希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車256

2012-03-30 23:08:32 | 日記
よく、年配(ねんぱい)の方などは、なにかあった時、なにか助けてもらいたいような危急(ききゅう)の事態に見舞(みまわ)われた時など、「無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と、となえる人がいる。

けれど、本当はこれは、とんでもない間違(まちが)えです。

簡単(かんたん)に言うと、南無阿弥陀仏をとなえるということは、『早く死にたい!早く死にたい!』と願い祈っているのと同じです。

だから、南無阿弥陀仏をとなえるということは、自分の生命力を、どんどん奪(うば)い、死に、どんどん近づいていくことになります。また、実際、そのような結果になります。

南無阿弥陀仏と、となえるのは、浄土宗(じょうどしゅう)、浄土真宗ですが、これは、この世では幸せになれないから、極楽浄土(ごくらくじょうど)という架空(かくう)の世界で幸せになろうという思想です。

ようするに、完全な現実逃避(とうひ)です。

宗教にも、いろいろ、ありますが、これほど酷(ひど)い宗教も、ありません。

だから、浄土宗や浄土真宗などの念仏宗(ねんぶつしゅう)の家系では、自殺者が、たくさん出ます。

念仏宗の家系の人は、何か大変なことがあると、それに立ち向かうことができず、逃げてしまい、どんどん現実から逃避(とうひ)してしまいます。そして、最終的には自殺を選んでしまうということです。

だから、そういう傾向(けいこう)がある人は、念仏宗(南無阿弥陀仏)の影響を受けていると思って、間違(まちが)いないでしょう。

また、念仏宗の人は、ちょっと良くなったかと思うと、またドーンと落ちて、またちょっと良くなったと思ったらドーンと落ちていくことの連続で、それこそ、地獄(じごく)のような人生になっていきます。

これを、『念仏無限地獄』と言います。

実際、そのようになっていきます。

だから、このような宗教は、やるべきでない・・。

では、仮(かり)に、そのような影響を受けてしまったとしたら、いったい、どうしたらいいのか・・?

そのためには、念仏宗などの悪(あ)しき宗教を捨て、真実に幸せになっていける正しき宗教につくしかありません。

その悪しき宗教の鉄鎖(てっさ)を打ち破(やぶ)り、太陽のような幸せを勝ち取っていける唯一(ゆいいつ)の宗教と言えるのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰です。

この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法は、どんな不幸も打ち破る『秘宝(ひほう)』と言えます。

幸せを勝ち取っていく上で、これ以上すごくて素晴らしい力(ちから)は、ないんです。

それが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰です。

だから、どんな悩みがあったとしても、それが健康上の悩みであろうと、経済的な悩みであろうと、家族や職場、人間関係などの環境(かんきょう)をはらんだ悩みであろうと、必ず解決し、幸せになっていけるのが、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。

太陽が昇(のぼ)ると、草木についた水滴(すいてき)やつゆは、あっというまに消えてなくなってしまうように、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践(じっせん)していくことによって、どんな悩みも、どんな困難も、乗り越(こ)えていけるんです。

また、その人が持つどんな過酷(かこく)な宿命(しゅくめい)であっても、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を真剣に実践していくことによって、宿命を打ち破り、境涯革命(きょうがいかくめい)して、幸せになっていけるんです。

また、宿命を変革していく大きな力があるために、その人の夢や希望もかなえていけるようになっていくんです。


それが、悪しき宗教の不幸を打ち破り、どんな宿命も転換(てんかん)して幸せになっていける、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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希望列車255

2012-03-19 16:50:25 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『幸せが遠くにあると思うのは間違(まちが)えです。すべて自分の中、自分の周(まわ)りにある。』

言葉としては、わかるし、理屈(りくつ)もよく、わかる。

けれど、この言葉が、人生を動かすようなインパクトをもたないと感じる人も多いのではないかと思う。

『幸せは、自分の中、自分の周(まわ)りにある。』

確かにそうだから、「そうだ、そうなんだ!」と思うけれど、だからといって、何かを変えていくようなことが、できないのも現実ではないかと思う。

少し、考え方を変えて、『幸せは、自分の中、自分の周りから、生み出していける!』と考えたらどうだろう・・。

少し、能動的(のうどうてき)な気持ちになる気がする。

「うん!幸せは、自分の中から生み出していくんだ!」

今度は、そう思い、そう決意したとする・・。

けれど、正直、何を、どうしたらいいか、わからない・・。

まだ、具体性(ぐたいせい)に欠(か)けるし、決定的な何かが、わからない・・。

幸せは、自分の中から生み出すんだといっても、なにか変わるわけでもなく、どうしようもないからです。

では、いったい、幸せを自分の中から生み出すには、どうしたらいいんだ?ということになっていく。

その答えがわからないかぎり、なんの効力(こうりょく)にも決め手にもならない・・。

本当に自分の中から、幸せを生み出していけるもの。
本当に自分の中から、幸せを生み出していける方法・・。

その本当に自分の中から幸せを生み出していける方法が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

南無妙法蓮華経は、『歓喜(かんき)の中の大歓喜』だという。

それは、南無妙法蓮華経を、となえることによって、自分の中から、歓喜が、喜びが、幸せが、湧(わ)き上がってくるということです。

自分の生命が高揚(こうよう)し、元気になり、生命から幸せの息吹(いぶき)が、込(こ)み上げてくる。その自分の中から込み上げてきた幸せの息吹は、やがて行動となり、勇気となり、周りのさまざまな人に影響(えいきょう)を与(あた)えていく。そして、結果的に、周りの人たちも幸せにしていくことになる。

それが、現実にできる決定的な方法が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。


南無妙法蓮華経をとなえることは、自分の中から生命を蘇生(そせい)させるんです。それは、ある時は、病気を克服(こくふく)する大きな力となり、ある時は、悩みや困難を乗り越(こ)えていく力(ちから)となっていく。また、ある時は、夢や希望をつかんでいく強力なエネルギーとなっていく。

それも、すべて、自分の中から湧(わ)きあがる力なんです。

その自分の中から幸せを生む決定的な方法が、創価学会が実践する『南無妙法蓮華経を、となえる!』ということなんです。

だから、世界中の創価学会の人たちが、幸せになっていけるんです。悩みを解決し、夢や希望をつかんでいけるんです。

だから、池田先生が言うように、『幸せが遠くにあると思うのは間違(まちが)えで、すべて自分の中、自分の周(まわ)りにある。』

そして、現実に、確実に、自分の中から幸せを創造(そうぞう)していける唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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希望列車254

2012-03-14 18:03:34 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『自由といっても、自分が心の底から「何を」したいと願っているのか。
自由とは遊ぶことではない。浪費(ろうひ)することではない。時間があることではない。休日が多いことではない。気分のまま、気ままに生きるのは 「放縦(ほうじゅう)」であって「自由」ではない。

自由とは、いかに、自分を高揚(こうよう)させていくか、自分自身の目的に向かっていくか -----そのなかにこそ、黄金(おうごん)のような「自由」がちりばめられ、光っているのです。

「受け身(うけみ)」になったら、どんな自由な環境(かんきょう)であっても、「不自由」な自分になる。「攻(せ)め」の一念(いちねん)になれば、どなん不自由な環境であっても、「自由」な自分になれる。

病気の人は、学校にいけない。戦争中の国の子どもも、学校に行けない。
行ける人は、行ける自由がわからない。行けることは最大の自由なんです。勘違(かんちが)いしてはいけない。』


確かに、自由といっても、考えると難(むずか)しいと思う。
よく、自由奔放(じゆうほんぽう)に生きているとかいうけれど、それが本当に自由かというと、わからない。また、だれもが自由奔放に生きられるかと言ったら、そうでもない。だったら、自由奔放に生きられない人は、自由ではないのか・・?
というと、それも、違(ちが)うと思う。

また、池田先生が言うように、受け身になったら、どんな環境でも不自由になってしまう。受け身でなく「攻(せ)め」にまわる・・!その時に、自由は勝ち取られていく。

人には、悩みがあり、さまざまな環境や境遇(きょうぐう)、さまざまな問題が立ちふさがっている場合もある。思うようにいかない場合も多いと思う。それを不自由と感じるのは、きっと、その人が「受け身」になっているからだと思う。

そのどんな悩みや環境、境遇(きょうぐう)であろうとも、攻めにまわった時から、自由は始まっていく。

けれど、それが、そう安々(やすやす)とできたら、悩む人はいないし、不幸になる人もいない。
さまさなな境遇や悩みが、解決できないから、人は悩み、苦しむ。

そして、不自由を感じる・・・。

不幸は、不自由の中にあるのかもしれない。

日蓮大聖人は、『南無妙法蓮華経を、となえることより楽しい遊楽(ゆうらく)はない!』と言った。

南無妙法蓮華経を、となえることは、楽しいことなのだろうか・・?

また、『南無妙法蓮華経は、歓喜(かんき)の中の大歓喜!』だと言う。

南無妙法蓮華経を、となえることが、ものすごい喜(よろこ)びとなり、南無妙法蓮華経をとなえること自体が、ものすごい幸せ・・・!

なぜだろうか・・・。

それは、おそらく、南無妙法蓮華経を、となえることによって、自分の中の弱き命、環境や悩みに支配(しはい)されてしまう「受け身」の自分が、打ち破(やぶ)られ、攻(せ)めの心、攻めの命(いのち)になっていけるからではないだろうか・・!

そして、攻めの境涯(きょうがい)になったならば、どんな環境であろうとも、自由を感じ、喜びを感じ、幸せを感じていく。そして、歓喜した自分の中の生命の力によって、さまざまな悩みを解決し、環境や境遇を変え、夢や希望に向かって、力強く進んでいける。

それは、まさしく、人間が心から望んでいることであり、人間が望む自由そのものだと思う。

それを、手に入れる、決定的で確実な方法が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっほう)の信仰なんです。

また、人生を幸せに切り開いていく自由を、手に入れることができるから、創価学会の人たちは、さまざまな悩みを解決し、困難(こんなん)を乗り越えて、幸せになっていけると、いうことです。

これが、創価学会が世界192カ国にも、広まっている理由の一つだと思う。

だから、確かに、自由といっても、いろいろ、ある・・。
自由奔放(じゆうほんぽう)に見える人が、本当に自由だともかぎらない。また、困難な環境や悩みに苦しんでいる人も多い。

けれど、そのどんな困難な環境や境遇であっても、どんな深い悩みであっても、打ち破り、解決し、夢や希望に向かって幸せをつかんでいくことのできる、最高最大の自由が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰には、ある!!ということです・・・。


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希望列車253

2012-03-06 12:38:39 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『愚痴(ぐち)、文句(もんく)、不平(ふへい)、不満、嫉妬(しっと)、恨(うら)みごとばかりの人もいます。それは、自分の不幸を表明(ひょうめい)しているだけでなく、ますます自分の不幸を増幅(ぞうふく)させていきます。』

人には、それぞれ、その人の心、命に、傾向性(けいこうせい)があると思う。その傾向性が、良いものだったら、なんの問題もないと思う。

けれど、その命の傾向性が、悪いものであった場合・・、これは、やっかいです。

その悪い命と心の傾向性が、なぜだか、自然のうちに出てきてしまう。そしてそのマイナスの心の傾向(けいこう)は、じわじわと、自分の心を蝕(むしば)んでいく。そして、それは、結局(けっきょく)、人生を、未来を、台無(だいな)しにしていくことになってしまう。

この命の悪(あ)しき傾向性ほど、やっかいなものはない・・。

なかなか、変えられない・・。変えていけない・・。なぜだか、どうしても自分の中から出てきてしまうからです。

なぜ、そういうマイナスの傾向性が、自分の中に具(そな)わってしまったのか??と言えば、それは間違(まちが)った宗教によると言えます。自分が生きてきて、今までかかわった間違った宗教、また、先祖から受けつがれている宗教、また、自分の過去世(かこせ/過去に生きていた時代)にかかわってしまった間違った宗教が、さまざまな悪(あ)しき宿命(しゅくめい)と言える、さまざまなマイナスの傾向性を、その人に植え付(つ)けてしまったと、言うことができます。

こういう、自分に植(う)え付けられてしまったマイナスの宿命や運命、悪しき傾向性のことを、仏法(ぶっぽう)では、宿業(しゅくごう)というのだけれど、この宿業(しゅくごう)ほど、やっかいなものはない。

なぜなら、どうしても変えられないからです。なぜだか、自分の中から出てきてしまい、知らず知らずのうちに、その悪しき傾向性にはまってきてしまう。そして、知らず知らずのうちに、不幸に染(そ)まっていってしまう。

だから、やっかいだ!!困(こま)ってしまう。

ここに人は悩み、不幸を感じ、またその不幸から抜(ぬ)けきれないでいる・・。

ほっとけば、知らず知らずのうちに、自分の心から、その命の悪しき傾向性が、出てきてしまうからです。
これを打ち破(やぶ)ることは容易(ようい)ではない・・!

この命の悪しき傾向性を打ち破る、唯一(ゆいいつ)の秘宝(ひほう)が、実は、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと言えます。

南無妙法蓮華経を、となえることは、自分の悪しき傾向性を、打ち破っていく!
南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自(みずか)らの生命に、太陽が昇(のぼ)っていく。その時、さまざまな水滴(すいてき)やつゆのような自分の悪しき傾向性や宿業、まがって生命が、その太陽の光によって消えていく。

そのことによって、自分の生命を、プラスへ、希望へ、幸せへともっていくことができる。

これが、本当の意味でできるのは、『南無妙法蓮華経を、となえゆく』ことだけです!!!

これしかあれません。

このことがあるから、世界中の創価学会の人たちが、悩みや苦難(くなん)から立ち上がり、夢や希望をかなえて、幸せになっていけているんです。これほどスゴイ生命の秘宝はないとも言えます。

ゆえに、愚痴(ぐち)、文句、不平、不満、嫉妬(しっと)といった、自分を不幸に引きずりこむ悪しき傾向性を、打ち破る、決定的で、最高の秘策(ひさく)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと、言い切ることができます・・・。


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