希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車245

2012-01-28 12:57:32 | 日記
創価学会に入って、日々、南無妙法蓮華経を、となえて祈る、仏法(ぶっぽう)の信仰をしていると、

『祈って、良かった!』

と思えるようなことが、たくさん、起(おこ)ってくる。

それは、どういうことかというと、『祈る』という行為(こうい)が、日々の生活の中で、現実に効果(こうか)をもたらし、結果として現(あらわ)れてくる!ということです。

世間一般的には、「祈る」という行為が、日常の生活の中で、その効果を実感するようなことは、まず、ないと言っていいいと思います。なにか良いことがあっても、きっとあの時、祈ったから良かったんだと、後から無理(むり)やり、こじつけるのがやっとだと思う。

世間一般的には、「祈る」という行為は、それほど、いいかげんなものであり、当てにならないものだと思う。

それどころか、葬式仏教(そうしきぶっきょう)にしても神社信仰にしても、観光宗教にしても、はっきり言って、でたらめな間違(まちが)った宗教なので、祈りば祈るほど、間違っているがゆえに、逆にさまざまな形で、不幸という結果がでてくるというのが、本当のところです。

それに対して、創価学会の祈りは、違(ちが)う!!

祈るという行為に対して、明確な結果が出てくる。
祈るという行為が、生活を、人生を、幸せにしていく大きな力となる!

日々、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、人生のさまざなな分岐点(ぶんきてん)において、
『ああ・・! 本当に祈って良かった! 南無妙法蓮華経をとなえて本当に良かった!』
と思えるようなことに、本当に実感として、出くわし、歓喜(かんき)をもって、それを認(みと)め、感じることができる・・!

『南無妙法蓮華経を、となえて祈る』という創価学会の『祈る』という行為は、日々の生活や人生と、完全に直結(ちょっけつ)し、人生と未来をより良く幸せにしていくことと、正比例(せいひれい)して影響をおよぼしていく。

『祈り』が、人生にとって、とても重要なことであり、かけがいのないことだと、実感できる。

すなわち、南無妙法蓮華経をとなえて祈っていくことによって、さまざまな悩みや問題を解決していけ、希望に向かって、自分自身を大きく開花していけるようになっていく。

本当は祈ることほど、スゴイことはない。
祈ることほど、効果があり力(ちから)があるものはない。

その最(もっと)も効果があり、最も自分と人生を良くし、悩みや問題を解決していけ、夢や希望をかなえていける道が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・!


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希望列車244

2012-01-24 19:12:05 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『私は、恩師(おんし)に見いだされ、「嵐に負けず伸(の)びよ」と、師弟(してい)の大地に植えられた一本の若木(わかぎ)であった。
わが心に原点の大地を持つゆえに、私はいかなる苦難も耐(た)えられる。絶対に負けない。恐(おそ)れない。

一日一日、青年の心をもって、胸中(きょうちゅう)で師匠・戸田先生と対話しながら、新たな決意を燃やして生き抜(ぬ)き、戦い抜いてきた。

だから、勝った。だから、全民衆を護(まも)りゆく「大樹(たいじゅ)」の創価学会を築(きず)くことができた。一点の後悔(こうかい)もない。』


わが心に原点の大地を持つゆえに、いかなる苦難(くなん)にも耐(た)えられる。絶対に負けない。恐れない。

スゴイと思う。

人生の真髄(しんずい)を感じる。

師弟(してい)とは、それほどスゴク、素晴らしく、偉大(いだい)だということだと思う。

人間の強さとは、何だろう?
人間の幸せとは、何だろう?
人間の原点とは、何だろう?
負けない力とは、何だろう?

その答えが、「師弟」にあるんだと思う。

一般的に考える時、その決して負けない強力が原点と言える、「師弟(してい)」を持ち、築(きず)いていく生き方ができる人は、少ないと思う。堂々(どうどう)と自信をもって、師匠(ししょう)と呼べる人を持ち、その人と共に人生を生き、挑戦していくことのできる人も、少ないと思う。

しかし、師匠とは、師弟とは、人生を負けず勝利していくための無二(むに)にして重要なことがらであることは、世界の良識(りょうしき)たちの一貫(いっかん)した見方であり、とらえかたです。

だから、真実の生き方、真実の幸せを求めるならば、心の底から「師匠」を求めるべきであり、師弟の道に生きるべきです。

けれど、世間一般的に、その師弟の道は、見当(みあ)たらない。それは、真実の道が見当たらないのと同じで、幸せを探(さが)しても探しても、つかめないようなものだと思う。

だれもが求めている『強さ』の道。
だれもが求めている『負けない』道。
だれもが求めている確固(かっこ)たる『幸せ』の道。

じつは、その確固たる強さの幸せの道をつかむことのできる生き方が、創価学会の生き方なんです。

創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、世界最高の幸せの法則(ほうそく)であり、平和の法則であり、勝利の法則です。だから、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践するということは、その勝利の法則であり幸せの法則を、自分の人生のなかで、実践(じっせん)していくことになります。

けれど、やり方がわからない。現実の人生において、仏法を、どう、とらえ、どう実践していくか、わからない・・・。南無妙法蓮華経の仏法は、すごいけれど、正しく実践しなかったら、功徳(くどく)も少ないし、本当の効力(こうりょく)を発揮(はっき)していくことも、できないでしょう・・。

しかも、それは、幸せと勝利という、もっとも困難(こんなん)で、最も重要な人生の目的と言えるものです。

それが、失敗の許(ゆる)されない、大変、繊細(せんさい)な問題であることは、だれでもわかると思います。

だから、その最も重要で最も繊細な幸せと勝利をもたらす、最大にして究極(きゅうきょく)の力(ちから)である『仏法(ぶっぽう)』を、最高に実践し、一点の誤(あやま)りもなく示(しめ)してくれる、人間としての指導者(しどうしゃ)が、どうしても求められます。

だから、どうしても、師匠の存在(そんざい)が求められます。


その人生において最も重要で最も繊細な、人々の切(せつ)なる願いである、絶対の幸せ、絶対の勝利をつかむための、最高の師匠がいるのが、創価学会なんです。

これは、ほかでは、けっして、つかむことのできないことです。

また、それは、世界が認(みと)めることであり、池田先生は、世界の識者が認める最高の人間指導者と言えます。その師匠のもと、世界最高の幸せの法則であり平和の法則であり勝利の法則である、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰を実践(じっせん)していくとき、その人は、偉大な輝(かがや)きを放(はな)ち、当然、勝利と幸せの人生を飾(かざ)っていける。

それが、創価学会なんです。
それができる場所が、創価学会なんです。

いかなる苦難にも耐(た)えられる。
絶対に負けない。
恐れない。

その生き方ができる唯一(ゆいいつ)の場所と言ってもいいのが、創価学会であり、その人間指導者が、池田先生であり、その、絶対負けない生き方を可能にする最高最大の力(ちから)が、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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希望列車243

2012-01-17 18:54:29 | 日記
作家・山本周五郎が、言っています。

『人間がいちど自分の目的を持ったら、貧窮(ひんきゅう)にも屈辱(くつじょく)にも、どんなに強い迫害(はくがい)にも負けず、生きられる限り生きてその目的をなしとげることだ。それが人間のもっとも人間らしい生き方だ。』

確かに、それは素晴(すば)らしい生き方だと思う。
それは、だれもが望む生き方だと思う。

人間がいちど目的を持ったら、どんなことがあっても負けず、生きられるかぎりその目的をなしとげていく。

けれど、だれでも分かると思うけれど、それは、大変なことであり、至難(しなん)の技(わざ)だと言うこともできます。

そんな生き方ができたら、人間として本当に素晴らしいと思うけれど、それが困難(こんなん)なこともわかる。

けれど、その困難をなしとげていくところに、人間としての真の幸せも充実(じゅうじつ)も、生きがいもある。

『人間がいちど目的を持ったら、どんなことがあっても負けず、生きられるかぎりその目的をなしとげていく。』

実は、その困難の仕事を人生の中でなしとげていく強力な力(ちから)となるのが、創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

信仰にそれほど、力(ちから)があるのか?と思うかもしれないけど、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法には、現実にその力が、あるんです。

南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰によって、現実を打開(だかい)し、現実を開いていける!あらゆる知恵や勇気、行動となって、未来を切り開いていけるのが、創価学会の仏法なんです。

日々、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、その人の中から、無限の生命力を湧(わ)き上がらせ、蘇生(そせい)させていく。南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の中から勇気と希望、情熱をたえず、湧(わ)き上がらせ、若々しく挑戦していける。

創価学会の仏法(ぶっぽう)の信仰は、自分の生命を、精神を、たえず新しく蘇生(そせい)させ、後ろ向きにならず、前へ前へと前進させていく。

だから、どんな困難にも負けないで、希望をつかんでいける!

これほど強い、これほど無限のエネルギーはないんです。
絶対に行き詰(づ)まりがない!!
どんなことがあっても、必ず打開(だかい)していける!

それが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰なんです。

ゆえに、山本周五郎が言うように、人間がいちど目的を持ち、その目的をなしとげようとした時、貧窮(ひんきゅう)にも屈辱(くつじょく)にも、どんな迫害(はくがい)にも屈(くっ)しないて、目的を達(たっ)していくことが、現実にできるようになっていく。

それが、目的に向かって、絶対に行き詰まりがない、どんなことも打開していける、無限のエネルギーであり知恵であり最強の希望となる、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰なんです・・・!


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希望列車242

2012-01-12 20:42:45 | 日記
以前、聖教(せいきょう)新聞の名字の言というコラムに、良い話しがのっていました。

それは、20代で関節リウマチを患(わずら)い、寝たきりとなった女性の話しでした。

彼女は、心が荒(すさ)み、周囲への不満が募(つの)っていった。
ある日、激励(げきれい)に訪(おとず)れた創価学会の女子部の部長が、枕元(まくらもと)で歌った。
ナポリ民謡「オ・ソレ・ミオ(私の太陽よ)」。
それもイタリア語だった。

面食(めんく)らう彼女に部長が一言。

「どんなにつらいことがあっても、生涯(しょうがい)、嵐が続くことはないのよ。」

涙があふれ、周囲に感謝する心が生まれた。その後、彼女は自力で立てるようになり、友のために祈り走る広宣流布(こうせんるふ)のヒロインに成長していった。

※ちなみに広宣流布とは、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の思想と哲学(てつがく)を基調(きちょう)として、世界に平和と幸福をもたらしていくことを言います。

創価学会の強いところ、素晴らしいところは、こういうところにあるんだと思う。
ひとりの人間が、ひとりの人間に、一対一で対峙(たいじ)し、徹(てっ)して励(はげ)ましていく。
そして、ひとりを蘇生(そせい)さて、立ち上がらせていく。

それができる土壌(どじょう)と哲学(てつがく)と生命のエネルギーが、創価学会にはあるんだと思う。

無限の蘇生(そせい)のドラマを生み出す場所が、創価学会ではないかと思う。

とかく、孤立化(こりつか)しやすい現代という世界。

華(はな)やかに見える人もいるかもしれない。幸せそうに見える人もいるかもしれない。
けれど、精神の底にある孤独の闇(やみ)が、どこかに潜(ひそ)んでいるのではないだろうか・・・。

表面的には幸せそうに見えても、心の底に闇(やみ)が隠(かく)れている。その闇を押し隠して生きているような人も、いるかもしれない。

その闇を、打ち破(やぶ)る場所が、創価学会だと思う。

欲(ほっ)しても欲しても、満(み)たされない何か?がある。
どんなに楽しく、幸せそうに振る舞(ふるま)っても、心の底に満たされない何かがある。

人間が人間であることの証(あかし)・・・。
人間が人間であることの希望・・・。
人間が人間であることに尊厳(そんげん)・・・。

そのだれもが心の底で、本当は欲している人間としての証(あかし)をつかむことのできる場所がある。

自分が人間であることの明確な希望と尊厳(そんげん)を、心の底から感じ取ることのできる場所がある。

それが、創価学会だと思う。

自分が自分であることの希望。
自分が自分であることの尊厳(そんげん)。
自分が自分であることの証(あかし)。

それを、明確に、心の底から歓喜(かんき)して、感じ、味わい、楽しんでいける場所が、『創価学会』であり、それを可能にする、哲学であり力(ちから)であり、エネルギーが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと、心から思う・・・。


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希望列車241

2012-01-06 18:28:42 | 日記
以前、ブログのコメントで、

「創価学会に入らなくても、南無妙法蓮華経をとなえていれば、大丈夫ですか?」

という質問をされたことがあります。

南無妙法蓮華経はスゴイので、となえないより、となえたほうが、全然、良いけれど、かといって、それで大丈夫かといったら、そういうことでもありません。

南無妙法蓮華経の本当のスゴサは、人生を、自分を、世界や生命を、幸せに変革していく力(ちから)にあると思います。

宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)していく力。世界を変えていく力(ちから)が、『南無妙法蓮華経』だと思います。

けれど、ほんとうに悩みや問題を解決し、夢や希望をかなえていくには、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)に直結(ちょっけつ)した実践活動が必要になっていきます。

いくら、南無妙法蓮華経をとなえても、現実に南無妙法蓮華経の仏法に直結した実践(じっせん)の行動がないと、自分の宿命は、変革され転換されていきません。

ようすのに、南無妙法蓮華経はスゴイけれど、南無妙法蓮華経をとなえるだけでは、自分の悩みや問題は、解決していかないということです。南無妙法蓮華経を真剣にとなえ、仏法の実践活動を現実にしていった時、その二つが合(あ)い重(かさ)なり、幸せが、かけ算されるように、さまざまな悩みや問題が解決し、自分の宿命が転換され、境涯(きょうがい)が変わり、夢や希望も、かなえていけるようになっていくんです。

南無妙法蓮華経をとなえることと、仏法の実践活動の両輪(りょうりん)があってこそ、夢や希望がかない、幸せになっていけるんです。

南無妙法蓮華経は、蘇生(そせい)の力だし、南無妙法蓮華経をとなえることは、スゴイことなので、病気などの時は、真剣に南無妙法蓮華経をとなえていくだけでも、病気が良くなり、治(なお)ったりすることも多々(たた)ありますが、やはり、南無妙法蓮華経をとなえるだけでは、不十分だと言えると思います。

どうしても、南無妙法蓮華経の仏法に直結した、真実の実践活動が必要となってきます。

その仏法に直結した実践活動ができる場所が、『創価学会』なんです。

創価学会は、南無妙法蓮華経の仏法を、純粋(じゅんすい)に、一点の狂(くる)いもなく、真に正しく実践している、唯一(ゆいいつ)の団体だと言えます。

だから、本当に幸せになりたいのならば、悩みを解決したいのならば、また、夢や希望をかなえていきたいのならば、どうしても、創価学会という存在が必要になってきます。

南無妙法蓮華経を、となえていくだけでも、時として、その人を窮地(きゅうち)から救い、助けてくれるけれども、やはり、それだけでは、本当に幸せになっていくことはできません。

自分の宿命を転換していくためには、どうしても、創価学会の中で南無妙法蓮華経をとなえ、創価学会の中で、仏法の実践活動をしていく必要があります。

その時、宿命が転換され、悩みや問題が解決でき、やがて夢や希望もかなえていけるようになっていくんです。

だから、創価学会とは、『幸せを創造(そうぞう)する場所』であり、創価学会の中で、南無妙法蓮華経をとなえていった時、はじめて、南無妙法蓮華経のスゴサ、偉大(いだい)さ、その無限大の力を発揮(はっき)していくことが、可能になっていく!と結論することができると思います・・。


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