希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車228

2011-10-31 13:07:50 | 日記
創価学会の人たちは、ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経をとなえて祈る仏法(ぶっぽう)の信仰を実践(じっせん)しているわけですが、なぜ、ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえるかというと、自分の生命の中にある最高にして最強の無限の可能性を秘(ひ)めた、『仏界(ぶっかい)の生命』が湧(わ)き上がってくるからだと言われています。また、仏界の生命とは、『仏(ほとけ)の生命』とも言い換(か)えることもできます。

南無妙法蓮華経を、となえていると、実際、それは、自分の生命の歓喜(かんき)によって、感じることはできるのですが、この『仏界(ぶっかい)の生命』だけは、どうしても、言葉で表現ができないとされています。

日蓮大聖人は、人間の生命状態を、おおまかに10種類にわけて、説明されています。たとえば、地獄(じごく)のような生命状態が『地獄界(じごくかい)』。食物に飢(う)えている状態が『餓鬼界(がきかい)』。おだやかで人間らしい生命状態が『人界(にんかい)』。喜びで、天にも昇(のぼ)りそうな生命状態は、『天界(てんかい)』など、生命状態をあらわす言葉に、『界(かい)』ということばを付けて、『何々界』という形で、表現しています。

けれど、この『仏界(ぶっかい)』ばかりは、表現のしようがない!!
とてつもなく素晴らしくて偉大(いだい)で、無限の可能性と力(ちから)を秘めた生命であることは、わかりますが、日常の生活の中で、当てはまる心の状態がないために、どうしても表現しきれないというのが、本当だと思います。

ぼくは、便宜上(べんぎじょう)、仏界の生命を、『強くて、あったかくて、魅力的(みりょくてき)で、何ものにも負けない最高に歓喜した最強の生命』などと、表現していますが、やはり、仏界の生命を表現するのは不可能というのが、本当のところだと思います。

そのあらゆる壁(かべ)を乗り越(こ)えていける、無限の可能性を秘(ひ)めた最強の生命である『仏界の生命』が、南無妙法蓮華経を、となえることによって、自分の中から湧(わ)き上がってくるから、創価学会の人たちは、ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえているという訳(わけ)です。

※ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。

そして、この『仏界(ぶっかい)の生命』だけは、創価学会のご本尊に、南無妙法蓮華経をとなえないと、自分の中から湧(わ)き上がってきません!

この仏界の生命だけは、ほかの何をやったとしても、自分の中から出していくことは、不可能です!!!

横暴(おうぼう)のようだけれど、本当だから、しょうがありません。

この創価学会のご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえないかぎり、『仏界の生命』は、わきあがってこないと、断言(だんげん)できます!!!

逆に言うと、だから、創価学会の人たちは、この南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)によって幸せになっていけるんです。
世界中の人たちが、悩みを解決し、夢や希望をかなえて、人生に勝利し、幸せになっているんです。

それが、自分の中から、最高にして最強の生命である『仏界の生命』を湧(わ)き上がらせてきた結果だと思います。

おそらく、仏界の生命とは、自分自身が、偉大な王者のようになる生命状態ではないかと思います。
そしてその偉大な王者のような生命状態になった時、環境(かんきょう)がどう、まわりがどうではなく、自分自身が完全に主体となり、世界を変え、 生み出していけるような強烈(きょうれつ)に強い生命状態になるんだと思います。

だから、その強靭(きょうじん)な生命状態になった時、自(みずか)らの生命を蘇生(そせい)させ、無限の可能性を引き出しながら、あらゆるものを変革していく無限のエネルギーと可能性によって、困難な病気であっても、また貧乏などの経済的な問題であっても、ほかのさまざまな悩みであっても解決でき、乗り越えていくことができる・・。

そして、夢や希望をかなえて、幸せになっていける・・!

それが、仏界の生命であり、仏(ほとけ)の生命なんだと思う。

そして、その仏界の生命を、自分の中から湧(わ)き上がらせ、開花していける唯一(ゆいいつ)の方法が、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

希望列車227

2011-10-26 18:49:06 | 日記
世界的に有名なジャズ・ピアニストのハービー・ハンック氏が、創価学会に入会するきっかけになった話しを、してくれています。

ハービー・ハンコックは、語っています。

『私に信心を教え、SGI(創価学会インターナショナル)に縁(えん)させてくれていたのは、私のバンドでベースを弾(ひ)いていた、バスター・ ウィリアムスさんでした。ある公演で、彼は驚(おどろ)くべきソロ演奏を披露(ひろう)し、私たちを高揚(こうよう)させたのです。

演奏が終わると大勢(おおぜい)の聴衆(ちょうしゅう)がステージに走り寄(よ)ってきました。感動のあまり泣(な)いている人もいました。その衝撃(しょうげき)の公演が終わった後、私は思わず彼を楽屋(がくや)に連(つ)れていき、尋(たず)ねたのです。

「君が、何か新しい哲学(てつがく)か宗教を実践(じっせん)していると聞いている。
もし、それが、こんな演奏を可能にするのなら、それが何かを知りたいんだ。」

と。

バスターは、それについて私に話す機会(きかい)が訪(おとず)れることを祈っていたと言って、『南無妙法蓮華経』の題目(だいもく)について話し始めました。彼は、それが『法(ほう)』であり、宇宙の法則(ほうそく)であると話してくれました。

私は彼の話しに多くの希望が含(ふく)まれていることに好感(こうかん)をもちました。
『南無妙法蓮華経』が何かは分かりませんでしたが、バスターは、私が信じようが信じまいが、南無妙法蓮華経には力(ちから)があり、効果(こうか)があると力説しました。

それで私は「まだ信じてはいないが、試(ため)すだけなら、失(うしな)うものは何もない」と始めてみたのです。』

そして、現在にいたり、何度もグラミー賞を受賞するなど、大活躍(だいかつやく)しているわけです。

同じく有名なジャズ・奏者であるウェィン・ショーターさんも、語っています。
ショーターさんは、亡(な)き奥様のアナ・マリアさんから創価学会の信心を教わったそうです。

ショーターさんは、語っています。

『彼女(ショーターの奥さん)は、ハービー(ハービー・ハンコック)から、この信心を紹介されました。
私は、彼女がどう行動するのかを見ていました。創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる信心を実践(じっせん)してしばらくすると、彼女は別人のように変わりました。私は非常に驚(おどろ)きました。その時の気持ちは、言葉では表(あらわ)せません。そこで、私にも教えてほしいと頼(たの)んだのです。』

ひとことで言うと、これが創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと思います。

だれもが、口にはしないけれど、望んでいるもの。生命の幸せへの変革(へんかく)、人間性の開花、幸せへと向かう生命の喜び、心に感じる高揚感(こうようかん)と感動・・。

それらの人間が本質的(ほんしつてき)に求めている幸せへの欲求(よっきゅう)、幸せでありたいとする人間性の開花が、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)には、ある!ということです。

今日、話した内容は、べつにハービー・ハンコックやウェイン・ショーターさんだけに起こってくるのではありません。
創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰を実践した、世界中のすべての人に起こっているんです!

だから、創価学会は、世界192カ国に広がっている。

そして、何よりも大切なことは、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰が、現実の人間を取り巻(ま)く、さまざまな悩みや問題を解決でき、人それぞれの夢や希望をかなえていく大きな力(ちから)となっていく!
ということです。

そして、人生における、どなん試練(しれん)や困難も乗り越(こ)えていける、大きな大きな力(ちから)であり、エネルギーでありパワーとなっていくと、いうことです。

ゆえに、この南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰によって、人々は歓喜(かんき)し、生命の変革を感じ、大いなる喜びと感動をもって、人生に挑戦していける。

ウェイン・ショーターさんが、妻が別人のように変わっていく姿に、言葉では表せないほど驚いたように、ハービー・ハンコックが、強烈(きょうれつ)な衝撃(しょうげき)をおぼえたように、人々をより良く、変革し歓喜させ、幸せにしていく。それが、人生も人間性も、未来も、生命も、幸せに変革していける、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

希望列車226

2011-10-21 18:57:57 | 日記
19世紀のフランスの文豪(ぶんごう)・デュマの名作『モンテ・クリスト伯(はく)』の中で、こう言っています。

『人智(じんち)のなかにかくれている、ふしぎな鉱脈(こうみゃく)を掘(ほ)るためには、不幸というものか必要なのだ。』

・・・と。

不幸はいやだし、嫌(きら)いだけれど、悩みや苦しみは、確かにそれを乗り越(こ)えようとしていった時、真剣に挑戦していくことによって、大きなものを学び、自分にとっての大きな財産を手に入れられることが多いと思う。

池田先生(創価学会インターナショナル会長)も言っています。

『皆も、苦しみに負けてはいけない。言うに言われぬような苦難と戦ってこそ、「智慧(ちえ)の鉱脈(こうみゃく)」を見つけることができる。』

苦難(くなん)は、その人から、大きな力(ちから)を引き出してくれる・・。

確かに人間の可能性は、無限(むげん)だし、計(はか)り知れない。
その無限の力を引き出していくためには、確かに、苦難や悩みが必要なのかもしれない。

人は、不思議(ふしぎ)と、悩みや苦しみがあるほうが、真剣になるからです。

そう考えると、デュマが言うように、不幸というものが時には、必要なのかもしれない。

といっても、別に不幸を賛嘆(さんたん)しているわけではない。絶対、不幸はないほうがいいし、不幸が好きな人なんていない!

別の言い方をすれば、不幸の中に幸せの鉱脈が、かくされているというのなら、たとえ、現在、自分に不幸が降(ふ)りかかってきたとしても、それは、「不幸」ではなく、幸せをつかむための「試練(しけん)」と考えることもできる。

そう考えて、希望を持ち、心を強く、人生を挑戦していった時、その試練を乗り越えた時、人は大きな幸せを、つかむことができるのかもしれない。

けれど、人は、状況(じょうきょう)に左右されやすい。自分に不幸が降(ふ)りかかってきた時、その状況だけが、心を覆(おお)い、意気消沈(いきしょうちん)し、絶望してしまうことも、まま、ある・・・。

また、心情的(しんじょうてき)に、人は、そういう生き物なのかもしれない。

けれど、本当は、不幸の中に幸せが、かくれている。不幸の中に、ふしぎな幸せの鉱脈(こうみゃく)がある・・!

だから、その鉱脈を、掘(ほ)り当てなければならない!

だから、状況や環境(かんきょう)、絶望や苦難に負けない、強い強い、生命の力(ちから)が、求められる!!

その鉱脈を掘(ほ)り当てる、絶望や苦難を必ず乗り越えていける決定的な方法が、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!

これほど、スゴイ力(ちから)は、ないんです・・!

ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の中から、強い強い生命力、勇気や知恵が、湧(わ)き上がってくるんです!その生命の力は、計り知れない。そして、デュマが言うように、ふしぎな幸せの鉱脈を、つかんでいくことが、できるようになっていくんです。

※ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。

そのご本尊に南無妙法蓮華経を、となえていくことは、自分の生命の中の、幸せの鉱脈を掘り当て、開花させていくことと同じなんです。自分の中の無限の可能性、無限の力を引き出していく!

それが、南無妙法蓮華経を、となえていくことなんです。

だから、創価学会の人たちは、どんな苦難、どんな不幸な状況にあろうとも、真剣に、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、実際、ことごとく、苦難や不幸を打ち破(やぶ)り、幸せを勝ち取ってきているんです。

その勝利と幸せの証(あかし)が、世界192カ国に広がる創価学会になっているんだと思う。

・・・
だから、嘆(なげ)くことはない。
落ち込むことはない。
決して、絶望することはない。

この、創価学会の『ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰』があれば・・・!!!


それが、どんな不幸も、悩みも、苦難も乗り越え、その中から、幸せの鉱脈を無限に掘り出していける、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

希望列車225

2011-10-14 14:36:10 | 日記
日蓮大聖人が、

『蔵(くら)の財(たから)よりも身の財すぐれたり 身の財(たから)よりも心の財第一なり』

と、言っています。

この言葉について、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『慈悲(じひ)や勇気や希望など、人間としての至高(しこう)の資質(ししつ)に勝(まさ)る財宝があろうか。
そして、この「心の財」は、どんな不慮(ふりょ)の事故や災害に遭(あ)っても絶対に壊(こわ)されない。』

「蔵(くら)の財(たから)」・・、物質的な財産やお金などの財産よりも、「身の財(たから)」・・、自分の身体の健康や健全(けんぜん)さの方が大事であり、大切である・・。

いくら、財産があっても、健康を損(そこ)ね、病気で普通に生活できないのであれば、財産を生かすこともできないし、幸せを満喫(まんきつ)することもできない。やはり、幸せは、自身の身体(からだ)の健康から来るものだし、そこから幸せを感じ、味(あじ)わうことができる。

また、身体が健康であれば、それから、人生に挑戦し、財産(ざいさん)を築(きず)いていくこともできる。

だから、「蔵(くら)の財(たから)」よりも、「身の財」のほうが、すぐれている。

その「身の財(たから)」よりも大切で、すぐれているのが、「心の財」だという。

幸せは、根源的(こんげんてき)には、「こころ」からやってくる。
健康であっても、心が荒(すさ)んでいたり、傷(きず)ついていたりすると、幸せを感じることは、できない。
また、心が荒(すさ)み、傷ついていると、それは、身体にも影響(えいきょう)し、健康を害したり病気になってしまう原因にもなる。

また、逆(ぎゃく)に、心を強く、明るく元気にしていくことによって、それは、身体にも影響を与(あた)え、健康になっていくのも、科学的に証明されている。

そう考えると、やはり、「身の財(たから)」よりも「心の財」の方が、優(すぐ)れているし、重要だということになる。

そして、池田先生が言うように、「心の財」は、どんな不慮(ふりょ)の事故や災害に遭(あ)っても絶対に壊(こわ)されない!!

ゆえに、絶対的な幸せ、決して崩(くず)れることのない最高の幸せを築いていけるのは、「蔵の財」でも「身の財」でもなく、『心の財』であると言うことができる。

そして、『心の財』が強く、大きく、輝(かがや)いていったならば、自然と「身の財」である身体も健康になり、また「蔵の財」である物質的な幸せ、すなわち財産や、それにともなう自分の夢や希望も、かなってくる・・ということだと思う。

だから、やはり、『心の財(たから)』が、いちばん大切だ!ということができる。

そうはいっても、『心の財』は見えないし、そう簡単に培(つちか)っていけるものではないことも、わかると思う。

けれど、『心の財』は、幸せをつかむ上で、とても重要となる。

その『心の財』を、最高に、無限に培(つちか)っていけるのが、実は、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!

『心の財』を養(やしな)い、無限に増(ふ)やしていける方法は、これしかない!!と言っても、言い過ぎではないでしょう。

日々、南無妙法蓮華経を、となえることによって、自分の生命は、歓喜(かんき)してくる!その生命の歓喜は、自分の生命自体を蘇生(そせい)させ、復活(ふっかつ)させる。

南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の生命に本来、そなわっている勇気や希望が湧(わ)き上がってきて、夢や希望に向かって挑戦していけるようになってゆく。

また、南無妙法蓮華経を、となえることは、自分の中から、さまざまな知恵やアイデアとなって湧(わ)き上がり、人生のさまざまな状況で、自分を助けていくことになる。

心そのものを、生命そのものを、絶(た)えず、希望へ、幸せへと変革(へんかく)していく!

それが、南無妙法蓮華経をとなえると、いうことなんです。

だから、「蔵の財(たから)」よりも「身の財」よりも優れている、最高の『心の財』を、無限に増やし開花していけるのが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

希望列車224

2011-10-11 14:42:52 | 日記
ブラジルに、35年前、経済苦、家庭不和(かていふわ)、さらに命におよぶ難病(なんびょう)に苦しみ悩んで、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)に巡(めぐ)りあい、創価学会の真剣な信仰によって、病(やまい)を克服(こくふく)し、幸せを勝ち取っていった婦人が、いるそうです。

そのブラジルの婦人が、確信を込(こ)めて言っているそうです。

『仏壇(ぶつだん)の扉(とびら)を開けば、いかなる勝利の扉も開いていける。』

・・と。

具体的(ぐたいてき)に、どういうことかというと、『仏壇の扉(とびら)を開く』とは、創価学会が信じ祈っている『ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、となえていく』ということです。

『ご本尊(ほんぞん)』とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊です。

だから、そのご本尊に、南無妙法蓮華経をとなえていった時、悩みや問題、あるいは、夢や希望に向かって、あらゆるものを、勝利へと向かわせ、勝ち取っていける!ということだと思います。

南無妙法蓮華経とは、生命を、希望へ、勇気へ、幸せへと変革(へんかく)し、蘇生(そせい)させていく『幸せのエネルギー』のようなものだと思っていいと思います。

そして、ご本尊は、自分の生命の中から、勝利と幸せを開く扉(とびら)のようなものだと思います。

だから、そのご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえていった時、自分の生命の勝利と幸福の扉(とびら)が開き、自分の中から、勇気や希望、勝利を呼ぶ、あらゆる知恵やアイデアが湧(わ)き上がり、また、自分自身の生命を元気に蘇生(そせい)させながら、日々を挑戦していける!

ゆえに、ブラジルの婦人が言うように、創価学会のご本尊の仏壇(ぶつだん)の扉(とびら)を開いて、南無妙法蓮華経を、となえていった時、あらゆる勝利と幸せの扉を、開いていくことができる!

それが、勝利と幸福を開く扉(とびら)と言える、『ご本尊(ほんぞん)』であり、あらゆる悩みを解決し、夢や希望を開いていける、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする