日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

ちょっと感じたこと

2023-05-05 19:08:08 | ものの見方 考え方
こんばんは。
朝は多少雨が降っていましたが、じきに止みました。
その後は曇り空が広がる日となりました。




















当たり前ですが曇天だとどこを撮ってもあまり変わり映えがしませんね;。
全国的にはかなり気温が上がり、長野では30℃になるかもという、ちょっと信じられないことになっていたようです。
それ以上に石川県の珠洲市でまた震度6強の地震がありましたし、ちょっと大変なことになっていますね。
友人が金沢におりますが、彼女のところは震度4で、それでも結構揺れたのではと思います。
何が嫌って、地震は前触れもなく突然来るから防ぎようがないですよね。
なんらかの兆候、前兆はあるとは言いますが、なかなか分かりにくいものです。
今回は昼間の地震でしたが、夜間にあると暗い分だけ恐怖感も増します。
現地の方々におかれましては、どうか酷い被害がありませんよう、お見舞い申し上げます。





(昨夜の月 寝る前にようやく雲からぼんやりと見えました 手前は電線です)




今日は午前中に買い物に出掛けましたので、簡単な祝詞は奏上して参りましたが、神様の言葉は賜っておりません。
明日以降、またおうかがいさせて頂きたいと思います。
そんな中で、今日のその買い物途中で見かけた事について書かせて頂こうかと思います。
あまり良い話では無いのですが;。

いつものショッピングモールへネコのご飯と人間の食糧を調達しに行き、その人間のご飯を購入していた際の事です。(人間のって;)
うどんやそばが個包装になっている売り場で、その商品を手に取り見ていたのですが、小学生の男の子とその父親が同じようにその商品を手に
していました。
お父さんは今手にしたその商品を投げるようにして戻しました。
え;?とその時感じまして。
まるで要らないものを投げ捨てるようにして放り投げた感じがしたのですよね。
よくある光景?と言えば、そうかもしれませんが、その父親がそのようにして投げた(と感じる)商品はまだ購入前の物であり、この後に別の
方が買う事になるかもしれない商品です。
金額的には百円どころか数十円でしかないその商品。
けれど金額の多寡ではなく、あくまで商品、売り物であるのには相違ありません。
まるで投げて戻すようなことするかなと;。
そんな親が取る行動を隣で見ていたのはその小学生の息子さん。
いずれは彼もそんな風な態度を取るのかなぁと、つい思った出来事でした。
余程、此処で、イヤイヤイヤあなた、これ商品ですから、売り物ですからと言おうかと思いましたが、さすがに止めときました;。
まぁね、こんな事言ってみたところで胡散臭いオバサンと思われるのがオチでしょうし。
けれど子供の手本になれるのは紛れもなく、大人であるその父親かと思います。
些細な事の積み重ねが大事だなと思えた事でした。

書いていて思い出したのでもう一つ。
これはかなり以前の話ですが、街中で聞こえた会話。
ある商業ビル、デパートだったか電器店だったかは忘れましたが、その時は母親と小学生の男の子。
彼がその売り場のトイレへ行こうとした時であったか、母親が、あんまりこんなところのトイレを使うんじゃないのよ、家と違って汚いん
だからね~と伝えています。
子供は、あぁそうなんだぁという感じで聞いていたかと。
その時に感じたのは(またオバサン根性が;)イヤ、あなた、こういうビルのトイレ等の清掃は清掃会社の方、つまりはある意味プロである
方々が日々丁寧に清掃して下さっており、なんならお宅の家のトイレより綺麗ですから、と言ってやりたくなったのでした。(おいおい;)
なんというか、何事も自分の方が正しいと思うのは誰しもでしょうし、こういう風に感じて腹立たしかったのも自分の勝手な思いです。
けれど、何処であれ、自分の方が上の立場であるんだ、あんた達はその下で仕事しているんだという無意識の意識がどこかにあるのかなと
感じたのですよね。
そういう自分は何様よ?と言われそうですが。(なに様でもなく、ただのオバサンですけどね;)

何が言いたいかと言えば、相手への、物への思いやりではないかということです。
あくまで何処であれ、誰であれ、殆ど対等ですよと。
身分の違いはあるでしょうと言われるかもしれませんが、それであっても同じ人間であることは相違ありませんよね。
つまりは相手を、その物を、尊重出来るかどうか、そう言う事なのではとつらつら此処まで書いて来て、我ながら感じたことです。

こどもの日の今日、またもや此処で一人気炎を上げてしまい、誠に申し訳ござらんです;。(ガォ~ッ、ですな)
ちまきでも食べて、空見上げて、な~んかオバサン吠えてるなぁと思っといてやってくださいませ。











お知らせ


ご縁を結びたいと考えておられる方の縁結びと共に、その方を感じて縁結びに相応しいと思える香りを作成させて頂きたいと思います。
普通はご自身がそのようなご祈祷はもちろん神社さんへ参拝されてなさられるのが一番ですし当然かと思います。
しかし参拝したくとも出雲までは難しい、そう思われる方に此方で大國主大神様にお取次ぎのご祈祷を致しまして縁結びの御守り
等もお渡しし更に香りをお付けしようというものです。
玉串料は壱万円とさせて頂きます。
もしお考えの方がおられましたらば、下記までご連絡下さいませ。
追って折り返しご案内申し上げます。


                kimikimiblue13@gmail.com




お悩み等、ご相談事を伺います。
時には神様にお言葉を賜ったりも致します、いわゆる神霊判断も致します。
ご自身の聞いてみたことなどございましたら、ご一報下さいませ。
お悩みにもよりますが5千円から受け付けております。
 




皆様の星読み、並びにマヤやその他の要素も視野に入れてその方ご自身を鑑定させて頂ければと思います。
料金ですが少し改定し壱万円とさせて頂きます。
尚この星読みはヘリオセントリックと言われるもので一般的にいう占星術とは異なり、その方自身がどのような方であるのか
性格等を拝見するもので運勢等は分かりません。
そこのところはご了承頂いた上でお願い申し上げます。
ご要望の方は上記までご連絡下さいませ、お待ち致しております。





ご自身のパーソナルな龍、その方だけの龍としての香りを作成させて頂きます。
その方が日頃感じておられること、また時にはその方の生年月日等もお伺いし、そこから大神様にもお伺いすること等も含めて
一体その方の龍がどのような龍であられるのかを判断させて頂きます。
それを踏まえてその龍の香りの作成を致します。
価格は5千円、ボトルは瀬織津比売等の物を用い、出来上がった後には祝詞奏上の後に送り出させて頂きます。
ご自身の龍の香りをお求めになられたい方はどうぞご連絡下さいませ。
(送料は別途頂戴致します)
            


















多少の青空は見られましたが、先に書くように概ね曇り空でしたね。
この後は雨との予報で、しかも2,3日は続きそうです。
五月とは言え、あまりはっきりしないお天気が続きますが、晴ればかり、雨ばかりよりもよい気がしますね。
皆様の辺りでは如何でしょうか。

本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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言葉のチカラ 言霊

2018-12-20 20:28:08 | ものの見方 考え方
こんばんは。
朝から小雨模様でそれほど降ったわけではありませんが、一日どんよりとしたお天気でした。
気温が低ければ雪なのでしょうけれど、というよりも例年ならこの時期は当然雪であるはずです。
暖かいのが良いとばかりは言い切れないようにも感じております。
暖房費が抑えられるのは嬉しいですけれどね。

                                    


                                      

                                       



                                    





先日から全くもって宜しからぬコメントを寄せてくる輩がおりましたので全て削除させて頂きました。
昨日の時点では一般の方からのコメントは受け付けないようにしておりましたが今朝も入ってきておりました。
これで入るということはこのgooブログをしている人間ということですかね。
ですのでしばらくはどなたからも出来ない設定に変更致しました。
どこの誰とも分からぬところから不快な事を言われる所以もありませんので。
こういうことも書きたくありませんでしたが、あまりにしつこいので自分の意思として上げさせて頂きます。
言いたいことがあるのなら自分のアドレス出して文句言って来なさい。
それ以上に自分のブログで自論を述べるなりなんなりして下さい。
非常に迷惑です。

ご覧になられております皆様に不快な思いを自分自身もさせてしまいました事、お詫び申し上げます。




                   

                                       





祝詞の中にもこの「やから」という言葉が出てきます。
神社などでご祈祷をお受けになる際、注意して聞かれているとこの言葉を耳にすることがあるかもしれません。
これ、上で挙げた「輩」の文字を当てているのではなく、「家族」と書いて「やから」と読んでおります。
そのまま家族という意味になります。
自分がこの仕事に就いた時、え、やからって、どういうこと;?と一瞬たじろぎましたが悪い意味ではなく、当然良い意味で使われております。
ちなみにこの輩の方は、宜しくない、悪い方の意味合いで使われておりますね。
元々は一族とか仲間の意味だったようですが時代と共に変遷してきたのでしょうか。
ともあれ祝詞で言うところの「やから」は家族であり、その前に入ってくることもある「生族」(うから)という言葉もあります。
此方はそれこそ一族であるとか身内という事になろうかと思います。
祝詞の言葉はこれまた当然ですが全て日本語ですので神職が上げる祝詞は、慣れてくれば慣用句等もあり大よそこのような事を述べているのだなと
分かってくるものですよ。
自分自身、初めの頃は何がなんだかわかりませんでしたが;(これも当たり前ですけど;)慣れてくると、どうしてこんなに素晴らしい言葉を
紡げるのかと数多の先達方の残された祝詞を拝見するにつけ、しみじみと感じるところです。
どんな国の言葉であれ、美しいと感じる言葉は人の心を打ちます。
逆に痛めつけるような言葉はそれだけで気持ちや心を荒ませます。
では何故そのように言葉だけで心が和んだり傷ついたりするのでしょうか。
それは言葉が持つ、その文字自体が持つ波動によるとも言われるようです。
まさに言霊ですよね。
実験として同じ容器に水を入れて片方には「ばか」と書いた紙を貼り、片方には「ありがとう」と書いて置いておくというものがあります。
一週間、そうして放置しておくと「ばか」と書いた方の水は腐り、「ありがとう」と書かれた方の水はそのままであったということです。
ただの偶然でしょと思われるかもしれませんけれど、案外と科学的でもあるとされるようです。
少し話が逸れますが「ばか」この言葉はカタカムナと言われる古代語から考察した方がおられ、それを引用させて頂きますと(吉野信子著 カタ
カムナ 言霊の超法則より抜粋させて頂きました)

 「ば(反対側に引き合う)か(ちから)」

ということになるそうです。
チカラは一緒の方向へ使えば倍になりますが、逆に引き合えば互いのチカラが相殺されて疲れるばかりです。
それを「ばか」と言っているということですね。
チカラを合わせようとせずに相手を非難したり引き離すことを考えているということ、そのようなことを指すようです。
ならばこの言葉を書いた紙を貼られた水は、その言葉の持つ波動により分子の状態から引き離されてしまいバラバラになり、終いには腐ってし
まったということでしょうか。
逆に「ありがとう」の言葉を書いた方の水、この言葉の意味は前述のカタカムナで紐解いてみると
 
「あ(感じる 生命) り(離れる) が(内なるチカラ) と(統合) う(生まれ出る)」

となり、これを順序立てて繋げていくと「感じて離れた内なるチカラが統合されて生まれ出る」というものになります。
となると、先ほどは水自体(分子?)が互いに引き離されるようでしたが、此方は水そのものが全体として統合されてより生き生きとしてくる
ように感じられます。
そう考えると一週間経っても水自体が腐ることなく、言葉の持つ波動により一層良い状態になっていたという事なのでしょうか。
自分で実験してないので何とも言えませんけども。
一度自分で試してみようかと思いますよ。
いずれにせよ面と向かって相手から「ばか」と言われるのと「ありがとう」と言われた時の気持ちのあり方を思うと、その差は歴然なのではと
感じます。 
綺麗な言葉が大事と言われるのもそういうことなのでしょうね。
なかなか日常では難しいことも多いですけれど、自分自身も気をつけたいと思います。





                                         




                                         
                                         (見えにくいけどシリウスです;)
                                        



昨夜寝ぼけ眼で曇りがちな空へ、それでも輝いて見えたシリウスを撮っていると言葉を受け取りました。


 シリウス

 “ いやと思っているエネルギーを受け取る義務はないのです

   いやだと 受け止めない権利はあります

   手放して下さい  ”


今回のこの言葉、これまでの話の流れから、そうと分かる感じでもありますけれど。
確かに嫌だと感じるエネルギーを受け取る義務はありませんよね。
受け止めない権利は、これもまた当然あると思います。
どなたにおいてもそうでしょうが、グズグズ悩まず、突っ返すくらいの心持ちでいることが大事なのではと感じます。
いやなものは嫌、そうやって自分の中へ入り込ませず手放しましょう。





                                 

                                  


                                    




昨年も募集致しましたが、毎年旧暦の元旦の子の刻、つまりは新年になってすぐの午前一時に出雲大社の神楽殿に於きまして皆様に福と徳を授け
招福開運をご祈念致します福徳祭が斎行されます。
それに因み、このお祭りに直にご参拝は出来ずともこの時に同様にご祈念して頂きますと共に、この一年間、皆様にその福と徳を常にお持ち
頂こうとの事から小さな御守りをお持ち頂くように致しております。
それと共に、この御守りをお持ち頂く事で福徳会の会員というものになって頂くについて会員章もお授け致します。
この会員章、もし出雲大社にお越し頂くことが御座いましたらば、水戸の黄門様宜しく(笑)大社の職員にお見せ頂きますと、境内をご案内させて
頂ける特典が付いて参ります。
つまりはごく普通にご参拝頂きましたら見られないであろう所も、係りの者がご説明致しながらご一緒に案内するということが出来るかと存じます。
毎年の事ですので一年毎に御守りをお求め頂くようにはなりますけれど、是非ともこの機会にお大國様(おだいこくさま)のご親縁に結ばれて
より一層の幸栄えを賜られますよう、ご案内申し上げます。
御守りは一つに付き3百円で御座います。
尚、募集は来年の1月18日までとさせて頂きます。
ご入用の方は是非ともお申し出下さいませ、お待ち申し上げております。
尚、併せて新しい御玉串、御神札等もお申し付け下さいますとお送りさせて頂きます。      


     kimikimiblue13@gmail.com

此方までご連絡下さいませ。




                                        




                                         

 



祓えの神様、瀬織津比売の香りを、御祈念をさせて頂きまして四千五百円にて販売させて頂いております。
またご祈念、ご祈祷をせずとも良いとおっしゃる方は二千五百円とさせて頂きます。
新しく龍の香り、殊にテラの香りとして作成したものも御座います。
もう一つ新たに加わりました木花開耶比売も同様に御座います。
その他、ガイアの香り、波邇夜須毘売神の香り、シリウスの香り、宇宙を行く龍の香り等も上記と同様の方法での販売とさせて頂きます。
この度新たに作成致しました金龍、銀龍の香りも同様です。
石長比売の香りも新たに加わりました。
銀龍ミタの香り、月読尊の香り、アバンダンティアも出させて頂きました。
今のところ、一番最後となっておりますけれど新たにアマテラスの香りも加わりました。
お求めになられたい方は、下記のアドレスまでご一報下さいませ。
またご相談事も承っております、お気軽にお問い合わせなさって下さいね。
テラも待っておりますよ~。



                                    
         kimikimiblue13@gmail.com  
  

                               

       
                                           
                                           (瀬織津比売の香り) 





                                            
                                            (テラ 大國主大神の香り)
      

                                      

                                              
                                            
                                            (木花開耶比売の香り)



                                            
                                            (ガイアの香り)




                                            
                                            (波邇夜須毘売神の香り)   

                                        


                                            
                                            (シリウスの香り) 




                                            
                                            (宇宙を行く龍の香り)




              
                                           
                                          (金龍の香り)




                                            
                                         (銀龍の香り)
          




                                            
                                          (石長比売の香り)  




                                          
                                          (銀龍 ミタの香り)  

 


                                          
                                          (月読尊の香り)
                                      


                                          
                                          
                                          (アバンダンティアの香り) 




                                           
                                           (アマテラスの香り)
                                       



香りは通常は上記の価格ですが、この25日までは細い管瓶に入れたタイプの物を一つ1500円にて出させて頂いております。
チェーンも付けておりませんが、中身の香りは当然全く変わりはありません。
この折に多くの香りを試すのも楽しいかもしれませんよ?
またお試し用としては各香りをシートにつけたものを送料込みで300円でお送りさせて頂きます。
ご要望の香りだけ、或いは全種類でも構いません。
ほんのわずかではありますが、試しに香りを嗅いでみられるのは如何でしょうか。
多くの皆様のご依頼、お待ち申し上げております。

    



                                        




上の2枚の多少青空が見える写真、これは昨夕のものです。
昨日はあんな感じで多くの銀龍が空を行く感じでした。
気象的にもこのような巻雲が見られるようになると雨が近いと言われますしね。
それを気象と捉えるか、龍と思うのかの違いかもしれませんけれど。
明日もこの辺りは午後からまた雨の予報です。
大掃除をするには晴れ間が欲しいところですが、なかなかうまく行かないものですね。
皆様は既にそのような行事?はお済みでしょうか。


本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
                                         
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やっぱり貴方はオンリーワン!

2018-05-30 21:20:11 | ものの見方 考え方
こんばんは。
このところ毎日のことですがはっきりしないお天気が続いております。
曇って今にも降りそうと思っていると晴れ間が覗いたり、かと思うとパラパラと降ってきたりと安定しません。
そういう時期なのかもしれませんけれど、どうにもな;な感じです。
これから梅雨にもなるのでしょうし、しばらくはこんなお天気なのかもしれませんね。


  
                               

                                 






                                




昨夜は五月の満月。
とはいえ先に申したようにお天気が今ひとつで、いつ月が昇ってきたのかもわからないくらいでした。
自分はあまり知らないのですが、どうやらこの満月の夜はウェサク祭として世界中で祝うそうで日本では鞍馬寺が有名らしいですね。
元々はヒマラヤのウェサク渓谷で始まった釈迦、ブッダの記念祭なのだとか。
釈迦の誕生日、悟りを開いた日、また入滅した日が全てこの満月の日であったことから制定されたとのことです。
いずれにしても世界中の人々が同じ満月を見ながら祈りを捧げるというのは素敵なことだなぁと感じます。

神道でも満月、新月の日は特別とされておりますけれど、やはり月には人の心や身体に訴える力があるのでしょうね。
重力の関係も、これもよく言われることではあるのでしょうけれど。
そんな満月、寝る前に少しだけ雲間から姿を覗かせてくれました。
写真を撮ると、あっという間にまたもや雲に隠れてしまいましたけどね;。





                                  






                                  



                              


                                   





この月もですが、今少しだけ星を習っております;。
え?何それ?と言われそうですけれど;。
占星術、皆さんもよくご存じかと思いますけれど普通に拡まっているのはおそらく自分自身を中心としてその周りを太陽やら他の惑星がどこの位置
にいるかを見るものだと思います。
習っておりますのはそれとは違い、太陽を中心にした見方のものです。
いわば天動説で見るか地動説で見るかの違いになるのだと思います。
まだ習い始めたばかりで殆ど何もわからん;状態でもあり、とても、習っておりますの、なぁんて自慢気にいえるものでは到底ありません;。
ですけれど太陽を中心として、自分が生まれた時間にこの太陽系の星々が一体この宇宙の(というのは大袈裟ですが;)どこへ居たのかというのを
たとえ平面、二次元であったとしても図の中でその位置を見られるということに自分はとても興奮しました。
申すように天動説か地動説か、要するに自分中心か或いは少しだけ俯瞰して見ているかの違いなのだと思うのですけれどね;。
またメジャーな占星術を殆ど知らないが故に、何がどう違うのかすら全くもってわかりません;。
何度も申すように全くのど素人です。
けれど何も知らないことで習うことに新鮮味があり、面白いのも事実です。

毎月千田さんに惑星オーラカラーリーディングの講座を受講させて頂いておりますけれど、それとはまた別の角度、観点から見るようですのでいわば
全くの別物という気がします。
彼女のワークはとても仔細で緻密な内容で、とても素敵です。
毎回習わせて頂くことも違っておりますし、いつも楽しみです。
ですので今習おうとしている星のことは殆ど別物のような思いで習わせて頂こうと考えております。

ただしこれから習うことが果たして自分の身につくのかどうか、こればかりは習ってみなければわかりません;。
四十の手習いならぬアラカンの星読み;?となりますかどうか、というところです;。(笑)





                                   




そんな習い始めたばかりのものですけれどこのヘリオセントリックチャートというものに自分の家族、向こうの世界におります主人、それに息子の
それぞれの生年月日等を入力して見てみました。
当然ではありますが、家族三人のこのチャートを見比べると全くの三人三様、似ている部分があるようにも感じられますが全く違います。
それこそ生まれた人の数だけのこの時の星の位置があるわけですよね。
なんとも不思議な気がして、というよりも見た瞬間、わぁ、すごい!と思わず感動したくらいでした。
申すように二次元で表された図ではありますが、自分という一人の人間がこの世に生まれ出て来た時の天体の位置、それはこのようになっていたん
だと思うと、逆にこの星がこのような位置の時に自分は生まれたともいえる訳で、いずれにしても何とも言いようのない神秘な巡り合わせを感じた
のでした。
何もこのヘリオセンといわれるものではなく、普段目にする占星術のチャートに於いても同様に天体の位置は描かれているわけでして、これも先に
述べたように見方が違うだけのことです。
いずれにしましても自分が生まれ出でた時間の天体の位置、各人各様千差万別、全く違うのだと考えると、自分と隣の人、自分の家族でさえも似て
いてもどこか違うというのはこういうことなのかな、とも感じた次第です。
そう思うと一人ずつがとてもユニークで貴重な存在なのだと改めて感じたのでした。
みんな違ってみんないい、そんな言葉が確かありましたが、それこそ生まれた時からみんな全く違ってて、でもそれがとても素敵なことなんだと素直
に思えたのでした。




                                      






これまでの時代、殊に日本という国に於いては人と変わっているのはどうも良くないとされる風潮が大きかったように思います。
そんな考え方も大分変わって来ておるようですが、まだまだ出る杭は打たれるとの譬えのように横並びで居るほうが良いと言われることも少なく
ありません。
しかしこれからの時代、それこそ生まれて来る次代を担う子供達はますますユニークな個性を持った子達が多く出てくるのではと思います。
それぞれが違うけれどそれぞれを認め合える時代、それがこれからの時代、ひいては地球の在り方になってくるのではとも感じます。
どんな星のもと、ではなくどんな星の並びの時にこの子達は出て来るのでしょうね。
チャートを見ながら、そんな未来の事を感じました。




                                    






                                     






                                      




今日は神様もテラも、だあれも出てこない弊ブログとなりました;。
龍の話を待って下さっている方がおられましたらば、申し訳ございません。
また彼はひょっこりと顔を出すかと思います、少しだけお待ち下さいませ;。(え?わて、モテるんかいな、嬉しいわぁ)

そんな今日のブログへお付き合い下さいました皆様、いつも有難うございます。
感謝申し上げます。
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数字 漢字 それと鯉とか

2017-12-30 19:23:31 | ものの見方 考え方
こんばんは。
今朝は久しぶりで朝焼けが見られました。
昨夜までどことなく湿っぽいような空気でしたので朝のこのお天気は余計に嬉しかったですね。
とはいえ、どうやら朝帰りだったらしい息子が寝ている狭い我が家では、どうにも遠慮して大っぴらに掃除するのも憚られ大掃除の続きも出来て
おりません、困ったもんだ;。
それでも穏やかな一日は有難いと感じられた日でした。
朝焼けはこのような感じでしたよ。



                                  




                                 
                                   





先日、444の並びの数字が出たと一人喜んでおりましたら今日は5555の並びの数字に出会いました。
出たのはこれまたレシートでした。
それだけ分のガソリン注いだのかって?
確かにガソリン注いでも出そうな数字ではありますよね。
今回のはスーパーで買い物して戻って来たレシートがこの数字でした。
レジの店員さんも、何かいいことあるかもしれませんよ、と笑っておられましたけれど。
これで行くと次は6の並びか?とか思いますけれど、さすがにそれは無いと思います;。
これを先だってのようにエンジェルナンバー、あるいは数秘で見てみると
『5555は宇宙からのメッセージです。いくつかの大きな変化があなたの人生に起ころうとしています。その変化は新しい自由と内なる真実を生きる
ことと一緒に起こります。』
とのことらしいですね。人生における重要な変化が訪れようとしている、ともあります。
今更結婚することも、まずありませんし;、さて何があるのでしょうね?
よい変化が訪れることを願っておきたいものです。
人によると5は良くないと決めておられる方もいらっしゃいますが、自分は昔から5の数字は割りと好きな方です。
ですのでここは素直に良い方へ向かっての変化であると捉えておこうと考えます。
申すように年末ジャンボははなから買っておりませんので、ドッカーンと大当たりは無いかと思いますよ。(笑)
またこの5555の数字と同様、お釣りの445円や支払いの6000円のこの数字もそれぞれに意味があるようで、ほぉなるほど、と改めて
見ております。
それを言い出すとこのレシートに載ってる数字、全部になりますね、気にしなければ何ともない数字、でも気にかけてみると結構面白いもの
だなと感じます。
 

                                 
                   
                                    



昨日申し上げるべきだったのですが、すっかり忘れておりました;。
月に一度、ブックマークさせて頂いております白水明さんの改善の呪文、今回も出しておられますので此処でご紹介させて頂きますね。


        令令   亥 、 子 寅 急急如律令  (れいれい い、 ね とら きゅうきゅうにょりつりょう)

この呪文を心落ち着けて、読み仮名ではなく漢字の方を強くイメージして声を出さずに、気持ちをこめて一回唱えて下さい、とのことです。
ただ気持ちが入り過ぎてしまって思わず声が出るのは大丈夫です。

亥、で悪いエネルギーを防ぎ、子寅で良いエネルギーを生じているのを感じて下さい。
また呪文は、もらうだけではいけません、まず自分がこの世が良くなるよう、感謝するエネルギーを出さなくてはいけません。
自分が良いエネルギーを出した後、それ以上に受け取る事ができます。

とされておられます。
またこの呪文の効果は一月の間中あるとのことですので、毎日一回、心を込めて唱えてみられるのもよろしいかと思います。




                                   




いつもそんなエネルギーがどうの、というけれど本当にあるのか、といわれる方もおられるかもしれませんね。
目に見えないものですし、捉えようがないともいえます。
けれど、これはよく例え話として挙げられますが、自分たちが普段お世話になっている通信機器の電波、これを考えるとよほどのことで無い限り
可視等は不可能です。
オシログラフ等、電気信号の波形を観測する装置があれば別でしょうけれど、大抵の方は見ることもあまり無いかと思います。
それと同様に、エネルギーを目で見るということ自体、あまり無いことなのではと感じます。
けれど目で見えなくともなんとはなしに、これにはエネルギーがある、無いというのはそれこそ肌で感じ取れる部分があるのでは、とも思います。
先ほど数字の話をしましたけれど、これもある意味、そのようなエネルギーを持っているのではと思います。
そう考えると、上でも白水明さんが述べておられますように漢字そのもののイメージを強く持って下さいといわれているのは、この漢字そのものに
それぞれのエネルギーが宿っているとされているからだと思います。

様々なものにそれぞれのエネルギーが宿り、それを受けながら、あるいは感じながら自分達は生活しているように思います。
いつも何気なく接している数字や言葉、これらに少し気を向けてみると、また違った見方が出来るようになるかもしれませんね。




                                     


                               
夕方、帰省した息子用に玄米を少しだけ精米をしようと、それも兼ねていつもの道を歩き、昨日の池も覗いて来ました。
予想以上に水の無くなり方が早いようで、昨日までなんとか生き延びていた鯉達も殆ど息絶えておりました。
わずかに残った水の中で喘ぐように息をしている鯉もありましたが、もはや時間の問題のようでした。
上から見下ろすばかりで、鍵のかかった水辺までも行って見てやることも出来ず、よしんば行けたとて何をしてやれるわけでもありません。
人間だけは年末だ新年だと騒いでおりますが、彼らにしてみればそのようのこととは全く関係ない時間枠の中で生きているものたちです。
自分にしてやれることは本当になかったのか、そう思うと心の中でごめんね何も出来ずにと詫びるばかりで、横たわって動けなくなった彼らに
手を合わせるだけの自分でした。
わかっているのに何もしてやれないという悔しさでした。
たかが鯉だけで、と言われるかもしれませんけれど、最近どうにもこのような気持ちになることが多く自分でもどうしてなのかわかりません。
自分に出来る手立てがあるならば、そうして今後、もし同じような状況に遭遇したとするならば、精一杯対処してみよう、そう感じております。

せめて鯉たちよ、その魂は空を自由に翔けまわれる小さな龍に変わっていってほしい、そう願う思いです。





                                     




明日はまたお天気が悪くなるとか、移動される方は殊にお気をつけて下さいね。
大晦日、あまり荒れないことを願っております。




                                    


本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。                                    




                                     

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この頃の あれこれ

2017-12-05 20:31:35 | ものの見方 考え方
こんばんは。
いよいよ冬将軍到来でしょうか、今しがた歩いて来ましたら、最初は ちらり   ほらり  と一片(ひとひら)の雪かしらどうかしらと
いう感じで落ちてきていたものが帰りにはかなり降って来ておりました。
奥を見ると山の上は既に白く被われ始めております。
今夜は冷えるかもしれません。
そういえば日中は雪起こしと思えるような風がごうっとと音を立てて吹いておりましたしね。
朝はやはり寒い空気が張り詰めておりました。




                               




                               




                               



最近、うちの前の道路を日に何台かダンプが往復しております。
これは夏頃話しておりました、この近くにある砂防ダムに溜まった土砂を掻き出しダンプに載せて別の場所へ運搬するのに、このように頻繁に
往来しているということです。
道自体が6メートル以下でかなり見通しの悪い場所もある為、そのような箇所にはガードマンさんが立って逐一無線で連絡を取り合いながらダン
プを通しておられます。
季節の良い時期ならともかく、暑かったりこうも寒く風の吹くはさぞ大変であられるだろうと家の中で居る自分は頭の下がる思いです。
以前も申したように、それが仕事だからといわれれば確かにそうですけれど、このような方がおられるからこそ自分達の生活の安全が守られて
いるとも感じております。
そんなオジサン達と話すと、寒いは寒いけど慣れもあるよ、とのこと。
さすがプロだなぁ。
風邪引かずに頑張って下さいねぇと毎回話しております。



                              
                               



こんな感じの千切れ雲が多く飛んで行く風の強い日、案外とそんな空行く雲を眺めているのが面白いのですけれど、年々寒さに勝てなくなって
来ております;。
さっきのオジサン達、見習わんといけませんな;。



日課となっております祝詞奏上の後の瞑想、いつもそれほど長い時間座っているわけではありません。
長くてせいぜい20分程かと思います。
1時間も座れば良いのかもしれませんけれど、座っております神殿が殆ど火の気がない処でもあり、瞑想しておりますとそのような事も忘れて
しまうのですけれど、それでもだんだんと寒さが募って参ります。
片方で次元の違う場所へ居りつつも、もう片方は案外と寒さを感じておりますようで;修行が足りんぞと言われそうですけれど、そんな感じで
致しております。
また始める前に何度か深い腹式呼吸をして、意識的に息を大きく吸ったり吐いたりして気持ちを整えて行きます。
準備としてはこのように割と間単に始めて行きますね。
そんな今日の瞑想で感じたのが此方です。




 祝詞奏上後、目を閉じて静かに座る

 おーーーーーの大神の声?

    〝   まずは良し (これで良し?)

        在ること 在るがまま 

        (何も)無いのではない (全て) 在る

        気がつかないだけ

        (全て)此処に 在る   〟

 
 見晴るかす 高い山々
 雲間から 金色の光が差し込む
 その光に向かい 飛んで行く


      
    〝   思うところへ 参れ
   
        動け

        留まるな   〟
 
 
これまで様々に出てこられている数多の存在とは少し違い、以前よりずっと付き合いの長い(という言い方も変ですけれどね;)大国主大神は時
として自分でその言葉を下ろしてくる、いわばみくじを下ろす際、まれにこのように最初におーーーーというまるで警蹕(けいひつ)のような声
が出ることがあります。
これは確かに大神のしるしであると、自分では感じております。
大国主大神というだけあって、その存在感は大らかでありながらも威厳のあるどっしりとした感じを受けます。
有無を言わさぬと言う表現がありますけれど、そこまで強くはありませんが確(しか)とした思いを受け取る感じです。
どの存在でもそうではありますけれど、殊大神に関してはその感覚が強いですね。
みくじを下ろした後は、不思議と感情も高揚しているようにも思えます。
これまでで一番慣れ親しんだ、そんな存在であるからかもしれません。

そのような大神からの言葉、神でありながらまるで禅問答ともいえるような言葉ではありますけれど、これを別の言葉で置き換えるとしたならば
最近よく言われている『ワンネス』という言葉にも近いのでは、と感じます。
物事全てはひとつである、宇宙は全てを包含しておるということ、宇宙空間には何も無いように感じられるけれど、そこにはありとあらゆるものが
在るのだ、ということではと思います。
自分が説明すると、言葉そのまんまで全くわからん、説明になってないわ;と言われそうですけれどね。
瞑想をして、あの空間に身を委ねると言われているとこの言葉の意味がよく理解出来る気がします。
何にも無いところで静かに一人座っているだけですけれど、その自分の周りはこうも豊かで明るいところなのか、と感じられてきます。
これが〝 全て 此処に 在る 〟と言われている所以なのではと実感されます。
この感覚はしかし、やはりご自分で感じ取らないとどのように言葉を尽くして説明しても一番分り難いことなのかも、とも思います。

思うところへ参れというのは、自分自身いつまでもグズグズしておりますので、これは思う処、或いは人々と繋がり新しい関係を結びなさいと
いうことなのではと考えております。

実はこのブログを始めてからも、自分自身、この何年間か自分の致しております仕事、神主の仕事に誇りを持ちながらも、こんな自分で果たして
皆様に対して良いのだろうか、こんな自分なんて大したこと無い、とずっと心のどこかで燻る思いがありました。
え、そんな風に全然感じないし、むしろふてぶてしいくらい、あんたふんぞり返っておりますぜ、と感じられておられたかもしれません。
そうだとしましたら、大変申し訳ございませんでした。
けれど、常に自分の中で、これは本当の自分では無く、どこかもっとしゃっきりとした自分であらねばと焦燥感に似た思いを抱いていたようにも
感じます。
それが此の度の神迎祭に何年ぶりかで参らせて頂いたからなのか、何か自分の中でグジグジくすぶる思いであったものが、急に氷解するように
溶けてきた、そのように感じております。
それを感じたのは、何でもないごく普通に乗っていた昨日のバスの中でのことでした。
いつものように所用で出掛け、帰りにバスに乗り込み途中ほんの少しウトウトした後で目を開けて何とはなしにこれから先の自分の姿を思い浮か
べておりました。
そこには嬉々として、皆さんを前にして話をさせて頂いておる自分を頭に描いておりました。
これまでにも当然仕事上でそのように多くの方と接しさせて頂いておりますけれど、これまでとはまた少し違った自分でまた新たな方々との関係
性を取り持てておるような、そんな姿でした。
デジャブというのとも違いますけれど、自分がこうありたいというある意味一種の理想の自分の姿だったのかもしれません。
そのような姿を頭に思い描いた時、あ、これ自分、もっと自信持っていいんじゃない、と感じられたのでした。 

聞かれる側の皆様にしてみれば、何それ?という感じかもしれませんけれど。
しかしながら、自分の中では小さいけれど、何か大きな一歩を踏み出させて頂けたのでは、と感じておるところです。
とはいえ、肝心なのは当然此処からなのですけれど。




                                   



話は全く変わりまして、うちの息子のことでございます;。
卑近な話題ですみません(あ、上の話もそうですけれどね;)
連絡してきたのですけれど、どうやら昨夜から熱が出て目眩は治ったけれど、お腹下すのが収まらないとか;。
公休日は毎週、火、水曜ですので身体を休めるのには問題ないのでしょうけれど、なんせ一人暮らし。
近くのコンビニは歩くと15分ほどであるにはありますが、そんな身体では出るのも億劫でしょうしね;。
同じアパートに住む同僚の方にスポーツ飲料買って来てもらえば?とは言ったのですけれど。
あまり酷いようなら行ってみてやろうかと思いながら外を見ると、なあんと雪、ですがな;。
まぁ、それほど積もるまでは行かないでしょうけれどね。
後ほどまた連絡して、どんな様子か聞いてみたいと思います。
甘い母ちゃんと言われそうですけれど、やはり心配ではあります;。
自分も若い頃一人暮らしは10年ほどしましたけれど、病気の時が一番心細かったですね、今思い返してみても。
気をつける以外にはありませんね。

このお腹下して熱出して、はどうも流行している節があります。
皆様もどうぞお気をつけ下さいね。




 
                                     



本日もこの拙いブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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