こんばんは。
朝のうちはまだ寒さを感じましたが、日中は暑さを覚えるほどでした。
季節の移ろいがこうも早いと身体がついていくのがしんどい感じですね。
それでもPM2.5は随分と収まったようでその点では楽になりました。
ただし花粉症の方は引き続き辛い日々のようです;、ご自愛下さいませ。
太陽は元気良く顔を出してきておりました。
最初にお知らせを二つほど。
本来はもっと早くにお知らせ致すべきでしたのに、うっかりしておりました、申し訳ございません;。
ブックマークさせて頂いております富鷹成易の白水明さんによる4月の改善の呪文です。
唱えるのに一番良い時刻が31日の19時10分から20分の間とされております。
このブログをご覧になられる頃にはとっくにその時刻を過ぎてしまわれるかと思いますけれど、これ以降でもしっかりとその効力はあるとの事
ですので、ご自分の落ち着いた時に唱えてみられて下さい。
令 令 子合、 戌 急急如律令 (れい れい ねごう、いぬ きゅうきゅうにょりつりょう)
此方が4月の呪文です。
子合で不利なエネルギーを制御し、戌で良いエネルギーを生じているのを感じて下さい とのことです。
詳しくは『富鷹成易』をご覧になられて下さいね。
続いては此方もブックマークさせております三米窯(さんよねがま)の多賀井正夫氏による個展です。
場所は大阪府泉南郡岬町淡輪4193-2、ご自身のアトリエ近くの『ギャラリー猫亀屋』さんにて今日3月31日から4月8日までとなって
おられます。
ギャラリーの電話番号等は 072-425-4883 www.nekogameya.com
詳しくは上記までお尋ね下さい。
和歌山県に程近い辺りですけれど、いつかも写真を載せさせて頂いたような青い空と青い海の広がる風光明媚な所のようですよ。
ドライブがてらお越しになるのも如何かと思います。
作品の一部も写真を送って下さいましたので、あわせて掲載させて頂きますね。
私も近ければ参らせて頂きたいですけれどねぇ。
銀の龍の背に乗って~♪、ならぬ、テラという龍の背に乗って~♪、で行ければすごく早かろうに;。(笑)
さて今日は宝物殿である神祜殿(しんこでん)からとなります。
係りの神主さんに、もし宜しければこれから改装なった神祜殿をご案内致しますけれどお食事がまだでしたら、お止めになられますか、と問わ
れたのですけれど、せっかくだからとそのまま引き続いてご案内して頂くことと致しました。
此方は出雲大社に伝わる様々な、名前の通りの宝物を展示してある所です。
今回リニューアルに伴い、平成12年に御本殿前から出土した古代御本殿心御柱(こだいごほんでんしんのみはしら)が展示されております。
この御柱が出土した際には、ちょうどその場所にて当時のままの姿を覗き込むような格好で見させて頂きました。
但し出土したはいいけれど、その保存方法が大変だったようで当然防腐処理もなされ、一時は出雲大社近くの出雲古代歴史博物館に展示されて
おりましたが、この度此方へ移設され新たな展示となされたようです。
建物の一階部分ではその大きな柱を間近に眺めることが出来、また二階部分からは覗き込むようにして真上からその様相を見て取れるようになっ
ております。
古代の出雲大社の神殿がいかに大きなものであったのか、その柱を見るだけでも充分に知ることの出来る貴重な心御柱かと存じます。
その他にもこの度の遷宮の折での桧皮葺の模型が展示してあったり、国宝とされている「秋野鹿蒔絵手箱」が置かれていたりしております。
じっくりと眺めてみたいところではありましたけれど、ご案内して頂いておりますし、説明を伺いながらふむふむと頷いて聞かせて頂いており
ました。
今回その中でも、これは展示品そのもののことではないのですけれど、と前置きをして話して下さったことがありました。
それは大国主大神の御像ならびに稲田姫の御像二体についてでした。
この御像、そのどちらも背丈が2メートルはあろうかというかなり大きなものでした。
この二体を一度建物の外へ運び出したまでは良かったのですが、建物を改装し扉を二重にしたことで間口が狭くなってしまい、出したは良いけれど
次に入れる際には入らなくなってしまったのだとか;。
そこで急遽二階部分の床をこの御像を通せるだけのいわば穴を開けることで、なんとか解決したとのことでした。
穴といっても当然闇雲に開けたわけではなく、それなりに測って開けてあるわけでして(当たり前;)その穴も床を見ればこれがそうですと確認
出来るものでした。
そんなちょっとしたトリビア;?な話も伺いながらのご案内をして頂きました。
此方での写真撮影は禁止されておりますので、どれも撮ることが出来ませんでしたので何卒ご了承下さい。
ただ一つ、ああこれ写せたらなぁ;と思うものがありました。
それは階段途中に懸かっておりました龍の絵でした。
どなたの作かは分かりませんでしたけれど、かなりの迫力ある龍でして、うちの?テラもたじたじな程の勢いある龍でした;。
出雲大社へお越しの際には皆様も是非ともお足を運んでみられて下さいませ。
大きく美しい勾玉の展示も御座いますよ。
建物を出終わったところで、それではこれでご案内を終わらせて頂きます、ようこそのお参りで御座いました、とそこで係りの神主さんとはお別れ
させて頂きました。
息子と二人、お腹すいたよねぇ、どっか食べに行こう、ともはや頭の中はご飯のことしかありません;。
時刻は既に2時を回る頃でした。
元々息子はお昼にどこかで美味しいものを食べたいと言っておったのですけれど時間も時間ですし、境内近くにあるいつかの喫茶店にしようかと
いうことになりました。
そう神迎祭の折に利用させて頂いた所です。
出雲蕎麦ももちろんあるのですけれど、蕎麦じゃお腹ふくれないしね;という理由からでもありました。
お店に行くとさすがに中途半端な時間でもあり、自分達以外にはどなたもお客さんはおられません。
(神迎祭では満杯でした、これも当然ですが;)
自分は先だって食したホットサンドが美味しかったのでそれを、息子はパスタをそれぞれ頼みました。
この時、息子は先に歩いてきた杉林の恩恵;?を蒙ったのか鼻水が止まらない様子でした。
持っていたティッシュを手渡しましたがそれでも足りない様子、それを見かねてかお店の方が奥から出してきて下さいました。
他にお客さんがおられないのもあってか、何かと気さくに我々に話しかけてきて下さっておりました。
昔からある喫茶店ですし、大社の職員さん方も仕事終わりには利用されたりするようです。
一息入れるのは良いところなのでしょうね。
お腹も膨れ、予定よりも遅くなりましたけれど続いてはお墓参りに赴きました。
うちのお墓は出雲大社教の墓地にあります。
以前にも申しましたけれど、此処はその昔、墓所へ向かう道の両脇が葡萄畑でして普通車ですどドアミラーを畳んで通らねばならないほどかなり
道幅は狭い所でした。
ここ何年かでその葡萄畑もいつの間にか墓所の土地となっており、道幅も幾分かは広がったようです。
そんな道を進んで一番奥辺りに我が家の墓所があります。
定期的に来られないのが仇となり;草だらけの我が墓所です;。
そこを二人して、持ってきた軍手をはめて丈の伸びた草から抜き取りながら掃除を始めました。
とは言っても食事の最中から鼻をグスグスさせていた息子、どうにもやる気がでないのか小学生でもあるまいに;砂地に掘られた蟻地獄の巣を見
つけ、そこでなにやらいたずらを始める始末;。
手伝いんさい、と怒ってみたところで一向に埒が明かず、一人黙々と草を引いておりました。
いい加減綺麗にしたところでここで眠る主人や娘、また主人の両親らに想いを馳せ二人して手を合わせておりました。
とは言いながらもあまり役に立っておらない嫁と子孫ではありますね;。(苦笑)
お墓参りもなんとか済ませ、後は広島へ戻るだけですけれどもう一つ寄る所があります。
それは、温泉。
幼い頃から何故かしら無類の温泉好きな息子でして;何処かへ行くとなると必ずというほどまず温泉を探すほど。
今日は来る前から、帰りには絶対温泉に入って帰ろうと決めておりましたので是が非でも行かなければなりません、大袈裟ですけれど(笑)
かく言う自分も温泉は好きですし、広島県は温泉は少ないのにお隣の島根県は結構どこでもあるみたいで此方へ来れば時間の許す限り入って帰る
ようにしておるほどです。
そんな今日入ろうとしていたのは飯石郡飯南町頓原(いいしぐんいいなんちょうとんばら)にある『ラムネ銀泉』という温泉です。
此方の温泉は鉱泉水に大量の炭酸ガスを含む日本有数の炭酸泉というものです。
以前、一度だけ入ったことがあるのですが湯の温度はそこまで熱くなくともじっくり入っていると無数の泡がくっつくようにして身体を包み、なん
ともいえずほぐれてくるように感じられます。
また入っている最中よりも出た後の方が余計に身体があたたまる感じがして湯冷めしにくいようでもあります。
そんな温泉を目指して車を走らせました。
運転するよと言っていた息子は花粉症のせいか頭クラクラするわ、とこれまたのたまいますので;結局は自分がハンドルを持ちました。
来た時同様、斐伊川沿いを走り松江道へ入り雲南吉田IC(うんなんよしだ)で下ります。
このインターを出て標識通りに国道、R54への道を辿るのではなく(ここ、肝心ですよ)その逆、左側へとハンドルを切り今来た高速の下を通る山道
を走ります。
来る前にグーグルマップで確認しておりましたので車の通行には支障はありません。
その代わり相当なくねくね道、しかもアップダウンのある道ですので冬場や雨の日、また車の運転に自信の無い方にはお勧めいたしかねます;。
それでもその道を走ったのは目的地の温泉に一番の近道と考えたからでした。
山道を抜けるとR54へ出てきます。
その国道をこれまたひたすら走らせること20分ほどでしょうか、ようやっと頓原の町まで辿り着きました。
以前はその頓原にあります道の駅、『道の駅とんばら』でも日帰り入浴が出来ていたと思うのですけれど、今はどうもやっておられないようです。
またその道の駅のすぐお隣には、あの出雲大社の大注連縄を作っている『大しめなわ創作館』という所があります。
お時間のある方はそちらも立ち寄られては如何かと思います。
迫力ある注連縄の様子が良くわかりますよ。
ともあれ目的地の温泉へ辿り着き、此処まで寝ていた息子も目を覚ましたようでした。
受付で料金を支払い、それぞれ男湯、女湯に別れて入浴します。
この日は自分が入った時には貸切状態でして、一人湯船でのんびりしておりました。
一週間でお湯の色が変化すると言われているようで、自分の入った頃は少しグリーンがかったような色合いのお湯となっておりました。
そのうちに人が増えてきて、あまり広くない洗い場も一杯となったのを機にあがりました。
出ると身体もポカポカです。
先ほどの受付まで戻ると、じきに息子も出てきました。
火照った身体をそこで売っているラムネ、それに美味しそうなアイスを買い求め無料休憩所としておられる畳の間へ持っていって、しばし食し
ながらのんびりしておりました。
時刻は17時半頃だったでしょうか、外へ出ると日も傾き空には月も見えておりました。
後は本当に広島へ向けて帰るだけです。
此処でもこれまた眠いわぁと息子にがのたまうので、結局は自分がまたもやドライバーとなりました。
しかし温泉の効果か身体がほぐれているせいか、自分もかなり眠気が襲います;。
いやいや寝てはあかん;、と自分に言い聞かせながら以前に比べれば広島行きの車は皆無というほどのR54をひた走るのでした。
三次(みよし)までの道、それでも近づくにつれ少ないとはいえ時間的にも車も増えてきました。
渋滞とまでは行かずとものんびり走る車の後をついて行きながらも、なんとか三次ICまで戻ってきました。
此処までくれば本当にあと少しという感じがします。
インターを入れば、なお更アクセルを踏む自分ですけれど、そのインターを入った途端、後ろから来る大型トラックが走行車線から退いてくれ
ません;。
加速車線ギリギリでなんとか走行車線に無理やりのようにして進入しましたけれど、トラックドライバーの方、追い越し車線には全く車はいな
かった事を考えると大変失礼ですけれど果たしてきちんと前を見ておられたのか、そう思わざるをえないような走り方でした。
そんなかなり危険;とも思える事態?にも遭遇しつつ、ひたすら走っておりました。
来しなに反対車線の江の川PAで休憩しましたけれど帰りもこのPAにて休憩し、此処で交代するわという息子と運転を変わりました。
これまで寝ていた分元気も取り戻したのでしょう、大丈夫か;?というくらい飛ばしてくれます;。
バイクに乗る子ですので心配はしておらないのですけれど、それでも同乗者としてはかなり怖い気もするところです;。
こういう時、自分自身が飛ばす癖して;息子がそれをするといきなり心配になるのはこれまた悪い癖でもありますね;。
何度か飛ばすな、ゆっくり走れ、とうるさく言う助手席の母親を分かってますよと軽くいなしながら、広島まで戻ってきたのでした、ふぅ~;。
広島インターを出るとあと少し、帰りがけにスーパーに寄り残り物のお寿司とビールを買い求めて自宅への道を辿りました。
玄関を開けると、暗い部屋の中で待っていたであろうネコが飛び出して来ました。
往復約12時間の今日の出雲行きが無事終わりました。
最後の3枚の写真は、それぞれ昨夜30日の月、今夕の夕日、それに今夜の満月です。
ブルームーンといわれる満月、このブログを読まれる頃には既にそれも終わっておるかもしれませんね。
それでも何かしら皆様にとりまして良きことが御座いましたら、と思う次第です。
出雲行き、そこまで書くか;?なところまで書かせて頂きました。
もう殆どいつものオバサンのお出かけ日記の様相を呈しておりますけれど;。(苦笑)
戻った翌日の我が家での大神のお言葉、また明日にでも揚げさせて頂ければ、と思います。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
朝のうちはまだ寒さを感じましたが、日中は暑さを覚えるほどでした。
季節の移ろいがこうも早いと身体がついていくのがしんどい感じですね。
それでもPM2.5は随分と収まったようでその点では楽になりました。
ただし花粉症の方は引き続き辛い日々のようです;、ご自愛下さいませ。
太陽は元気良く顔を出してきておりました。
最初にお知らせを二つほど。
本来はもっと早くにお知らせ致すべきでしたのに、うっかりしておりました、申し訳ございません;。
ブックマークさせて頂いております富鷹成易の白水明さんによる4月の改善の呪文です。
唱えるのに一番良い時刻が31日の19時10分から20分の間とされております。
このブログをご覧になられる頃にはとっくにその時刻を過ぎてしまわれるかと思いますけれど、これ以降でもしっかりとその効力はあるとの事
ですので、ご自分の落ち着いた時に唱えてみられて下さい。
令 令 子合、 戌 急急如律令 (れい れい ねごう、いぬ きゅうきゅうにょりつりょう)
此方が4月の呪文です。
子合で不利なエネルギーを制御し、戌で良いエネルギーを生じているのを感じて下さい とのことです。
詳しくは『富鷹成易』をご覧になられて下さいね。
続いては此方もブックマークさせております三米窯(さんよねがま)の多賀井正夫氏による個展です。
場所は大阪府泉南郡岬町淡輪4193-2、ご自身のアトリエ近くの『ギャラリー猫亀屋』さんにて今日3月31日から4月8日までとなって
おられます。
ギャラリーの電話番号等は 072-425-4883 www.nekogameya.com
詳しくは上記までお尋ね下さい。
和歌山県に程近い辺りですけれど、いつかも写真を載せさせて頂いたような青い空と青い海の広がる風光明媚な所のようですよ。
ドライブがてらお越しになるのも如何かと思います。
作品の一部も写真を送って下さいましたので、あわせて掲載させて頂きますね。
私も近ければ参らせて頂きたいですけれどねぇ。
銀の龍の背に乗って~♪、ならぬ、テラという龍の背に乗って~♪、で行ければすごく早かろうに;。(笑)
さて今日は宝物殿である神祜殿(しんこでん)からとなります。
係りの神主さんに、もし宜しければこれから改装なった神祜殿をご案内致しますけれどお食事がまだでしたら、お止めになられますか、と問わ
れたのですけれど、せっかくだからとそのまま引き続いてご案内して頂くことと致しました。
此方は出雲大社に伝わる様々な、名前の通りの宝物を展示してある所です。
今回リニューアルに伴い、平成12年に御本殿前から出土した古代御本殿心御柱(こだいごほんでんしんのみはしら)が展示されております。
この御柱が出土した際には、ちょうどその場所にて当時のままの姿を覗き込むような格好で見させて頂きました。
但し出土したはいいけれど、その保存方法が大変だったようで当然防腐処理もなされ、一時は出雲大社近くの出雲古代歴史博物館に展示されて
おりましたが、この度此方へ移設され新たな展示となされたようです。
建物の一階部分ではその大きな柱を間近に眺めることが出来、また二階部分からは覗き込むようにして真上からその様相を見て取れるようになっ
ております。
古代の出雲大社の神殿がいかに大きなものであったのか、その柱を見るだけでも充分に知ることの出来る貴重な心御柱かと存じます。
その他にもこの度の遷宮の折での桧皮葺の模型が展示してあったり、国宝とされている「秋野鹿蒔絵手箱」が置かれていたりしております。
じっくりと眺めてみたいところではありましたけれど、ご案内して頂いておりますし、説明を伺いながらふむふむと頷いて聞かせて頂いており
ました。
今回その中でも、これは展示品そのもののことではないのですけれど、と前置きをして話して下さったことがありました。
それは大国主大神の御像ならびに稲田姫の御像二体についてでした。
この御像、そのどちらも背丈が2メートルはあろうかというかなり大きなものでした。
この二体を一度建物の外へ運び出したまでは良かったのですが、建物を改装し扉を二重にしたことで間口が狭くなってしまい、出したは良いけれど
次に入れる際には入らなくなってしまったのだとか;。
そこで急遽二階部分の床をこの御像を通せるだけのいわば穴を開けることで、なんとか解決したとのことでした。
穴といっても当然闇雲に開けたわけではなく、それなりに測って開けてあるわけでして(当たり前;)その穴も床を見ればこれがそうですと確認
出来るものでした。
そんなちょっとしたトリビア;?な話も伺いながらのご案内をして頂きました。
此方での写真撮影は禁止されておりますので、どれも撮ることが出来ませんでしたので何卒ご了承下さい。
ただ一つ、ああこれ写せたらなぁ;と思うものがありました。
それは階段途中に懸かっておりました龍の絵でした。
どなたの作かは分かりませんでしたけれど、かなりの迫力ある龍でして、うちの?テラもたじたじな程の勢いある龍でした;。
出雲大社へお越しの際には皆様も是非ともお足を運んでみられて下さいませ。
大きく美しい勾玉の展示も御座いますよ。
建物を出終わったところで、それではこれでご案内を終わらせて頂きます、ようこそのお参りで御座いました、とそこで係りの神主さんとはお別れ
させて頂きました。
息子と二人、お腹すいたよねぇ、どっか食べに行こう、ともはや頭の中はご飯のことしかありません;。
時刻は既に2時を回る頃でした。
元々息子はお昼にどこかで美味しいものを食べたいと言っておったのですけれど時間も時間ですし、境内近くにあるいつかの喫茶店にしようかと
いうことになりました。
そう神迎祭の折に利用させて頂いた所です。
出雲蕎麦ももちろんあるのですけれど、蕎麦じゃお腹ふくれないしね;という理由からでもありました。
お店に行くとさすがに中途半端な時間でもあり、自分達以外にはどなたもお客さんはおられません。
(神迎祭では満杯でした、これも当然ですが;)
自分は先だって食したホットサンドが美味しかったのでそれを、息子はパスタをそれぞれ頼みました。
この時、息子は先に歩いてきた杉林の恩恵;?を蒙ったのか鼻水が止まらない様子でした。
持っていたティッシュを手渡しましたがそれでも足りない様子、それを見かねてかお店の方が奥から出してきて下さいました。
他にお客さんがおられないのもあってか、何かと気さくに我々に話しかけてきて下さっておりました。
昔からある喫茶店ですし、大社の職員さん方も仕事終わりには利用されたりするようです。
一息入れるのは良いところなのでしょうね。
お腹も膨れ、予定よりも遅くなりましたけれど続いてはお墓参りに赴きました。
うちのお墓は出雲大社教の墓地にあります。
以前にも申しましたけれど、此処はその昔、墓所へ向かう道の両脇が葡萄畑でして普通車ですどドアミラーを畳んで通らねばならないほどかなり
道幅は狭い所でした。
ここ何年かでその葡萄畑もいつの間にか墓所の土地となっており、道幅も幾分かは広がったようです。
そんな道を進んで一番奥辺りに我が家の墓所があります。
定期的に来られないのが仇となり;草だらけの我が墓所です;。
そこを二人して、持ってきた軍手をはめて丈の伸びた草から抜き取りながら掃除を始めました。
とは言っても食事の最中から鼻をグスグスさせていた息子、どうにもやる気がでないのか小学生でもあるまいに;砂地に掘られた蟻地獄の巣を見
つけ、そこでなにやらいたずらを始める始末;。
手伝いんさい、と怒ってみたところで一向に埒が明かず、一人黙々と草を引いておりました。
いい加減綺麗にしたところでここで眠る主人や娘、また主人の両親らに想いを馳せ二人して手を合わせておりました。
とは言いながらもあまり役に立っておらない嫁と子孫ではありますね;。(苦笑)
お墓参りもなんとか済ませ、後は広島へ戻るだけですけれどもう一つ寄る所があります。
それは、温泉。
幼い頃から何故かしら無類の温泉好きな息子でして;何処かへ行くとなると必ずというほどまず温泉を探すほど。
今日は来る前から、帰りには絶対温泉に入って帰ろうと決めておりましたので是が非でも行かなければなりません、大袈裟ですけれど(笑)
かく言う自分も温泉は好きですし、広島県は温泉は少ないのにお隣の島根県は結構どこでもあるみたいで此方へ来れば時間の許す限り入って帰る
ようにしておるほどです。
そんな今日入ろうとしていたのは飯石郡飯南町頓原(いいしぐんいいなんちょうとんばら)にある『ラムネ銀泉』という温泉です。
此方の温泉は鉱泉水に大量の炭酸ガスを含む日本有数の炭酸泉というものです。
以前、一度だけ入ったことがあるのですが湯の温度はそこまで熱くなくともじっくり入っていると無数の泡がくっつくようにして身体を包み、なん
ともいえずほぐれてくるように感じられます。
また入っている最中よりも出た後の方が余計に身体があたたまる感じがして湯冷めしにくいようでもあります。
そんな温泉を目指して車を走らせました。
運転するよと言っていた息子は花粉症のせいか頭クラクラするわ、とこれまたのたまいますので;結局は自分がハンドルを持ちました。
来た時同様、斐伊川沿いを走り松江道へ入り雲南吉田IC(うんなんよしだ)で下ります。
このインターを出て標識通りに国道、R54への道を辿るのではなく(ここ、肝心ですよ)その逆、左側へとハンドルを切り今来た高速の下を通る山道
を走ります。
来る前にグーグルマップで確認しておりましたので車の通行には支障はありません。
その代わり相当なくねくね道、しかもアップダウンのある道ですので冬場や雨の日、また車の運転に自信の無い方にはお勧めいたしかねます;。
それでもその道を走ったのは目的地の温泉に一番の近道と考えたからでした。
山道を抜けるとR54へ出てきます。
その国道をこれまたひたすら走らせること20分ほどでしょうか、ようやっと頓原の町まで辿り着きました。
以前はその頓原にあります道の駅、『道の駅とんばら』でも日帰り入浴が出来ていたと思うのですけれど、今はどうもやっておられないようです。
またその道の駅のすぐお隣には、あの出雲大社の大注連縄を作っている『大しめなわ創作館』という所があります。
お時間のある方はそちらも立ち寄られては如何かと思います。
迫力ある注連縄の様子が良くわかりますよ。
ともあれ目的地の温泉へ辿り着き、此処まで寝ていた息子も目を覚ましたようでした。
受付で料金を支払い、それぞれ男湯、女湯に別れて入浴します。
この日は自分が入った時には貸切状態でして、一人湯船でのんびりしておりました。
一週間でお湯の色が変化すると言われているようで、自分の入った頃は少しグリーンがかったような色合いのお湯となっておりました。
そのうちに人が増えてきて、あまり広くない洗い場も一杯となったのを機にあがりました。
出ると身体もポカポカです。
先ほどの受付まで戻ると、じきに息子も出てきました。
火照った身体をそこで売っているラムネ、それに美味しそうなアイスを買い求め無料休憩所としておられる畳の間へ持っていって、しばし食し
ながらのんびりしておりました。
時刻は17時半頃だったでしょうか、外へ出ると日も傾き空には月も見えておりました。
後は本当に広島へ向けて帰るだけです。
此処でもこれまた眠いわぁと息子にがのたまうので、結局は自分がまたもやドライバーとなりました。
しかし温泉の効果か身体がほぐれているせいか、自分もかなり眠気が襲います;。
いやいや寝てはあかん;、と自分に言い聞かせながら以前に比べれば広島行きの車は皆無というほどのR54をひた走るのでした。
三次(みよし)までの道、それでも近づくにつれ少ないとはいえ時間的にも車も増えてきました。
渋滞とまでは行かずとものんびり走る車の後をついて行きながらも、なんとか三次ICまで戻ってきました。
此処までくれば本当にあと少しという感じがします。
インターを入れば、なお更アクセルを踏む自分ですけれど、そのインターを入った途端、後ろから来る大型トラックが走行車線から退いてくれ
ません;。
加速車線ギリギリでなんとか走行車線に無理やりのようにして進入しましたけれど、トラックドライバーの方、追い越し車線には全く車はいな
かった事を考えると大変失礼ですけれど果たしてきちんと前を見ておられたのか、そう思わざるをえないような走り方でした。
そんなかなり危険;とも思える事態?にも遭遇しつつ、ひたすら走っておりました。
来しなに反対車線の江の川PAで休憩しましたけれど帰りもこのPAにて休憩し、此処で交代するわという息子と運転を変わりました。
これまで寝ていた分元気も取り戻したのでしょう、大丈夫か;?というくらい飛ばしてくれます;。
バイクに乗る子ですので心配はしておらないのですけれど、それでも同乗者としてはかなり怖い気もするところです;。
こういう時、自分自身が飛ばす癖して;息子がそれをするといきなり心配になるのはこれまた悪い癖でもありますね;。
何度か飛ばすな、ゆっくり走れ、とうるさく言う助手席の母親を分かってますよと軽くいなしながら、広島まで戻ってきたのでした、ふぅ~;。
広島インターを出るとあと少し、帰りがけにスーパーに寄り残り物のお寿司とビールを買い求めて自宅への道を辿りました。
玄関を開けると、暗い部屋の中で待っていたであろうネコが飛び出して来ました。
往復約12時間の今日の出雲行きが無事終わりました。
最後の3枚の写真は、それぞれ昨夜30日の月、今夕の夕日、それに今夜の満月です。
ブルームーンといわれる満月、このブログを読まれる頃には既にそれも終わっておるかもしれませんね。
それでも何かしら皆様にとりまして良きことが御座いましたら、と思う次第です。
出雲行き、そこまで書くか;?なところまで書かせて頂きました。
もう殆どいつものオバサンのお出かけ日記の様相を呈しておりますけれど;。(苦笑)
戻った翌日の我が家での大神のお言葉、また明日にでも揚げさせて頂ければ、と思います。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。