じて意識すれば聴こえる感じでした。
此方でよくお名前を出させて頂いております『虹色の空に金色の風の』ブログを書いておられるTomokatsuさんですけれど、彼の今日の光を
感じてくださいというボタンを押して目を閉じると、最近は顕著に頭頂の上あたりがほわほわしてきて、心地よくなります。
そのような事も関連しているのか、少し意識をしただけで、降りてくる言葉を受け取りやすくなったのかもしれません。
ともあれ今日出てきたのは、ご存じイルカのエーヴィンでした。
〝 やぁ、こんにちは 元気?
君達の世界 特にあなたの住む日本には おめでとうっていう 挨拶があるんだよね
でも おめでたい って何だろうね 面白いね 不思議な言葉だね
僕達からすると 時間の制限が無いので 時間に縛られた概念 考え方が
最初から 無いんだよ
でも君達も そろそろ 4次元密度へ 移行すると 言われているね
ただし 全ての人が そうじゃないのも事実だよ
でも 着実に その「時」は進んでいるよ
速い人だと 「3.5次元」くらいまでの感覚を持った人も 出てきているしね
だからといって 焦る事は 無いんだよ
それこそ「時」が来るからだよ
その人にとっての ベストな時 タイミングがやって来るんだから
だから その「時」を逃さないで居てほしいよ
僕らは いつも 此処にいるからね
じゃあね バイバイ 〟
こんな感じで、いつものように気楽に話しかけてくれるようでした。
確かに向こうの世界、4次元?に住む彼らにしてみれば時間の概念、また季節や時節の挨拶といったものもピンと来ないのかもしれませんね。
そう考えると自分達人間、特に日本人は季節や時候の挨拶にも見られるように時の移り変わりを非常に大切にしているのかなとも思います。
この時間枠、3次元という世界では当たり前のような「時」の移ろいですけれど、4次元ではそのような概念すらないといわれておりますね。
想像がつかない部分でもありますが、「過去」と「今」と「未来」という時間経過でしか感じられない時間の流れそのものが無いという世界
だということですよね。
体感的にわかろうとしても、どことなく掴めない感じではあります。
けれども次第にそのような次元へと移行していくということのようですね。
そしてここでも、そこへ移行する際にはその「時」が来るとも言われておるようです。
なかなか、時間と時の概念はわかりそうでわからない感じですけれど;。
そういえば、つい最近ネットで少し前の「インターステラー」という映画を観ました。
映画の中ではこれからの自分達が直面していくであろう世界観を表しているように感じられました。
ご存じの方もおられるでしょうけれど、「時間という枠の外」にいると過去も現在も未来も一つところにあり、それを同時に自分が見られる処へ
位置しているように描かれているシーンがありました。
物語の前後を話さずにそこだけ抜き出して書いてみても、わかりにくい、否全く分からないかとは思いますけれど、一つに連なって流れて行くの
が時間というものだ、という概念そのものを取っ払ってみるとそのようになろのだろうな、という思いがしました。
上のエーヴィンが言っている『時間の制限が無いので 時間に縛られた概念 考え方が 最初から 無いんだよ』という言葉は、まさにこのような
事なのかもしれないと感じております。
時間という「もの」、なのかどうか、それすら考えているとわからなくなりそうですけれど、その枠を取り外した世界は思いもかけぬほど面白い
世界なのかもしれませんね。
科学的な頭の無い自分がこ難しく考えようとするので余計分からなくなりそうな話でした;;。
でもどこか楽しそうです。
そんな世界が、さてそれこそ「いつ」訪れるのでしょうね、これもまた焦らず気長に待ちたいと思います。
最後はやはり煙に巻く話で終わりました;。
今年もこんな感じで推移しそうです。
龍もまたどのようであるのか、対話してみたいと思います。
本日もこのブログへのお付き合い、まことに有難うございました。
感謝申し上げます。
お正月二日目の朝、気持ちよく明けました。
昨年はこの二日くらいにドカ雪ともいえるほどの雪がこのあたりでは降ったように記憶しております;。
それと比べると、なんとも穏やかな日和で最近では珍しいくらいのお天気に恵まれました。
明日の三日もこのようであってほしいものですけれど、どうなんでしょうね。
そんな二日の朝は、こんな感じでしたよ。
この時は雲が多めでしたけれど、次第に晴れて気持ちよくなって行きました。。
その前の晩、昨夜そうして今夜はまたもやスーパームーンと呼ばれている大きな満月が見えそうですね。
昨夜その満月を撮ってみましたけれど、綺麗な青い月として写せておりました。
ま、何枚も並べることはないんですけれど;、とても綺麗に撮れましたので。
これが望遠鏡等と組み合わせると、スマホでももっと大きくクレーターまで確認出来るくらい撮影出来るらしいのですが、そのような物を持って
おりません;。
以前、おもちゃに近いようなものはあったのですが、どうも度重なる引越しで無くしてしまったようです。
ですので大きなお月様は肉眼で見えるものと殆ど大きさは一緒で写っております。
それでもやはりいつもより大きいなと実感出来るようでした。
昨日の初日の出(あまり感じられませんでしたけれど)、それに夕方からのこの大きな月の出。
朝に天照大神を拝み(おろがみ)夕べに満月の月読尊(つくよみのみこと)を拝することができるというのは、考えてみるとそうあることでは
無いのかもしれない、と感じております。
そう思うと、今年は年初めから何か佳き事がありそうな気もしてきますね。
このところ、上からの言葉を書かせて頂いておりませんでしたが、今日久しぶりでそんな言葉が頭に入って来ましたので書かせて頂きます。
昨年というよりも、ついこの間まで大抵は祝詞奏上後に心落ち着けて言葉を下ろしていた感じでしたが、今日はごく普通にどこでも座って
目を閉じて意識すれば聴こえる感じでした。
此方でよくお名前を出させて頂いております『虹色の空に金色の風の』ブログを書いておられるTomokatsuさんですけれど、彼の今日の光を
感じてくださいというボタンを押して目を閉じると、最近は顕著に頭頂の上あたりがほわほわしてきて、心地よくなります。
そのような事も関連しているのか、少し意識をしただけで、降りてくる言葉を受け取りやすくなったのかもしれません。
ともあれ今日出てきたのは、ご存じイルカのエーヴィンでした。
〝 やぁ、こんにちは 元気?
君達の世界 特にあなたの住む日本には おめでとうっていう 挨拶があるんだよね
でも おめでたい って何だろうね 面白いね 不思議な言葉だね
僕達からすると 時間の制限が無いので 時間に縛られた概念 考え方が
最初から 無いんだよ
でも君達も そろそろ 4次元密度へ 移行すると 言われているね
ただし 全ての人が そうじゃないのも事実だよ
でも 着実に その「時」は進んでいるよ
速い人だと 「3.5次元」くらいまでの感覚を持った人も 出てきているしね
だからといって 焦る事は 無いんだよ
それこそ「時」が来るからだよ
その人にとっての ベストな時 タイミングがやって来るんだから
だから その「時」を逃さないで居てほしいよ
僕らは いつも 此処にいるからね
じゃあね バイバイ 〟
こんな感じで、いつものように気楽に話しかけてくれるようでした。
確かに向こうの世界、4次元?に住む彼らにしてみれば時間の概念、また季節や時節の挨拶といったものもピンと来ないのかもしれませんね。
そう考えると自分達人間、特に日本人は季節や時候の挨拶にも見られるように時の移り変わりを非常に大切にしているのかなとも思います。
この時間枠、3次元という世界では当たり前のような「時」の移ろいですけれど、4次元ではそのような概念すらないといわれておりますね。
想像がつかない部分でもありますが、「過去」と「今」と「未来」という時間経過でしか感じられない時間の流れそのものが無いという世界
だということですよね。
体感的にわかろうとしても、どことなく掴めない感じではあります。
けれども次第にそのような次元へと移行していくということのようですね。
そしてここでも、そこへ移行する際にはその「時」が来るとも言われておるようです。
なかなか、時間と時の概念はわかりそうでわからない感じですけれど;。
そういえば、つい最近ネットで少し前の「インターステラー」という映画を観ました。
映画の中ではこれからの自分達が直面していくであろう世界観を表しているように感じられました。
ご存じの方もおられるでしょうけれど、「時間という枠の外」にいると過去も現在も未来も一つところにあり、それを同時に自分が見られる処へ
位置しているように描かれているシーンがありました。
物語の前後を話さずにそこだけ抜き出して書いてみても、わかりにくい、否全く分からないかとは思いますけれど、一つに連なって流れて行くの
が時間というものだ、という概念そのものを取っ払ってみるとそのようになろのだろうな、という思いがしました。
上のエーヴィンが言っている『時間の制限が無いので 時間に縛られた概念 考え方が 最初から 無いんだよ』という言葉は、まさにこのような
事なのかもしれないと感じております。
時間という「もの」、なのかどうか、それすら考えているとわからなくなりそうですけれど、その枠を取り外した世界は思いもかけぬほど面白い
世界なのかもしれませんね。
科学的な頭の無い自分がこ難しく考えようとするので余計分からなくなりそうな話でした;;。
でもどこか楽しそうです。
そんな世界が、さてそれこそ「いつ」訪れるのでしょうね、これもまた焦らず気長に待ちたいと思います。
最後はやはり煙に巻く話で終わりました;。
今年もこんな感じで推移しそうです。
龍もまたどのようであるのか、対話してみたいと思います。
本日もこのブログへのお付き合い、まことに有難うございました。
感謝申し上げます。