気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

土佐東部 「室戸の心にしみる旅」

2008-08-17 16:15:13 | 気ままな旅
 道の駅「キラメッセ室戸」で車中泊していた私たちは、朝早く駐車場前の太平洋から、静かに打ち寄せる、さざ波の音に目覚めた。
 今日も天気は良さそうだが、日中は明るい太陽が、さんさんと照りつけ、樹木の間から降り注ぐ光線が陰を一層際立たせたり、室戸の岬に開けた太平洋の海面を目映いばかり輝かせてくれるに違いない。
 朝食を済ませた後、私たちは、宿泊した道の駅の、すぐ近くにある室戸スカイラインに入って行った。
 高度を上げていくに従って、亜熱帯の樹木が生い茂り、見渡す限りの、青い海、太平洋が広がり、沖合いからは白い漁船が数隻、海面に航跡を残しなが帰港している様子が見えてくる。
 そして、スカイラインの中ほどには、白い風力発電の羽根がゆっくりと回転し、回りの景観から際立って見えてくる。
 程なくして私たちは、四国霊場第24番札所の最御崎寺(ほつみさきじ)へ向かった。
 室戸には室戸三山と称して、他に25番札所津照寺(しんしょうじ)と26番札所金剛頂寺(こんごうちょうじ)がある。
 この三寺はいずれも弘法大使が大同年間(806年~810年)に開基したと伝わる。
 最御岬寺は高知県最初の四国霊場で、地元では東寺と呼ばれ、金剛頂寺を西寺と呼んでいる。
 最御崎寺は弘法大師が自ら刻んだといわれる秘仏、虚空蔵菩薩を本尊としている。
 また、この寺には数々の宝物が残り、3体が国の重要文化財に指定されている。

           
             室戸スカイラインから太平洋と室戸市街を望む

           
             四国遍路 第24番 最御崎寺(ほつみさきじ)

          
                   最御崎寺(ほつみさきじ)本堂

          
                 空海の七不思議のひとつの鐘石 

 最御崎寺境内にある鐘石で、硬い石質安山岩で、上部にでこぼこのくぼみがあり、くぼみに置かれている石を持って叩くとカーン・・・鐘のような金属音。
 空海七不思議のひとつで、この音は冥土まで届くといわれている。
                     
                     室戸岬に立つ中岡慎太郎像
 
 明治維新の勤皇の志士、陸援隊を結成、海援隊の坂本竜馬と共に、日本の礎を築く薩長同盟締結に貢献するが、京都近江屋で竜馬と共に刺客にあってたおれる。
この時30歳であった。この像は地元の青年達によって昭和10年に建立されたものである。

          
                  多くの観光客でにぎあう室戸岬最端部 

          
             岬に自生して岩にへばりついている 「あこうの根」

 あこうは、亜熱帯植物で室戸岬一帯に自生し、たこの足のように木根を垂れ、岩肌を抱きしめているような奇観を現し、天然記念物に指定されている。 

          
                空海ゆかりの灌頂ケ浜(かんじょうがはま)

       弘法大使が灌頂の会式をした浜で、今、尚その清さを伝えている。
  
 ※灌頂(かんじょう)は仏教で行なわれる重要な儀式のひとつ。頭頂に水を灌ぎ、正当な後継者とする為や、定められた修行を会得して、次の段階に進む場合などに行なう儀式。 

           
                     悲しい伝説の巌 ビシャゴ巌
 
 この巨大な巌には悲しい伝説がある。昔、「おさご」と呼ばれる、それはそれは美しい清らかな女性が住んでいた。 
 その余りの美しさに多くの男達が朝夕この所に舟を漕ぎ寄せて来て、彼女に愛を求めようとしてきました。彼女はその煩わしさに耐えかねて、ついに美女が生まれないように祈りながら巌頭より投身したと伝えられています。が、「おさご」の命をかけての願いも空しく、その後も室戸にはたくさんの美女が生まれています。

           
       空海が修行した御厨人窟(みくろど)と修行の場となった神明窟(しんめいくつ)

 室戸岬で青年大師が荒修行したゆかりの洞窟は二つある。寝泊りした御厨人窟(みくろど)と、修行の場となった神明窟(しんめいくつ)で、ここで修法したことが信仰の焦点になっている。
 一説によると 大師は、口に入った明星を、つばきとともにはきだしたが、この星は海底に沈み、いまだに金色を放っているとある。
  これは鎌倉時代の伝承を伝えたものであるが、いまだにこの伝承は室戸の海に生きているらしく、夕日の照る海上を眺めていると、今でもこの伝承が伝わってくるらしい。

                     
                           室戸青年空海像

 弘法大師は19歳の青春時代、高知県室戸岬の洞窟において難行苦行の末に悟りを開かれた由緒ある場所より、100m先の室戸阿南国定公園を目前に控えた絶景の地を「明星来影の丘」と定めて、昭和59年にご覧のような総高21mの室戸青年大師像を建立している。

           
                  お釈迦様の涅槃像(ねはんぞう)
 
今から2500年前の2月15日、お釈迦様は80歳の生涯を閉じられたのは、中部インドのクシナガラの町外れにあるサラソージュの林の中でした。
 お弟子の阿難がただ一人付き添う中を、北を枕にして世を去られました。
お釈迦様は死の直前、弟子の阿難に言った有名の言葉があります。
 「もろもろの全ての出来事は過ぎ去るものである。
                  人間は誰でも修行して励みなさい」

           
           胎蔵界曼荼羅の諸尊がステンドガラスで現らわされている

 大師像の下の建物中には、木片に残された弘法大師の手形やステンドガラスの胎蔵界曼荼羅などが展示されている。
(胎蔵界は母胎、女性を意味し、理、心を表す、物理的原理。
 それに対し金剛界は男性を意味し、智、頭脳を表す、精神的原理)
 また、基壇外壁には、ブロンズで造られた、弘法大師生涯の有名な場面が9枚、はめ込まれている。
 こういった弘法大師の歩んだ修行の場や、施設を旅しているとなんとなく心が落ちついてくる。
 それに室戸の自然がそうさせるのだろうか!
 どこまでも続く太平洋の水平線、青い空や紺碧の海、強風により海から陸方向へ伸びている樹木の枝や荒々しい景観など、この地域独特の雰囲気をかもし出している。
 空海という名前も、この地域の自然の現象や、景観から生まれたものだといわれている。
 四国霊場も阿波の国の霊場を 発心の道場、土佐の国を修行の道場、伊予の国を菩薩の道場、讃岐の国を涅槃の道場と、人生にたとえられている。
 土佐第一番目の霊場近くに、青年大師空海が修行した場所の縁に触れることができたことに対して、幸せを感じざずにはいられなかった。 
 

            
            国道よりしめ縄でしっかりと結ばれている夫婦岩を望む 

             
            夫婦岩で会った野宿をしながら巡礼の旅をする学生と妻

 室戸岬から10kmほどの美しい太平洋の海岸線を行ったところに夫婦岩はあった。
この近辺に広がる海岸線の景観の美しさは、私たちのドライブを一層楽しくさしてくれている。
 大きな二つの岩をしめ縄で結んでいることから、この名前がついたと思う。
 ここで、東京から来て歩き遍路を続けている学生にあった。
 鍼灸の専門学校の学生で、一週間ほど前から四国霊場巡礼の旅を、野宿しながら続けているとのこと、夏休みの終わる8月末で続けたいとのことであった。
 妻がこの学生の一つ一つの言葉にいたく感激し、車内のクーラボックスで冷やしてあったスイカや飲み物を差し出すと、こんな真夏の中を何キロ歩いてきたのだろうか、冷えたスイカを口に入れ、「最高です」 といって、おいしそうに食べてくれたことが印象的であった。
 私達は、この若者の道中の安全を祈りながら、次の目的地へ向かって行った。