こんばんは。
今日は朝から、というよりも昨夜からの雨が降り続いておりましたが夕方近くになり急速に晴れてきました。
とはいえすっきりと雲が取れたのではなくところどころに青い空が覗く程度でしたけれど、久しぶりの雨に空気も大地も洗われたようで気持ちよく
感じられました。
申すように朝は雨が降っておりましたのでどんよりとして遠くは見えにくかったようです。
昨日、鬼に笑われると言って節分の準備をしなくては、と自分で自分にはっぱを掛けておりましたけれど;如何せん全く未だに手をつけて
おりません;。
どうにも、せなばならないという気はあってもなかなかその気になれず;。
これだとまたお尻に火が着いた頃にようやっと重い腰を上げて、慌てふためいてし出すのかもしれません;。
困ったもんです;。
このやる気にさえなれば、と思うのですけれどどうしたもんだか;。
こういう時、皆さんはどのようにされておられるのでしょうね。
目の前のカレンダーを睨みつつ考えるだけの自分となっております、ああ;。
その代わり?にはなりませんけれど、やっこさで賀状代わりの寒中見舞いを書き上げ投函致しました。
賀状を頂戴致しました皆様、到着まで今しばしのお待ちを。
先にも書きましたようにまとまった雨は久しぶりで少し水不足であった所もこれでかなり解消できたのではと思います。
やはり水がないと何事にも困りますしね。
夕方歩くとそのように降った雨があちこちの山の尾根や谷からさながら細い煙のように長く棚引くように空へとまた昇って行く様が見て取れます。
さながら地上へ降り立った小さな龍達が、そのようにしてまた天へと帰って行くようでした。
雨上がりならではの光景とも言えますね。
今朝も祝詞奏上させて頂き、その時に感じたことを述べさせて頂きます。
祝詞奏上の後、自分の本来の部分に繋がって皆さんに自分が出来ることをさせて頂かせて下さいと祈る
特になにも考えず 背後 頭上の龍 白龍 青龍 寄り集っている
〝 既にそちは その力あり 人々を誘う力なり
参れ 〟
という声 龍なのか 早く動きたくて うずうずしている感じ
頭上 周りは暗い その中から強く眩い光が降り注ぐ
周りが暗いからこそ 光がわかる
〝 この光を人々 皆に分け与えよ 伝えて参れ
そなたなら 出来る
あちこちへ行き そこでの啓示を受け取れ
力を賜れ 〟
言葉というより 情報が下りる?
自分で後で変換 翻訳している感じ
頭から貫くエネルギー
下から湧き上がる感じ
周りは静か
雨が上がったのか 鳥が囀る声も聞こえてくる
特に何も考えず 周りに身を委ねている感じ
今日の言葉、というのか内容そのものもこれまで言われてきたこととさして変わりはないようにも思います。
いつも話すように、同じことを繰り返し話さなければ自分自身が受け取れないと考えられているのだと、これまた毎回思っております;。
年も改まったことですし、そろそろ何かを始めよう、始めたい、始めなければ、という思いはずっとあります。
上でも述べられているように頭上だか背後だかにおります数多の龍がそれこそ早く動きたくてウズウズしておるようですしね;。
となると、何を始めるかですけれど。
節分を過ぎた後で何処かの神社へのツアーをさせて頂こうかとも考えております。
いきなり遠方ではなくごく近場、とはいえ訪れたいと考えておられるかもしれない厳島神社ほどうだろうか、とぼんやりではありますけれど
頭へ浮かんでおりますよ。
これまで行ってみたいけど一人じゃなぁ、と考えていたそこの貴方!、如何ですか?是非一緒に行ってみられませんでしょうか。
それほどの人数ではなく、せいぜいが数人程度から始めさせて頂ければとも思っております。
ただし自分自身が広島在住ですので集合場所は広島駅等になるかと考えます。
宮島自体がいつ行っても最近は人が多く、時候の良い頃ですと往復のフェリー等は修学旅行生などで溢れかえるくらいです。
せめてそのような時期を避けてまだ寒い頃かと思いますけれど、三月くらいではどうだろうかとも思います。
ちょっと行ってみたいな、と思われる方がおられましたらば検討してみられて下さいませ。
いつもの観光ルートとはまた違った場所も訪れるかも?しれませんよ。
今日という日は今年で二十三年目となる阪神大震災の当日でもありました。
心静かに手を合わせる思いで過ごされた方もおられたかもしれませんね。
あの日のことは神戸から離れている自分たちも忘れることが出来ません。
災害の思い出は年を経る毎に風化させるのではなく、思いを新たにして次代へと受け継いでいかなければそれこそ廃れてしまうものです。
自分自身が覚えておるあの日の記憶、忘れずに繋げていければと思っております。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
今日は朝から、というよりも昨夜からの雨が降り続いておりましたが夕方近くになり急速に晴れてきました。
とはいえすっきりと雲が取れたのではなくところどころに青い空が覗く程度でしたけれど、久しぶりの雨に空気も大地も洗われたようで気持ちよく
感じられました。
申すように朝は雨が降っておりましたのでどんよりとして遠くは見えにくかったようです。
昨日、鬼に笑われると言って節分の準備をしなくては、と自分で自分にはっぱを掛けておりましたけれど;如何せん全く未だに手をつけて
おりません;。
どうにも、せなばならないという気はあってもなかなかその気になれず;。
これだとまたお尻に火が着いた頃にようやっと重い腰を上げて、慌てふためいてし出すのかもしれません;。
困ったもんです;。
このやる気にさえなれば、と思うのですけれどどうしたもんだか;。
こういう時、皆さんはどのようにされておられるのでしょうね。
目の前のカレンダーを睨みつつ考えるだけの自分となっております、ああ;。
その代わり?にはなりませんけれど、やっこさで賀状代わりの寒中見舞いを書き上げ投函致しました。
賀状を頂戴致しました皆様、到着まで今しばしのお待ちを。
先にも書きましたようにまとまった雨は久しぶりで少し水不足であった所もこれでかなり解消できたのではと思います。
やはり水がないと何事にも困りますしね。
夕方歩くとそのように降った雨があちこちの山の尾根や谷からさながら細い煙のように長く棚引くように空へとまた昇って行く様が見て取れます。
さながら地上へ降り立った小さな龍達が、そのようにしてまた天へと帰って行くようでした。
雨上がりならではの光景とも言えますね。
今朝も祝詞奏上させて頂き、その時に感じたことを述べさせて頂きます。
祝詞奏上の後、自分の本来の部分に繋がって皆さんに自分が出来ることをさせて頂かせて下さいと祈る
特になにも考えず 背後 頭上の龍 白龍 青龍 寄り集っている
〝 既にそちは その力あり 人々を誘う力なり
参れ 〟
という声 龍なのか 早く動きたくて うずうずしている感じ
頭上 周りは暗い その中から強く眩い光が降り注ぐ
周りが暗いからこそ 光がわかる
〝 この光を人々 皆に分け与えよ 伝えて参れ
そなたなら 出来る
あちこちへ行き そこでの啓示を受け取れ
力を賜れ 〟
言葉というより 情報が下りる?
自分で後で変換 翻訳している感じ
頭から貫くエネルギー
下から湧き上がる感じ
周りは静か
雨が上がったのか 鳥が囀る声も聞こえてくる
特に何も考えず 周りに身を委ねている感じ
今日の言葉、というのか内容そのものもこれまで言われてきたこととさして変わりはないようにも思います。
いつも話すように、同じことを繰り返し話さなければ自分自身が受け取れないと考えられているのだと、これまた毎回思っております;。
年も改まったことですし、そろそろ何かを始めよう、始めたい、始めなければ、という思いはずっとあります。
上でも述べられているように頭上だか背後だかにおります数多の龍がそれこそ早く動きたくてウズウズしておるようですしね;。
となると、何を始めるかですけれど。
節分を過ぎた後で何処かの神社へのツアーをさせて頂こうかとも考えております。
いきなり遠方ではなくごく近場、とはいえ訪れたいと考えておられるかもしれない厳島神社ほどうだろうか、とぼんやりではありますけれど
頭へ浮かんでおりますよ。
これまで行ってみたいけど一人じゃなぁ、と考えていたそこの貴方!、如何ですか?是非一緒に行ってみられませんでしょうか。
それほどの人数ではなく、せいぜいが数人程度から始めさせて頂ければとも思っております。
ただし自分自身が広島在住ですので集合場所は広島駅等になるかと考えます。
宮島自体がいつ行っても最近は人が多く、時候の良い頃ですと往復のフェリー等は修学旅行生などで溢れかえるくらいです。
せめてそのような時期を避けてまだ寒い頃かと思いますけれど、三月くらいではどうだろうかとも思います。
ちょっと行ってみたいな、と思われる方がおられましたらば検討してみられて下さいませ。
いつもの観光ルートとはまた違った場所も訪れるかも?しれませんよ。
今日という日は今年で二十三年目となる阪神大震災の当日でもありました。
心静かに手を合わせる思いで過ごされた方もおられたかもしれませんね。
あの日のことは神戸から離れている自分たちも忘れることが出来ません。
災害の思い出は年を経る毎に風化させるのではなく、思いを新たにして次代へと受け継いでいかなければそれこそ廃れてしまうものです。
自分自身が覚えておるあの日の記憶、忘れずに繋げていければと思っております。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。