日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

白い龍と仲間の龍と

2017-10-31 22:15:23 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
今朝は言われていたように、この辺りは放射冷却もあってか、かなり冷え込みました。
その分、日中はお天気も良く、空気も乾燥してまさに晩秋という感じでした。
山々も急な気温の低下で一気に色づきそうな気配です。
ついこの間まで暑いといっていたようですのに、昨今季節の移り変わりが早く感じられるのは、自分の方が歳を取った証拠かもしれません。
そんな昨夜の様子と朝を写してみました。



                               

                                 




                                 



此方は九時半を回った頃の同じ方向を写したもの。
遠くの霧はまだ消えておりませんでしたよ。
                                



                                  

 

                                  



                                  


お日様の恩恵を十二分に感じられる今日のお天気でした。
写真は、そんなペッカリと昇ったお日様、これも同じ九時半過ぎの頃。
眩しいのが嬉しい日でもありました。



このところ、続けて自分の頭に浮かぶ、半分それ妄想;?な話を載せておりますけれど;。
それでも自分が考えたにしては上出来じゃない?な気も致しております、とすみません、手前味噌で;。
そんなわけで?今日も今日とて見えてきた、そんな話を載せさせて頂こうと思います。
多分、しばらくはこんな話が続くかも;?
毎回、これもしつこく申しておりますけれど、あくまで自分が感じた主観にしか過ぎませんので、そこのところはどうぞご容赦下さいませ。




                                 



      祝詞奏上の後、奉幣を振りながら、今日は何故かずっと有難うございます、の言葉しか出てこない。

      見えてきたのは
  
                     〝  これがそう(白い龍の言葉か?)   

                        そなたの(見るもの)全て真(まこと)
                        それを伝えよ
                        人皆それぞれ
                        最初から 滑らかな道を行くものもあれば
                        ごつごつとした 岩肌を行く者もある
                        岩肌を行く者は 一見辛そうではあるが  
                        そこを挑戦していく術(すべ)手立てを
                        持ったものだからこそ 敢て そうしておる
                        清らかな 滑らかな道を行っているものも
                        (他人から見れば)そう見えていても
                        本人にとっては 険しい道を行っている
                        どちらも その人の道
                        どちらが良いとか 悪いとかではない
                        与えられた道 歩めよ   〟 
                                
 
                        白龍が 空高く 駆け上がる     
                        澄んだ群青色の空(雲はない)
                        青というより 黒に近いような色  
                        眼下には 峨々(がが)とした山並み?
                        ヒマラヤ山脈のよう? 

                     
                     〝  そなたが山が好きなのは 元々この辺りへ居たから(?)  
                        此処から(この高さから)下を見下ろしていたから
                        (見下ろすとは悪い意味ではなく)
                        此処からだと 人々の様子が つぶさに分かる
                        細かいところまで 入っていけずとも
                        上からなら 見ることが出来る
                        細かい処を見るのは それに相応しい者らが 役目 〟
                         

                        視点が変わり色んな色の龍が並んで飛んでいる
                        横並び
                        白い龍は  そのかなり上を行く
                        それらの龍が 向かっているのは
                        顔に 日の光を浴びる方向へ
                        朝日?夕日? そこがわからない
                        眼下には白い雲 霧に覆われた山々
                        壮大な 景色  


                     〝  自分を卑しむことは 無い
                        此処も 通り越し(経済的な面)
                        此処を越えて行け 
                        自信を持て(に近い言葉?) 〟
                                   


                        全て色の違う龍
                        顔が大写し?
                        逞しい 精悍な感じ  


                             



とまぁ、いつに変わらぬ、ほんまかいな;?な言葉が結構出てきております;。
最初の方の言葉、これは自分が書き写していても、確かにそうだなと感じます。
人それぞれ、生きていくのに通り越して行く道筋も違えばその方法も違う、けれどもそれが自分に課せられた道ならば、その道を迷わず進め、
ということでしょうか。
峨々とした山並みが見えたのは覚えております。
書いておりますように、なんとも高い山々が連なりどことなくそれらが人々を寄せ付けないようでもあり、または崇高な感じを思わせたりと
感じられました。
空はどこまでも青く、というよりもこれも群青に近い黒いような青に思われました。
しかし;、自分が下を見下ろしていた空飛ぶ龍であったのか、と問われれば、いやぁどうでしょうねぇ;、と我ながら首を傾げざるを得ま
せん。           
申すがごとく、あくまでも自分が頭の中で感じた感覚、妄想の域は出ておりませんので、そこのところは本当にご容赦下さい。
ただ、自分が龍であったかどうかよりも、幾頭もの龍が横並びになり、しかもその身体の色はそれぞれに違いながらもそのどれもが逞しく
精悍な顔つきであったのはこれもまた良く覚えておることです。
なんとも清清しいような思いのする光景で、そのような龍の遥か上あたりをまた白い龍が駆けているのでした。
経済的なこと、これは言わずもがなです。
あまり申しておりませんけれど、このオバサン;結構ピーピーしております。(え、分かってるって;)
そこを見透かしてのこの言葉だったのかもしれません。
またそうであろうとも、自分を卑しむな、というのはどうせ自分なんてと、どのような状態であっても己を卑下するなという風に解釈致しました。
どんな状況であっても正々堂々、胸を張って行け、そんな風に言われたように思います。


これらのことを瞑想の中で感じた後、自分で思ったことは、不安を持つと不安が顔を出す、つまりはそのこと自体が現実化すると言うこと。
ならば、素敵!自分は楽しい!そういう方へ思えば今度は周りが光り輝いて見えるのでは、ともこれもまた書き記しておったようでした。
いつかも書いたかと思いますが、思うことがそのまま具現化、現実化する、良い意味でも悪い意味でも、思ったことそのものが実現すると言う
ことです。
ならば、どうせ思うのなら良い方へ向けて考えた方が良いんじゃない?という、とても単純な考えというわけです。
こうして見ると、自分一人で考えて、一人で落ちをつけてるようなものですね。 
当たり前のようなことですけれど;。



                                 


                                 



                                  


写真は、いつものように夕方散歩をして帰っていると、それまで雲のなかった空に西から出てきた雲を撮ったものです。
今日、何書くよ;?と考えていた時に、さながら現れたかのように白い龍と思しき雲が出てきたのでした。
どうででも書けということかいな;、と感じつつ家に戻り、上記のような事柄を綴らさせて頂いたというわけです。

何度も繰り返して申しておりますけれど、決して己が優れているというようなことを述べておるのではありません。
それでもこれは伝えなさい、とどうしても言われているようで、このように書き記させて頂いております。
この拙い上記の文章の中で、少しでも皆様に伝わる部分がございましたら、幸いと存じます。



                                 



今日もまたもや妄想話となってしまいましたけれど。
そんなブログへのお付き合い、本日も有難うございました。
感謝申し上げます。
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頭の中のお話

2017-10-30 20:58:46 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
今日は、というよりも夜半から風がきつかったです。
今頃、台風の吹き返し?とか寝ぼけた頭で考えつつ、それでも寝ておりましたけれど;。
日中もかなりの風が吹き、これで季節がまた一段と進むのかもしれませんね。
そんな朝は、このような感じでした。
お日様の出てくる時間もかなり遅くなって来ております、山陰(やまかげ)だから余計ですけれど。




                                



                                

                                





                                




                                


誰がいつもそんなに載せとんね?な感じですけれど;。
本当はもっと撮っておりまして、こう、なんというか変わり行く感じを分かって頂けたら、と見える景色は大したこともないのに、あくまで
自分の趣味として載せております;。
ま、オバサンのすることじゃけんね、と思っておいて頂ければ、と。 




                                



お天気がよく、また今日のように風が強いと、雲が千切れるようにして飛んでいくさまが見受けられますが、そのような様子を見るのもこれまた
好きでして、飽くことなく眺めておられたらと思うほどです。(どんだけ暇人;)
空を眺めるだけで何かを伝えて頂けているような気がしておるからかもしれません。

このところ自分がどうやら下りて来る?メッセージのようなものを書かせて頂いておりますけれど、これも今の時代、多くの方々が場所は違えど
言葉は違えど、様々に受け取っておられるのではと感じます。
申すように、受け取り手が違えば感じるものも当然違うので、一見すれば違うように見える、あるいは感じられることでもその本質、大元の部分は
実は同じことを受け取っておるのではないのか、そのようにも思います。
また物ではなく、少なからぬ方々が精神的なものに心引かれてきているというのも、これもいわれているようにそのような時代へと変遷して来て
いるからではないか、と思います。
此処で殊更、自分如きが声高に物申さずとも、そのような流れが出来てきているのだろうな、と感じます。
後は、ご自身がどの方に引かれるか、惹かれるかではないかなということなのでしょうね。
同じようなことを言われていても、この方のは面白いけれど、こっちの人のはどうもね、ということもあるでしょうし。
要は、ご自分とその方の波長が合うかどうか、だと思います。
これとて、言わずもがな、な話ですよね。
昨日そう思いながら、ふと感じたのは、クラシックが一番、という人もいれば、ロックが最高!という人もいる、そういう違いなのではということ
です。
結局は自分が一番好きだと思うことに突き進んでいけば、何かが見えてくるのでは、と思うのですけれど。
ただ、そこを中途半端で終わらせるか、とことんやってみて、それで区切りをつけるか、ではないのかな、とも。
やってもどうにもつぶしが利かないというのは、これもまたよく言われる話ではありますよね。
ですけれど、やってみて無駄なように見えても、何がしかはそこから掬い取れたのでは、とも思ったりします。
或いは、嫌々やっていたことでも、後になって見てみると、案外役立っていたとか、結構そういうことも多いのではとも感じます。
つまりは、好きでも嫌いでも、やるならとことんやってみること、そういうことなのかな、と思うのですけれど。

すみません、どうにも歯切れの悪い物言いのようになりました。
オバサンのつまらぬ御託話はこのくらいにして、これもまた昨日感じたことを書かせて頂きます。
毎回申しますけれど、自分自身の勝手な脳内の感覚話ですので、そこのことろは何卒ご容赦の程を。
感じたことを後でノートに書き記しておいたものです。



 
                                 



                     祝詞奏上の後、瞑想。
                     見えたのは白い鳳凰? 
                     大きな羽根を広げるようにして羽ばたきながら進む
                     地球の成層圏と大気圏の間、白く美しく見えている
                     いつもの視点より、地球、地上より(側)
                     龍は今回、遥か彼方を駆けている
                     かと思うと、その(龍の)視点になり
                     此方(龍)は身体をくねらせながらも
                     物凄いスピードで駆けて行く(身体はやはり白い)
                     鳳凰は羽根を羽ばたかせながら
                     白いキラキラしたものを振りまいていく
                     どちらが前か後か覚えていないけれど

                     地上では多くが壊れる?
                     多くのこと(災害?)があるが
                     次に新しくなるには一度古いものを
                     綺麗に刷新することが必要
                     悲しい思いもするかもしれないけれど
                     今の三次元には必要?
                     
                     真っ暗い中、真上から非常に眩しい光が
                     頭上へと降り注ぐ
                     とても強い 
                     周りは一切の闇にもかかわらず
                     この光だけは強烈
                     宇宙のセンター?
                     中心から放たれているよう
                     その光を浴びると、一番下のチャクラを通り
                     身体の中心を通り頭頂まで
                     エネルギーがグワンと昇っていく感じ
                     こうなると いつも感じる 
                     なんともいえぬ 恍惚感
                     目を開けても しばらくは     
                     エネルギー酔いしているよう



                                 
                                                    


このように入って来たようでしたけれど、こう書かせて頂きながら、途中の災害に関するような事についてはどうなのだろう、と頭を傾げる
思いが致します。
次に良くなるためには悪いことがあっても仕方ない、当然なのだと是認させるようにも感じます。
しかし、そこだけはどうにも自分自身が承服出来かねる思いです。
今世界中のあちこちで大きな火災があったり、欧州あたりでは大雨による大規模な被害も見られます。
日本とて今回の台風のみならず、今年の九州の豪雨災害、或いはあの大震災等、あげればきりがないほど内外を問わず多くの災害、また惨事が
各地で起こっております。
それら全てが次に良くなるためだ、とされるのはやはり違うのではと感じます。
ならば、そうならない為にはどうすれば良いのか。
此処こそが、自分達に届けたい本当の事なのでは、と思います。
己が為だけではなく、自分の隣の人のため、或いはこの地球という同じ星に住む多くの生命、命の為に自分達が出来ることを考えて行くこと
そこの部分を分からせたいが故に、敢えてこのように逆のことを聞かせたのではないのか、そのようにも思えます。
今回の瞑想で感じたことは、いつも以上に考えさせられることのようでした。



                                 
                                 



もうちょっと身のある話をせんかいな、と自分に言い聞かすような今日のブログとなりました;。
我ながら、う~む;と思う次第です。
頭捻って、また考えさせて頂こうと思います。


このようなブログへのお付き合い、皆様いつも本当に有難うございます。
感謝申し上げます。
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宇宙と釈迦と蓮の花?

2017-10-29 21:26:05 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
昨日から申しておりましたように昼頃までは台風の雨が降っておりました。
とはいえ降り方はごく普通の雨模様であり、それほど風が強いわけでもなく、穏やかに過ぎていったように感じます。
吹き返しといわれる風もさほど吹いたようにはなく、午後からは晴れ間も覗く一日となりました。
朝はご覧のように雨ではありましたけれど。



                              




昨日申しておりましたこと、祝詞奏上の後に頭に入って来たことを書かせて頂こうと思います。
日にもよりますけれど、大体このところ毎日のように頭の中へ言葉やら映像やらが浮かんできます。
これも毎回申すが如く、全くの個人的な感覚ですので、どこまでが本当のことなのか確信は持てません。
ですけれどそう思う度、自分が否定する度に、これは事実であると、これもまた頭の中へ言葉が入ります。
解釈はどのようにして下さっても、当然構いません。
自分で書き留めておいたものをそのまま載せております。
オバサンの独り言、と受け止めて頂ければと思います。


                              

          
                              
                          
                             



              神殿で祝詞奏上の後、奉幣(ほうへい)を振りながら頭に入ってきた。
              自分の1、2メートル上の頭上に黒いような龍?
              私を見下ろしている
              連れて行こう 参れ (そう言われたのか?)
              そこから様々な色の龍?が絡まって昇って行く
              次第に白く輝く白いいつもの虹色の龍になり、太陽の光目指して駆け上がる
              成層圏を抜け、やがて太陽ではなく銀河宇宙の中心へ
              そこからの眩い強烈な光を浴びる
              龍は 「参れ」(私にか?)

              


   
                             



              想念の中で自分自身が皮が剥けるように幾層も古い皮を脱ぎ捨てて行く
              古い自分は光が当たらなくなり暗くなる  
              そんな自分があちこちにポツンと浮かんでいる
              今これからの自分 身体に光を存分に浴びている
              暗い所にある、それまでの自分とは違う自分
              それまでの自分にはもう光が当たらない



                    〝  其(そ)は 我 
                       
                       我は    其
                                  
                       古き殻を 脱ぎ捨て  

                       次の 自分に 移るべし
                   
                       我は 宙(そら)
                    
                       宙は 其であり 其は 宙である 〟 
                                                 
                       

                これらのこと、拡めるべし
                これにより 豊かさ(が参る)
                循環させること
                     
               
  
           
                            
                               
ここで少し補足致しますと、最初に出てくる奉幣(ほうへい)というものですけれど、これは神様の御前で、白い幣(ぬさ)を白木に取り付けた
ものを左右の腕で持ち、静かに左右に振ることを致すものです。
これもネット等でご覧になられると、此処で説明致しておりますことと違いがありますけれど、今回の事に関しましてはそのように致すということで
解釈して頂ければと存じます。
実際にしておりますところを見て頂く方が早いかとは思うのですけれどね;。
ともあれ、そのようして奉幣を振っております時に見えてきたものです。
この時には目を閉じて、祈念を致しますのでその際の事です。
載せておる、このまずい図;は、その折に自分がノートに書いたものです。
自分が後で分かればいいと思い書いておりますので、下手くそなのはすみません;。
黒く塗りつぶしているのが龍、横に見えるのが烏帽子(えぼし)を被った自分ということです。

皮が剥けていく自分というのは、見えていたのは筍?みたいに次々と皮がむけていくような感じで見えておりました。
筍の真ん中に自分がいるという感じですね。
そんな皮を剥けているような、それとも途中なのか、そういう風な自分が暗い中へあちこちへ、ポツン、ポツン、と浮かんでいる感じです。
想像すると、なんともシュールな絵がこれまた浮かびますけれど;。
その中で、一番新しい自分にだけ眩いほどの光が頭上から降り注いでいます。
強烈ともいえる光に照らし出された自分がそこに居る感じです。
ちょうどそこだけスポットライトが当たっていると考えて下さると、よく分かるかと思います。
後の古い自分?は、既に暗闇の中にあるようですけれど、光も当たらず、その存在すら覚束ないようです。

また響いてきた言葉は、そのまま文字に書き起こした感じです。
漢字は頭に浮かんだままの文字を書いております。
宙と書いて、そらと読んでおるようでした。
これもまた、ほんまかいな;?な言葉ですけれどね。
しかしながら、浮かんできたイメージは確かにこのように感じられたのでした。
                       



                              


続いて、これもまた我が家の御霊舎(みたまや)、仏教でいうところの御仏壇の前でいつもの祖霊祭詞(それいさいし)を奏上した後に頭に浮か
んだ事柄です。 
いつもはこのようなことはあまりないのですけれど、昨日はその折に感じた事をノートに書き記しておりましたので、併せて載せてみたいと思い
ます。
         

               御霊舎の前で 今のこの自分の肉体を作ってくれてきたのは
               このご先祖方
               この先祖があるからこそ 今の自分の肉体がある
               有難い 感謝の念

               蓮の花 宇宙の光を 集めて咲く花 
               ロータス

               全ての花は 皆 そうであるが
               特に この花は そう


このような事を書き記しておりました。
前と同じく下手くそな絵は、その時に自分が頭に感じ、浮かんだことを描いておったものです。
御霊舎の前で、いくらご先祖様をお祀りしておるといいましても我が家は当然神道ですし、なんぼ何でもお釈迦様が頭に浮かぶなどということは
ついぞ、これまで無かったのですけれど;。
あまりにも奇異なこととして感じられたが故に、敢えてこのようにして自分でもメモを取るようにして書いておいたのだと思います。
釈迦の姿は、この絵とは似ても似つかぬ(当たり前;)とても穏やかな、あの半跏思惟像(はんかしゆいぞう)のお顔が浮かんで来ておりました。
まぁ、自分でどのように感じたものか、前半部分の、この肉体を作って下さったのは、此処におられるご先祖方というのは、その時に実際に感じた
ものです。
蓮の花と釈迦?の顔は、その後に浮かんできた映像でした。
また、一つお断りさせて頂きたいことは、釈迦と菩薩の違いを全く存じておらず、混同して考えておったかもしれません。
全く別のものを頭の中で勝手に解釈致しておりましたならば、この場をお借りいたしましてお詫び申し上げます。
申し訳御座いません。
いずれに致しましても、このような事柄を頭の中に感じていた昨日でした。





                                


今日も今日とて、何やら頭に入ってきたことがあります。
それもやはりノートに記しておりますけれど、これはまた次の機会に致したいと思います。
自分自身が感じ取ったことばかりですので、それまでのことではありますけれど。




                                


毎度ながらの稚拙な当ブログ、お越し頂きお付き合い下さいました皆様、有難うございました。
感謝申し上げます。
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宇宙(そら)からの伝言

2017-10-28 20:56:38 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
週末、またもや雨となりましたね。
この時期ですと大抵はそろそろ色づいた紅葉を眺めに郊外へ紅葉狩りに行かれたり、どこかへ果物等を採りに行かれる方もおられる頃でしょう
けれど、それもできませんね。
来週こそはお天気となってほしいものです。
そんな朝は、どんよりとして始まりました。



                                   




                                   


ま、いつも二枚載せることないんですけどね;。




お天気はこのように下り坂ですけれど、想念の中では晴れ間が覗いております。
昨日、今日と自分の頭の中へ浮かんできた言葉、或いは見えてきた光景を書かせて頂こうと思います。
毎回申しておりますけれど、これがどこかから来たものであるのか、はたまた自分が勝手に妄想した産物であるのか、そこのことろはわかりません。
ただ、いつもこのように頭の中に浮かんだこれらの事の最中に、どこかしらから、このことは本当のことである、全てを伝えよとのこ言葉がやはり
頭に入ってくるようでもあります。
そのような事もあり、此処へ書かせて頂く次第です。




                                   



一昨日、このパソコンでNASAの映像を見ておりました。
ハッブル宇宙望遠鏡が捉えた宇宙の様々な天体の写真ですね。
これをいつもの如く、おお綺麗じゃぁ、と一人眺めていた時の事です。
その中でかに座星雲を写した写真があり、それを拡大して見ておりました。
以前にも少し述べたことがありましたが、かなり前にもこのような宇宙の天体やらの写真を見ていて引き込まれそうになったことがある、と
書いたことがあります。
その時には自分の身体が、そのまま丸ごとその写真の中の宇宙空間に漂っているような感覚に襲われたのでした。
何故そのようになるのか訳も分からず、しばらく自分で何だったのかと思っておりましたが、後にあの「まるの日さん」を通して宇宙人さん(!)
に相談したところ、写真を通して別の宇宙へのポータルとなっていたのだろう、との答えを頂戴したことがありました。
なんのこっちゃ、と思われる方もいらっしゃるでしょうけれど、その答えで自分自身は大いに納得出来たのでした。
そんな経緯がありまして、今回もそんな写真を眺めておりますと、そのいつかのようにまたもや自分が引き込まれそうな感覚に陥りました。
目を閉じて姿勢を正して瞑想状態になると、頭に入ってきた言葉がありました。



               遠いところではありません
               
               貴女が感じると 即座に すぐ そばにあるのです
               
               距離の問題ではありません

               感じることが 大切なのです
    
               貴女が 引き込まれ 感じる感覚

               とても速い 物凄い スピード
  
               風 爆風 全て そうなのです

               一つとして 同じところへは 留まらない

               少し前の此処と 今此処は 同じようで 全く違う 

               同じように見えても 全く違うのです

               物事は 全て 留まることがありません

               全て 流れている

               留まることを 知らない


               貴女も そうです

               少し前の 貴女と 今此処にいる 貴女は

               同じようで 全く違う 貴女なのです

     

               私は 愛を 送っています

               (此処 宇宙から)周りへ向けて 放っています 常に

               物事は 留まることなく 此処から

               また 新しいものが 生まれていきます

                
               貴女が見える(白く輝く)龍

               それは 貴女でもあり 龍でもあります

               貴女が 天駆ける(宇宙を行く)龍を 見ているのは

               本当なのです

               宇宙を 駆けていくのは そうなのです

       
               頭の中に 出て来る イメージは
        
               そう(本当に)なのです


               (下ろされる)メッセージを (人々に)伝えて下さい



               私は いつも 此処に 居ます


               私の姿(かに星雲)が このように 見えるのは  

               三次元に住む あなた方に 優しさや 愛おしさを 伝えるため

               このような 色や 明るさで 伝えているのです

               (中身は 物凄いスピードで激しさを秘めながらも)


               

               滞っているという 部分があるなら

               そこを 流して下さい

               滞りがあると 流れが 止まり 循環が 出来ません

               滞りを取ることにより それまで 堰き止められていたものが

               急速に 流れるようになり (循環が)始まります

               滞りを 作らないで下さい

                                         

               空を 見上げて 見つめて下さい

               私たちは いつも 愛を 伝えています  
  
             
              (優しい 柔らかい 女性性のよう?)
               
               
                      

このような言葉が頭に入ってきました。
これもまた、いつものようにそのすぐ後に、忘れぬうちにと書き記したものです。
昨日のことですけれど、自分自身、今この場で思い出して書けと言われても到底出来ません。
なんか聞いたけどなぁ、何だったけかなぁ;なそんな感じになるかと思います。
また頭に入ったことをそのまま思い出しながら書いているので、直後とはいえ多少おかしな部分があるとしても申し訳ございません。


自分などより遥かにしっかりとチャネラーとして活躍されておられます「虹色の空に 金色の風」というブログを書かれておられますTomokatsu
さんという方がおられますけれど、彼自身は下りて来る言葉をそのままご自身の声を通して話しておられます。
あの感覚は自分でもよく分かります。
実際にあのような感じで頭に入ってくると考えて頂ければよいのではと思います。
また自分が神様から言葉を頂戴するときも、自分の声を通して出てくることもあれば、頭の中に響いて来るときもあります。
いずれにしても、声として外へ出すかどうかの違いだけであり、入ってくる情報を自分が一瞬で翻訳?して言葉として表へ出しているという
ことかと思います。

今回出てこられた?のは、この自分が見ていたかに星雲のそこから発せられた情報、言葉のように自分では感じられました。
その言葉の中でも言われているように、淡い、あえかな光を放つこの星雲は地球に居る自分達から見れば、非常に美しく、さながら宇宙に水彩
絵の具を振りまいたように見えますが、実際には(ウィキペデアによれば)

「かに星雲[1](かにせいうん、Crab Nebula 、M1、NGC1952)はおうし座にある超新星残骸で、地球からの距離はおよそ7000光年。典型的なパル
 サー星雲で、中心部には「かにパルサー」と呼ばれるパルサーの存在が確認されており、現在も膨張を続けている。」

となっております、とこう書いてもよく分かりませんが;。
これをもう少しウィキから拝借させて頂くと

「かに星雲の中心にある星は、かにパルサーと呼ばれるパルサー(中性子星)である。1969年に発見された。直径は約10km。光度は16等級。1秒間
 に30回という高速回転をしており、33msの周期で電波やX線を出し、また可視光線で星雲全体を照らしている。非常に強いX線を放出しており、X線
 天文学において時間の較正に使われる。」

となります、余計分からんがな;。
と言っておりましても埒が明きませんので、自分なりに考えさせて頂くと、地球の時間に換算して7千光年前に中心にある星が超新星爆発を起こし
それに伴い、パルス状の可視光線、電波、X線を発生する天体となり、未だにその中心からそれらを発している、ということでしょうか。
あれ;?説明がおんなじで、全く変わらずどうにもなりませんね;;。
ともあれ、実際には非常に強いそれらのX線等を放ち、飛び散った元の星の残骸は今でも広がり続け、膨張し続けているということなのでしょうね。
そのような中心はしかし、今はとても穏やかな柔らかい女性性を纏った存在ということなのでしょうか。
これも自分がそのように感じただけであり、本当にそうであるのかはわかりません。
ただ、これも幾度も申すように、何がしかの存在が自分の頭の中に話しかけてきた、語りかけてきたという事なのだと思います。
 


                                 
                                    

            
ここまで書いて参りましたけれど、一昨日のことだけで相当長く成ってしまいました。
今朝のことも書くつもりでしたけれど、この続きはまた明日にでもさせて頂ければと思います。


本日もこのブログへのお付き合い、誠に有難うございました。
感謝申し上げます。                              
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息子のこと

2017-10-27 21:58:31 | 家族のこと
こんばんは。
朝晩はひんやりとしますが、日中は暑いくらいの陽気でもありました。
一昨日、また昨夜と綺麗な星空も見えておりましたね。
昴、プレアデスが昇り、それを追いかけるようにして大きなオリオンが見えてきます。
その星座の中の星雲、また星座を通しての別の薄っすらとした星も見えたりして、やはり空気が澄んで来ていることを思わせます。
とはいえ、またこの週末、台風が近づいてきているようですね。
先日も申しましたけれど、どうぞ避けて行ってくれることを願いたいものです。
そんな日の朝は、このようでした。
だんだんと日が出てくる位置が南の方へとずれてきているようですね。
遠くでは、また霧が出ているようでした。


                                 




                                 




                                 




                                 


昨日まで何日か続けて娘のことを書かせて頂きました。
ただ、これ以上続けても如何かな、とも考えておるのも正直なところです。
時系列に事実を述べてはきましたけれど。


娘の帰幽後、ほぼ一年後に息子が誕生いたしました。
娘のことがありましたので夫婦共に性別はどっちでもいい、とにかく元気で生まれて来てくてくれたらそれだけで構わない、そう考えておりました。
出産は前回のこともあり同じ総合病院にて、やはりこれも前と同じく周産期医療の連携という形で分娩室には産婦人科並びに小児科の医師が一緒に
集うということになっておりました。
今回は前日の夜からの陣痛を感じておりましたけれど一年前のこともあり、いわば自分で学習していた部分でもあるため、陣痛の間隔が短くなって
きたところで、一晩明けてから病院に向かいました。
分娩室の前に待機する部屋で、5分間隔になったらこのブザーで教えて下さいね、と助産師さんにいわれその方が退出してまもなく、いきなり陣痛
の間隔が狭まったようでした。
言われたようにブザーを押すことすらできぬ様な痛みに襲われ、次に先ほどの助産師さんが覘いたときには、あら、これすぐに分娩室ね、とあわて
ふためいた感じで隣の部屋へ移りました。
そこから正味、20分ほどだったのでしょうか、ともかくあっという間の出産で、これも前回同様立ち会うはずだった主人は、自分を連れてきて一度
帰宅したその間に既に出産し終わっておったという事になったのでした。
そのような感じでしたので、待機しているはずの小児科医は、これもまた間に合わず終い;。
とはいえ、今回息子が生まれたのはお昼の12時28分。
ちょうど日本全国、どこでもお昼の時間でもあり、件の小児科の先生はおそらく長丁場になるであろう?この出産に備え、お昼を食べている最中
だったようです。
今回は前の娘の時とは全く違い、取り上げるや否や大きな声の産声を上げ、その名のとおり真っ赤な赤ちゃんとして生まれて来てくれたのでした。
娘自身が出来なかった元気そのもので生まれて来ること、それを息子は自分の姉の分も含めてしてくれたのだと思います。
母親である自分が元より細い為、生まれた息子も2289グラムと非常に小さかったのもあり、一応規定として保育器に入れられました。
その間、彼の周りには様々な機器が取り付けられておりましたけれど、本人が元気に手足を動かすたびにそれらが外れ、モニター上では非常に
困った状態となっていたようです。
けれどそれは取りも直さず本人が元気という証拠でもあり、終いには余りにも甲高い元気な声で泣くために、周りにいる他の保育器に入っている
赤ちゃんの迷惑になるということで、息子の口には哺乳瓶用の乳首が絆創膏でもってペタッと貼られておりました;。
結局はその新生児集中治療室、NICUを3日間で追い出され(邪魔ですしね;)一般の赤ちゃんがおられる新生児室へと移されました。
何から何まで破天荒、しかし非常に元気な赤ん坊そのものでもあり、幾度も申すようですがお姉ちゃんの分もしっかり背負って出てきてくれたよう
でした。




                                 


どうにもここまで、娘と息子の出産にまつわる話で終始してしまいました;。
未だもって、最初の「龍」に関する事柄にまでたどり着けておりませんね。
ですけれど、娘と息子、この二人の子供の事をどうしてか詳らかにさせて頂くことで、これからまた何がしか新しい展開?となってくるのかもしれ
ない、そう自分に対して考えてもおります。
娘にしてみれば、生まれて来てもさほど考えてもらえていなかった事を母親に今一度自覚してほしい、そう思ってあちらの世界から働きかけてきた
のかもしれません。
皆様に聞いて頂くというよりも、自分に対して納得させるため、こうして書かせて頂いたという方が正しいのかもしれません。
それでもこのようにして、暗いところへ押し込められていた娘の事を明るい場所に引っ張り出して来られて良かった、そうも思います。



                                 


こんな感じの話にずっとお付き合い頂きましたこと、本当に有難うございます。
また改めて龍についての事柄を今一度取り上げさせて頂きたいと思っております。
その際は、また宜しくお願い申し上げます。

 
コメント (2)
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