希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車316

2014-06-24 12:43:48 | 日記
聖教(せいきょう)新聞に、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁(そうさい)の話しが、のっていました。

その一部分を抜粋(ばっすい)したいと思います。

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「言論(げんろん)の獅子(しし)」がそこにいた。
顔に刻(きざ)まれた深いしわ。白く伸びた髪(かみ)。何より、小さい体から発散(はっさん)される威厳(いげん)は、地走る者の王・ライオンを 思わせた。

1993年の2月9日。時間は午後9時。ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁は、貴賓室(きひんしつ)で、2時間も前から待っている。

リオデジャネイロのガレオン国際空港。池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が、27年ぶりに、このブラジルの古都(こと)に降(お)り立とうとしていた。

総裁(そうさい)は94歳。頭脳(ずのう)は明晰(めいせき)だが、さすがに足腰(あしこし)は衰(おとろ)え、ふだんは歩くのに、2人に両脇(りょうわき)を抱(かか)えてもらうことも、たびたびであった。ソファに座(すわ)る総裁に、体調を心配(しんぱい)した周囲(しゅうい)は、別室で休んではどうかと進めた。

だが、総裁は言った。

「私は、94年間も池田会長を待っていたのです。1時間や2時間は何ともありません。」

SGI会長を乗せた旅客機(りょかっき)が着いた。総裁はソファから身を起(お)こし、ドアのほうへ、一人で足を運(はこ)んだ。

扉(とびら)が開いた。池田SGI会長が両手を大きく広げて歩(あゆ)み寄(よ)り、総裁の両腕(うで)を下から支(ささ)えた。

「『世界の宝(たから)の人』です。私が総裁のことを、世界に永遠(えいえん)に残します!」

総裁は応(こた)えた。

「会いたい人にやっと会えました。池田会長は、この世紀(せいき)を決定づけた人です。戦いましょう。2人で力を合わせ、人類の歴史を変えましょう!」

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ぼくが思うに、映画やドラマ、小説の世界ではなく、現実の生身(なまみ)の人間が、こういう会話をかわしていること自体(じたい)、スゴイことだと思いました。


アタイデ総裁は、1930、40年代、独裁(どくさい)を真っ向(まっこう)から批判(ひはん)し、3度の投獄(とうごく)、3年間の国外追放(ついほう)に耐(た)えた人物である。70年間以上、ペンを振(ふ)るい、発表したコラムは5万本。テレビに20年、ラジオには30年にわたって毎週出演し、人権擁護(じんけんようご)の『声の弾丸(だんがん)』を放(はな)ち続けた。

その名前は『強靭(きょうじん)なリベラリスト(自由主義者)』として、ブラジルにおいては伝統的な響(ひび)きを持っているそうです。

そのアタイデ総裁が1959年から30年以上にわたって率(ひき)いてきたのが、南米最高の知性の殿堂(でんどう)、ブラジル文学アカデミーです。

在外会員は、トルストイ、エミール・ゾラ、アンドレ・マルローらの名が連なる。

そして、アタイデ総裁が34年間で初めて推薦(すいせん)したのが、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長です。

アタイデ総裁は、言っている。

「私には池田会長の偉大(いだい)さがわかる。」

「民衆のために戦い、苦しみ抜(ぬ)いた者にしか、彼と、彼を支(ささ)える香峯子婦人(池田会長婦人)の心は分からない。」

「迫害(はくがい)を受けた者だけが、池田会長の価値(かち)を知るのだ。」

さらに、アタイデ総裁は言う。

「一人の指導者が道を開けば、皆がその後を従(したが)うものです。」
「未来はひとりでに、やってくるものではありません。人間自身が切り開くものです。その人間の一人が、池田大作氏です。」

アタイデ総裁と池田SGI総裁の2人は、対談集の発刊(はっかん)を目指して、口述筆記(こうじゅつひっき)などを通して、対話を続けることで合意(ごうい)した。

だが、総裁の体調(たいちょう)は思わしくなかった。
総裁の秘書は、率直(そっちょく)に「口述筆記も、タイプライターで原稿(げんこう)を打つことも無理(むり)でしょう。最近は笑(え)みを見せることもないのです」と話した。

93年6月、SGIのスタッフから、「回復するまで、いつまでかかってもお待ちします」との池田SGI会長の伝言が、総裁に伝えられた。

じっと聞いていた総裁が、ほほ笑(え)んだ。

「ありがとうございます。私にはもう時間がありません。すぐに始めましょう。
しゃべって、しゃべって、しゃべり抜きます。人類の未来のため、21世紀のために語り継(つ)ぎましょう!」

口述はそれから、毎週土曜日、リオの総裁の自宅で行われた。SGI会長の書簡(しょかん)での質問に、総裁は毎回2時間、思索(しさく)を重ねながら、身じろぎもせず語り続けた。

SGI会長からは毎回、花束(はなたば)が届けられ、総裁はいつもそれを、応接間(おうせつま)の純銀(じゅんぎん)の花瓶(かびん)に飾(かざ)って、眺めるのだった。

最後の「対談」は8月21日。テーマは「人権の闘士・マンデラに学ぶ」であった。

その6日後に、総裁は入院した。

「私には、やらなければならない大事な仕事がある。早くここを出してください。私は、池田会長との対談を続けなければならないのだ。」

医師や看護士にそう何度も訴(うった)えた。

総裁が逝去(せいきょ)したのは93年9月13日。SGI会長は悲報(ひほう)を聞き、すぐさま弔電(ちょうでん)を送った。

10月には文学アカデミーの強い要請(ようせい)により、2人の出会いを描いた油彩画(ゆさいが)「アタイデ総裁」が同アカデミーに贈られている。

さらに息女(そくじょ)のラウラさんと夫のシィッセロ・サンドローニさん、子息(しそく)のロベルト・アタイデさんを、池田SGI会長は翌年8月、長野研修道場で歓迎(かんげい)した。

「父が毎日、使っていたペンです。父の名前が刻(きざ)まれています。」

席上、ラウルさんから、総裁の「武器」であった金色のボールペンが、池田SGI会長に渡された。友情は、家族と、アカデミーの後継者(こうけいしゃ)たちに受け継(つ)がれたのである。

対談集「21世紀の人権を語る」は95年に日本語版、2000年にポルトガル語版が発刊(はっかん)。

未来を見通(みとお)した総裁の『遺言(ゆいごん』で、語らいは結(むす)ばれた。

『池田会長の存在(そんざい)は、人類の歴史に残り、その運動は時代とともに広がりゆくことでしょう。

そして21世紀は、新たなヒューマニズムが実現された時代として、人類の歴史に深く刻(きざ)まれることになるでしょう。』


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希望列車315

2014-06-15 20:55:29 | 日記

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『人は花に学ばなければ・・・。

花はいつも一生懸命(いっしょうけんめい)だからだ。投げやりに咲いている花はない。いやいや生きている花はない。途中(とちゅう)で、へこたれる花はない。笑うことを忘れた花はない。過去にとらわれたり、人のあらを探(さが)したりしている花はない。』


花は、だから、きれいなのかもしれない。
なにものでもない、自分自身を咲かせることに、なんの躊躇(ちゅうちょ)もなく全力で立ち向かっていく。

その健気(けなげ)な姿に人は、打たれるのかもしれない。

創価学会(そうかがっかい)二代会長の戸田城聖先生が、仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)は、『自分自身に生ききることだ!』と言っていた。

あの人がこう、この人がどうではない。自分が自分自身に生ききるかどうか・・・。

簡単なことのようで、これがなかなかできないのも、現実だと思う。

そして、ああだ、こうだ文句(もんく)を言う。愚痴(ぐち)を言う。そして、世の中を恨(うら)んでしまう・・。

何かかが間違(まちが)っているんだと思う。幸せというものの本質(ほんしつ)が見えなくなっているのかもしれない・・。

何かが狂(くる)っている。人間の生命になにかの間違った思想や考えがこびりつき、花のように、健気(けなげ)に生きられなくしている。

仏法(ぶっぽう)では、これを『宿業(しゅくごう)』という。

『宿業(しゅくごう)』とは、自分の生命に、深く宿(やど)ってしまっている、その人を苦しめている根本原因(こんぽんげんいん)のようなもので、避(さ)けたくても避けることのできない苦しみや悲しみ、自分はどうして、こういう自分に生まれてしまったのか?というような、辛(つら)い境遇(きょうぐう)や環境、なんで自分がと思うような過酷(かこく)な病気や事故など、その人がもって生まれた、どうしようもないような運命などをいいます。

その『宿業(しゅくごう)』が、人を苦しめ、狂わせ、花のように真っ直(まっす)ぐに生きることを、妨(さまた)げている。
そして、その人を不幸にしている。

不幸の根源(こんげん)には、『宿業(しゅくごう)』がある!と言えるかもしれない。

そして、その『宿業』がどこから起ってくるかと言えば、それは、間違った思想(しそう)、間違った宗教から起ってくる。

人は、自分の悩みや不幸について、その原因(げんいん)にたどり着くことはないけれど、人間の不幸は、間違った宗教によって、起こる!!と言えます。

自分は、宗教なんかには、かかわっていないと、言うかもしれない。

けれど、自分の先祖(せんぞ)をたどっていけば、なにかしらの宗教をやっているし、世の中は、間違ったデタラメの宗教だらけなので、日々、その間違った宗教に触(ふ)れていると、言えます。

正月といえば、初詣(はつもうで)だといって、さまざまな神社やお寺に行くし、観光でもさまざまな神社、仏閣(ぶっかく)に祈りをささげる。また、葬式(そうしき)となれば、ほとんど、それらの葬式仏教などに祈りをささげる。

そして、それらの葬式仏教にしても、神社信仰にしても、観光宗教にしても、デタラメな間違った、人を不幸にしてしまう宗教です。それらに、良いことだと思って、祈りをささげる。

それらの、間違ったもの、デタラメなものに祈りをささげるということは、自分の生命に、間違ったもの、デタラメなものを投影(とうえい)することになり、間違ったもの、デタラメなものが、自分の生命に植(う)え付けられることになっていく。その植え付けられた間違った宗教、デタラメな宗教は、自分の生命に、さまざまな不幸なる宿業(しゅくごう)として植え付けられ、その宿業が、時ととともに噴出(ふんしゅつ)して、その人を苦しめることになる。

また、過去世(かこせ/過去に生きていた時代)に、間違った、人を不幸にする宗教にかかわってしまったために、さまざまな不幸なる宿命(しゅくめい)を持って、生まれてきたとも言えます。


人間は、花のように、生きるべきだと、思います。

けれど、それをできなくしているのが、『宿業』だと言えます。

そして、その宿業を打ち破(やぶ)る、決定的で唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰です。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、となえることは、自分の中から、花のように生きる力を復活(ふっかつ)させる。

花のように生きようとする生命力が復活し、その人を、真っ直(まっす)ぐに生きさせる。

太陽が昇(のぼ)れば、草木についた、つゆや水滴(すいてき)は、あっという間に消えてしまうように、南無妙法蓮華経をとなえることによって、花のように真っ直ぐに生きることを妨(さまた)げる宿業が、打ち破られ、幸せに向かって、希望にむかって、生きていけるようになっていく。

南無妙法蓮華経には、宿業を打ち破る大きな大きな力(ちから)がある!ということです。

南無妙法蓮華経を真剣にとなえ、仏法(ぶっぽう)の実践活動である創価学会の活動をやっていくことによって、自身の宿命が転換(てんかん)され、悩みや困難(こんなん)を乗り越(こ)え、夢や希望をかなえて、幸せを勝ち取っていくことが、できるようになっていく。

それは、美しい花のように・・・。

『南無妙法蓮華経は蘇生(そせい)の義(ぎ)なり』というけれど、南無妙法蓮華経をとなえると、自分の生命が蘇生(そせい)していく。

真剣に南無妙法蓮華経をとなえることによって、自分の中から生命力が湧(わ)き上がり、勇気が出てきて、元気と希望がでできて、その人の生命は、文字通り、蘇生(そせい)していく。

その生命の力は、自分の人生と未来を、花のように、真っ直ぐに生きていくエネルギーとなって、その人を動かす。

やがて、種(たね)から花が咲くように、その人の人生に、勝利と幸せの花が咲いていく。


人は、花のように、生きるべきだ・・!

そして、それを可能にする、希望と勇気とどんな困難(こんなん)も打ち破る無限(むげん)の力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです。

 


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