希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車301

2013-08-26 21:25:15 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『信念と努力が報(むく)われるには、正しい人生の軌道(きどう)を知らねばならない。幸福を欲(ほっ)して、ひたすら努力しながら、不幸に泣(な)く人のいかに多いことか。生命の法理(ほうり)に即(そく)してこそ、信念は輝(かがや)き、努力は実を結(むす)ぶのである。』

努力と信念は、報われる・・。
そう信じるのは、大切かもしれない。また、努力しなかったら何かに成功したり報(むく)われることはない。けれど、 池田先生も言っていますが、幸福を欲(ほっ)して努力しながら、不幸に泣く人がいかに多いことか・・。そう考えると、努力が必ず報われるとはかぎらない・・と言えます。

なぜ、努力が報われないのか・・?

それは、その人の人生が、その人の生命が、『生命の法則(ほうそく)』に即(そく)していない。生命の法則からずれているからだと言えます。

宇宙には法則があり、リズムがあり、幸せをもたらす法則がある。その幸せをもたらす法則に乗って生きていった時、努力は報われ、夢や希望をかなえて幸せになってける。

また、逆(ぎゃく)に言えば、宇宙の法則、生命の法則の軌道(きどう)にのって、生きていった時、自然と幸せになるための努力、行動ができるようになっていく。幸せになるための努力と行動ができていけば、当然、幸せになっていける。
そう言えると思う。

また、宇宙の法則、生命の法則に即(そく)した人生、生き方をしていると、同じ努力をするにしても、最高の努力、最高の行動ができるようになっていく。
皆、努力しているのは同じだから、そうなると、最高の努力、最高に価値(かち)のある行動をできた人が、幸せとなり、勝利者となっていく。

そうなると、やはり、宇宙の法則、生命の法則にかなった生き方をした人が、結局(けっきょく)、幸福になり、勝利していく・・!

それが、『人生のあや』だと、言える。

だから、人生の正しき軌道(きどう)、生命の法則を知らなければならない。

知ると言っても、ただ知識として知ってもなんの意味もない。
自分でその正しき生命の法則の中に生き、生命の法則にのっとって、生きなければ意味がない。
けれど、そんなことは、至難の技(しなんのわざ)であることは、わかりきっている。

その、普通、考えて至難の技であるはずの、生命の法則の中で生きること。幸福になる生命の軌道に即(そく)して、幸福と勝利の流れをつかみ、その幸せの軌道の中で生きていける、唯一(ゆいいつ)にして決定的な方法が、創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。 だから、創価学会の人たちは、世界中で勝利し、最大限、夢や希望をかなえて、幸せを勝ち取っている。

それができるのが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。
また、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、ただ、努力が報われるということではない。

もっと、強力な、もっと画期的(かっきてき)な、幸せをつかむ力(ちから)がある・・!

それは、宿命転換(しゅくめいてんかん)ができる!ということです。

どんな悩みや苦しみ、どんな不運をもっていたとしても、その不運や悩み、苦しみを転換(てんかん)して、乗り越(こ)え、その上の幸せをつかんでいける!!
ということです。

これができるのは、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の信仰だけです!

これしかありません!!!

だから、強い!
幸せになっていける。
だからこそ、努力が報われ、悩みや困難(こんなん)を乗り越え、勝利していける。

宿命転換(しゅくめいてんかん)ができるから、夢や希望をなかえていける!!


それが、努力が報(むくわ)われる生き方。自身の生命と人生を、幸せに変革していける生き方。
また、宇宙の法則であり、生命の法則であり、幸せになる人生の法則である、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです・・・!


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希望列車300

2013-08-21 08:54:40 | 日記
ある人は、言う。

「宗教なんかには、とらわれたくない・・!」

確かに、そうかもしれない。日本には、何万という宗教があり、99.9%、それらは常識(じょうしき)から考えれば、くだらないものであり、また、お金をせびり、人びとを不幸にしていった例は、数えきれないからです。また、それらの宗教が、人びとをだまし、単(たん)なる金儲(かねも う)けに利用されてきたのも事実だと思う。

だから、宗教なんかには、かかわりたくない!、とらわれたくない!と考えるのが普通だろう。

けれど、創価学会(そうかがっかい)のことを、とりあげて、「宗教なんかには、とらわれたくない。」と言っているとしたら、話しは違(ちが)ってくる。

もし、創価学会に向かって、「宗教なんかには、とらわれたくない。」と言っているとしたら、まず、その人に言ってあげたいと思う。

「それでは、あなたは、自分に突(つ)き付けられた、さまざまな宿命(しゅくめい)に対して、それらを乗り越(こ)える手段(しゅだん)と手だてを持っているのだろうか?」


人は、皆、全力で生きていると思う。
人それぞれ、夢や希望があり、また幸せになるためにベストを尽(つく)くしているとは思う。

けれど、人生は、やはり、山あり谷ありです。それぞれの人に、さまざまな難問(なんもん)があり、大きな悩みに突(つ)き当たることもある。大変な宿命(しゅくめい)の嵐に見舞(みま)われることもある。

それらの悩みや自分の宿命にたいして、人は、当然、なんとかしようと思い、また努力もしていくと思う。

けれど、ほんとうにそれらを解決できるか?、それらの宿命を乗り越(こ)え、幸せを勝ち取っていけるのか?と言えば、当然、なんとかなればいいと、がんばって生きるとは思うけれど、正直なところ、その場その場を、なんとか凌(しの)ぎ、人生をなんとなく、やり過ごしてしまうというのが、 本当のところではないだうか?

根本的な解決策(かいけつさく)がない・・・!
どうしようもないから、なんとか、その日その日、生きるしかない。
簡単に言えば、なるようになるしかない・・。

そんな生き方をするしかないのではないだろうか?

それが、根本的(こんぽんてき)な解決策を持たない人の生き方だと思う・・。

そうではなく、自分の力で、宿命を転換(てんかん)していける!
宿命や悩みを現実に打ち破(やぶ)り、大きな幸せと勝利をもたらしていける!
自身の境涯(きょうがい)をより良く変革(へんかく)していくことによって、自分も、家族も、職場や地域など、自分の周(まわ)りの人びとまで幸せにしていってしまう。その生き方と力(ちから)が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

根本的(こんぽんてき)な解決策を持たない生き方とは、全然(ぜんぜん)違うんです!!

どこまでも宿命を変え、どこまでも幸せになっていける!
それが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

だから、どんな苦難(くなん)の中でも、希望を持っていける!負けない!!


また、もう一つ言いたいのは、「宗教なんかには、とらわれたくない・・!」と言うけれど、もし、その人が、さまざまな悩みや苦しみ、自身の宿命に苦しんでいるとしたら、その悩みや苦しみ、宿命がどこから来るかと言えば、根本的には、それは、自分が今までたずさわってきた間違(まちが)った宗教が原因(げんいん)になって起っていると言えます。また過去世(かこせ/自分が過去に生きていた時代)に、間違った宗教にたずさわってしまったことが原因で、さまざまな悩みや苦しみ、宿命をもって生まれてしまったと言うこともできます。

不幸の根源(こんげん)には、間違った宗教がある!ということです。

自分がたずさわった間違った宗教が、さまざまな宿命や悩みとなって、自分を苦しめている。
そう、言い切ることができます。

だから、「宗教なんかには、とらわれたくない・・!」と言っていても、その人が、宿命や、さまざまな悩みに苦しめられているとしたら、不幸の根源には間違った宗教があるのだから、その間違った宗教のせいで、さまざまな宿命や悩みに苦しんでいると、言うことができます。

だとしたら、「宗教なんかには、とらわれたくない・・!」と言っていながら、その人は、すでに、『間違った宗教の害毒(がいどく)に、とらわれている!!』と言うことができます。

不幸や悪(あ)しき宿命、悩みの根源(こんげん)には、間違った宗教がある!

だから、「宗教なんかには、とらわれたくない・・!」じゃなくて、すでに、悪しき宗教の害毒(がいどく)にとらわれているのだから、その悪しき宗教の害毒から、自分を、解(と)き放(はな)たなければいけない!ということです。

そして、その悪しき宗教の害毒から、自分を解き放つ唯一(ゆいいつ)の方法が、真実の正しい宗教につく!ということです。

その、真実に正しい宗教というのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

だから、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を実践するのは、自分のさまざまな宿命や悩み、苦しみから、解き放つためであり、自己の生命を、どこまでも開花させ、夢や希望に向かって、大いなる幸せをつかんでいくためです。

だから、よく言う「宗教などには、とらわれたくない」というのとは、逆(ぎゃく)の意味合いになるのが、創価学会の信仰です。

どういうことかというと、自分のさまざまな宿命や悩み、苦しみを打ち破り、大きく解放し、飛翔(ひしょう)して、幸せをつかんでいく行為(こうい)が、創価学会の信仰だということです。

宗教にとらわれるのではなく、逆に、自分をどこまでも解放していくこと。悩みや問題を解決して、夢や希望につかむために、どこまでも自分を変えていくこと。それが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっほう)の信仰なんです。

また、それが現実にでき、世界中の人々の悩みや不幸を打ち破り、人々の夢や希望をかなえて幸せにしてきたのが、創価学会です。

ゆえに、宗教にとらわれるのではなく、逆に、苦しみや悩み、不幸や宿命から、解き放ち、どこまでも幸せを開花していけるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです・・・。


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