希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車077

2009-11-27 00:18:06 | 日記
人生、長く生きていると、『死にたい』と思うことが、一度や二度は、あるかもしれない。それは、きっと、『死』によって何かから、解放(かいほう)されると思っているからだと思う。

それは、浅(あさ)はかな、浅薄(せんぱく)な生命観から、来ているんだと思う・・・。

そこで 、生命の永遠性について、考えていきたいと思います。

死んだら、どうなるのか?死んだら、きれいさっぱり、無くなって楽になるのだろうか?

仏法では、『永遠の生命』を、説(と)いています。
永遠の生命といっても、幽霊(ゆうれい)や霊魂(れいこん)のようなものが、残るわけではない。仏法で説く永遠の生命は、そういう形の残るものではない。

けれど、かといって、なんにも無くなるか?というとそうではなく、死んでも、自分の生命の核(かく)といえる我(が)という存在は残り、宇宙に溶(と)け込(こ)んでいく。そして、宇宙に溶け込んだ生命は、あるとき、なにかの縁(えん)によって、フッとまた生きた生命として、誕生していく。人が疲れたら、眠り、そして朝、起きるように、疲れた生命は、休まなければならない。
そして、元気な生命として、また、誕生していく。

だからといって、まったく生まれ変わるということではない。自分がいままで生きてきた喜び、歓喜(かんき)、悲しみや苦しみという自分を形成してきた核(かく)である、その人の境涯(きょうがい)ともいえるものは、そのまま残り、その境涯のまま、宇宙に溶(と)け込んでいく。

だから、たとえば、ものすごい苦しみを持って死んでいった生命は、死んでも、そのものすごい苦しみを持った生命として宇宙に溶け込んでいく。歓喜して幸せそのもので、死んでいった生命は、その歓喜と幸せそのものの状態で、宇宙に溶け込んでいく。

だから、永遠の生命から考えると、死んでも、その人の境涯を、そのまま、持ったまま、宇宙に溶け込んでいくことになります。歓喜と幸せをもって生きた生命は、歓喜と幸せの生命として、宇宙に溶け込み、地獄の苦しみをもって生きた生命は、地獄の苦しみを持った生命として、宇宙に溶け込む。

だから、仏法では、自殺は、無意味だと説く。自殺したとしても、その地獄のような苦しみは、そのままで、永遠にその苦しみをもったまま、その人の生命は宇宙に溶け込み存在し続ける。また、自殺という悪い業(ごう/宿命[しゅくめい])を作ることになるので、また、なにかの縁(えん)で、人間として生まれてきたとしても、以前よりもっとひどい!地獄のような苦しみを味わい、以前よりもっとひどい、自殺したいような苦しみを味わうことになる。

だから、永遠の生命から考えると、自殺は、自分に最悪の業(ごう/悪い宿命・運命)を、つくるだけで、どんどん悪い境涯(きょうがい)の生命になっていくことになる。

そうすると、じゃあ、いったい、どうしたらいいんだ?という問題に、たどり着く。永遠の生命から考えたとしても、自分の悪い宿命や運命を、断ち切り、幸せになっていける方法が、求められる。

その永遠の生命の上からも、悪い宿命や運命を、断ち切り、必ず幸せになっていける方法が、創価学会が、実践している南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰なんです!

永遠の生命の上から、ひとりの人間を、確実に幸せにしきる方法は、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法によるしか、ありません。これだけは、他の何をやっても、だめです。

だからこそ、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践すると、いい知れない歓喜と充実感、満足感を味わう事ができ、あらゆる悪い宿命を、打ち破ることができるからこそ、どんな困難も乗り越えて、幸せになっていけるんです!

そして、その幸せは、その場かぎりのものではなく、永遠に続く、永遠の生命の上での幸せとなっていき、その人の人生を、かざっていきます。

その永遠の生命の上での幸せを勝ち取った証拠(しょうこ)として、今、現在、生きている人生において、夢や希望が、かなったり、悩みや困難が、解決できたりして、今現在の人生を、勝利し幸せになっていけるんです!

だからこそ、永遠の生命に立脚(りっきゃく)した、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法が、世界中で、求められ、また、必要になっていくことになります。


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希望列車076

2009-11-23 23:19:09 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が 、『人間の力(ちから)は、すごい。いわんや、ご本尊(ほんぞん)を持(たも)った私たちは、どれほど大きな力を発揮(はっき)できることか。』
と言っています。

ちなみに、『ご本尊(ほんぞん)』とは、仏(ほとけ) の生命そのものを、あらわしたものでもあり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その自分自信の生命に、必ず幸せになることのできる仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、あらわしたのが、ご本尊です。

・・そのご本尊とは、人間の力や能力、人間性を開花させる機械(きかい)みたいなものなんです。

だから、ものすごく単純(たんじゅん)に考えると、その『ご本尊』という機械を動かすことができれば、人間が持っている大きな力(ちから)を発揮することができるようになっていく!ということです。

では、どうやって『ご本尊』という機械を、動かすか?というと、それが、『ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえる』ということなんです。

ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえることによって、『ご本尊』という機械が、動き出す。そして、そのご本尊という機械は、祈っているその人の生命と連動(れんどう)し、その人の中にある無限とも言える人間の力(ちから)が動きだし発揮(はっき)されていく。

それが、『ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえる』ということなんです。

注目すべきは、『ご本尊』は、『仏(ほとけ)の生命』という究極(きゅうきょく)とも言える生命の力、エネルギー、人間性を、あらわしたものなんですが、その『仏(ほとけ)の生命』は、『南無妙法蓮華経を、となえないかぎり』は、出てこない!!ということなんです。これだけは、他の何をやってもダメです!

人間の力(ちから)は、すごい!それは、わかります。
それは、時として信じられないことも可能にするし、素晴らしい、感動的な結果を生むこともある。本当は、みんなが、その人間の素晴らしい力、無限の力を、出したがっているし、模索(もさく)している。けれど、それは、漠然(ばくぜん)としたものであり、はっきりした答えが、出せないでいるというのが、現実だと思う。

けれど、本当は、そのはっきりした答えが出ている!人間の無限の力、素晴らしい力、その素晴らしい力を出す究極(きゅうきょく)の方法が、創価学会が実践している『ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえる!』ということなんです。

これほど、素晴らしく、偉大な行為(こうい)は、ありません!

確かに、人間の力は、計(はか)り知れないんです!だから、その人間の力を発揮したならば、どれだけ大きな幸せを、つかめるか、わかりません。

その計り知れない人間の力(ちから)を、だれでも、確実に、必ず、出していけるのが、創価学会が実践している、『ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえる』ということなんです・・・・!


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希望列車075

2009-11-20 16:34:20 | 日記
前回、聖教新聞に、のっていた『池田先生とフィリピン』という題の記事の内容を、紹介しまたたが、池田先生(創価学会インターナショナル会長)という人間が、とても良くわかる内容になっていたので、今回も、その『池田先生とフィリピン』の記事の別のエピソードを、紹介したいと思います。


国立フィリピン大学。フィリピンの最高学府(がくふ)で、日本で言えば東京大学にあたろうか。池田SGI(創価学会インターナショナル)会長に「名誉法学博士号」を授与(じゅよ)している。
マニラ郊外(こうがい)のケソン市に、メーンキャンパスが広がる同大学。国家・サンパギータの白い花が咲(さ)き誇(ほこ)っていた。

1991年(平成3年)4月21日、卒業式典(しきてん)の席上での授与式(じゅよしき)だった。
壇上(だんじょう)のSGI会長は、卒業生が前を通るたびに、椅子(いす)から身を乗り出す。拍手(はくしゅ)を送り呼びかける。
「よくやった!」
「勝ったね!」

日本語を解(かい)さない学生にも、心は確実に伝わる。前を通りすぎる時、うれしそうな笑(え)みを浮(う)かべる。
ホセ・V・アブエバ総長(そうちょう)も、穏(おだ)やかに見守った。

学生の列は、途切(とぎ)れなく続いた。
1時間が経過(けいか)すると随行(ずいこう)メンバーは、だんだん不安な顔になった。

常夏(とこなつ)の島。気温は30度を超(こ)え、じっとしても汗(あせ)が吹(ふ)き出る。会場にクーラーはない。扇風機(せんぷうき)だけである。

それでも、スーツの上にガウンをまとった池田SGI会長が、身体(からだ)全体で歓呼(かんこ)を送っている。

この直前に経営学部で記念講演(こうえん)を行ったばかり。疲労(ひろう)はピークのはずだ。体調は大丈夫(だいじょうぶ)なのか。役員が香峰子夫人(かねこふじん/池田会長夫人)に尋(たず)ねた。「学生が、かわいくて、しかたがないんですよ」。静かに微笑(ほほえ)んだ。

ようやくSGI会長の謝辞(しゃじ)になった。用意した原稿(げんこう)を伏(ふ)せ、話しはじめた。
「マニラを訪(おとず)れ、私は思いました。"世界一、荘厳(そうごん)なる旭日(きょくじつ)"を仰(あお)ぎ、"世界一、尊厳(そんげん)なる夕日"を望(のぞ)む皆様の心もまた、"美しき宝の心"であると」

拍手(はくしゅ)が一斉(いっせい)に沸(わ)き上がった。鳴(な)りやまない。この日、一番の大歓声である。スタンディング・オペーションが起こった。

2年後。アブエバは授与式(じゅよしき)を振(ふ)り返り、誇(ほこ)らしく語った。
「あの後、学生たちが「池田会長のスピーチ原稿(げんこう)をください。もう一度、心に刻(きざ)んでおきたい」とやって来ましたよ。学生たちの伝説になっています」


池田先生(創価学会インターナショナル会長)は、今 回、話したフィリピンの話しにかぎらず、世界中いたるところで、池田先生が出会った、あらゆる人々に、あたたかい感動と印象(いんしょう)を、与(あたえ)え続けているんだと思う。

その、世界の人々の評価と賞賛(しょうさん)の結果が、名誉博士や名誉教授などの265におよぶ名誉学術称号(めいよがくじゅつしょうごう)や、640を超(こ)える名誉市民称号となって、あらわれているんだと思う・・・。


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希望列車074

2009-11-17 14:52:03 | 日記
聖教新聞に、『池田先生とフィリピン』という題の記事が、のっていました。池田先生(創価学会インターナショナル会長)という人間が、とても良くわかる内容になっていたので、今回と次回にわけて、その『池田先生とフィリピン』の記事の抜粋(ばっすい)を、そのまま、のせたいと思います。


ヤシの木が茂(しげ)るマニラのホテルの入り口。「ようこそ!フィリピンへ」玄関前で日本人客を迎(むか)えたジョイ・アルベスは、流(りゅう)ちょうな日本語で頭を下げた。
従業員の彼女は、名古屋大学に留学した経験が買われている。

しかし、高級車から出てくる日本人は、たいていアルベスには目もくれず、さっさとロビーへと向かってしまう。
「これだから、日本人は・・・・・・・・」。最後の言葉は、ぐっと飲みこんだ。

ホテルは空港から15分。客室から有名な『マニラ湾の夕日』が一望(いちぼう)できる。
どうやら近々、日本の宗教団体のトップが来るらしい。
アルベスは「また失望させられるのか」と思ったが、迎(むか)える側の地元メンバーの熱意に打たれ、ともに準備に奔走(ほんそう)してきた。

1991年4月19日の午後11時過ぎ。池田大作SGI(創価学会インターナショナル)会長を乗せた車がホテルの入り口に止まった。
車から降(お)りた会長は、アルベスに折(お)り目を正し、深々(ふかぶか)とおじぎをした。
「うちの人が無理難題(むりなんだい)を言って、困らせたんでしょ。本当に、ありがとうございます。」

アルベスの小さな手を両手で握(にぎ)りしめた。隣(となり)に立っていたホテルのマネージャーに語りかける。
「彼女は本当に陰(かげ)で良くやってくれたと伺(うかが)っています。日本から贈(おく)り物を持ってきたので、渡(わた)してもいいですか」
マネージャーは驚(おどろ)いた様子を見せた後で、にっこり微笑(ほほえ)んだ。

その深夜、アルベスは、SGI(創価学会インターナショナル)のメンバーと遅(おそ)い夕食を共(とも)にした。
「実は私、今まで、日本人は傲慢(ごうまん)な人ばかりだと思っていました。」

池田SGI会長から贈(おく)られた写真集に視線(しせん)を落とすと、大粒(おおつぶ)の涙をためた。

「でも、池田会長にお会いして、日本人が好きになりました!」


次回は、『池田先生とフィリピン』の別のエピソードを、紹介します。


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希望列車073

2009-11-14 20:40:47 | 日記
創価学会二代会長の戸田城聖先生が、『百年の大計(たいけい)、いな何千年の平和の大計を立て、もって日蓮大聖人の御恩(ごおん)に報(ほう)ずるとともに、民衆万年の幸福を確率することが、創価学会の使命である』
と、言っています。

創価学会は、目先の利益や団体の利益などのために、存在しているのではない!

百年、何千年の平和の大計(たいけい)のもとに、築(きず)かれているのが、創価学会なんだそうです。

創価学会二代会長の戸田先生が、どれだけ、優(すぐ)れた、卓越(たくえつ)した指導者であったかが、うかがわれます。また、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法が、どれだけ素晴らしく、偉大な生命哲学(せいめいてつがく)であるかが、わかると思います。

何千年の未来を、見据(みす)えて、世界に平和を築 (きず)くことのできる法則であり、生命哲学、それが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の生命哲学なんです。

けれど、世間の人たちは、そのことが、わからない。自分たちの利益、欲望のために、創価学会があるのではないか?などと考えてしまう。たしかに、他の宗教があまりにも、ひどく、あまりにも人間心理を利用して、利益をむさぼり、人々を不幸にしているので、そう考えるのも無理はないかもしれない。

だから、あまりにも優(すぐ)れた、あまりにも偉大な生命哲学(せいめいてつがく)があることを、信じられない。日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法が、あまりにもスゴくて偉大なので、それを、信じることも理解することもできない。

だから、その南無妙法蓮華経の仏法を実践している創価学会も、なかなか信じられず、疑(うたが)いたくなってしまう。

けれど、そうではない!

創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法は、何千年の未来の平和を見据(みす)えた偉大な生命哲学ですが、かといって、今、現在、現実に生きている人々を、見捨てているわけではない!逆に、何千年の未来までも平和と幸福を築(きず)くことのできるスゴイ生命哲学であるので、今、現在、現実の中で生きている人々を、必ず、確実に、幸せにしていける力(ちから)がある素晴らしい生命哲学であり、偉大な法則なんです。

だから、創価学会の人たちは、ご本尊に(ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものでもあり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その自分自信の生命に、必ず幸せになることのできる仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、あらわした本尊です)・・・そのご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえて祈る仏法の信仰によって、今、現在のさまざまな悩みや問題を解決し、そして、現実にさまざまな夢や希望をかなえる力(ちから)となり、現実の中で、創価学会の人たちは、幸せになっていけたんです!

ようするに、今、現在生きている人々の悩みを解決し、幸せと勝利を、もたらすことができるから、何千年の未来までも、平和と幸福を、築(きず)くことが、できるんです。


それが、何千年の未来までの平和と幸福のために存在している『創価学会』であり、その偉大な生命哲学が、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・・!


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