気ままな旅

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台湾6都市周遊の旅 その2(感動の秘話と高雄)

2012-02-28 22:45:56 | ツアー旅行

2011年10月20日(木)台湾6都市周遊の旅の2日目は、台中市内のホテルで宿泊した後、台中市内の宝覚寺や風光明媚な日月潭・文武廟を見学、専用バスで台湾南部の中心都市高雄方面に向かって、高速道路を走行している。

台湾を代表する風光明媚な日月譚を後にする・・・・専用バスの車窓から

高速道路を台湾南部の中心都市である高雄市方面に向かって走行して行く。

高速道路の車窓からの風景・・・亜熱帯の植物が自生する山の上には、大きなお寺のような施設が見えている。

所々にある高速道路の料金所、ETCの設備も日本とほとんど変わらない。

 八田与一さんが精魂込めて造りあげた鳥山頭(うざんとう)ダム、このダムの完成によって不毛の大地が台湾最大の穀倉地帯に変っていく。 

 バスの中では流暢な日本語を話すガイドのリンさんが、車窓からの風景を見ながらの案内を続けている。 

台湾の人達が最も敬愛する日本人の一人である、八田与一さんが造ったダムが見えてくるとの案内であった。 

リンさんの説明は次のような内容であった。

この地域の嘉南(かなん)平野は、当時、旱魃(かんばつ)と洪水を繰り返す不毛の大地であった。 

雨季には大地が水に浸かり、乾季には水不足に悩まされ、穀物栽培には全く不向きな土地であった。

 そこに、世界の水利事業に明るい日本人技師八田与一が、土木技術者として台湾に赴任してくる。

   八田与一は、洪水と旱魃を繰り返す嘉南平野を穀倉地帯に変えるには、「大規模なダムを作る必要がある」 と日本政府に提唱し、嘉南平野開発書をまとめ上げた。 

その計画は、「鳥山頭に大規模なダムを造り、嘉南平野全体に長大な水路を張り巡らす」 という壮大な計画であった。

  1920年(大正9年)に治水工事が着工、八田与一は、家族を鳥山頭に呼び、全てをダム建設に捧げる覚悟でこの一大事業に打ち込んでいく。 

そして、10年後ついに悲願のダムは完成したのである。 

 この鳥山頭ダムは、当時、東洋一の規模を誇り、治水によって潤う田畑への水路は、網の目のように造られ、総延長は1万6000km(万里の長城の6倍)にも達している。  

 ダム完成によって一面の荒れ野原は、緑の大地へと変わり、台湾最大の穀倉地帯を誕生させたのである。

  これを総称して 「嘉南大圳(かなんたいしゅう)」 と呼ばれている。

嘉南大圳の歓声を喜んだ地元の人達は、感謝の気持ちを込めて八田与一の銅像を、鳥山頭ダムの畔に建立する。

しかし、その後、台湾農業最大の改革者であった八田与一を悲劇が襲う。 

ダム完成の12年後(1942年=昭和17年)、フイリピンへ向かう輸送船がアメリカ潜水艦の攻撃に遭い、乗船していた八田与一は殉職する。  

そして 戦争が終わり、台湾から本国へ引き揚げはじめた日本人がいた頃の、1945年(昭和20年)9月1日、八田与一夫人(外代喜=とよき)は、夫が精魂込めて造り上げたダムの放水路から身を投じたのである。

台湾嘉南平野の人々は、この地に生涯を捧げてくれた夫妻の死を悲しみ、戦争が終わった翌年の12月15日、

地元の人々によって、八田与一、外代喜夫人の墓が、物思いに耽る八田与一の銅像と共に、鳥山頭ダムの畔に建立された。

その後、八田与一は、嘉南大圳の父と呼ばれ、毎年5月8日の八田与一の命日には、地元の人達によって、現在でも墓前で慰霊祭が行われている。 

流暢なリンサンの説明を聞いていると、あらためて、日本と台湾が密接につながり、しかも、その関係は良好なものであった。

当時の日本政府は、西洋諸国の行った植民地政策とは全く異なり、日本の府や県のように、本国と差別のない、農業や工業開発、教育などが行われていたことが、リンさんの説明からも分かってくる。

そして、私たちを乗せた専用バスは高速3号を走行し、台湾南部の最大都市 「高雄」 市街へ入って行く。  豊かな緑の景観から、高層マンションなどが立ち並ぶ都市景観の風景に変わってくる。

高層マンションなどが建ち並ぶ台湾南部の中心都市 「高雄」 の車窓からの景観

さらに、車窓からはオレンジとグレイのツートンカラーの台湾の特急電車が見えてくる。

台湾も中国上海と同じように小型バイクが多いのには驚かされる。 バイクには数人の人達が乗って走っている(高雄市内の様子)

私たちの乗ったバスは、二つの塔が聳え立つ池の近くにある駐車場に入って行く。

高雄市のはずれに位置し、左営区内にある全長1.4kmの蓮池譚、その畔の南西側に建つ龍虎の塔。 高雄市の観光スポットになっている。

 つづら折りの橋を渡ると、左の入口には龍、右の入口には虎が大きな口を開けて出迎えてくれる。 台湾では一番良い動物は龍、一番悪い動物は、虎と信じられている。

 従って、この二つの塔への入口は龍で、出口が虎になっている。 龍の口から入り、虎の口から出てくると、災いが消えて、吉が増すと信じられている。

間違って入ると、もう一度、龍から入り直さなくてはならない。

蓮池譚の湖面に映る七層建ての龍虎塔、 

竜虎塔の西側に位置する 「慈済宮」 と書かれ、屋根にはきめ細かな龍や馬などの動物の彫り物が、色鮮やかに飾られている。

湖面に浮かぶ赤い中国式東屋の五里亭と、観音様の立つ像が、蓮池譚の色彩豊かな景観をつくりだしている。(竜虎塔から)

竜虎塔から望む蓮池譚、手前に赤く見えるのが五里亭である。 中国式の東屋で、反り返るような屋根と鮮やかな色彩が、蓮池譚独特の女性的な美しい景色をかもし出している。

蓮池譚の畔に建つ春秋閣。 龍に乗っている美しいシルエットの観音様、その脇に同じ大きさの建つ二つの塔、春閣と秋閣の八角四層建ての塔が見えている。 女性的で優しい景観である。 

蓮池譚の畔にある竜虎塔や、塔からの景観を楽しんだ後、私たちは高雄市内や湾が一望できる寿山公園に向かって行く。

 寿山公園には10分ほどで到着するが、公園道路の両サイドには熱帯植物が樹林し、所々では赤紫の花を付けた樹木が私たちの目を楽しませてくれる。

高雄市西南部に位置し、サンゴ礁の上にできた丘陵地にある寿山公園、駐車場から40~50段の石段を登った所にある忠烈祠の鳥居、

高台にある忠烈祠には、国のために命を捧げた烈士たちの霊が祀られている。

忠烈祠の鳥居をくぐり抜けて反対方向を見ると、このような高雄市街や湾が一望できる絶景のパノラマが楽しめる。

高雄は 「水の都」 と呼ばれ、港を中心としてアジア有数の国際港として発展を続けている港町である。

高雄は台湾南部の中心都市であり、台湾最大の工業都市でもある。 昔も今も港を中心とした街で、アジア有数のコンテナ港として国際的にも重要な位置を占めている。

超高層ビル群が建ち並ぶ高雄市街の中心部。 中心部も港の近くにある。 高雄は台北に次ぐ台湾第2の都市である。

左前方に聳える超高層ビルは、85階建て350mの高さを誇る台湾第2の超高層ビル(85景観台)である。

忠烈祠の鳥居をくぐり、真っ直ぐにできた石の参道を進んで行くと、立派な門の建物があり、その奥には宮殿式建築様式の美しい建物がある。

この高雄にある忠烈祠は、日本統治時代は、高雄神社として祀られていたものであるが、戦後に忠烈祠として改められた。

広い境内に造られた豪華絢爛な宮殿式建築様式が採用されている忠烈祠の美しい建物。

細かい細工が施され鮮やかな色彩を放つ忠烈祠

高雄市内が見渡される寿山公園からの大展望や忠烈祠の見学を楽しんだ後、私たちを乗せた専用バスは、高雄市内方面に入って行く。10分ほどで市民に親しまれている神様として知られる 「三鳳宮」 寺院に到着する。

この神社は、下の写真のように工事中で、壮麗な建築様式を見ることはできなかった。 

 この 「三鳳宮」 は台湾を代表する道教寺院で、あまりの人気ぶりに信者を収容しきれなくなり、平屋を2階建てに増築した歴史を持つ寺院である。

三鳳宮は1672年に建立され、300年以上の歴史のある道教寺院である。 台湾南部における道教の聖地ともいわれている。

道教元帥、那咤太子を主神に、釈迦如来、孔子、観世音菩薩、福徳生神など様々な神様が祀られている。

三鳳宮の本宮の宮蹟は、三殿に分かれ、中央殿の正中殿には、中壇元帥(那咤太子)が主神として祀られている。

正中殿の右には、安産の神様、左側には福の神様が祀られ、後殿には、釈迦如来、観世音菩薩、文殊賢菩薩などが祀られている。 また、上殿には、道教における最高神が祀られている。

入口に掲げられている 「三鳳宮」 の額 

三鳳宮内部には、このような照明と細かい細工が施された彫刻の天井がある。

三鳳宮の中にある絵図、 絵の靴先がどの角度から見ても 自分の方を見ている不思議な絵図である。

工事中の山鳳宮の奥にある正中殿に向かって順路を進んで行く。

正中殿内部、那咤太子をご本尊として祀っている。

30分ほどの見学時間であったが、壮麗な外観は工事中のために見ることはできなかった。

台湾の人達の信心ぶりが伝わってきそうな寺院であることが、ガイドのりんさんの説明から伝わってくる。

見学を終えた後、15分程の所にある宿泊するホテルに17時40分に到着する。 今日のバス走行距離は280kmであった。

 

ホテルに到着後、しばらくたってから台湾料理のレストランで夕食を摂る。 

中国本土の中華料理よりも台湾海鮮料理の方が、あっさりしているように感じる。 

 美味しさは好みもあるが、どちらも美味しい料理である。 ただ、お酒(紹興酒)は、上海の方が美味しいように感じる。

夕食後、ガイドのりんさんが、近くにある夜店に連れて行ってくれた。 

夜店に数百メートルも続く、大規模なもので、大勢の人達でごったがやしている。 

品物も豊富で、飲食の出店があり、土産物、食品、アクセサりー、衣類など様々なものが売られている。

こうした夜店は、日本では、祭りなどの時しか、ほとんど見かけなくなったが、台湾では常時行われているようである。 

私は、夜店には下町文化の情緒があり、何か私たちの心をウキウキさしてくれるような楽しさがあると感じていた。

夜店の散策を楽しんだ後、ホテルに帰るとすぐにベットに入り、何時の間にかぐっすりと眠ってしまっていた。

 

 



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